第4湯 依頼者からの提案①

 目の前にチェイスが姿を現した。

 半透明で会わない年月分と老けた姿。鼻の下にはなかった髭と顎髭もあり、まるで自身の父親の面持ちにさえ見え――背筋に冷たい汗が滲み上がる。

《妻から聞いたように。【湯けむりのエルフ】を探して欲しいんだ》

 間髪入れずにアンヌ同様、ハイジに言う。横のアンヌの表情もにこやかなものと変わる。

 ハイジが忌々しい口調でチェイスに言い返した。

「元気なら自分で探したらいいんじゃないのか、叔父さん。まだ、80の後半でもないだろう。いや、そうじゃない。叔父さんとこの子どもたちに行かせたらいいじゃないか。オレを巻き込むなんてのは違うんじゃないのか。どう考えたって間違っていやしないか? なぁ? どうだと思う? オレの考えがおかしいってんならどうおかしいとか教えてもらいたいねっ」

 怒るハイジに大きくため息を吐いて、ルターも彼の横へと椅子をズラした上で「話しを聞けよ、お馬鹿さん」と口を手でまたしても覆い隠した。

《私は癌に犯されている。余命いくばくもない身の上で、好き勝手と旅に行くこともままならない。もう身体も動かなくなっていてね。今は人工余命装置の中から、こうして至って普通の人間を装って会っている。逢いたいというのが未練だ。逢うまでは逝くに逝けない。彼たちに私は救われた。私は何も、彼らに伝えていないんだよ。それだけが私にとって大変な心残りだ。この歳まで行動を起こさなかったことが悔やまれるよ。死ぬまで身体も動くと若い頃から思い込みもいいところで勘違いをしていた。子どもが成人をして巣立ちしてからやろうとしたことが頓挫してしまった。妻に伝えたら「馬鹿者っっっっ」とこっぴどく怒られてしまった。妻も逢いたかったようだ。彼たちと出会わなければ、身分違いの恋愛も結婚もなかったのだから。もっと夫婦で話し合うべきだった。私がこんな事態に陥る前にね。今更となってしまったが意思を継いで欲しいと選択した結果が兄貴の子どもで末っ子次男のハイジ=ブランコ。ああ。何も言うな。もう少しきちんと詳しく話すところだ。理由は当然として必然的に、意図した構図かどうかの判断は、お前次第だが、頭を縦に振らせることは可能だろう。

 まず。一つは妻からも聞いたとは思うが。【口笛】が上手いからだ。恐らくは【悪魔】を扱えるだろうと踏んだ。ブランコ一族では恐らく、お前だけが継承者の資格と資質があるだろう。

 それからもう一つは。子どもがいるからだ。私の子どもたちも兄貴のお前以外の兄姉は既婚だが子どもいないだろう。それが答えだ。なんだその顔は。理解が出来ないのか? 作家がそんな知能指数程度で作品なんかを産む出せるのか? 多くの読者たちに共感しかり反感しかりと、継続的にこれからお前を支える側の心を掴むのは、所詮はここから溢れる洗礼された物語なんだぞ? もう少し、頭の中を柔軟に切り替えられて思考を産めるように励むんだな。

 子どもがいるのといないのとでは人間性にも全く違うんだ。

 どういうことかというとだね、……【生きて還る】理由だ。

 絶対に子どもの為に還るとか還らなきゃという執念こそが、この旅には必要不可欠とも言えるだろう。子どもを残して旅に行くことは勇気がいることだ。成し遂げるという目的の為には子どもを想う親が必要不可欠なんだ。

 申し訳ないが。お前には選択肢は与えられない。私の未練にとことん、付き合ってもらう気だ。どんなに睨もうがすごもうが、それが一体なんだっていうんだ。馬鹿か。

 子どもがいても仕事もなく収入もない父子家庭。情けない上に憐れだからこそ、お前を選んだんだ。断るなんて真似はできないだろう。ぐぅの音も出ないだろう。

 子どもを人質なんかにするつもりもないが、話しが決裂したら話しの方向性も変わる。最悪の場合、兄貴も呼ばなければならない事態だ。それは私も避けたい。

 ぶっちゃけ兄貴とは反りは合わない。あの人は脳筋だからね。拳が正義だし。暴力反対だよ、痛いだけだし。子どもの頃は鉄拳制裁されて入院なんかもしょっちゅうだった。でもお前が顔を縦に振らない場合は――呼ぶ所存だ。1コールですぐにここに乗り込んで来て、お前に何をするかは分かっているだろう? 視てみたい気もするが。っふ》

 喜々として話し側のチェイスの顔はにこやかだ。

 反対に。

 絶望の顔面蒼白のハイジは萎れている。

「ブランコくんの負けだな」

 口から手を放してルターもにたりと笑う。

「っか、勝ち負けの問題じゃないだろうっ。おおお、オレは脅迫にも屈したりはしないからな! そもそもっ、父子家庭のどこが可哀想だってんだ! ふざけるんじゃない! 確かにほぼほぼと無職で万年の金欠病だがっ、……子どもたちにはなんら不自由をさせているつもりはない! 金の工面の方法なんざこの世には沢山あるからな! 子どもたちの為だってんならオレはなんだってして――……する。ん? いや。ンんん???? オレは何かお前らに言い包められていないか?」

 感情を吐き出して着地点が思いもしなかった場所に至り、ハイジも戸惑いチェイスに確認をした。それには彼も苦笑を浮かべた。

《する訳ないじゃないか。どうせ完落ちなんか目に見えているんだから。子どもを愛してとことんと行動をする父親の愛の深さは感慨深い。金の問題と旅の目的の事情問題は解決した。あとの説明は、ないかな?》

 あとの説明問題はない。

 その言葉にハイジがルターを指差した。

 指差された本人は眉間にしわを寄せ「人に指を差すんじゃない」とハイジに注意をした。

 ルター=ウイルソン。

 自己紹介がそれだけで、彼がチェイスとアンヌとどういった関係なのかをハイジは知らない。気になることは解決したい体質のハイジは、

「こいつは何者だ。ルター=ウイルソンって名前も嘘くさい。ひょっとして叔父さんの私生児か何かなんじゃないのか? どうなんだ? 叔母さんもこいつの素性ことをきちんと知っているのか?? どこの馬の骨かは知っているんだよなぁ??」

 ハイジの確認にアンヌも顔を縦に振る。

「ええ。当たり前じゃないですか」

「そうか。じゃあ、こいつは何者なんだ? きちんとオレに教えられるよな?」

「アンヌさんに聞かないで僕に訊けよ。ブランコくん。答えてあげるよ」

「……嘘くさい野郎の言葉なんか信じられる訳がないだろうが」と圧のある声でハイジもルターへと言い聞かす。意味が分からないのか、ルターも首を傾げてハイジにほくそくんだ。

「そう言うなよ。邪険に。これから旅の仲間なんだから足並みを揃えて貰わないと困るよ」

 唐突な旅仲間の言葉に。

「叔父さん!?」

 勢いよくチェイスへと顔を向けた。

《子どもを取り上げて一人でさぁ、彼たちを探せだなんて私も非常識で非道な畜生なキャラなんかじゃない。きちんと目的を叶える為の試算は立てている。金と知識の初歩より先のもの。それは仲間だ。各々が個性と知識の違う方がいいと思って、それでまずは。


 1人目 ルター=ウイルソン ランプの精(魔人)


 彼は私が研究員になってからたまたま拾ったランプの中にいた。3つの願いを叶えてくれると彼は言ったが、当時の私は今の私以上に禁欲的ストイックで、願い事なんかないと言った。自身で叶える愉しみを奪うなと。だが、夜な夜なと毎日とランプから聞こえる泣き言と願いは? の言葉に私は渋々と願ったんだ。

『傍で見続けろ』とね。

 それから42年間。彼は私の横で傍で見続けている。

 傍にいる間。私も研究の成果でルターに人間に近い【義自体人形コピーロボット】の初期形態を与え、それ以来と今日まで付き合ってくれている。

 ルターへの願いの所有権をお前に譲る。願い事を使う機会が今だ。それでもあともう一つが残る訳だ。それもお前がここぞで使える武器だ。

 所有権そんなことに使うなら癌を治せと思うだろうが。私は人間で在りたい。天命を全うしたいんだ。だから、願い事を使うなんて真似は出来ない。妻が悲しむのも残すのも辛いが、信念を曲げるなんてことは出来ない。したくなんかないんだ。子どものゴネと言われようが呆れられようが譲られない願いだ。

 いいね? ルター》

 ルターに確認をするチェイスに「ははは。待ち草臥れたよ、本当にお前って無欲には困ったもんだ」苦虫を噛み軽口を叩いて笑う2人を、ハイジは見据えていた。

 チェイスが言う言葉が何一つとして分からない。

 ルターのどこも変わりのない人間の様子に疑問符が頭から零れ落ちそうになっていた。

 3人が3人共。ハイジをおちょくりからかっているとしか思えなくなってしまう。

 人間不信に拍車がかかりそうとさえハイジは思うところもある。

 ががが、と椅子を下げるハイジを他所にチェイスは所有権を譲ることを実行をした。

「寂しくなるわね。色々と貴方は便利でしたから」

「便利って、……なんか言い方がもう少しあるよね? アンヌさん?」

「4人目の子どもと思っていましたよ。嘘ではありません、今までありがとうございます」

 深く頭を下げるアンヌにルターも目許を指先で拭う真似をする。

 一見したら感動的な局面である展開なのだが。

 ハイジにとっては決してそうではない。


 厄介者で面倒な男を押し付けられるのだから。


「《さぁ! 願い事を言うがいい! 3つの内の一つは終わり、あと2つの願い事を!》」


 ルターの両目が真っ赤に輝いた。獣のように。

 ようやくここでハイジも――嘘なんかではなかったのか、と察した。

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