第5話 買い物
次の土曜日。いつまで経っても何の要求もしてこない深雪を連れ、バスに乗って輔が向かったのは、遠方にある大きな複合型ショッピングモールだった。
店内に入ってから、深雪は落ち着かない様子で周囲を見渡している。
今日の装いは、輔はいつも通りのラフな格好にジャケットを羽織っただけ。深雪は淡色のブラウスに膝丈のアコーディオンスカート、白のソックスを合わせた上品なコーデだ。
輔が歩き出すと、深雪は慌てて後を着いてくる。
「こういうとこ来んのも始めて?」
二階へ繋がるやや長いエスカレーターを自動で上りながら、深雪に問いかける。
「あ、いえ。小さい頃に数回来たことがあります」
「そう。大抵のものは買えると思うけど、なんか欲しいものある?」
「……えっと」
「寝間着と肌着と、あと布団と……夜食べるものくらいは買おうと思ってるけど。ぱっと思いつくものもないなら、取り敢えず見て回るか。割と歩くし、疲れたら言えよ」
流し目に投げかけられた輔の言葉に、深雪は遠慮がちに頷いた。
とはいえ、深雪から欲しいものの要求があるわけでもなく、基本的には輔が必要そうだと思うものを深雪に聞き、強く否定されなかったものを買っていくという流れになった。
それでも、薬局だけは深雪に一人で行かせた。
薬局の前で五千円を手渡して、返ってきた釣りを検め財布に戻す。何を買ったのかは知らないが、シャンプーや化粧品はともかく生理用品等を買うのは見られたくないだろう。
その他にもモール内の雑貨店やら百均やらに立ち寄って深雪用の食器やマグカップ、新しい歯ブラシやハンドタオルなど細々としたものを買い込み、寝具屋に向かった。
寝具屋内を回っていると、深雪の視線がある一点に向き、一瞬ぴたりと静止した。
視線の先にあったのは、猫の柄が入った布団一式だった。
掛け布団と敷き布団、枕がセットになって少し安くなったものらしい。三点セットの全てに、もふもふにデフォルメされた猫がプリントされており、確かに可愛らしい。
隣には同じようにデフォルメされた犬のプリントがされた布団セットもあったが、深雪がより長い時間引きつけられていたのは猫の方だった。
「これがいいの?」
「あ……いえっ! ぜんぜん、なんでもないです……!」
物欲しそうに見られたのが恥ずかしいのか、頬を朱に染めて深雪が断る。
「違うならいいけど。今使ってる、俺の前使ってた布団のがいいってこと?」
「あ……、やっ…………」
輔が意地の悪い質問を投げかけると、深雪は口をぱくぱくさせて、今度は頬だけでなく耳まで真っ赤に染め上げた。
「冗談。そもそもあれ、俺の布団じゃないし」
「えっ」
「……で、これでいいの? そろそろ腹減ったし、手短に済ませたいんだけど」
猫布団一式にぽんと手を置き、促すように輔が告げる。少女は赤い頬に遠慮のような表情を浮かべたものの、やがてごく小さな声で「……はい」と囁いた。
それから、会計と布団の自宅配送サービスの受付を済ませ、宣言通り小腹が空いていた輔は、深雪と一緒に三階にあるフードコートに来ていた。
「ほんとにそんなんで良かったの?」
フードコート内で一番安い、チェーン店のかけうどんを食べる深雪に、輔はラーメンとチャーハンのセットが出来上がるのを待ちながら問いかける。
どう考えても遠慮しているだろうと思ったのだが、深雪の意思は固かった。他の店やトッピングをすすめても、「そこまでお腹が空いていないので」と断られた。
口の中のうどんを咀嚼し飲みこんでから深雪が答える。
「はい。おいしいです」
色々と店を回るうちに深雪はショッピングモールが気に入ったのか、はたまた本当にうどんが美味しいのか、その表情はいつもより明るく見えた。
家でも輔といるときはいつも気を張っているようだったが、それも今は緩和されているようで、口数も徐々に増えてきていた。
「ふーん」
呼び出しベルをとんとんと指でつつきながら輔は続ける。
「なら、一本貰ってもいい?」
「あ……、えっ……ど、どうぞっ」
深雪はなぜか狼狽したのち、割り箸でうどんを摘まみ上げ、輔の方へ差し出してきた。
いわゆる、あーんの体勢になる。
「…………」
──別に食べさせてくれとは言っていないのだが、なんてことを考えながら、輔は割り箸ごとうどんを啄み、ずずっと音を立ててすする。
つゆは可もなく不可もなくといった味だが、うどんはコシがあって食感がいい。
紙コップに注いだ水で口直しをして、輔は口を開いた。
「確かに、チェーン店にしては美味いな」
「はい。……」
少女が割り箸の先端を見つめ、一瞬動きを止める。
「虫歯はないけど。交換したいならしてきたら?」
「い、いえ……っ。このままで、大丈夫です」
そうは言いつつも、次の一口を食べ始めるまでは、深雪は「あ……」だの「う……」だのと言って躊躇っていた。珍しく女子中学生らしい感性だ、と輔は思う。
そうこうしているうちに輔の分も出来上がり、ベルが鳴った。
カウンターまで取りに行って席に着き直し、麺を箸で摘まんで深雪の方へ突き出す。
「ん」
「あ、えっと……ありがとうございます。…………っ⁉」
輔が制止する間もなかった。
器用に唇が箸に触れないようにラーメンを口で受け取った深雪が、声にならない声を上げる。顔を見れば涙目になっており、麺が口から零れてうどんの汁に浸かっている。
「ごっ、ごめんな、さっ……!」
必死になって謝ろうとしているが、口の中を熱さに蹂躙されているのだろう。深雪は麺を飲みこんだ後も、目を白黒させながら口元を手で押さえていた。
「ふーふーしてから食べないとそりゃ熱いだろ。俺がすれば良かった?」
「…………!」
ぶんぶんと深雪の首が横に振られる。
その様子がどこかおかしく、輔は笑わないよう紙コップの水を口に含む。
「舌、火傷した?」
「……ちょっと、ひりひりします」
「水入れてきたら? 冷やせば治りも早くなるだろ」
深雪の分の紙コップに水があまり残っていないのを見て、輔はドリンクディスペンサーの方に視線を向ける。
「そうします。お水、入れてきましょうか?」
「じゃあ頼む」
二人分の紙コップを両手に持って深雪が席を立つ。
「ありがと」
戻ってきた深雪に礼を言って、輔は紙コップを受け取った。
その時だった。
「──ちょっと、いいですか?」
不意に背後から肩を叩かれ、輔は後ろを振り返る。
そこに立っていたのは黒縁の眼鏡をかけた痩身の男だった。
白いシャツに緑色のニット、黒のスキニーパンツといったカジュアルな出で立ち。髭のない顔を見たところ、外見年齢は輔よりもやや年下、二十代前半辺りに見える。男は整った顏を怪訝そうに歪めて、輔のことをじっくりと観察するように見ていた。
「……なに?」
いきなり肩を叩かれたことに、不機嫌さを隠そうともせず輔が聞く。
男が深雪をちらりと見やると、そのただならぬ雰囲気からか深雪は一歩後退った。
「単刀直入に聞きます。──その子とあなた、どういう関係ですか?」
ひやりと、冷たい汗が輔の背を流れた。
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