あの世とこの世の自分

 いきなりだが、オレは童貞だ。

 女を知らない。


 日頃、エロい事ばかり考えていて、女を性的な目でしか見ていない。


 そのはずだったが、人間とは追い詰められると本性が出たり、変な勇気が自然と湧き上がるものみたいだ。


「寒くないか?」


 オレは自然とミツバの足を擦り、吐息を掛けて温めていた。

 とにかく体温を上げようと思い、肩を擦ったり、背中を擦ったり、我ながら必死だ。


 ミツバは相変わらず喋らないが、黙ってオレを見ている。

 てっきり、「きしょいから、触んないで」と言われるかとビクビクしていたが、抵抗がないあたり、その心配はないようだ。


「なあ。リョウ。俺思ったんだけどさ」

「何だよ」

「ミツバ。……歩けねえんじゃねえの?」


 ミツバが起きた事に先ほど気づいたゴリ松。

 全裸で砂利に胡坐を掻いて、そんなことを言ってきた。


「歩けないって……」


 全裸の住職が隣に座り、ゴリ松の言葉に考えを付け足した。


「我々が元の世界にいた頃の状態を、そっくりそのまま反映しているのであれば、我々は患者服は着ていなかった」

「それが、何か?」

「ええ。見てください」


 目の前でだらしないお腹を見せつけてきて、オレは何とも言えない気持ちになった。


 住職が見せてきたのは、前に出たお腹。

 その膨らみのちょうど下あたりだ。

 肉を持ち上げて見せてきたので、何事かと思った。


「自転車に乗っている時、居眠りしてしまい、ガードレールにぶつかったんですよぉ。それで、ここを怪我しましてね」


 腹の肉に隠れていた部分を指すと、そこには縫った痕がある。


「あの世に持っていける物とそうでない物があります。持っていける物の一つは、……体の痕跡」


 住職はミツバの足をベタベタと触り、何やら指に力を込めている。


「骨は折れていない。ということは……」

「おい。やめてくれ。冗談じゃないぞ」


 足が折れていないのに、歩けない理由。

 神経系しか、思いつかなかった。


「不思議に思ってたんだよ。だってさ。ミツバって俺たちより強いじゃん。なのに、あの病室から出られないわけないんだよ」


 ずっと寝たっきりになっていたのは、身動きができなかったから。

 動きたくても動けないのであれば、あれだけ不気味な病院の中でもジッとしているしかない。


「しかし、もう一人が現れた。……あれは、分身みたいなものではないかなぁ、と」


 住職は神妙な顔で川の方を見つめた。


「分身だけが現世に来たとして。魂の全てが来たわけではないのだから、逃げる事も、場所を移すこともできない。我々がこっちに来たのは、不幸中の幸いだったかもしれませんな」


 推測を聞いて、オレは黙ってしまった。


 ――あんまりだろ。

 ――こいつは、幸せになるべきなんだよ。

 ――イケメンで金持ちで優しい奴と結婚して、たくさん子宝に恵まれちまえばいいんだ。


 口には出さないけど、ミツバを連れて帰ることが、本当に。オレには判断ができない。


「ミツバ……」


 だけど、オレはミツバを見捨てることが、どうしてもできなかった。

 泥を啜ってでも、幸せになってほしかった。


「一緒に帰ろうぜ」


 ミツバは何も言わずにオレを見る。

 無責任な一言に何も反応せず、オレを見つめていた。


「脳梗塞とか、そういう後遺症が残るものじゃなけりゃ、治ることもあるんじゃねえか?」

「人間のトマホーク効果は絶大だって言うしな」

「プラシーボな」


 オレはミツバのふくらはぎを揉み、太ももを揉んで、肉の付き具合を確認する。――ガリガリに痩せてはいない。筋肉はしっかり付いている。


 背負った時の体の重さが、ミツバの密度を表している。

 どういう原因で、ミツバがこんな状態になってるのか、まだ分からない。


 オレは希望を捨てたくなかった。


 もしも、こいつを不幸にしたら、この先にいる閻魔大王にクレームを入れてやるつもりだ。


「で、どうするよ」

「出口を探そう。何としてでも、元の世界に帰る。ミツバを絶対に連れて帰る。一歩も譲らん」

「愛とは尊いですな」

「……るせぇよ」


 こいつが結婚してたら気まずいだろうが。


 ひとまず、オレ達は立ち上がり、周りを見た。

 全裸の男三人が、一人の女の周りで立っているのは、絵面的によろしくはないが、好きでこうしているわけではない。


「出口って言ってもなぁ」


 オレは桟橋の方を見た。

 そこには、なぜか生気のない子供たちがいた。

 全員、蹲って石を積み上げている。


 ある程度石が重なると、後ろをうろついている一人の男に蹴飛ばされ、もう一度初めからやり直し。


「見ないようにしてたけど。あいつに聞いてみるしかねえか」


 オレは手の骨を鳴らし、ゴリ松は首の骨を鳴らす。

 住職に至っては、自分の尻を叩き、やる気満々だった。

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