見送り

 現世とあの世では、時間の流れが違う。

 つまり、今の時点で、「ご臨終です」を聞いているとしたら、次の瞬間棺桶に入れられ、火葬場にいてもおかしくないのだという。


 一秒の次は、二秒。

 これが、現世の時の流れ。


 一秒の次は、三から八秒。

 これがあの世での時の流れ。


 不安定なのだ。


「馬鹿野郎! 何で早く言わねえんだよ!」

「言おうとしましたよ。でも、ウチの可愛い部下をイジメていたので、私もムキになっちゃいまして」

「ふざけんなよ! そういうのは、事が済んでからでいいだろうが!」


 石造りの廊下をオレ達は走る。

 背中に負ぶったミツバは、オレの首に腕を回し、しがみついていた。

 抱きしめる力が強すぎて、危うく失神しかけるが、首を振る事で何とか意識を保つ。


「ちょ、待てよ! 俺たちの場合はどうなってんの⁉」

「入院してますよ。意識不明です」

「くそがああああああ!」

「色々と合点がいきましたな! なぜ、我々は病院で目が覚めたのか。あそこが我々にとって、生死の境であったのか! 我々の肉体が、病院にあるからですよ!」


 道なりに真っ直ぐ走り、突き当りの部屋を目指す。

 そこには滝があるらしい。

 この滝から落ちる事で、自分の肉体へ到達することができるらしく、目が覚めるまで若干の時間が掛るという。


「ミツバ! いいか? もし、目が覚めて真っ暗だったら、お前は棺桶にいる可能性がある」


 ミツバが頷く。


「すぐに叩け。顔の前を力の限り叩けよ! 手の骨が折れても叩け! 生きたまま燃やされるより何百倍もマシだ!」


 ミツバに抱きしめられ、複雑な思いが込み上げてくる。

 薄暗い廊下を走るのは、転びそうで不安だったが、最悪顔の骨を折ってもいいかな、と覚悟をしているくらいには、すでに吹っ切れている。


 延々と続く薄闇。

 途中で扉が開くのを見て、「開けるんじゃねえ!」と腹の底から怒鳴り散らす。


 すぐに扉は閉まり、八つ当たりでドアを踏みつける。


「くそ。生きて帰って、お前が無事に棺桶なり、病院から出るにしたって。お前の旦那がクソなら、事故死に見せかけられるまで、またタイムリミットが発生するじゃねえか!」


 どんなアホと結婚したんだよ。

 あれか。

 自衛隊だから、やはり人目とか気にしたんだろうか。


 男社会だからな。

 どんな馬鹿と結婚したのか知らないが、これ以上ミツバを悲しませるんじゃない。


 刺し違えてでも、相手の事を打っ叩くからな。

 死んでも、殴り飛ばしてやる。

 むしろ、そこをオレの墓場にしてやる。


 ふつふつと怒りが湧き、オレは奥歯を噛んだ。


「あ、そこです。着きました」


 裾をたくし上げた手を離し、閻魔がとてとて扉に走っていく。

 すぐに扉を開けると、そこには床がなかった。


 向こう岸が見えないほどの大きな白滝。

 本来なら、こんな場所から転落した場合、即死に近いだろう。


「さ、こちらへ」


 閻魔が背中のミツバを下ろし、姫様抱っこをした。

 見た目の割に、怪力である。


「ミツバちゃん! 絶対に生きろよ!」

「まだ念仏を唱えるには早いですぞ!」


 振り子のようにミツバを揺らし、閻魔は狙いを定める。

 オレはミツバと見つめ合い、言葉を絞り出す。


「オレ、……何もないけどさ。お前と、また遊びたいよ。手、動くんなら、ゲームだってできる。車椅子に座りながら、遊べる方法なんていくらでもあんだ」


 ミツバは顎をしゃくって、頷いた。


「オレが行くまで、時間稼ぎしろよ。自衛隊の意地見せろ。いいな⁉」


 言った直後、ミツバの体が白滝に向かって投げ飛ばされる。

 すぐに粒ほどの大きさになり、ミツバの体は白い滝の中へ消えていった。


 残されたオレは、ミツバの消えた方に目を凝らし、言葉を呑み込む。


「幸せにできねえならよぉ。……結婚するんじゃねえや。何のための結婚だよ。夫婦の意味分かってんのか」


 オレは女を知らないし、恋人だっていた経験なんかない。

 でも、夫婦になるってことは、運命共同体になるってことだ。

 これぐらい、オレにだって分かる。


 なのに、相手を金づるとしか思っていない、バカ旦那の事を考えると、オレは怒りしか込み上げなかった。


「リョウ」


 ゴリ松に背中を叩かれた。


「一人で行くなよ。喧嘩弱いだろ」

「……ああ」

「私も、あなた方と出会ったのは、何かの縁だ。現世に戻ったら、酒を酌み交わす仲間として、一杯やりましょう。……その前に、野暮用ですな」


 オレは二人の心強い仲間に支えられ、ようやく扉から離れることができた。

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