巨悪を討つ

 鯖を持った牧野がヘラヘラと狂ったように笑って叫ぶ。

 股間の怪我は未だに治っていない。


 無理をしているのか。

 憎しみが勝っているのか。


 判別は難しいが、こめかみには血管が浮かんでいた。


「ひゃはっ。おれの天国に、お前はいらねえんだよ! ここじゃ、何もかもが思い通り! どんだけメスをハメてもよぉ! みんな幸せそうに笑ってるぜぇ!」


 不本意ながら不知火を前から抱きしめる形となったオレ。

 前に倒れた際、鋭利な角で胸の皮が『ザリッ』と抉られた。

 滲む血は、不知火の白い頬を汚す。


「……あ……ああ……」


 段々と赤く染まっていく顔。

 目じりには涙が浮かび、瞳は潤んでいた。


 怒る寸前なのだろう。


 だが、オレにとって、どうでもいいことだった。


「……やべぇ……」


 ゴリ松が傷口を覗く。


「血、……出てるぜ」


 みぞおちの辺りから、鎖骨に掛けて、一本線の赤い血が滲んでいる。

 痛みと怒りに震えたオレは、角を握りしめ、牧野に振り向いた。


「てめぇ、牧野ォ……」

「そのアバズレとできてんのかよ。あひゃひゃっ! お目でてぇな!」


 牧野はゾッとする事を言い放つ。

 悪い冗談だ。

 こいつが喋れば喋るほど、多くの人主にオレが傷つく。


 こいつだけは許してはいけない。

 世の中には法律というものがある。

 これは大人の戦いで使うものであるが、人としての大事なものが欠けた奴と対峙する際には、足りないものだ。


 確信する。

 武力というのは、時代関係なく必要なものだ。


 分からない奴がいて、そいつは否応なしに襲い掛かってくる。

 悪に呑まれないよう、武力というのは行使するのだ。


「オラ、こいよ。てめぇ、ぶちのめして。目の前でその女ァ、ぶち犯してやるぜぇ」

「――この野郎!」


 非情な一言を言い放ち、オレは不知火を立たせた。


「頭にきたぞ。二人とも、スタンバイ頼む。……不知火ドスを使うぞ」

「おう」

「合点承知」


 両側から肩を組むようにして、オレとゴリ松が左右に立つ。

 住職は椅子を退かし、後ろに立った。


「なに? え? え?」


 そして、尻を突き出すようにして、不知火を前屈みにさせた。

 オレは狙いがズレないよう、首根っこを掴み、ゴリ松は角を持って位置を調整。


 住職は、いわばエンジンだ。


「本気で頭に来たぞ」

「だから、どうしたんだよぉ! ええ⁉」

「……テメェを……本気で殺してやるよ」


 人を殺す事は、大罪だ。

 絶対にやってはいけない。

 けれど、和を乱し、闇を作るものを野放しにしてはいけない。


 オレ一人の大罪で周りが救われるなら、悪い思い出で済む。


「ねえ! これ何⁉ ちょ、おっさん! 尻触らないで! やだ!」


 牧野と睨み合い、オレは言った。


「逃げるんじゃねえぞ。三下ぁ」

「兄弟、やってやろうぜ」


 いつの間にか、兄弟という呼び名に変更された。

 きっと、ゴリ松も怒り心頭で気分が高ぶっているに違いない。


「やれるもんなら、やってみろや!」

「往生せぃや、牧野アアアアアッ!」

「やだやだやだ! 何する気⁉ 離して! ちょ、っと、殺すわよ! ねええええ!」


 怒鳴り声を合図に、住職が不知火を押した。

 オレ達は許されざる巨悪に突進していく。

 牧野は鯖を振りかぶり、オレに襲い掛かった。


 べちぃっ。


 鱗とヒレがオレの頬を強打する。

 一瞬だけ、意識が持っていかれそうになるが、何とか踏ん張った。


「いやああああああああっ!」


 BGMを掻き消すほど、耳を劈く悲鳴が上がった。


「な、何か、頭に、……ぶにぶに……した……感触……これ……え……これ」


 歯の隙間から空気を取り込み、オレは真っ向から牧野を睨みつけた。


 引いちゃいけない瞬間がある。

 この男を前に、絶対に引いちゃいけない。


「ハァ、……ハァ、……牧野。こら。聞け」

「……ぐ……が……がぁ」


 不知火から片手を離し、目の前で表情を歪めるアホ面を掴んだ。


「女はなぁ、物じゃねえんだ。血の通った、同じ人間なんだよ。同じ人間のくせによ。物扱いするなんざ、バカのやることだぜ! ええ⁉」


 頬を握りつぶし、ステージ側に向かって突き飛ばす。

 派手に鉄格子へ背中を叩きつけ、ずり落ちる牧野。


「もう一発いくぜえええええ!」

「いやああああ! 無理無理無理無理! む――」


 もう一刺しすると、牧野は大きく口を開け、頭をブルブルと震わせた。

 徐々に白目を剥いていき、痙攣が始まる。


「お前だけは……刺し違えても……地獄に叩き返してやる」


 大嫌いな女もいれば、大好きな女もいる。

 不細工な女がいれば、綺麗な女だっている。

 必ず、どちらもいるんだ。


 それが、同じ人間である何よりの証拠だ。

 男も女も、人形じゃない。


「いぎゃああああああああ! いや! いやああああ!」


 辺りには、甲高い悲鳴が響いた。

 途中で声が掠れたのか、空気が混じったような声に変わる。


 オレは何だか疲れてしまい、不知火を引き抜いた。


 そのまま尻餅を突くと、オレ達は三人同時に座り、天を仰いだ。


「……やっちまったなぁ。今度こそ。人を刺しちまった」

「ね”え”! ドイ”レ”どごぉ”⁉」

「仕方ねえだろ。ルールがあったって、クソみたいなやつがいる限り、こうなっちまう時がある。罪は俺も背負うぜ」

「ひっぐ、やだぁ! 汚いぃぃぃ! ちょ、アンタ、トイレどこ⁉」

「か、カウンターの……奥に……うっ」


 マスターを突き飛ばし、カウンターの奥に消えていく不知火。

 オレ達はバタバタと消えていく背中を見送る。


「私も罪を背負いましょう。生臭坊主になってしまいましたが、……ふふ。不思議と後悔はありません」


 オレの中で、高校時代に止まった時が、少しだけ動き出した。

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