男の覚悟

 牛頭とは牛の頭を持つ怪物のことだ。

 牛頭天王なんて名前で知られている。


 その牛頭と呼ばれる怪物だが、現世で聞いていたのとは、随分と違った姿形をしていた。


 まず、体長が推定2m30cm。

 大きな筋肉を持ち、褐色肌で、半裸の女だ。

 乾燥わかめみたいな頭をしており、なぜか体からはフローラルな香りがしてきた。


 オレはそいつに羽交い絞めにされ、閻魔大王に尋問を受ける。


「正直に答えてください」


 本物の閻魔は、鋭い目つきでオレの目を真っ向から睨んでくる。


「彼女を叩いた、経緯は?」

「……ミツバの事を……笑われたからだ」


 その直後、閻魔は手に持ったヤットコを強く握った。


「――」


 一瞬、何が起こったのか。

 握りしめられたヤットコは、使わなかった。

 ただ、股間から脳天に掛けて、鋭い激痛と苦しみが込み上げてくる。


 言葉を失ったオレは、息を詰まらせ、羽交い絞めにされながら丸くなった。


「ぐ、あああああああ!」

「うわあああああああ!」

「なんとおおおおおお!」


 オレの悲鳴に合わせて、見ていたゴリ松達も叫んだ。

 閻魔は、舌を抜くどころか、玉を蹴ってきたのだ。

 全世界の男性共通の弱点であり、一番地獄を味わうポイント。


 オレは後頭部を何度も牛頭の胸に叩きつけ、「ん”ん”ん”ん”っ!」と、声にならない悲鳴を上げ続ける。


「嘘はダメですよ。全部わかります」

「だ、だったら、聞かなくてもいいだろ」

「答えてもらうことに意義がある。もう一度聞きますね。どうして、彼女を叩いたのか。経緯を聞かせていただきたい」


 こいつは、本気だ。

 本気の尋問が行われている。

 オレはゴリ松達の傍に座るミツバを見た。

 彼女は渋い顔をしていた。

 そして、ミツバの隣では、偽閻魔が「ぶふっ」と笑みを噴き出し、オレの苦しむ様を笑っている。


 この理不尽な状況。

 見る人によっては、さぞ胸糞悪いだろう。

 けれど、オレは胸糞悪さより、一種の試練ではないかとさえ感じている。


「じゃあ、……言葉を変えてやる。そいつが、オレ達をコケにし、ミツバを笑った。だから、オレはぶっ叩いたんだ! んほおおおおお!」


 どういう痛みか?

 股間が攣る痛みだ。

 黙っていると、「ツーっ」と無限に痛みが競り上がってきて、意識が遠のいてしまう。


「もういい! 白状しろよ!」

「そうですぞ! 男の痛みを味わう必要がどこにありますか!」


 違う。

 違うんだ。

 オレは、確かに一部のバカ女が嫌いで、手を上げてしまい、この叩いた事実だけは許されなくていい。


 でも、ミツバにだけは少しだってカッコ悪いと思われたくない。

 くだらないかもしれない。

 これは男の意地だ。


「……んー、そうですか。……なるほど」


 閻魔は独りでに頷き、左右に行ったり来たりする。

 オレはたった二発蹴られたくらいで、全身に汗を掻いていた。


「分かりました。では、彼女の事はもういいです」

「そんなぁ! 絵馬様、もっと嬲ってくださいよ!」


 なるほど。

 絵馬、という名前も偽りだったか。


「では、聞きます。あの子の事、そんなに大事ですか?」

「世界で一番、……大事だ」

「あら。あっさり認めるんですね」

「当たり前だ。オレは、この世界にきてから、ずっと感じていた。オレの心は、ずっと昔。高校の頃から、何も動いちゃいない。あそこで止まってるんだ」


 高校を卒業したら、どこかでまた会えるだろう。

 どこかで顔を合わせるかもしれない。

 全部、幻想だ。


 卒業をしたら、接点がなくなる。

 進路や就職といった道が分かれ、オレはしばらくプー太郎をしていた。

 大学に行ける頭なんかない。

 金もない。

 労働意欲なんてなくて、就職だってしなかった。


 その結果、毎日が地獄で、生きてるだけで苦痛だった。


 考えるのは、ずっと昔の高校時代。

 オレにとって、最初で最後の――。


「彼女がもしも、下半身不随でお先真っ暗だとしたら?」


 意地の悪い笑みを浮かべ、閻魔が聞いてきた。


「なんだと?」

「声帯が潰れ、片方の耳が聞こえないとしたら?」

「どういうことだ! 説明しろ!」


 まさかとは思うが、事態はオレが思ったより深刻なのか。

 だとしたら、本当に生き返ることが彼女のためになるのか、究極の二択を迫られることになる。


「今は病室で、ご家族に見守れながら、医師の声を聞いています」

「……それって」

「彼女はもうじき、こちらにくる。あなた、どうします?」


 ミツバの方を見る。

 ミツバは黙って視線を逸らした。

 気まずそうに、オレの顔を見ないようにしている。


「旦那様に、保険金が全部渡る事でしょう。もし、仮に息を吹き返したとして、いずれは旦那様から事故に見せかけられ、必ず殺される。そういった未来が待っていますが、……どうします?」


 ミツバの表情に陰が差していた。


 オレは一瞬だけ言葉に詰まった。

 悲惨な生い立ちで、頑張ってきた奴が、どうしてまた悲惨な目に遭わないといけない。


 オレは、ミツバに笑ってほしかった。

 例え、こいつが極悪人だろうと、気持ちは変わらない。

 ずっと笑って、ずっと楽しい一生を送ってほしかった。


 オレは閻魔の性悪な笑顔に真っ向から言ってやった。


「オレが全部面倒見る」


 ミツバは嫌かもしれない。

 これは、飽くまでオレの気持ちだ。


「別に。結婚しようなんて言わない。恋人にならなくてもいい。また、オレとつるんでほしい。一生オレが面倒見る」


 これが、――オレの覚悟だ。

 ここまで言い切れるのは、ミツバがオレにとって、最初で最後の初恋だからだ。


 こいつ以外の女には、性欲を丸ごとぶつけられる。

 どうでもいい、と思える気持ちが何割かあるからだ。

 あるいは、性欲の入る割合があるから、オレは他の女には欲情できる。


 しかし、ミツバには無理だった。

 本当に人が人を好きになったら、性欲の入る隙間がない。

 まあ、これはオレだけなんだろうけど。


 覚悟を聞いた閻魔は、後ろを振り向いた。


「良かったですね。あなたを思ってくれる人がいました。これで、奇跡が起きますよ」


 牛頭から解放されたオレは、力なくその場にへたり込んだ。


「先に彼女から帰しましょう。時間がありませんし」

「なぜ?」

「燃やされるので」


 くす、とまた意地悪な笑みを浮かべるのだった。

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