不意打ち

 ご機嫌斜めの様子で、蛇の尻尾を引っ張る不知火。


「……んで……私が……」


 ブツブツ言いながら、お稲荷さんを見ないようにして、不知火がグイグイと蛇の尻尾を引っ張る。初めは牙がお稲荷さんに食い込んでいたが、何度か引っ張っていると、呆気なく口を離した。


 代わりに、後ろで尾を引っ張る不知火に目掛けて、蛇は再び飛び掛かってくる。


 ところが、そこは鬼の芸当。

 噛みついてきた蛇をビンタで払いのけ、ムスッとふてくされた顔でオレに近づいてくる。


 ずり、ずり。


「きたねえなぁ! 拭うなよ!」

「アンタがやらせたんでしょ! こっちの方が汚いわよ! 何が悲しくて、あんな汚いもの咥えこんだ蛇に触らないといけないの!」


 オレ達は誰一人蛇に触れなかった。

 当然だ。

 人は蛇に触れない。

 触れる者なんて、誰一人いないのだ。


 オレはそう自負している。

 だが、鬼の彼女は違うだろう。

 人ならざる者は、人に仇名す者に容易く触れることができる。


 末恐ろしいこと、この上なしである。


 怒った不知火はステージから下りて、椅子に座る。

 女の子が飲んでいた酒を口に含み、そっぽ向いてしまった。


「とりあえずよ。これで、牧野を連れて行けるだろ」

「ああ」


 奴は服を脱いだ。

 それが何を意味するのか。

 一糸纏わぬ姿になった奴は、己の肉体を守る術を失ったのである。


 牧野の状態を窺ってから、住職もオレ達の所へ戻ってきた。


「意識はありますが、歩くことはできませんな」

「そういや、気になってたんだけど。あいつって、もう死んでるだろ? 殺したとしたら、どうなるんだよ」


 ずっと気になっていたことだ。

 殺す、というのは言葉の綾。

 正確には、死者を殺す事はできない。


「しばらくすれば、傷が治るから」

「治るって……」

「生きてるときは、だいぶ違う感覚みたいよ。頭を踏み潰されても、次の日にはケロッとしてるんだから」


 その情報が正しければ、地獄に堕ちた者は何度絶命しても、意識が戻り、再び苦汁を味わうことになる、ということか。


「回復を待つしかないってことか」

「どうしてよ。運べばいいじゃない」


 オレはため息を吐き、不知火の頬を引っ張った。

 嫌そうな顔を浮かべ、蛇のように噛みつこうとしてくる。


「オレ達は非力だ。人を運ぶことはできない」

「ミツバって子運んでたでしょ」

「あいつは別だ。何があっても運ぶ」

「……何それ」

「お前、どうせ異性に恋したことねえだろ。同性でもいいぜ。本気で誰かを大事に思ったことがなかったら、……絶対に分かんねえよ」


 疲れて休みたくても、さらに心身が疲労する方を選ぶ。

 無理をするつもりはない。

 なのに、無理をしてしまう。


「カッコつけちゃって」


 嫌味を言われるが、オレは気にしない。

 でも、少しイラっときたから、再び頬を抓った。


「あぐっ!」

「いって!」


 いつか、殴ってやろうと思った。

 不知火を睨んでいると、何やら住職がこんなことを言った。


「どういう心境の変化なのか。不知火殿。嫌がらなくなりましたな」

「は?」

「そうそう。俺も思ってた。触っていいの?」

「殺すわよ」


 不知火は、女性至上主義の権化である。

 つまり、オレにとって最大の悪だ。

 口を開けばヒステリックに喚き、「男は生まれた時点で罪」なんて平気で言える馬鹿の典型。


 あまりにも常軌を逸した性格だから、オレはこいつに遠慮なんてしない。


 今だって、頭を叩きたくて、右手がうずうずしている。

 叩きたい。

 フルスイングで、後頭部を叩きたい。

 欲求を抑えるのに必死だった。


「不知火ってさ。案外チョロいんじゃね?」

「はあ?」

「ツンケンしてる乙女ほど、恋には盲目と聞きますからなぁ」

「バッカみたい」


 オレは、気づけば不知火を見つめていた。

 汚泥に埋まった原石の如し、残念美人の容貌ようぼう

 見れば見るほど、殺意が膨らみ、無意識の内に手が伸びてしまう。


「ぇ……ちょ……なに……?」


 握りこぶしを頬にグリグリと当ててしまった。

 突然のことで、不知火は戸惑っている。


 ――静まれ。

 ――怒るな。

 ――殴っちゃダメだ。


 未だかつて、異性にこれほどの殺意を覚えたことはない。

 口を尖らせ、不知火がチラチラとオレを見上げてくる。

 何度かオレの顔色を窺い、不意に憎たらしい目が大きく見開かれる。


「ちょ、後ろ!」

「あ?」


 べちぃ。


 背中に強い衝撃が走った。

 何が起きたのか分からず、オレはそのまま不知火の上に倒れ込む。


「ハァ……ハァ……ひひひ。殺してやる。……お前だけは殺してやる!」


 牧野が血走った目で、後ろに立っていた。


 ――さばを持って。

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