本音

 せっかく会えたのに、沈黙の時間が大半を占めている。

 お互いに何も話さず、外からは木の割れるような枝を切る音が、窓越しに聞こえる。


 そろそろ、帰ろうか。


 ミツバにお別れの言葉を言おうと、口を開いた。


「じゃあ――」

「リョウさ――」


 声が重なり、お互いに黙る。

 オレは「なに?」と、先に話すことを促した。


 ミツバは膝の辺りを見つめながら、こんな事を言った。


「おばさんになってから、こんな事言うのもアレだけど。リョウ。まだ私の事、……好きだったりする?」


 高校の頃だったら、ドキドキとして、もどかしい気持ちになっただろう。心は静まったままで、極めて冷静に言葉を受け止めることができている。


 オレはもう、気が付かない間に、枯れていたみたいだ。


 本当は何も言わずに別れて、再び魔法のベールで目を隠したかった。

 オレにとってのハッピーエンドは、魔法に掛かる事だ。

 真実なんて、誰も望んでない。


 本当は、何も言わなくていいのに。

 言うつもりではなかったのに。


 お前から、それを言われたら、オレは嘘を吐けない。

 その事に関しては、死ぬほど苦しんだ。


「好きに決まってる」

「ふぅん」

「でも、何も言わなくていい。オレが勝手に好きなだけだ」


 世間では、イジメられたら「復讐」とか、「こんな女」とか、心無い言葉を浴びせて、攻撃することを考えるのだろう。


 やられる事をやられたら、それは当然の考えだ。

 だから、オレとミツバの関係は特殊。


 いじめっ子といじめられっ子の恋愛なんて、オレ達以外に存在しない。


「私さ――」

「じゃあ、オレ。帰るから」


 聞きたくなかった。


 色恋沙汰なんて、もうたくさんだ。

 好きか、嫌いか。

 どうして、その二択じゃないといけないんだ。


 どちらでもない関係があっていいだろう。

 オレは元からそっちを望んでる。


 好きなら好きで、気持ちを完結したかった。

 そこから先は、いらない。


 早足でドアの方に歩き、もう一度挨拶を、と振り向く。

 ミツバは立ち上がろうと、足に力を入れていた。

 眉間に皺を寄せて、片足ずつ、床を踏みしめる。


「自衛隊、……っ、辞めたんだよね」

「そっか」

「こんな体じゃ、復帰したって足引っ張るし」


 ドアノブを捻り、ミツバにドアが当たらないよう気遣い、戸を開けた。

 一人が通れるくらいまでドアを開けると、急に圧力が加わり、強く閉めてしまう。


 ミツバがドアに手を突いたせいだ。

 さすがに、力任せで開けるわけにはいかなかった。


「私と、遊ぼうって言ってたじゃない。、逃げるの?」

「別に。逃げてるわけじゃ……」

「私の目を見て話しなよ」


 肩に腕を回され、松葉杖代わりにされた。

 同時に、オレの退路を塞いでいる。


「アンタのそういう所。ほんと嫌いだった。ウジウジして。何もやらない。尻叩かれないと、分からないのかな」


 口調には棘がなく、怒っているわけではないみたいだ。

 目だけを向ければ、オレの頭はちょうどミツバの胸元にあるため、シャツの柄が目につく。


 ミツバの言葉に何て答えたらいいのか迷った。


「10年以上経った今でも、アンタの事が頭から離れなかった。根暗な男見ると、尻を蹴りたくなる。今まで、どれだけの男に腹が立ってきたことやら。弱弱しいの見ると、いつもアンタの顔が重なる」


 何も言えずに黙っていると、耳に温かいものが当たった。

 ミツバに横から抱きしめられている。

 耳には小さな胸の感触。

 胸の肉越しに、心臓の鼓動が聞こえた。


「あの時――」


 ドアノブから手が離れ、身を任せてしまう。


「逃げた事。から」


 彼女の言葉が耳を通り越し、オレの心臓に突き刺さった。

 目を見て話したいけど、怖くてできない。

 どれだけ同じ体勢でいたか。


 やがて、頭や肩に体重が預けられ、徐々にミツバの体がずり落ちていく。


「ミツバ?」


 様子がおかしくて、顔を上げる。

 ミツバは目を閉じていた。

 何となくだが、それはキスをする時の様子とは違って見えた。


 寝ている?


「お、っと」


 慌てて、ミツバの体を抱きとめ、全身に力を入れる。

 ゆっくりと床へ下ろすと、ミツバを仰向けにして、肩を叩いた。


「ミツバ? おい」


 ミツバは寝ていた。

 すやすやと寝息を立てて、「うー」と唸り声が上がる。

 念のため、額に手を当てるが、熱はない。


 いきなり気を失うなんて、安っぽい小説の演出じゃあるまいし、現実にはあり得ない事だ。とはいえ、ミツバは現に眠りについている。


「……えぇ。何だってんだよ」


 とりあえず、オレは一階にいるであろう、ミツバの母を呼びに部屋を出るのであった。

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