第11話 落とし物




 ──翌日。五時間目の授業が終わってすぐに沙耶と別れ、教室を後にした深雪は、昨日辻と会った場所まで来ていた。


 昼休みに気付いたのだが、鞄に入れていたはずのものがなくなっていたのだ。

 おそらく昨日、鞄を落とした時になくしてしまったのだろう。


 何かに必要なもの……というわけではなかったのだが、その後の授業には全く身が入らなかった。その様子は沙耶に心配されるほどであり、学校を早退してしまうか少し悩んだくらいだ。


 道に屈みこんで、道の端や雑草の陰、側溝などを注意深く探す。

 しかし、一日経ったからか、そもそも落とした場所がここではなかったのか。

 一時間ほど根気強く探し続けても、探しものは見つからなかった。


 空は雲一つなく、探し物をしている間にも太陽は容赦なく照り付けてきていた。

 額には大粒の汗が垂れ、喉はからからに渇いていた。


「…………」


 できれば諦めたくはない。


 だが、これだけ探してもないのならここにはないのだろう。

 もう少し捜索範囲を広めてもいいが、これ以上、輔に一言もなく帰りが遅くなってしまうのも気が引けた。


 仕方なく立ち上がった時、遠くから早足でこちらへ向かってくる人影が見えた。


「良かった、ここにいた……!」


 安堵したような声で手を振り、走ってきたのは眼鏡をかけた男──辻だった。

 辻は深雪の前まで来ると、両膝に手を着いて息を整える。

 走ってきたからだろう、その髪はやや乱れ、眼鏡が少しずれていた。


「……つ、辻さん?」


 戸惑いながらその名前を呼ぶ。


「名前、覚えてくれたんだ?」


 ずれた眼鏡を直しながら人好きのする笑顔で辻はそう言い、


「昨日、君が帰った後に、これ拾って。もしかしたらと思ってさ」


 ずいっと手を着き出してくる辻に一瞬怯みながらも、深雪は、その手に握られていたものを見る。少し膨らんだ赤いお守り袋。深雪が探していたものだった。


「違った?」


 気もそぞろといった表情で絶句している深雪に、辻は思案げに問うてくる。


「そ、そうです。これ、探してて……」


「良かった! じゃあはいこれ、返すよ」


「……! ありがとうございます」


 手渡されたお守り袋を深雪はしげしげと眺め、自分のものに間違いないか確かめる。アスファルト舗装の道に落ちたからだろう、袋の表面がややほつれていた。


 だが、お守り袋自体はどうでもいい。問題は中身だ。


「大事なものだったんだ?」


「はい。……貰いもの、だったので」


 中身を手のひらに転がし、オレンジに透き通るそれの表面に傷が入っていないか検める。

 嬉しいことに、どうやら割れや欠けはないようだった。


「大丈夫、みたいです。ありがとうございました」


 辻の目を見ながら、深雪は改めて感謝を告げる。


「いや、俺がぶつかったから落としたようなものだし──良かったよ。それ、シーグラス?」


 深雪の手の中を覗き込んできて、辻が聞いてくる。


「はい」


「へえ……確かオレンジって珍しいんだよね。一万個に一個、とかだっけ」


 辻は感心したようにうなり、目を見張る。


「……そうなんですか?」


 ほかのシーグラスを拾ったことがないため、珍しいものという実感がなかった。

 そう言われると、また少し愛着が増して感じる。


「うん。シーグラスって、ガラスの欠片が長い時間をかけて波に削られてできるものだからね。オレンジのガラスってあんまりないからさ。茶色とか緑とか、あとは水色なんかが多いかな」


「詳しいんですね」


 深雪の目に関心の色が浮かぶと、辻は目尻を下げた。

 それから腰ポケットからスマホを取り出して操作し、画面を見せてきた。


 そこに映っていたのは、シーグラスを使った数々の作品の写真だった。額に入ったオブジェ、兎を模したもの、中にシーグラスが入った透明なキャンドル。


 どれも幻想的できらきらと輝いており、思わず目を奪われる。


「綺麗……」


「シーグラスアート、っていうんだけどさ。趣味でやってるんだ。……といっても、完成したらネットに出品してるから手元には残らないんだけどね」


 辻の言葉の前半に、深雪はびっくりして目を丸くする。

 これを全部、趣味で作ったというのだろうか。


「お店で売ってるものじゃないんですか?」


「まさか、全部ハンドメイドだよ。けど、そう言ってもらえると嬉しいね」


 照れ笑いする辻をちらりと見て、深雪は再びスマホの画面を注視する。

 本当に、どれも手に取ってみたくなるくらい綺麗な作品だった。

 使われているシーグラスの数もかなり多く、ひと作品に何十個も使われているようなものも見受けられる。それを手作りでというのだから驚きだ。


「シーグラスは海で拾ってるんですか?」


「前はそうしてたけど、今は店で買ってくるかな。たくさん入ってて安いのとかね」


 頭に浮かんでいた、辻がいくつものシーグラスを拾いながら海辺を歩いているイメージに、深雪は首を振る。そうではなく、シーグラス自体は店で仕入れているらしい。


 となると、気になる点もできた。

 深雪は数秒、熟考してから、視線を上げて聞いた。


「これって、難しいですか?」


「作るのがってこと? ものによるかな。何か気に入ったのがあったら作ってこようか? 全く同じものはできないけど、似たようなのならあげられるよ?」


「や。さ、さすがに頂くのは……。私にも作れないかなって、思っただけで……」


 シーグラスが安価で店で買えるなら、輔に頼んでみようと思ったのだ。


 輔は定期的に、何か欲しいものがないかと聞いてくれる。これまでは遠慮、というよりは本当に欲しいものがなかったため断っていたのだが、断り続けるのもやや気が咎めていた。


「それなら簡単なやつとか、作り方教えてあげようか?」


 名案を思い付いたように辻が言う。


「あ、もちろん材料は用意するよ。前に作って余ってるのがあるんだ」


「わ、悪いですよ。それに、何もお返しできませんし……」


「俺としては同じ趣味を持ってくれる人がいたら、それでいいんだけどね。……今の職場がさ、俺より年上のおじさんおばさんばっかりのとこで。一回作品を持って行ったんだけど、シーグラス? なにそれ、って感じでさ。君みたいに喜んでくれる人がいたらなって。前々から思ってたんだけど……やっぱりダメかな?」


 たっての願い、という風に、半ば諦めたような表情を作った辻が聞いてくる。

 そんな顔をされては、断るのが逆に悪いことのような気がしてくる。


 深雪としても作り方を教わるのはやぶさかでなかったし、あまり親しくない間柄の人と関わるのに抵抗こそあったが、よく考えてみれば輔との関係も似たようなものだったと思い返す。

 辻も悪い人ではなさそうだし、それくらいなら構わないかもしれない。

 そんな結論に至った。


「そういうことなら、お願いします。あ……でも、作れる場所がないですね」


「んー……君の家はおじさんがいるんだよね?」


「はい。……大丈夫か分かりませんけど、聞いてみましょうか?」


 とは言いつつも、深雪がそう申し出てもきっと断られるだろう。

 輔は初対面で色々と聞いてきた辻のことを警戒していた。


 そもそもショッピングモールでのことを覚えていないかもしれないが──そうでなければ断られる可能性が高いだろう。

 深雪としても、ふと何かを聞かれたりしたときに今度こそボロが出そうで、輔と同じ部屋でうまく話を合わせられる自信はなかった。


 そんな深雪の気持ちを見透かしていたわけではないだろうが、辻は数秒頭を捻ったのち、別の提案をしてきた。


「それもいいけど……この近くに個人経営の小さい喫茶店があってさ。そこの角席がワークスペースって言って、色々作業とかやっていい席になってるんだ。そこはどう? 土日はいつも誰かが座ってるんだけど、平日は空いてることも多いし」


 辻が指さした方向に、深雪は視線を向ける。

 ほとんど行ったことがない方面で、どこに喫茶店があるのかは分からなかった。


「ここからはぎりぎり見えないかな。でも、ほんとに近くなんだよ。もしよければ明日以降にでもどうかな。今日は何も持ってきてないから」


 両手をひらひらと振って、辻は手ぶらなことをアピールしてくる。


 深雪はこくりと頷いた。


「そしたら、明後日にその喫茶店でいいですか?」


「いいけど、どうして明後日?」


「明日は六時間授業の日なので、帰りが遅くなっちゃうかと……」


「わかった。……そうだ、スマホとか持ってる? 連絡できたらいいかと思ったんだけど」


 辻の問いに、深雪はふるふると首を横に振る。

 スマホは持っていないし、輔の家には固定電話もない。


「持ってないです」


「そっか。じゃあ、今のはナシで。明後日、四時頃にここに来ればいい?」


「それぐらいには来れると思います」


 深雪が頷くと、辻は相好を崩した。


「えっと……辻さんはお仕事とか、大丈夫なんですか?」


 ふと疑問に思い、聞いてみる。


「俺は夜勤の仕事だからね。今も仕事に行く前に目を覚まそうと散歩しててさ」


「そうなんですね」


「うん。だから作業はできても五時半までかな。でも、シーグラスアートって簡単だし、大事なのはイメージだから。それまでには終わると思うよ。超大作を作るならまた別だけど……?」


「や。そんな大層なものじゃ……簡単なものです」


「そっか。なら、作りたいものの構想は決まってるんだ?」


「何となく、ですけど……。黒のシーグラスってありますか?」


「黒かー。余ってるのにはなかったかな。欲しいなら買おうか?」


 軽くそんなことを言う辻に、深雪は勢いよく首を横に振る。

 シーグラスがどれくらいの値段なのかは聞いていないが、ほとんど他人同然の辻にそこまでしてもらうわけにはいかなかった。


「な、ないなら別の色で大丈夫です」


 黒猫を模したものを作れたらと思ったのだが、別に他の色でも猫は作れる。


 作ったことがないから、上手くいくかは分からないけれど。辻の見せてくれた作品の中には兎の顔があったし、同じようにすればきっと大丈夫だろう。


「……といっても、そっか。俺も何色がたくさん余ってるか分からないや」


 思い出したようにそう言って、辻は苦笑した。


「うーん……色が違うと想像したものにならないかもしれないね。どうしよっか。一応、白と水色、茶色はたくさん余ってたと思うんだけど……」


「あ。白があるならそれがいいです!」


 思い入れは黒猫ほどではないが、白猫でもきっと可愛いはずだ。

 耳の部分を茶色にしてもいいかもしれない。


「分かった。じゃあ改めて、また。明後日の四時くらいに色々持ってくるよ」


「はい。ありがとうございます」


 手を振りながら去っていく辻に小さく手を振り返し、帰路に就く。

 昨日、感じていた辻への不信感はほとんど拭い去られていた。




     ◆





 その日の夜。食卓でパックからお皿に惣菜を取り分け、手を合わせる。


「いただきます」


 今日の夜ご飯は唐揚げと生野菜のサラダ、じゃがいものコロッケだった。輔が買い物に行ったときは唐揚げを買ってくることが多い。

 輔が食の好みを──というよりは輔自身のことについて、教えてくれたことはないが、もしかすると好きなのかもしれない。

 今度お使いに行くときには唐揚げを買って来ようと心に決める。


 ちなみに、輔は唐揚げのパックにレモンがついていてもかけない。


 深雪がそんなことを考えながら、テレビを横目に黙々と食べていると、


「今日、六時間授業だったの?」


「はい?」

 急にそんなことを問われ、深雪は目を丸くして聞き返す。


 たまに深雪の側からその日にあったことの報告をすることはあっても、これまで、食事中に輔が話しかけてくることはあまりなかった。

 そのことが珍しく、質問の内容よりもそちらに意識が向いてしまう。


「水曜にしては帰りが遅かったから。何もないならそれでいいけど」


 輔は目を瞑って唐揚げを口に運ぶ。


「い、いえ。……すみません。落とし物をして、それを探してて」


 喉のずっと奥の方で、鼓動が大きくなる。けれど、嘘は言っていない。


 辻のことを伝えるかは迷ったが、濁すことにした。

 わざわざ波風を立てるようなことをしなくてもいい──という思いもあったが、それよりは、輔の知らないところで二回も辻に会っていたという部分を説明したくなかった。


「それで、見つかったの?」


 輔は何かに気付いたようにぴくりと眉を動かしたが、肯綮に当たることはしなかった。


「はい。あ……でも、明後日はちょっと帰りが遅くなると思います」


「ふーん。友達?」


 あまり興味なさげに輔が聞いてくる。

 その目は既に、テレビの画面を向いている。


「友達……じゃないですけど、約束してて。ダメだったら断りますけど……」

「ダメとかないし。好きにすれば」


「……そうですか」


 さらりと告げられた言葉に、少し残念に思いながら深雪は乾いた笑みを作る。


 輔は時折、意図的に突き放すような語調で喋るときがある。

 何のためにそうしているのかは分からないが、なぜかちくりと胸が痛んだ。


 そのことについて、輔に理由を聞いてみようとは思わなかった。そうすれば、きっと望まない答えが返ってくるだろうと確信染みたものがあったのだ。


 それなら、今のままの関係で。

 深雪が輔のことを利用していると、輔が思い続けていてくれればそれでよかった。その間はきっと、輔は深雪を家に置いてくれるだろうから。


 それきり会話は続かなくなった。

 輔は食事を終え、「ごちそうさま」と言って一足先に居間を出て行った。

 深雪は食べ終えたお皿を洗いに、食器を重ねてキッチンへと持って向かった。


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