処遇

 大広間に集まってから、大体一時間くらいが経った。


 閻魔が泣きじゃくり、駄々を捏ねている間、今度はツバキさんと弁天さん達がやってきた。人垣の中に、ひょっこり不知火が混じっていたので、彼女が呼んできたのだろう。


 そして、大物が雁首を揃えて、一つの間に集合した現在。


 オレの前には八馬さんが座っている。

 八馬さんの隣には、ツバキさん。


 二人は光に満ち溢れた笑みを浮かべて、隠れる閻魔を待っていた。


「ほらぁ。絵馬ちゃん。出ておいで~」

「やだぁ!」


 ツバキさんは天使だった。

 久々に顔を合わせたらしく、八馬さんがいることに驚きはしていたが、嫌な顔はしなかった。


 むしろ、パタパタと駆け寄って、抱き着いたくらい仲が良い。


「ここは、ここは私の城なんだァ! 出て行けェ!」


 声を張り上げ、閻魔が叫ぶ。

 だが、絶対に姉の顔は見なかった。


 閻魔の前にはオレが胡坐を掻いている。

 その両側はゴリ松と住職で固めて、鉄壁の守りを築いている。


 オレ達は何も言わずに座ってるだけ。

 閻魔は駄々っ子と化し、大嫌いなはずの男に後ろから両腕を回し、引っ張っても無駄だと言わんばかりに、意固地になっていた。


「なあ。いい加減離れてくれよ。お前が話さないとダメだろ」

「じゃあ、あなたが話せばいいじゃない!」

「何言ってんの? ここの代表だろ⁉」


 オレもなるべく見ないように気遣っているが、八馬さんのこめかみには太い血管がぷっくらと浮かんでいる。


 キレる五秒前だ。


 その気迫の凄さといったら、尿意を催すほどだった。

 さっきから、オレの心臓までバクバクと強い脈を打っている。

 手足はとっくに冷え切り、緊張からオレまで小さく震えてきた。


 この三者の関係を一国の君主で例えるのなら、こんな感じか。


 八馬さん――大陸を統べる女帝。

 ツバキさん――平和な国のお姫様。

 絵馬バカ――悪事を働き続けてきた小国の女王様。


 女王様は処刑待ちである。


「お姉さま。私が説得して見せます」

「ええ。お願い」


 ツバキさんは可愛らしく拳を握り、オレの斜め前に移動してくる。

 相変わらず、裸の男には慣れていないようで、白い頬がほんのりと赤くなった。下を見ないよう顔を上げて、ツバキさんは優しい声色で言った。


「絵馬ちゃん。今まで、お姉さまがどれだけ絵馬ちゃんの事、面倒見てきたか分かる?」

「知らん!」


 ――おい。そこだけキッパリ言うなよ。


「絵馬ちゃんがわがまま言うから。極楽浄土と地獄の均衡が崩れたんだよ。罪人が溢れかえって、常世にまで行くところだったんだよ?」


 サラッと、とんでもないことを口走るツバキさん。

 オレ達の生きる世界に、地獄からの使者であふれ返ったら、それこそハルマゲドンでも起きたかのように騒ぐだろう。


「お姉さまが機転を利かせて、地獄で死んだ人を使い始めたんだよ。そのおかげで、処理が間に合ってるの。でも、そこら中、処理した血でいっぱいになってるんだよ? もう、満足したでしょ。ね?」


 オレはゴリ松の顔を見た。

 奴も同じことを考えているのか、険しい表情になっている。


「なあ。ひょっとして、俺らが通ってきた洞窟。三途の川に行く前の。あれってさ。実は血溜まりなんかなかったんじゃないのか?」


 閻魔に原因があるのだ。

 こいつが好き放題やった結果、変化が表れた。

 その一つが、洞窟の血溜まり。

 もしかすると、地獄に下りた際、病院に溜まっていた血も閻魔が原因なのかもしれない。


「それと、この人に意地悪したでしょ。ダメだよぉ。約束は守らないと」

「こんな奴、どうなってもいい! 男なんて、みんな死ねばいい! バカ! バアアアアアアカ!」


 オレはすぐに立ち上がった。


「え? 何でぇ?」

「いや、ちょっと、小便……」

「じゃあ、私も行く!」

「来るんじゃねえ! 離せよ!」


 あまりにも駄々を捏ねるため、オレはついカッとなって怒鳴った。

 しかし、男の怒鳴り声で怯まないのが、この閻魔である。

 非常に質が悪い。


「絶対に離さない! 地獄の底まで、お前を道連れにしてやる!」

「どうしてオレに拘るんだよ! お前、あれだろ! さっきからオレの事ばっか見てるけどさ! お姉ちゃんの顔まともに見れないんだろ⁉」


 尻に頬をくっつけ、体全体で片足にしがみつく謎生物。

 奴は、今この時でさえ目を瞑っている。


「うぐっ……」

「悪いけどさ。オレを裏切ったお前を。オレは絶対に許さない」

「……許して。あなたは許すべきよ」

「許さねえって言ってんだろ! 何でオレには強気なんだよ! イラつくなぁ!」


 平行線が続き、いい加減飽き飽きしてきた頃だった。

 オレの前に大きな影が移動してきた。


 痺れを切らした八馬さんだ。

 ニコニコと笑い、大きな手の平を小さな顔へ伸ばした。


 むぎゅ。


 片手で顔面を掴み、頬肉を指で潰した。

 指で、両側から頬をグリグリとされた閻魔は、非常に不細工な顔をさらけ出す。


「ふ、ぐ、ぐんむむ」

「私と一緒に行きますか?」


 閻魔は顔だけを仰け反らせ、変な体勢になった。

 ところが手足はしっかりとオレの片足にしがみついており、絶対に離さないという意思を感じる。


 まるで、樹にしがみついたコアラの頭だけを、後ろにグイグイと持っていくかのようである。


「私がどうして怒っているか。……分かりますか?」

「わぎゃ、りましぇん」

「あなたが己の感情だけで仕事をするからです。どういう考えを持っていてもいい。けれど、職務と感情は切り離しなさい。あなたの抱く男女の考えは、ただの感情。仕事に持ってこられては、非常に迷惑なの」


 気のせいか、閻魔の頬骨からポキポキ音が聞こえる。

 口を「う」の形にして、瞼は余った肉で細くなり、鼻の穴はひくひくと動く。


 無様過ぎた。


 普段、慕っている不知火も、さすがに八馬さん相手には強く出られない。弁天さんの横で、あわあわとしているが、見ているだけだった。


「それとね。今回の一件で、あなたには見切りを付けようと思ったわ」

「ぶぇ⁉」

「これからは、実家で暮らすの。二度と外に出ないで。必要あれば、手足の腱に釘を埋め込むわ。あぁ、安心して。ご飯は全て抜き。寝泊まりする所は、蔵の土間。強い女性のあなたなら、これくらいが丁度いいわよね」


 ――……こわ。


 八馬さんは表情こそ笑っているけど、心がこもっていなかった。

 大きな指が万力のように、メリメリと肉に食い込んでいく。

 閻魔は不細工顔のまま、大粒の涙をボロボロと流した。


 さすがに、可哀そうかな。

 なんて、お人好しのオレは思ってしまった。


「あ、あの――」

「あらぁ。泣いてるの? ふふふ。女の涙は女に通用しないわよ」


 言いかけて、オレは黙った。

 怖すぎた。

 女の恨みというか、本気の怒りというか。

 形容しがたい感情を目の前で見せつけられ、震えが止まらなかった。


 ツバキさんは状況が分かっていないらしく、「泣き虫だねぇ。ふふ」と、柔らかい笑みを浮かべていた。


 絶体絶命の中、閻魔は最後の力を振り絞って、オレの太ももを叩いた。


「たし、けて」

「……お前……なぁ……」

「おん、にぇがい」


 腕を組み、オレは考えた。


 ――無理だって。絶対に勝てねえもん。


 相手は閻魔を泣かせるほどの女帝だ。

 力は圧倒的に強いし、聡明ときた。

 弁天さん達が自分から両膝を折り、自然な笑顔を向けるほど人望に厚い。


 向かう所、敵なしの女を相手にオレ風情がどうこうできるわけがない。


 迷ったオレは、ゴリ松達を見た。


「あー、だったら、奴隷とかは?」

「というと?」

「ほら。実家に戻るなら。まあ、お手伝いとかさ。家事やら炊事やら。やれること、あるだろうし。給料なしで、飯は食えるみたいな」


 家に縛り付けられた奴隷か。

 拷問されたり、食事を抜きにされるよりは、随分とマシか。


「え、と。八馬さん。……そういうのって、どうです? 関係ないオレ達が口出しするのは気が引けますけど」

「あなたはお人好しですね」

「はあ。自分でも、嫌になります」


 顔から手を離すと、閻魔はすぐに反対側の足にしがみついた。

 ぶるぶると震えて、嗚咽を堪えている。

 喉が痙攣しているあたり、本当に怖かったようだ。


「絵馬」

「ひっく……ふぐ……っ」

「あなたの持ちうる全ての力を使い、この方の思い人を支えなさい。それが償いです」


 閻魔は答えなかった。

 代わりに涙で濡れた目を向け、小さく何度も頷いた。


「さ、て。ここにいる者達の処遇を決めないと」


 八馬さんが言うと、お付きの人を含め、全員が肩を震わせる。

 悪は栄えないというが、徹底して根っこまでほじくり出されたら、栄えるどころか、根絶されるだろう。


 オレは片足にしがみつく閻魔にため息をこぼした。

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