第2湯 腑に落ちない契約と人選の謎

(痛いところに突きやがる)

「いいだろうと言いたいところだがな叔母さん。忘れてしまっては困る。オレには養わなければならない幼い子供たちが4人もいる。しかも食べ盛りとくる。さらには親の温もりを欲して常にべったりの甘えたればかりだ。そんな子どもたちから父親を奪って言うのか? 乱暴な上に冷たくないか? どう思うんだ。心が痛むとかはないってのか? 叔母さんたちには」


 ハイジは回りくどく正論をアンヌへと言い放つ。

 論破! とも言うが。相手が相手で話しにもならないのである。

「そんな心配事はご無用ですよ。一時的に私がお預かりして、育児をしますから気にせずに邁進なさい。子供たちの件を踏まえた上で契約書にサインをするのです。決して貴方には損などない好条件のはずですよ」

 ルターがバインダーから紙とペンをテーブルの上に置く。

 何から何まで準備万端といった様子である相手の態度が癪に障る。ハイジも鼻先でため息を吐く。

「読んでくれるかぁ? 最近、小さい文字見るのが辛くてな」

 やれやれとルターが紙を掴み自身の顔の前に立たせる。

 一回ハイジへと視線を向けて、改めて紙を見て呼んだ。

「《契約書 契約者ハイジ=ブランコ 雇用主 チェイス=ブランコ》」

「おい。誰がそんなところから読めと言った。そこはいい。具体的な個所をとっとと読まないと水をぶっかけるぞ、クソ野郎」

 コップを持ち上げて傾けるハイジの言葉を無視して、ルターは続けた。

「《契約者は雇用主からの仕事を課すべく行動と成果を求められる。仕事内容。《番頭》と呼ばれる《湯けむりのエルフ》のマナとの再会。上記における出費は厭わないものとし旅費及び給料の発生、家族の衣食住並びに安全の保障と保険を約束するものとする。万が一にも死んだ場合。家族は遺族保険と成人するまで苦労なく一般家庭と平等に教育をするものと約束をする》」

 ホワイト企業のような紙切れに書かれた契約書の文面にハイジも眉を顰めた。

(何年かかるか分からないな。見つけるにしても場所なんかどうやって……オレを殺す気か。そんなに恨まれるほど金の無心なんか、……してるか)

 額に垂れる前髪を指先で掴んで遊んだ。

「《雇用主から旅に必要な準備は全て行い契約者へと贈るものとする》」

 ぺらりと契約書はテーブルに置き戻される。ペンも上に乗せられた。

「茶番だな。【賃金】が書かれていないようだしなぁ」

「望む分だけお渡しする方針でした。あまり大金を言われても旅の邪魔でしょうし、最悪と殺されるのでお勧めはしませんよ」

 アンヌの言葉にハイジも納得はしない。

「その金はどこから沸く? 一般庶民の叔母さんからなぁ。いいように言い包めて報奨も何も実際にありはしませんでしたって言うフラグが立ちまくっているのは明らかだ。こんな話しに乗るも反るも、聞く耳ももたんな。ふざけるんじゃないぞ」

「お金なんかの心配なんて無用ですよ。私を誰だと思っているんでしょうか」

 吊り上がった目がハイジを射抜く。

「王族ですよ」

「庶民の税を隠してあまつさえ身勝手に使おうなんて、叔母さんは恥を知らないのか?」

 棘と棘の言葉が飛び合う。

 ここで声を荒げたのはルターだった。

「いい加減にしないか。そんな言い合いなんか無意味じゃないのか? アンヌさん、いつもの君らしくもない。もっとクールにいかないと相手だって意固地になったら話しが続かないんじゃないですか? 現にいがみ合っている。店にも営業時間と席の回転率も上げなきゃいけないんだ、僕たちがいつまでもこんなんじゃあ営業妨害だ。追い出されるなんて経験をしたくないだろう?

 要件をきちんと言うべきじゃないのか。相手を試す真似はよくないと思うね」 

 ルターの言葉にアンヌも「ありがとう」と会釈をする。

「それで。貴方は契約をしてくれますか?」

「答えはNOだ。当たり前だろう? なんだって子どもたちを人質みたいにされなきゃなんないんだよ。まず、そこが気に要らない。あとは、そんな仕事は叔母さん所の子どもにさせればいいだろう。オレんとこと同じように3人もいるだろう。何か都合が悪いにしろ、オレには全くと言っていいほどに関係がない。あと、ペーターの兄貴とアルムの姉貴に頼めばいい。どうしてオレだ? 無関係だ! 借りた金は印税が入ったら返してやるよ。倍返しだっ! 約束をしてやる。以上だ! じゃあ、オレはこれで」

 立ち上がろうとするハイジに、

「生憎と。私の子どもたちは姉の方にご執着でしてね、全く帰って来ない親不孝共です。それが理由、その1。貴方の兄姉には子どもがいない。それが理由、その2。最後の理由は重要です」

 アンヌも指先をハイジの手に触れ優しく指先を包み込んだ。

「なんだ。気色悪いババアだな」

 眉間にしわを寄せ悪態を吐くハイジを他所に言葉を続けた。

「口笛の旋律は貴方がピカイチと上手だからです」

「口笛、だと?」

「ええ。口笛です。旦那パパから習ったでしょう? 私の子どもたちも、貴方の兄姉も上手く口笛を吹けません。それはごぞ――」

「だから、なんだって言うんだ? 離せっ、冷たいんだよ。手がっ」

 ハイジの態度にルターも「ちょっと。失礼じゃないのか? 言い方が乱暴過ぎだ」言葉に注意をした。

「冷たいから冷たいと言って何が悪いってんだ? 事実を言ったまでの話しだろう。それよりも。口笛が出来て、子どもがいるからオレは選ばれたと言うのか? ふざけるな。ますます、意味も意図も分からんな。納得のいく話しじゃない限り頷く気もさらさらないからな。馬鹿げたことばかり言いやがってふざけるなよ」

 コーヒーを飲み込んでいく。なくなったコップを見るハイジにルターも「すいません」と店員に声をかけ「コーヒーのお代わりを下さい」と微笑んだ。

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