解放の義

「おら。それで功徳が詰めると思うてるのか! ええぇ⁉」


 男が怒鳴りながら、棒切れを振るう。

 子供たちは積み上げた石を破壊され、「父ちゃん! 母ちゃん!」と泣いていた。


 この様子を見て、住職はピンと来たらしい。


「あぁ。あれ、仏塔を作っていますな」

「なんだ、それ?」

「親より先に逝くと、こうやって三途の川の前で石を積まされるのですよ。さいの河原というやつですな」


 オレは詳しくないが、地獄の一種だろうか。

 男は小柄で、ガッチリとした体格。

 昭和体型というやつだろうか。


 骨太でたくましいが、オレにとってそんなことはどうでもいい。

 ゴリ松にこっそりと「後ろに」と指示を出し、オレは満面の作り笑顔を浮かべた。


「あのぉ~」

「あぁ⁉」


 強面だ。

 鬼の形相で振り向いた男は、見た目だけで相手を怯ませる凄みがある。


 オレは接客業をやってるから、こういった客がいるのは日常茶飯事。

 普段なら、ビビってしまうし、嫌気も差すし、近寄らない。


 しかし、今のオレは違う。


 理性など、とっくにない。

 人間とは、法を捨てた直後に普段怯えていたものが霞んで見える。


「ちょっとぉ。お聞きしたいことがありましてぇ」

「なに⁉ こっちは忙しいんだよ!」


 男が怒鳴る後ろで、ゴリ松が忍び寄る。

 気取られないよう、住職はオレの隣に立ち、ニコニコと笑って話しかけた。


「我々、現世への帰り道を探しているのですが。どこにあるか知りませんか?」

「はんっ。ねえよ」

「あはっ。嘘吐かないでくださいよぉ」

「あ? なんだ、お前。ニヤニヤしやが――」


 オレの腕を掴んできた男が、ぐいぐいと迫ってくる。

 見た目以上に強い力だ。

 一人だったら、確実に殴られていただろう。


 でも、今のオレ達は三人。


 一人でできない事は、仲間とやるのだ。

 オレは男の手首を掴む。


「なんだ? なんだよ!」

「いやいや。はは……」

「お前、舐めてると殺すぞ?」


 後ろに立つゴリ松に目線を送る。

 信頼できる友は頷き、一気に覆い被さった。


「今だァ! やれぇ!」


 オレ達は一斉に襲い掛かった。

 オレは猫パンチで腹を殴り、住職に至っては石を拾って、男の頭を「てへぇい!」と気の抜ける掛け声で殴り始めた。


「いで! や、やめろ! 何なんだよお前ら! いでぇ! 離せや!」


 ゴリ松は後ろから羽交い絞めにして押さえつける。


「やべ。倒れそ」


 思ったより抵抗が激しいためか、ゴリ松が前に倒れてしまい、男を下敷きにしてしまった。


「ぐえぇ!」

「そのまま! そのままにしてろ!」


 すぐさま手に持っていた棒切れを奪い、仰向けにさせた男の顔面に住職が尻を乗せる。身動きできないよう、ゴリ松は腹に乗り、オレ達は一人の男を確保したのだ。


「いいのか⁉ こんな事するよぉ! 地獄に落ちるぞ!」

「こいつ、鬼ですぞ! 見てください! 今、私の陰部にチクチクと当たっている尖ったものを!」


 見たくはなかったが、住職の汚い物に隠れた額を見ると、異様なものが目についた。男は人の姿をしているが、額の辺りが角のように尖っていた。


 鬼、というものを実際に見たのは初めてである。


「お前ら地獄行きだ! みんな地獄に落ちるんだよ!」

「うるせぇ! だったら、お前が先に地獄に行け! ガキをイジメてな~にが地獄だバカ野郎! テメェの事、棚に上げてんじゃねえ!」


 久しぶりに本気でキレた瞬間だった。

 オレはこういう奴が本当に嫌いで、加害者のくせに被害者ぶる輩が死ぬほど憎かった。


 まあ、客にそういうのがいるのだ。


「こいつ、どうする⁉」

「オレに考えがある。いいか? まずは、住職の尻で顔を塞いでいるだろ? そして、ゴリ松が乗っている。これで体力を奪うんだ!」

「その後は?」

「沈める」

「鬼かよ、お前!」


 オレは鬼の角を掴み、「やい」と声を掛けた。


「いいか? よく聞け。死にたくて死ぬ奴なんかいねえんだよ。お前がどういう育ち方したのか分からないけどな。地獄を見りゃ、嫌でも死ぬことと向き合うぜ。それを知ってるから、オレはお前に物言ってんだ!」


 鬼の口は、ちょうど住職の浅黒い尻に覆われている。

 少し考えれば、相手が質問に答えられない状態にあると気づくが、生憎オレは興奮状態。


 棒切れを短く持ち、額をコツコツと叩いて、質問をしていく。


「答えろ。どうやったら、現世に帰れるんだ!」

「むぐっ。おえっ。んもぉ」

「聞こえないよ! 全然聞こえないよ! どうやったら帰れるんだよぉ!」

「ふぐっ。ぐむ、おえぇぇ……っ」


 くそ。

 尋問なんて、したことがない。

 正解なんて分からない。


 オレは離れた場所で見守っているミツバを見た。


 気のせいか、彼女は「うわ」という顔で呆れているように見える。

 いや、気のせいだろう。

 命を懸けて守り抜くと決めたのだ。

 これだけ必死になっている男がいたら、少しは認めてくれているはずだ。


 よくよく考えたら、全裸の男三人が、一人の男に覆い被さっている絵面は、まさに地獄絵図そのもの。


 だが、今のオレにとっては、どうでもよかった。

 どうやったら、帰る方法を聞き出せるのか。

 考えに考えたオレは、ある事を思いつく。


「なあ。住職。お経、唱えられるか?」

「むう。経本があれば確実ですが……」

「この際、うろ覚えでいい。何度失敗したっていい。やってみようぜ」

「般若心経か? オレ、経本読んだから、少しは覚えてるぞ」


 まさかのお経である。


「楽器は?」

「バカ。ここにある」


 棒切れを使い、鬼の頭を軽く叩く。

 コツ、といった小気味良い音が鳴り、鬼が顔をしかめた。


「いくぜえええええ!」


 オレは住職のお経に合わせて、鬼の頭を叩き始めた。


「ぶぅっせつ、まっかー、はんにゃぁ、は~ら~みたぁ~しんぎょう!」


 住職は手を合わせ、お経を唱え始める。

 オレはリズムに乗って、鬼の額を叩いた。

 素人ができることは、声のリズムに乗り、身を任せる事だけだ。


「かんじーざい、ぼっさつぎょうじん! は~らみたぁしんぎょう!」


 ゴリ松はさすがだ。

 オレより頭の出来が良い分、記憶力がよかった。


「しょうけんごうん、かいくうど! いっさいくやく、しゃりしぃ!」


 全てが一つになっていた。

 オレは時を忘れ、鬼の存在を忘れ、ひたすら額を叩く。

 気分はちょっとしたドラマーだ。

 目を閉じて、リズムに身を任せて、コツコツと音を鳴らす。


 気分が乗ってきた頃には、アレンジで「おぅ、いぇー」なんて口ずさんだ。


「むぐっ。わ、わがっだがら! いでっ、いだいよ! いでぇっで!」


 肩を揺らし、赤べこのように首を前後に振り、下唇を噛む。


 このお経がオレ達を救う。

 世界を救う。

 人間を救うのだ。


「ふしょう、ふめつぅ、ふくふじょう!」

「おっほ、いえぇぇ~」

「オン? カモン!」


 長い事、恐怖に支配されていた気持ちが軽くなった。

 解放の反動だろうか。

 オレ達は、確実に狂っていた。


 いつの間にか、生気を失っていた子供たちが泣き止み、オレ達の周りに集まっていた。


「ぎゃあてぃ、ぎゃあてぃ! はら、ぎゃあてい! はらそうぎゃあてい、ぼんじぃ、そわか~ッ!」


 住職が最高潮に達した瞬間。

 鬼が白目を剥いた。


「はんにゃぁ、しんぎょうおおおおお!」


 ひと際、強く額を棒で叩くと、オレ達はその場で大の字になった。


「……お経って、すげえな」


 まるで、ラップを聞いてるみたいだった。

 奏者になることで、気持ちは一つになった。

 恐怖がなくなり、オレ達は笑うことができた。


 視界には、何とも言えない複雑な表情を浮かべるミツバが映っていた。

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