地獄

 地獄といったら、何を想像するだろうか。


 火に囲まれた雑木林。

 一寸先が見えぬ氷山。

 血の池地獄。

 見渡す限り殺戮が行われている凄惨な密閉空間。


 想像すればキリがない。


「ハァ……ハァ……」


 心臓の鼓動が速くなっていく。

 地獄。――それは、だった。


「お、おいおい。マジか」


 木箱のエレベーターが、真下に到着した。

 到着した直後に、不知火たちは消えたのだ。

 オレは一人だけ残され、目の前に広がる自宅の光景に愕然とした。


 扉が開きっぱなしの玄関に立っている。

 進んでいくと、前方には仏間が見える。

 左は和室。

 L字なっているのだ。


 自分の家だっていうのに、オレは挙動不審になってしまう。

 周囲を隈なく観察し、段差を上がる。

 ヒタヒタと足の裏がフローリングに張り付き、自分の足音だけが聞こえた。


 仏間に行くと、目の前には母ちゃんの遺影。

 テーブルに乗せているのだ。

 その奥には一段高くなっている窓台カウンターがある。


 右は見れる。

 そこには、飼っていた犬の写真が二つ。

 左は、嫌いな親の写真があるので、見たくなかった。


 そして、仏壇の方にはお祖父ちゃんの遺影がある。


「確かに。オレの家だ」


 仏間から出て、廊下を見る。

 長い廊下が裏口の方まで続いている。

 脇にはリビングの戸。

 もう片側には階段がある。

 階段の横には狭い通路。

 風呂場がある廊だ。


「弁天さんのニュアンスだと、ここは地獄らしいけど。……何で」


 ――自宅なんだ。


 何となしに廊下を歩き、オレはリビングの戸を開けた。

 窓からは穏やかな日の光が差し込んでいる。

 幽霊が出るわけでもなく、怪物がいるわけでもない。


 オレ一人だけだ。


 一見すると、穏やかな空間である自宅は、座ってボーっとする事しかなく、空虚な時間が流れていく。


 リビングのソファに座り、染みだらけの天井を見上げた。

 煙草を吸っているから、染みができてるんだ。

 目の前には、新聞が乱雑している。

 大嫌いな宗教の勧誘を断ったけど、新聞だけでもってうるさいから、「オレ、金ないですよ」なんて言って、それも断った。


 そのはずがポストに「良かったら」と余った新聞を投函してくるようになった。


 それを回収して、家の中に持ち込んで、ぶん投げるのだ。

 宗教の事しか書いていない新聞。


 何気なく目を移すと、無視できない見出しがあった。


『佐藤ミツバ(28)――滅多刺しにされて――倒れているのが発見』


 他の文章は無視した。

 文の中で心がざわついた部分が、強制的に視界から頭の奥を刺激してくるのだ。

 呼吸が乱れてきた。

 震える手で新聞を手に取ると、普段読まない新聞を食い入るように見てしまう。


「ミツバ。……間に合わなかったのか。嘘だろ。いや、間に合わないのは、分かりたくないけど。……待ってくれ。滅多刺しって、これは違うだろ」


 他の新聞に目を移す。


『自衛隊員の乗る車両にバスが追突』

『25名死亡。1名重症』


 耳鳴りがした。

 ジッとしている事ができず、オレは頭を押さえて、テーブルに突っ伏す。


「ミツバ……」


 息ができなくなった。

 首筋はピリピリとして、あまりにも酷いストレスが、得体の知れない何かになって、自分の中で暴れ狂っているように錯覚する。


 オレは――、頭の中に、ある考えが過った。


「……そいつを……殺してやる」


 ゴミ箱に足をぶつけ、躓きながら台所へ向かった。

 包丁を手にして、ふと気づく。

 自宅の場所を調べないといけない。

 今なら、警察がまだ調査してるだろうから、立ち入り禁止のテープが張ってるだろう。


 ゴリ松だ。

 あいつの母さんは、ミツバの家を知ってるはずだ。

 そこに行って、ミツバの母さんに事情を聞こう。


 ミツバを殺した奴をオレが殺すために。

 できる事は、全部やる。

 何年掛かっても、オレの幸せを壊したクソ野郎を必ず殺してやる。


 殺す。

 殺してやるからな。

 今は、刑務所か?


 出てくるまで、準備を終わらせておこうか。

 必ず殺してやるからな。


 ――パチン。


 不意に、頬に衝撃が走った。

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