両思い

 突然だが、オレは頬の痛みを無視して、不知火のくびれに抱き着いている。ゴリ松と住職は、それぞれ片足にコアラみたいな体勢でしがみついていた。


「ごめん。ほんと、ごめん」

「……」

「俺らだって怖かったんだよ!」

「……」

「後生です。見捨てないでください。女神様!」


 マジギレをした不知火が、無言で立ち去ろうとしたのだ。

 慌てて、オレ達はしがみ付いて、行く手を阻んでいるのである。


「謝罪だけじゃダメ」

「んじゃ、何をすりゃいいんだよ!」

「自分で考えて」

「えぇ……」

「10、9、8、7……」


 謎のカウントが始まった。

 口には出さないが、これだから性格ブスは嫌なのだ。

 相手の弱みに付け込んで、徹底して高圧的に振る舞ってくる。


 ――ここを出たら覚えてろよ。


 復讐を誓ったオレは、大声で叫んだ。


「分かったよ! 何でも言う事聞くから!」

「ああ。だから、俺たちの女神であってくれよ!」

「私もできる事なら、何だって協力しますぞ!」


 オレ達を引きずりながら外へ出ようとした不知火は、ピタリと動きを止めた。


「へえ」


 こめかみには、相変わらず青筋が浮かんでいる。

 だが、口元がニヤッと笑うのを見逃さなかった。


「ふぅん。なんでも、ね」

「ああ!」

「へえ。ふ~ん。そっかぁ」


 性格ブス。性格ブス。性格ブス。性格ブス――。


「……何か、アンタから変な念を感じるんだけど」

「気のせいだって! 念なんて見えるわけじゃねえだろ! 不確かなもので人を判断するなよ」


 地獄に落ちろ、ブス。

 お前だけは許さねえ。

 何が何でも、泣かしてやるからな。


「うぐっ⁉」


 何故か、不知火はオレの首を絞め、目を覗き込んでくる。

 マズい。

 危険を察知したオレは、全力で顔を逸らした。――が、逸らした方に不知火が頭を持ってきて、ジッと覗き込んでくる。


「反省してなくない?」

「してるって! 何で分かんだよ!」


 鬼って、何か変な力があるのだろうか。

 例えば、読唇術みたいな、相手の心が分かる力を。

 だとしたら、マズいぞ。

 オレは常に不知火を憎んでいる。


 こいつが嫌いで、今いる場所が地獄でなかったら、「ぶぅす」と真っ向から言える自信がある。


「他の二人は許してあげる」

「ほ、ほんとか⁉」

「おお! 寛大な心に感謝!」

「でも、アンタはダメ」


 不知火は、オレに目を付けたようだ。


「アンタだけは、……絶対に許さない」


 鋭い目つきで宣戦布告してきたのだ。

 これに対し、オレはオレでイラっときてしまった。


「どうやら、――のようだな」


 一瞬、不知火が言葉に詰まり、口を尖らせる。

 図星だったのだろう。


「ふ、ふん。バッカじゃないの?」


 オレの思念が届いているなら、間違いなくこいつはオレを見捨てる。

 だが、そうはさせない。

 互いに憎んでいると分かれば、こいつを信用しないだけ。

 でも、今は怖いから、しがみ付かせてもらおう。


「ミツバって子は? 恋人じゃないの?」

「んなわけねえだろ。オレが一方的に大事にしてるだけだよ」

「は? 意味わかんない」


 こっちの台詞だよ!

 怒鳴りそうになった。


 ぷりぷりと怒ったかと思いきや、一気に冷めた口調で突き放してくる。

 女心なんて一生分からない。


「何でもするって言ったんだから。きちんと責任取ってね」


 ひとまず、気持ちが落ち着いたらしく、不知火は「どけ」と言って、壁にもたれかかった。


 九死に一生を得たオレ達は、折り畳んだ牧野と後ろに続く通路を見た。


「言っとくけど。地獄から抜け出る方法は、入口に戻ることよ」

「入口?」

「地獄の入口。方角で言うなら、西。私たちから見て、右の方に進んでいかないといけない」


 相変わらず、棒立ちでギョロ目のお姉さんが突っ立っている。


「あいつは、どうする?」

「平気よ。アンタ達が恐怖に憑りつかれていない限り、何もしてこない」「それって……」

「どれだけ凄惨な現場を見ても、ビクビクしない事。少しでもビビったら、足の腱を切られて、引きずり込まれるわよ」


 生唾を呑んだ。

 無理難題だ。

 ビビったら死ぬって、シャレにならなかった。


 オレは自分の手を見る。

 震えは止まった。


 ――不知火への憎しみが、オレを強くさせた。


「不知火」

「なに?」

「……ありがとな」


 殺意を押し殺して、オレは礼を言った。


「別に。私は何もしてない」

「いいや。お前がいてくれたから、オレは頑張れる」

「……なによ、それ」


 口を尖らせ、そっぽ向く不知火をオレは睨みつけた。


「確かに。不知火がいなかったら、俺らヤバかったな」

「ええ。地獄は、八大地獄などの記述はありますが、我々が知っている地獄とは随分違う。もしかすれば、記述は氷山の一角。描き切れなかったのかもしれませんな」


 怒りを溜めすぎても、体に毒だ。

 許してくれたばかりなのに、オレは拳を握って不知火に近づいた。

 それとなく、「殺すぞ」という念を込め、白い頬に拳をグリグリと押し当てた。


「ひゃめなさいって」


 不知火は抵抗しない。

 余裕を見せているのか。


「不知火」

「んむ?」

「お前の事だけは、……絶対に忘れない」


 不知火が黙ってしまう。


「ゴリ松達がもし忘れたとしても、オレだけはお前を忘れないからな。お前は、それだけの事をした。一生。一生だ。お前の事を想い続けて、いつか……」


 不知火の目が潤み、口が尖る。

 泣かせてしまうと思ったオレは、言葉を途中で終わらせ、抑え込んだ。


 背中を向けると、ゴリ松は「落ち着けよ?」と声を掛けてくる。

 住職は肩を叩いて慰めてくれた。


 気を取り直して、オレ達は牧野を持ちなおした。


「よし。行くぞ!」


 薄暗い通路に向き、オレは叫んだ。

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