ちっこいの

 オレは震える手を押さえ、その場に蹲った。

 叩いた拍子に角が手のひらに刺さり、痛みに悶える。

 なんて間抜けな光景なのだろう。


「これは、これは。……どういうことですかな?」

「な、何よ」


 住職が腕を組み、残念美人の前に立つ。


「閻魔大王とは、冥府の神。鬼ではない」

「そうなのか?」

「ええ。地蔵菩薩じぞうぼさつと同一視されたり、十二天の神様という話です。これと、鬼は別の存在。むしろ、鬼は補佐や雑務をこなす、下っ端ですよ」


 二人が会話している間、オレは水車の前に立つお姉さんに、「包帯ありませんか? あ、消毒液……」と慈悲を願った。


 体中を鞭で打たれるより、ずっと痛いのだ。

 泣きそうだった。


「仮にも閻魔に手を上げる者がおりますか?」

「すいません。女性至上主義みたいな人、オレも嫌いなんで。はい。カッとなっちゃって。いってぇ」


 オレは言わずとも女の子を大事に思っている。

 だが、気の狂った思想の輩は、男女共に御免被る。

 拷問のお姉さんに呆れられ、傷口の具合を診られた。


 一方で、住職は怒り心頭と言った様子で、残念美人を詰問きつもんしている。


「答えなさい。あなた、本当に閻魔大王ですか?」

「当たり前でしょう。なに? 地獄に落とされたいの?」

「本来、地獄にいるべきは、あなたのはずだ」

「あー、やっちゃったねぇ。偽閻魔さん。やっちゃったねぇ。これ、どうする? 俺ら、拷問受けたんよ。ん? 責任誰に求めればいいの?」


 鬼と化した二人が、鬼の女を責め立てる。

 不思議な光景だった。

 オレの手に空いた穴を絞るお姉さんは、そちらの方が気になるようで、チラチラと様子を窺っている。


 成り行きを見守る表情は、「バレたか」と言わんばかりだ。

 人間の洞察力を甘く見ないでもらいたい。


 三人は睨み合った。


 オレは痛みに震えた。

 ずっと膠着状態が続き、空気が張り詰めた。

 いつまで続くのか。


 平行線がしばらく続いた後、部屋の扉が開く。

 金属の軋む耳障りな音を立て、開いた扉からは、部屋を出て行った金髪サイドテールの鬼女が現れた。


「あら」


 目を丸くして、トコトコ部屋に入ってくるではないか。

 その鬼女の後ろに続いた、別の鬼。


「牛頭をお呼びしましたけど。……ふむ。何かありました?」


 ミツバも三人の様子が気になるようで、それぞれの顔に目を移す。

 微妙な空気を感じ取ったらしく、最後にオレへ目を移してきた。


「どこから説明したものか」


 やべぇ。

 勝手に思い出話をしたのがバレる。

 オレはオレで焦った。


「実は、……そいつの、ほら。金色の布? というか、被り物が取れちゃってさ。角が見えたんだ」

「どうして、血が付いてるのです?」


 鬼女が追及してくる。

 オレは手を隠し、後ろ手を組む姿勢になった。


「さあ。ぶつけたのかな。でも、問題はそこじゃない」

「ええ。私は、この者が閻魔大王とは思えません。本物はどちらに?」

「あらら」


 事態を察したらしい。

 金髪の鬼女が残念美人に近寄ると、念のため布を取って、怪我をしていないか確認している。


「スン」


 頭に鼻を近づけるなり、臭いを嗅ぐ。

 すると、鬼女はオレを見てきた。


「怪我をしたのは、あなたのようだ」

「はは。何をバカな」


 続いて、拷問のお姉さんに目線が移る。


「こいつが叩いたんだよ」

「えぇー……。女性に暴力を働いたのですか?」

「待ってくれよ。確かに叩いたのは認める。悪かったよ。あまりにも嫌いなタイプだったから、ついカッとなった。これも認めよう」


 これ以上、突っ込んでこないでほしい。

 残念美人の方を叩いたことは、微塵も悪いとは思っていない。

 だが、ミツバの方には申し訳ない。


話してください。どういう経緯で、このような事態に?」

「こいつが……、別の罰を与えようとするから、どうしてなんだって責めちまったんだよ」


 住職は首を傾げ、残念美人と鬼女を交互に見ていた。

 残念美人は涙を袖で拭い、なぜか鬼女の足にしがみついているではないか。


「手を上げたのは、なぜです?」

「まあ、勢い余って、……かな」


 鬼女の目が細くなる。


「いや、ちょっと待った! 佐伯さん! 正直に答えてください!」


 血相を変えて、住職が叫んだ。

 驚いたオレは誤って自分で自分の傷口を絞ってしまう。


「あいだ!」

「ひょっとして、……閻魔大王は、このちっこい金髪の子ではないですか?」

「こ、このちっこいのが?」

「嘘だろ……」


 眉間に小さな皺を刻んで、鬼女がムッとした。


「ちっこいって言わないでください。失礼です」


 住職は続けて言った。


「閻魔を相手に嘘を吐けば、罪が重なる。つまり、舌を抜かれる刑罰に繋がるのです!」

「……この、……ちっこいのが……」


 鬼女は懐に手を差し込む。

 そして、ゆっくりと引き抜かれた手には、何かが握られていた。


 ――ヤットコだ。


 見た目は、デカいペンチ。

 熱した物を掴む時などに用いる道具である。


「今、抜いて差し上げましょうか?」


 閻魔大王は、始めから傍にいたのであった。

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