悪は栄えず

 弾けた汗がステージ上に舞った。

 点滅に反射した汗は、空飛ぶ宝石の粒のようであった。


「ふぅ、ふぅ!」

「んなろ、くそ、何で、脱がそうと……」


 香水臭い体にしがみつき、オレは踏ん張る。

 指を上着に掛けて、股間を踏みつけると、思いのほかスルリと服が脱げた。


「来いよ。牧野。決着付けようぜ」


 一気に上半身裸になった牧野は、明らかに戸惑っていた。


「てめ、狂ってんのかよ!」

「狂ってんのは、この世界だろうがァッ!」


 腹の底から怒鳴り声を上げ、オレはここぞとばかりに牧野へ怒りをぶつける。


「いいか? 世の中の半分は何でできてると思う?」

「な、何の話だよ」

「いいから、聞け。世の中の半分は、女でできてるんだ。でも、ピッタリ50:50じゃない。男一人に女を一人当てた所で、男には余りができるんだ」


 格子の向こうでは、ゴリ松が取り押さえる連中の肩に顎を乗せ、「いいぞ! 言ってやれ!」と叫んでいる。


「何が言いてぇ?」

「お前みたいなクソチャラ男がいるからよぉ! 男には、女が回ってこねえんだよ! あちこちに種馬みてぇによぉ! 手ぇ出しやがってよぉ!」


 全ての怒りを今この瞬間に捧げる。

 口には出さないが、こんな奴が天国にいたら、ミツバが寝取られるなんて地獄絵図が広がる可能性だってある。


 オレは、そのことが、――頭に過っていた。


 こいつがチャラチャラして女をはべらせている時点で、オレはミツバを案じているのだ。


「牧野ォ……。オレぁ、ハッピーエンドを目指すぞ。お前みたいによ。頭空っぽに生きて、誰彼構わず女に手出す奴によ。人権与えるわけにはいかねえんだ!」


 振りかぶった猫パンチが、牧野の顔面を打っ叩く。

 せいぜい、ピコピコハンマーをフルスイングで殴った程度の威力だろう。


 叩く音は爆音で流れるBGMに掻き消され、ほとんど何も聞こえない。

 ひたすら、『ぺてぃてぃっ!』と、顔を叩き続けた。


「いぎっ、ぎゃああっ!」

「これは、オレの八つ当たりだぜ!」


 腕ごと振るうと、手首の辺りが牧野の顎に当たった。

 オレ達の戦いは、まるで小学校低学年の男子が争うかのようである。

 運動神経が全くない暴力は、怒りに任せて腕を思いっきり振り回すだけだ。


 それでも、10回振れば、1回は顔に当たった。

 残りの9回は、格子などに当たり、オレにダメージが返ってくる。


 ズキズキと痛む手を押さえ、オレは息を切らした。


「まぢでぇ、殺してや――」

「忘れたか? 言ったはずだぜ」


 奴が顔を押さえている間、オレはすでにベルトを外していた。

 同じ男だ。

 ベルトのデザインなど、女性ほど凝ってはいないし、シンプルな作りだ。


 ベルトを外してからは行動が早かった。

 一気に足元までずり下ろし、顔の前には真っ黒いお稲荷さんが登場した。


「よぉ。初めましてだな」

「ひ、や、やめろぉ!」

「うるせぇ!」


 力任せに引っ張ると、牧野は背中から倒れてしまう。

 本当は汚いものが苦手だが、怒り心頭のオレには関係なかった。

 ミツバを思えば思うほど、オレは非情になれた。


「やだぁ、もう! 最悪! 何で脱ぎ合ってんの!」


 外野では不知火が泣きそうな顔で叫んでいた。

 女子には刺激が強いようだ。

 男同士の喧嘩なんて、女に見せるものじゃない。


 激しい取っ組み合いが繰り広げられるのだから、卒倒寸前に決まっていた。


 手にしたズボンは丸めて隅っこに放り投げる。

 ようやく、半々の状態となったオレ達は、互いに睨み合った。


「覚えておけよ。牧野ォ。これこそ、男が本気になった時の正装だ。脱ぐんだよ」

「ふーっ、ぐっ、イカレ野郎が」

「黙れよ。ていうか、お前――」


 ぺてぃ。

 威力のないパンチを牧野に放つ。


「本気で生きたことねえだろ?」


 牧野の頬には、血が付着した。

 オレの血だ。

 格子を殴りすぎて、指の皮が剥がれたらしい。


 それ以外は外傷なし。

 牧野に叩かれても、ジンジンするだけで、すぐに元通りになる。

 オレが殴っても同じことだろう。


「舐めんじゃ、ねええええええ!」

「うお⁉」


 激昂した牧野に押し倒され、マウントを許してしまった。


「女なんてぶち込めば同じだろうが! 動物なんだよ!」


 がむしゃらに殴りかかってくる牧野の攻撃を必死に耐えた。

 牧野は10回殴れば、10回は床を殴る精度だった。

 そして、11回目でようやく顔を『ぺちん』と叩いてくる。


「ハァ、ハァ、いでぇ! いっでぇよ!」


 自分の拳を見て、牧野はわなわなと震えた。

 酷い出血だった。

 第二関節の辺りが擦り向けており、血が滲んでいる。

 げん骨まで血に濡れていて、奴の負ったダメージは計り知れない。


「でも、これで終わらせてやる!」


 オレと変わらない、猫パンチを振り上げ、――ピタリと止まった。


「な、……こいつ……」


 ぜつぼうが、オレの腹の上を這っていた。


「どうして、こんな場所に……」

「そういや、隅っこに行ってから目を離してたな」


 蛇はオレの胸の上で進路を変えると、奴のお稲荷さんを睨みつけた。

 兄弟だと勘違いしてるのか。

 舌を伸ばし、スルスルとお稲荷さんに顔を近づけていく。


「分かるか、牧野? これが、……本気ってことだぜ」

「う、うるせぇ……静かにしろ……」


 お互い、生まれたままの姿。

 直に感じる、冷たいこんにゃくの感触は、さぞかし肝を冷やす事だろう。


 オレはすでに味わった。

 今度は、お前の番だ。


「オラぁ!」


 牧野を退かそうとはしない。

 その代わり、膝を掴んで、前後に揺らした。


「ひゃ、ひゃめてくれ。たのむ」


 ガクガクと体を動かすことにより、お稲荷さんは振り子運動を始めた。

 こうすると、どうなるのか?

 先端がペチペチと蛇の頭を刺激することになる。


「いいぜぇ。お前にはよぉ。地獄を味わってもらう」


 蛇の首が折れ曲がった。

 鎌首をもたげる、とは違うが、蛇の首がS字になった時点で、確実に噛むだろうと察することができる。


 世の中の女は、こいつに苦しめられたはずだ。

 男は、こんな馬鹿な男に苦汁を呑まされたはずだ。


 大義名分なんて柄じゃないが、オレは今こそ世界中の男が憎むべき相手をこの手で地獄に落とす。


「往生せぇや! 牧野オオオオオオオオォォォッッ!」

「ひっ――」


 空気の抜ける音が聞こえた。

 音が鼓膜に届いた直後、蛇は恐るべき速さでお稲荷さんに首を伸ばす。


「ぎゃああああああああっ!」


 堪らずに牧野はオレの上から転がり落ちた。

 すぐに隅っこへ避難したオレは、無様にのたうち回るウマヅラを眺めた。


「痛いか? それが、お前に苦しめられてきた、男と女の苦しみなんだよ! 恥を知れぃッ!」


 尾をビチビチと動かし、蛇が食らいつく。

 牧野は顎をガタガタと震わせて、必死に蛇の頭を取ろうとした。

 だが、蛇は食らいついた後に、信じられない行為に及ぶ。


「……ほう。お前も許せないか」


 蛇は、お稲荷さんを呑み始めた。

 先端から徐々に口の中へ運んでいき、本当に食べようとしているのだ。


 と、言いたいところだが、よく見れば、それは勘違いだ。

 牧野は取り外そうとしているが、逆に口の中にお稲荷さんを突っ込み始めたのだ。


 酷い錯乱状態だった。


「リョウ!」


 邪魔立てする輩が退いたのか、すぐに鍵を開けて、檻の中にゴリ松が入ってきた。


「無事か⁉」

「ああ。だが、……奴は」

「……蛇って……男のアレ食うのか」

「いや、あいつが自分で押し込んだんだ」

「なぜ?」

「奥に押し込めば、痛みを和らげると思ったんだろうな。ほら。靴下を履くときに丸めるだろ。奥の方へ先につま先を付けた方が、履きやすくなる。あれと似た感じじゃないかな」


 オレ達は黙って、悪が滅ぶ様を眺めた。

 そして、一つの課題ができあがった。


 これをどうしようか。

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