桃源郷

 桃源郷。

 それは、桃林に囲まれた理想郷を意味する。


 天国においては、桃源郷の意味は常世で解釈されているものと少し違う。人々は桃色の気に当てられ、俗世に染まり、一つの町が丸ごと大人のお店になったかのような場所であった。


「余は行きとうない」


 不知火は偽閻魔の口調に戻るくらいに、激しい嫌悪感を示していた。

 実は、弁天? というお姉さんとの取引が終わった後、人里の入口にオレ達は戻った。


 すると、ツバキさんの長話に付き合わされ、小刻みに震えた不知火を発見。オレ達が連れて行かれてからも、ずっと同じ場所で話をしていたらしい。


 まるで、近所のおばあちゃんに捕まった若人のようである。


 不知火と合流したオレ達は、今度こそ弁天と一緒に北の区画へ向かう。

 ツバキさんには「お団子買ってまいります」なんて、お団子屋の前で言っていた。


 この言い訳が通用する辺り、ツバキさんは色々と緩い人なのだろう。

 でも、可愛かった。


 そして、天国の桃源郷と呼ばれる場所にやってきた。


「壮観ですな」

「ああ。しかし、なぜだ? 皆、服を着てるぞ」


 桃源郷に来れば服を脱いでもいい、と言っていた。

 だが、道行く人は普通に服を着ていた。

 最低限きわどい服を着こんでいるのだから、狐につままれた気分だ。


「ここは、色の濃い町だからね」

「色欲に塗れていますが……。これが天国の一部と?」

「元は違うよ。もっと控えめ。屋内で遊女と遊ぶくらいなもんさ。あぁ、女の子向けの店もあるよ」


 風俗街だった。


「牧野は、あの店にいる」


 弁天が指したのは、一件のお店。

 黒塗りの箱で、入口には目に悪そうなギラギラとした明かりが飾られている。


 お店は『ぱりーぴーぽー』とか、そういうのだ。

 一発で、頭悪いなと毒づきたくなるほど、酷い様相であった。


「ここ。南の方と違って、江戸の町っぽくないよな」


 古き良き日本の時代風景とは違い、北の区画は現代的だった。

 よく見れば、町の人々の恰好はボンテージだったり、ワンピースだったり、現代と変わらない恰好をしている。


 しかも、店の中からは、内臓に響くような重低音が漏れていた。


 ここで立ち止まっていても、仕方ない。

 オレは牧野に会うため、店に向かおうと歩き出す。


「ねえ」

「あ?」

「行きたくない」


 しかめっ面で不知火がダダを捏ねた。


「お前さぁ。ご主人が望んでる事をやりたいだろ? お前のためでもあるんだぞ」


 口を尖らせ、周りをチラチラと見ては、上目で睨んでくるのだ。

 相当、嫌気が差していた。

 男嫌いとは知っていたが、よもやここまでとは。


「ほら。行くぞ、って」


 怒りに任せて、手首を掴む。

 不知火は全く抵抗しなかった。

 さっきまでなら、触られること自体嫌がっていたのだが、オレに手首を掴まれることがどうでもいいくらい、この町が大嫌いのようだ。


「牧野が抵抗したら、お前がぶん殴るんだよ。お前、オレより力強いだろ」


 仮にも鬼である。

 力は人間より強いに決まっていた。


「なあ。リョウ」

「ん?」

「今、気づいたんだけど。お前、手の傷塞がってね?」


 不知火の手を掴む、オレの手。

 手の甲には穴が空いていたはずだが、今は塞がっている。

 火傷の痕みたいに、傷口はブヨブヨとしているが、完全に乾燥していた。


「そういえば、常世と幽世では時間の経過が違うんでしたな」


 てことは、オレの傷口はある意味時計代わりってことか。

 そりゃ、ポッカリと大きな穴が空いたわけではないから、塞がると言えば塞がる。


 ただ、貫通した傷口なので、時間は掛かるはずだ。


 時間が、掛かるはず。


「行くぞ」


 焦ってしまったオレは、不知火を無理やり連れて、頭の悪い店に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る