姉と妹

 屋敷の中に入り、閻魔のいる広間に行くと、先客がいた。

 そいつらは血塗れの姿ではあったが、別に怪我をしているわけではない。


 背中を向けている全裸の男二人にオレは声を掛けた。


「ゴリ松! 住職!」


 二人は勢いよく振り向き、オレを見ると大きく目を開いた。

 ずっと会いたかった顔ぶれだ。

 オレは八馬さんを通り越し、二人に抱き着いた。


「はは! 無事だったかよ!」

「今、閻魔殿と交渉するところでしたぞ!」


 二人と抱き合い、オレは奥に座る閻魔のお嬢さんを見た。

 彼女は、見たこともない顔をしていた。

 一言で表すのなら、顔面蒼白。

 実際に鼻水を噴き出す人なんて見たことないが、閻魔は口に含んでいたお茶を噴き出し、鼻水まで畳の上にぶちまけた。


「あ……あ……お……姉ちゃん……」

「お久しぶりですね。絵馬」


 付き人に鼻を拭かれ、すぐに上段から下りてくる。

 一番下まで下りると、閻魔は正座をした。

 決して近づこうとはせず、八馬さんから視線を外し、オレを睨みつけた。


「き、さまぁ!」

「二人とも。聞いてくれ。あいつ、始めからオレ達のことなんて、アウト・オブ・眼中だったんだ!」


 虎の威を借り続けているオレは、ここで怒りを爆発させた。

 オレの真っ直ぐな思いを踏みにじり、あまつさえ地獄から、さらに地獄へ突き落そうとした性悪女。


 拳を強く握り、オレは閻魔に近づいた。


「ようは、アンタが毛嫌いしてる男を抹消できるうえに、オレ達まで葬れるから、一石二鳥だと思ったんだろ! ふざけんなよ! お前、何が男嫌いだよ! ただ、性格が悪いだけのちびっ子じゃねえか!」


 もう、こんな奴怖くない。

 閻魔の目の前に立ったオレは、積年の恨みを込めて、腹の底から吐き出した。


「牧野もよぉ、ドン引きだったぜ! お前、デレた瞬間、相手の男監禁する趣味あるんだってな! 牧野はとんでもねえクソ野郎だしよぉ! お前にお似合いじゃねえか!」

「あなた、誰に物を言ってるか分かってるのかしら?」

「てめえだよ! ちんちくりんのスットコドッコイ! いいか? お前が女だろうが、男だろうが、そんなもんはどうだっていい! な~にが、女だよ! 馬鹿たれが! お前のやってる悪行には、性別なんて関係ねえんだよ! 道徳的な問題だろうが!」


 ――気持ちいい。


 解放感がオレを包み込む。

 ずっと我慢してきた思いをぶちまけ、憎たらしいちびっ子に物を言えたのだ。調子に乗って、散々悪さをしてきたバカに、文句の一つや二つ言いたいに決まっている。


「言いたいことは、それだけ?」


 オレが前に立つことで、姉の姿を見なくて済んでいる。

 だからか、閻魔は邪悪な笑みを浮かべて、ゆっくりと立ち上がる。


 殴る気か。

 警戒したオレは横にずれた。――が、閻魔はオレの前から一向に退く気配がない。


 不気味な笑みを浮かべたまま、オレの前に立つのだ。

 オレが右に行けば、こいつも右にきて。

 左に行けば、こいつも左にくる。


 よく見れば、サラサラとした前髪越しに、大量の汗が浮かんでいた。

 秒刻みで時間が進むごとに、汗の量が増していく。

 水でも浴びたのか、と見間違えるほど額がどんどん濡れてきた。


「ふん。あなたの思い人、……今頃どうなってるかしらねぇ」

「ミツバのことか? ……ちょ、いや、くんな。おい。なんだよ! ついてくんなよ!」


 結論から言うと、閻魔は明らかに怯えていた。

 焦っていたし、恐怖で満たされている。


 その様を表すのなら、小学生が泣きながら「痛くないよ」と、強がっているが如しである。


「ハァ……ハァ……あ……あんたの……ふぅ……思い人」

「え? なに?」

「死ぬから。殺されちゃうんだから。あはは。ざまあみろ。ふぅ、……や、やだ。動かないで。やだやだ」


 姉よりも、男の股間で視界を埋め尽くした方がマシのようだ。

 これで、どれだけ怯えているかが伝わる事だろう。


 ちなみに、八馬さんは広間の真ん中で正座をして、怯える絵馬さんをジッと見ているだけだ。


 何もしていない。

 にこやかに笑っているだけ。


「ねえ。ハァ、ハァ、と、取引しない?」

「お前、威厳がなくなってるぞ」

「いいから。あいつを、どっかにやって。早く。そしたら、何でも言う事聞いてあげる。ね。悪くないでしょ?」


 反復横跳びに疲れた閻魔が腕を掴んでくる。

 どうしても、話し合う気はないらしい。

 埒が明かず、オレは後ろに向いて、二人に声を掛けた。


「おい! 手伝ってくれ! ちびっ子がダダを捏ねてる!」

「よっしゃぁ! この腐れチビ! 観念しろ!」

「閻魔が怯える。ふむ。……仏教界で新たな説を提唱できそうですな!」


 二人は乗り気で走ってきた。


「いやぁ!」


 ゴリ松と住職が両脇から押さえつけ、オレは頭をガッチリと掴む。

 ただ、力負けすることは分かっているから、あまり無理はできなかった。


 オレが右に行けば、住職を引きずってでもついてくる。

 力では敵わないのだ。


「絵馬。座りなさい」

「やだ!」


 子供のように駄々を捏ね、オレの胸に額を擦り付けてくる。

 意地でも見たくないのだろう。


「お姉ちゃんなんか嫌い!」

「こら! 肉親にそういう事言ったらダメだろ!」

「嫌いに決まってるでしょ! あいつのせいで、片手が使えなかったことがあるもん。体中焼かれたことあるもん! 熱した鉄球を飲まされたことあるもん!」

「そ、りゃ……」


 八馬さんの方に振り向く。

 彼女はにこりと笑って、一言。


「愛です」


 表情は聖母のように穏やかであったが、声色は低くて、ドスが利いていた。

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