共に

 ミツバの落ちた滝の間。

 その扉の前に立ち、オレ達は八馬さんに頭を下げた。


「色々と、ありがとうございました。本当に助かりました」

「こちらこそ愚妹を切り離す良い機会だったわ」


 オレは、溜め込んだ息を吐き出す。

 続いて、八馬さんの隣に立っているツバキさんにも頭を下げた。


「ツバキさんも。本当にありがとうございます。おかげで、ミツバが助かりました」

「清らかな魂に対して、当然の事をしたまでですよ」


 二人とも、聖母みたいだ。

 見ていると安心する。

 心が温かくなる。

 周囲の薄暗い空間が、二人の花咲く笑顔で照らされているように思えた。


 閻魔の処遇を決めた後、弁天さん達は従者が逃げないよう囲った。

 腕っぷしがそもそも違うらしく、女中たちは逆らえなかった。

 今は大広間に全員を集めて、断罪待ち。

 オレ達が行ってから、一人一人の行く末を決めるのだろう。


 泣いたり、怯えたり、失禁したり、自殺を図ろうとしたり、様々な反応があった。そのどれもが、弁天さんの仲間に平手打ちをされて、止められている。


 恐らく、元々嫌いだったのだろう。

 女の争いを垣間見たオレは、それ以上見たくなくて、さっさと帰ろうと思ったわけだ。


 二人にもう一度頭を下げ、オレは二人にも礼を言った。


「二人とも。ありがとな。ゴリ松と住職のおかげで、とにかく助かった。メンタルやられそうだったよ」

「何言ってんだよ。人として当然のことだわな」

「そうですぞ。人が人を助けるのに、理由はいりません」


 オレ達は笑い合った。

 人と人との繋がりというのは、理屈でできるものではない。

 例え、多少悪さをしたり、世間的には首を傾げるような事をしたとして、心と心が繋がれば、一つの絆が生まれる。


 そこに世間体はいらない。

 言葉は必要ない。


 ただ、感謝だけは伝えなくてはいけない。


 ゴリ松に肩を叩かれ、遅い青春の気分を味わったオレは、鼻から思い切り息を吸い込んだ。


 錆びた天井を見上げ、清々しい気分で足元を見た。


「さて。……離れろ。バカ」


 オレの足元には、閻魔――否。元閻魔がしがみついていた。

 尻たぶを枕代わりにして、安らかな寝顔をしているではないか。

 まあ、目を閉じてるのは、意地でも姉の顔を見ないようにしてるだけなんだろうけど。


「絵馬ちゃん。おいで」

「ん」

「ほらぁ。ご迷惑になるでしょう」

「ん」


 首を横に振り、閻魔もとい絵馬は拒否する。

 ここに来るまでの間、オレは片足を引きずってきたのだ。

 重いなんてものじゃない。

 邪魔だった。


「オレ。もう行くからさ。お前の事、嫌いだし。早く離れてくれない?」

「やだ」

「はぁ~~~~……。チッ。ストレスで動悸ヤバくなってきた」


 さっきから、ドキドキするのだ。

 怒りを必死に堪え続けていると、人間は心臓の動悸がおかしくなってくる。その現象がオレに現れていた。


「元カレ連れてきてやったろ。あいつで遊べばいいじゃんか」

「あいつ。みじん切りにして、捨てた」

「……へえ」


 オレはゴリ松達に視線を送る。

 何も言わずとも、二人にはオレの聞きたい事が伝わった。


「牛頭って女が、大きな包丁持って引きずってった」

「私怨を改めて果たしたってわけですな」

「へえ」


 すでに死んでる事から、もう死ぬことはないだろう。

 弁天さんが言っていたが、牧野は元々地獄行きらしい。

 だったら、地獄行きのあいつは拷問から解放され、地獄で再び別の拷問を受けるのかもしれない。


 散々、好き放題してきたのだろう。

 ドン引きはしているが、それ以上言うことはない。


「そっか。……じゃあ。これからは、お前一人だな。味方は一人もいなくて。一人ぼっちで、ずっと生活するんだな。男は全員お前の事嫌ってるし、お前を囲ってたやつは別の場所で地獄を味わうだろ。そしたら、地獄の中でお前の事、恨むのかもな」


 優しい言葉を掛けようと思ったが、出てくるのは恨み節。

 言葉を紡げば、溜め込んだ怒りが徐々に滲んでいくのだ。


「んーん。今日から、ここで生活する」

「ん? どこだい? どこで生活するって?」

「ここ」


 今まで見た中で、一番可憐な笑顔だった。

 歯を見せて、にぱっと笑い、手足にいっそう力を込めるのだ。


「おじちゃんの下半身で生活する」

「はは。こいつ。……ほんとに」


 オレは片足を引きずって、八馬さんの方に歩く。

 すると、重心が一気に後ろへ傾いた。

 後ろに倒れ込むよう、絵馬がグイグイと体重を片側に傾けているのだ。


 冗談じゃなかった。

 何が悲しくて、世界で一番イラつく女、不知火の上司を引き連れて帰らないといけないのか。

 不知火が世界で一番イラつく女なら、その上司は世界で一番嫌いだ。


「二人とも! 手伝ってくれ! こいつがいると、ハッピーエンドどころじゃない! バッドエンドになるよ!」


 オレは絵馬の顔を手で押し、二人は後ろから細い体に腕を回し、思いっきり引っ張ってもらった。


「嫌じゃ! おじちゃん! おじちゃん!」

「うっせぇよ! 離れろ! あとな! おじちゃんじゃなくて、お兄さんだろ!」

「三十路なのに?」

「……チッ」


 つぶらな瞳で煽るスタイルだった。

 絶対に反省することはなく、オレの足元を逃げ場として、死ぬまで煽ってくる厄介女。


「お、らぁ。お前なんか、願い下げだ。連れて行くんなら、ツバキさんみたいのが良いっての! 何が悲しくて、性悪のちんちくりんを連れて帰るんだよ!」


 頬をぐにっと押しても、二人掛かりで引っ張っても、絵馬は離れない。

 力が強すぎて、オレの片足が鬱血してるくらいだ。


「あらぁ。おじちゃんの事、好きになっちゃったの?」


 ツバキさんがゾッとする事を言い出した。

 冷や汗まで掻いてきたオレは、片足を引きずり、八馬さんに助けを求める。


「あの、すいません! これ、お宅の子ですよね⁉ 引き取ってもらえませんか?」


 ぐぐ……っ。

 足が折れるのではないか、と肝が冷えた。


 オレがどうにか引き離してほしいと頼むと、八馬さんはさすが姉だった。後ろに控えている、ツバキさんの従者から刀を受け取り、静かに近づいてきた。


「……ひっ」


 絵馬が息を呑み、両足を離す。


 ――やった。


 そう思ったのも束の間。

 オレは両足が床から離れ、浮遊感を全身で味わった。


「……お」


 何が起きたのか分からない。

 オレの前方には、青い空が広がっていた。

 下には大口を開けたゴリ松と住職。

 二人の下には、白滝。


 恐らく、オレ達が出てきたであろう出入口は、視界の端にポツンとあった。


 腹に違和感があり、視線を移す。

 そこには落下の勢いで靡く金色の髪があった。


「あ、あああああああ!」


 次の瞬間、オレの意識は白と黒の濁流に呑まれていった。

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