病院
薄汚れた白衣の天使
目を覚ますと、そこは見覚えのない空間が広がっていた。
四方を薄汚れたカーテンが囲み、天井の木目は覚えのない花柄。
「こ、ここは……」
痛む頬を押さえ、上体を起こす。
頭がぼんやりとする。
何があったのか。
辺りを見ると、部屋の中は暗いことから夜だと察する。
すぐ横のカーテンは、橙色の明かりで照らされ、ぼんやりと人影が見えた。
「起きたか」
「その声は、……ゴリ松? ゴリ松なのか?」
「ああ」
「ここ、どこだ? オレ達、確か……」
段々と、奴に頭を蹴っ飛ばされた記憶が蘇ってくる。
「俺にも分からねえ。一つ言えるのは、ここは病院って事だけ」
「幽霊に病院送りにされたってか?」
呪いの類で、具合が悪いから病院に運ばれた。――なんてものじゃない。ストレートに頭を蹴っ飛ばされて、物理的に危害を加えられただけだ。
「お二方」
「ッ⁉」
声はオレの真正面から聞こえた。
「その声は、住職⁉」
「ええ。どうやら、我々は同じ病室のようで」
奇妙な偶然が起きていた。
オレの正面には住職。
左側にはゴリ松。
ということは、オレは窓際か。
状況を整理して、オレは考えた。
「やべぇ。職場に連絡しないと……」
入院する時は、必ず上司に電話をしなくてはいけない。
オレの場合、シフト制だから穴を空けると、大目玉なのだ。
「その心配はありませんよ」
「どういうことだ?」
「我々がいる、この場所。どうやら、普通の病院とは違うようです」
――シャッ。
カーテンが開かれた。
ご丁寧に二人の姿が見えるよう、全て開放されていく。
そして、二人の姿を見たオレは言葉を失った。
「お前ら、どうした?」
二人は両手をベッドに拘束されている。
患者服は前だけをはだけているのだが、妙に脂ギッシュだった。
まるで、オイルでも塗られたかのようだ。
顔と胸、腹の光沢は、枕もとの明かりが反射している。
体には、何か配線のようなものが取り付けられていた。
配線を辿っていくと、それはベッドの横にある心電図に直結している。
「起きたらこうなってたんだよ」
「ええ。せめて、不気味な空気を打破するべく、ナースさんを見たかったのですが。生憎、誰も見回りに来ないのです」
誰も見回りにこない。
遅れて気づいたオレは、周囲を見回す。
誰がカーテンを開けた?
オレの疑問に答えるかのように、視界の斜め下に何かを見つけた。
《……》
女だ。
ショートカットの女が、虚ろな目でオレを下から見上げていた。
ベッドの横にしゃがみ込み、ジッと見ているのだ。
「うお⁉」
幽霊を見た時の、恐怖に染まったリアクションというのがあるのだろうけど。オレはここに至るまで、規格外の幽霊に散々苦しめられてきたわけだ。
今更、幽霊らしい幽霊が出てきたところで、大して怖くはなかった。
ベッドの傍にしゃがみ込んだ幽霊。
恰好を見ると、ナース服を着ているではないか。
「あ、あの……」
《検温の時間です》
「検温?」
スッ、と渡される何か。
よく見ると、それはメスだった。
《検温をお願いします》
メスを持つ手が震えた。
一瞬だけ、思考が飛びそうになったが、何とか冷静に考える。
メスというのは、切開に使う道具だ。
計る道具ではないこれを使い、何を検査するのだ。
言葉の真意を探るべく、真っ黒な目玉をオレから覗いてやる。
《……ふふ》
笑った?
この状況で?
ますます、言葉の意味が分からなくなった。
次いで、オレは住職を見る。
「ほう」
何かに感心しているようだ。
住職はオレではなく、ナースの幽霊に釘付け。
舐めるように見回し、舌先を覗かせていた。
「安産型とは……、なるほど」
「なあ。色欲坊主」
「何でしょう?」
「これを……。どう思う?」
手に持ったメスを見せると、住職が穏やかな笑みを浮かべた。
「分かりません」
「だよな」
「ですが、彼女は意味のない物を渡さないでしょう」
「どういうことだ?」
「考えてみてください。ここは病院。つまり、生と死が繰り返される神聖な場所。メスというのは、つまり性別のメス。となれば、女性を測ることに繋がってくる。……そう思いませんか?」
住職の話を聞いて、ナースさんを見た。
彼女はずっとオレを見ている。
オレは手にしたメスを膝の上に置き、真剣に問うた。
「この場で混乱している奴。――返事をしてくれ」
間を置いて、オレは手を挙げた。
「はは。私もですな」
「ああ。俺もだ」
このくだらなく、意味の分からない会話の一連は、オレ達の混乱状態が表れていた。
目を覚ましたら病院にいて、明らかに普通の病院とは異なる空気に呑まれているのだ。本当なら錯乱して暴れ回りたい。
だが、大人であるオレ達は、強い理性がそうはさせまいと働きかけてくる。
我慢すればするほど、確実に自我が狂いかけていた。
《検温……お願いします……》
「できねえって」
普通に受け答えができる程度には、幽霊に対して耐性ができつつあった。
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