桃源郷

ついカッとなって

 弁天さんは、中に入る事ができない。


「ウチがアンタの接触を見たら、手を出さなきゃいけない。そうなった場合、牧野はお咎めなし。アンタの場合は、手足を拘束。最悪の場合、切断だ。さすがに痛みを伴って地獄に戻りたくはないだろう? 外で待っててあげるから。早く済ませてきな」


 そう言って、弁天さんはマッチで煙管に火を点け、煙を吐き出した。

 きっと、カッコいい女性というのは、弁天さんみたいな姉御タイプを言うんだろうな。


 ともあれ、取引は遂行しなくてはいけない。

 木製のドアを開けると、下へ続く階段があった。


 暗闇に響くのは、やはり重低音。

 いかにも、チャラチャラした曲を流しており、階段の途中にはタバコなのか、麻薬なのか、煙を吸ってヘラヘラしてる男女がいた。


「嫌じゃぁ」

「のじゃロリやってる場合じゃねえだろ」


 手を引かないと、すぐに逃げそうだった。

 階段を下りると、今度は鉄の扉があった。

 住職は一度振り向き、頷くと、扉をゆっくりと開く。


 ――なるほど。


 扉の向こうに広がる光景を見て、オレは合点がいった。

 天国らしからぬ、規則や節度のない空間だ。

 風俗みたいな町が悪い、ってわけではないのだ。


 もしも、天国で運営するとすれば、しっかりと規則があり、節度を持って住み分けされているからこそ、天国の桃源郷である。


 そして、その真逆は何かといえば、無秩序の空間であった。


 部屋の中は広くて、クラブハウスみたいになっている。

 扉を開けて、前方にはカウンター席。

 真ん中にはステージがあった。

 ステージは檻で囲われており、中では男女が裸で絡み合っている。


 ステージの上での行為は、飽くまで模範もはんって感じだ。

 ここがどういう場所かを表しているのだろう。


 床では男同士で寝転がっている者がいれば、ヘラヘラ笑いながら椅子をタコ殴りにしている奴もいる。


 まるで、地獄。

 愚者の求めた自由が、そこにはあった。


「おい。牧野はどこだ?」


 前に立たせ、不知火に教えてもらおうとする。

 だが、周りの光景が刺激的過ぎて、不知火は委縮していた。


「指差すだけでいいから」

「ん」


 オレ達は不知火の指が示す方角を目で辿る。

 ステージ前にある席だった。


「……あいつが牧野か」


 裸の女を食い入るように眺める、一人の男。

 顔はウマヅラだ。

 鼻の穴が大きく、顎はエラが張り、目が細い。

 分かりやすく言えば、金を払ってでも殴りたくなる顔をしていた。


「閻魔も趣味が悪い事」


 茶色の髪を頻りに後ろへかきあげ、「うぇーい」とアホ面で騒いでいるではないか。


 オレは傍の席で飲んでいる男を見た。

 酔いつぶれているのか。

 瓶を手にして、熟睡していた。


 今更、緊張で手が震えてきやがる。

 人を殺したことがないのは、もちろん。

 誰かを暴力で大人しくさせた経験なんて、あるわけがない。

 むしろ、される側だったのだ。


 喉が鳴った。


「おい」


 ゴリ松に手を握られた。

 二人も緊張しているのだろう。


「それは、……最終手段だ。連れて行くんだろ」

「……あ、ああ」


 オレは自分が弱いと自覚している。

 弱いからこそ、凶行に走りやすい。

 止めてくれた友人に感謝し、オレは牧野の座る席まで歩いて行った。


「やだぁ。吐きそう。なんで裸で寝てるのぉ?」


 男嫌いに男女の絡みを見せると、超ぶっ壊れる事が判明した。

 今の不知火は、まるで幼子のようであった。

 オレに黙って連れて行かれ、人差し指を口に当て、「ぷぇ?」と点滅する天井を眺めていた。


 オレ達は人混みを掻き分け、ステージ前へ近づく。

 牧野は両脇に女を抱えていた。

 頭に角はないし、弁天さんみたいに高そうな着物を着ていない。


 扇情的な姿の女だ。


 オレは後ろから声を掛けようと口を開く。――が、ゴリ松が胸に手を当ててきた。


 俺がいく。

 ゴリ松の目がそう言っていた。


 ゴリ松は牧野の前に立つと、「よぉ」と柄の悪い挨拶をする。

 住職はさりげなく、幼児化した不知火に、他の客から盗った飴を舐めさせている。


「ほぉぁ? だれぇ、お前?」

「牧野タツヤだな」

「つか、ち〇こ小さくね? ぎゃははは!」


 ゴリ松が気にしていることをズケズケと言ってくる。

 言葉を選ばない辺り、牧野に知性は感じられなかった。


「閻魔のこと。覚えてるな?」

「は?」

「絵馬、だっけ。お前の元カノだよ」


 すると、牧野は口を半開きにして、「あー」と、あちこちに視線を配る。


「あの尻軽女ね。うん、うん。知ってるよぉ」

「っ」


 さすがに、自分の好きな上司を悪く言われ、不知火がピクリと反応した。目の形が見る見る内に、鬼のように尖っていくではないか。


「一緒に来てほしいんだよ。すぐに済む」


 これがプロの交渉なら、もっと上手くやるだろう。

 生憎、オレ達はプロじゃない。

 下手くそで、目が当てられないし、上手い言葉が見つからない。


 ゴリ松が単刀直入に言ったのは、と気づいているからだ。


「や、だ♪ ぶははははは! ひひひっ!」


 こっちの気など、お構いなしに牧野は笑う。


「つか、あいつ、飽きたんだよね。ちっとも気持ち良くないし。重いっつうか。うぜぇ、みたいな? ぶっちゃけ、女なんて他にいくらでもいるしさぁ」


 不知火の全身が小刻みに震える。

 頑張って堪えているが、歯軋りの音が、閉じた口から聞こえてきた。


「お前にやるよ。おデブちゃん。あいつ、優しくすれば、すぐにまた開くからさ。優しい言葉の一つでも言ってさぁ。無理やりヤッちゃいなよ」

「ぐ……ぎ……っ!」


 不知火の目じりから涙が溢れてくる。

 悔しいが、連れて行こうと決めた手前、どうすればいいのか、混乱しているのだろう。


「つぅか、着物とかダセぇっすわ。ぎゃははは――」


 ガチン。

 甲高い音が途切れるような、変な音が鳴った。


 オレは手に持った酒瓶をその辺に捨て、溜め込んだ息を吐いた。

 二人に向かって笑ってやる。


「……やっちった」


 鼻で笑い、唖然とする不知火の顔を握り拳で軽く突いてやる。


「何つうのかなぁ。うるさい女嫌いだけどさ。こういう風に泣かせるの、……なんか違うよな?」

「ぷっ。はははは! お前、マジか! アウトローになっちまったよ!」

「ま、覚悟を決めた手前、罪は最後に清算しましょう。はははは!」


 オレ達が笑ってる間、牧野は叩かれた頭を押さえ、ゴリ松を突き飛ばした。

 これが映画なら即死か、気絶だ。

 現実では、そう簡単にいかない。


 流血はしているが、人間はしぶといものである。


「い、っでぇ! いでぇ! お、お前、狂ってんのかよォ!」


 ステージの檻の中へ逃げ込んだ牧野は、ポケットから何かを取り出した。


 ナイフだ。

 光物を取り出したことで、周囲は騒然。

 絡み合っていた女の子たちは正気に戻り、すぐに檻から出た。


 周りにいた連中も距離を取り、目を剥いている。

 地獄でなら、オレ達は袋叩きにあっていただろう。

 しかし、ここは天国。


 本来、善行を積んだ者が訪れる場所。

 どれだけ長い期間いたのかは知らないが、暴力には無縁の世界だ。


「う、わぁ。ナイフかぁ。うわぁ。うわぁ」


 カッコつけて殴った手前、オレは自分の顔が引き攣っていくのが分かった。ゴリ松は苦い顔をしていたし、住職は腕を組んで難しい顔をしている。


「お前ら、……ぶち殺してやる!」


 血まみれの牧野は、ナイフを両手に持ち、怒鳴り散らした。

 これで、連れて帰るどころではなくなったわけだ。

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