死人も目覚める大乱闘

 いつの間にか、夜空には雲が立ち込めて、浮かぶ小望月が見え隠れし始めた。硝子の柱のように、明滅する月光に照らされて、怪しい影が三十名ほど、墓地の入り口を塞いでいた。

 そんな地獄の獄卒達を率いるのは、今なお諦めない高坂陣内こうさかじんない武田茜たけだあかね、そしてヴェイス・フリードである。この悪玉共、またしてもヴェイスの金を使い、暇を持て余した無宿人共を掻き集めて来た。

 三人の悪玉は、闇の中で眼を光らせて、墓地の中心にある小屋を、真っ直ぐ睨み据えた。


『本当に此処で合っているのだな? こんな閑散とした場所にいるとは思えないが?』

『ええ。私の仲間からの間違いない確かな情報です。莫迦な曹長にカーラの動きを密告し、二人を追い込んだ甲斐がありました。此処なら騒いでも人は来ません』

『うむ。そういうことなら、心配は要らないな。そなたの智謀でも役に立つな』


 漆黒の着流しに紺鼠色の羽織を纏い、宗十郎頭巾を被った陣内は、廻りの闇より更に黒い。

 ヴェイスはいつも通り、腹立たしい微笑を面に浮かべ、今も何か、奸計を思い描いている様子。只、今宵の彼は一つ違う。帝国の正規軍でも殆ど見ない、燧石式の短銃を持っていた。

 陣内は愛刀を抜き身で下げ、ヴェイスは、恐らく大金を払ったであろう短銃を、しきりに点検していた。その脇で、左腕を繃帯して首に吊り、茜は真っ青な顔で震えていた。


 それを横目に見た陣内が、緊張をほぐしてやるつもりで、後ろから茜に近寄って、


『おいっ』

『きゃっ! や!』


 亜麻色髪の侍は、呼吸と心臓が一度に止まったかの如く仰天し、一瞬跳び上がって腰を抜かしてしまった。しかも、眼に紅涙が浮かんでいる。

 余りに動顛した茜を見、陣内が狼狽えていると、茜は震えたまま、怒面を真っ赤にして、


『こ、高坂様っ。な、何てことを、どういうおつもりですかっ』

『い、いや。そこまで驚くとは思わず……』

『お辞めくださいっ。こ、こ、こんな幽霊が、出そうなところで』


 『幽霊ぃ?』とヴェイスが、意地悪い笑みで割り込んできた。この小狡い男、常に愛想が無く、融通の利かない茜を、何処か嫌っている節がある。

 ヴェイスは、如何にも神妙そうな顔付きで、茜にそっと近寄った。そして、重苦しい声で、


『実はです……。茜殿、昔、この場所で男女の心中があったのです……。犯罪者の女と役人の男だったそうです。しかし、男の方にはもう妻がいて、それが惜しくて生き残った。今でも、怨みを抱いた女が、恋人を呼ぶ声がするとか……』

『そ、それで?』

『女が行けば浮気相手だと思われて、あの世に引きずり込まれるとか……』


 即興でお粗末な怪談話に、陣内は欠伸を漏らしていた。しかし、哀れな臆病者は震え上がり、珠のようなかんばせが、色白を優に超えて蒼白い。

 それを見た性悪なヴェイスは、茜の肩をポンと叩き、


『ふふふ。まあ只の噂ですよ。仮に本当だとしても、茜殿のように平胸で美少年じみた人には関係無いでしょうが、ふふふ』

『と、と、兎に角、早く件の二人を片付けて、こんな陰気な場所を出ましょう』


 茜は、話を強引に切り上げて、先んじて小屋へ歩いていった。

 ヴェイスは鼻先で彼女を嘲笑い、手持ちの銃に弾を込めた。陣内は、ヴェイスの所業に眼を顰め、


『おい、冗談とはいえ、少し可哀想だろう。茜は昔から怪談が嫌いで』

『ふふふ。ああやって、怖がらせておけば、早く事を切り上げたくなるでしょう。それに、ハンスとカーラがもうすぐ死ぬのですから、贋物の怪談でも真実になりますよ』

『そなたというやつは……』


 味方すらも狡知に巻き込むヴェイスに、陣内は嘆息を漏らしたが、今の最優先はハンス達である。文句を言うのは後日にしようと決め、彼も茜の後を追った。


 さて、小屋の中にいるカーラは、自分の血筋を示す剣を手に持って、うっとりとその眼差しを刃に注いでいた。ハンスもまた、自分の剣を鞘から払い、入念に研いでいた。

 すると……怪しむべし、彼が瞳を凝らしている刃紋の上に、不気味な顔がはっきりと映った。鋭い双眸を光らす男の顔! ギラリとハンスを睨んで消えた。

 はッ、と肩の後ろを振り仰ぐと、いつの間にか扉が開けられて、真っ黒な偉丈夫が立っていた。紛れもなし、高坂陣内の姿である。


 折しも月が雲から顔を出し、光の筋が空から差し、墓地が青く照らされた。陣内の後ろには、武田茜と、無頼者共が得物を構えて集まっていた。

 陣内の刀がキラリと光り、それを見るが早いか、ハンスは、


「あッ。お前達はっ」


 と、床を鳴らして躍り掛かる。陣内は咄嗟に身を引いて、彼の顎に膝蹴りを食らわせた。

 この少年を見つけた時、陣内は、忘れかけていた怒りが勃然と火を噴いた。(こんな所で逢い引きをしおって)と、見当違いな忿怒を抱き、ハンスを斬るべしと決意した。

 ハンスは、蹴り飛ばされた弾みに身を丸め、くるりと回転して着地した。彼は踵を蹴って小屋から跳びだし、そこにいた無頼の一人を見定めて、水も溜まらず斬り捨てた。

 

「早く! 逃げるんだ!」


 と、ハンスはカーラに短く叫び、左手ゆんでの剣で、斬り込んできた一人を刺し、右の剣を横に払い、別の者の腰を斬る。敵の死体を蹴って剣を抜き、躍り込んで来た者の凶刃を、横一文字に刃を翳し、戛然と素早く受け止めて、もう片手の剣を振るい、ガラ空きになった首を刎ねた。

 そこへ、静寂を劈く猿叫が鋭く響き、陣内がハンスの横から、蜻蛉の型で跳び込んだ! 神経を尖らせていた少年は、咄嗟に後ろへ跳び退いたので、手先を斬られたのみだったが、彼の目の前にいた無頼の徒は、真っ二つに斬り斃された。

 目標を外したとはいえ、陣内の驚異的な腕前に、ハンスは冷や汗を出して身震いした。陣内は、上段に刀を構え、ハンスに向かって怖ろしい眼光を光らせた。月光を吸って、三日月のように輝く皎刀は、見ているだけで眩暈がする。


 ハンスは、両手の剣をブルブル震わせて、何とかカーラに目配せした。

 そうだ! こんな連中に構っている暇ではない。カーラもそう悟って、無縁墓地の裏口へ、バタバタと走って行くと、丁度曲がり角、小屋の影から、一本の白刃がヌッと出た。


「おっと。お嬢さん、お待ちください」


 小憎たらしい笑みを見せ、ヴェイスが歩き出してきた。左手には、さっきの短銃を持っている。

 それを見たハンスは、高坂陣内に一閃見舞い、彼が防いだ瞬間に、横を素早く駆け抜けて、カーラの元へ急行した。そこへ、彼の目の前に、人影がさっと躍り出て、颯然と白い大刀を、横一文字に斬り払う。

 はッ、とハンスは仰け反って、間一髪、首を狙ってきた刀を躱した。来国俊らいくにとし右手めてに持つ、武田茜がそこにいた。


「神妙になさってください! 暴れなければ、一刀で終わらせます!」


 茜が、片手青眼に構える国俊は、相手の精気を竦ませ、その切っ先に立つ者を、忽ち死相に変えてしまう。彼女は、自分が慕う姉を虜にする、ハンスの顔を見た瞬間、勃然と瞋恚の炎が燃え上がる。

 (許さない……許さない許さない許さない許さない!)と、蘭瞼まなじりを裂いて、三白眼を血走らせた。


 ハンスは咄嗟に地面を蹴って、茜の頭上を越えようとした。しかし、彼女も身軽である。ぱっと真上に跳び上がり、空中で身体を回転させ、踵でハンスを蹴落とした。

 叩きつけられたハンスは、前後の脅威に臍を噛み、双剣にと力を込めた。茜も柳眉を逆立てて、彼の隙を窺っている。


 カーラは一瞬、ヴェイスの刃に怯えたが、反射的に、右手に持っていた形見の剣で、相手に向かって突き込んだ。

 鏘然しょうぜんと青い火花が散って、カーラとヴェイスの眼を灼いた。敵の思わぬ抵抗に、金髪の悪玉は、手首に痺れを感じて跳び退いた。

 ヴェイスは少し動顛し、短剣を逆手に持ち直し、寄らば斬る! と眼を怒らせた。


 カーラは、普段のカーラでは無い。ヨーデル・ティーレの血を受け継いでいる、こう明らかに覚った今、生来の勝気が、猛炎のように滾っていた。

 長い間、ティーレ家に仇なし、姉を苦しめたヴェイスには、彼女の方から、怨むべき理由がある。

 だが、今はこんな悪党に、時間を割いている暇はない。一刻も早くジパングへ! 遙かな空へ、島国へ、カーラの心は飛んでいる。


「退いて!」


 と、刃を月光に煌めかせ、ヴェイスに向かって横に薙ぎ、そのまま駆けて行こうとすると、彼女の後ろから陣内が、「待てっ」と手強く抱き締めた。

 無碍にカーラの利き腕を、捻じ上げようとする侍を、彼女は何とか振り払い、その真っ黒な影へ、さっと刃の光を投げた。

 陣内が身を窄めた隙に、彼女は素早くその腕を抜け、もう遠くへ駆けている。


「うぬ! 逃がすな!」


 と、ヴェイスが無頼の輩に下知を出し、カーラの影を追いかけた――その時である。


「御用、御用である! 御用!」「真夜中の乱痴気騒ぎ、今すぐ止めよ!」「神妙にせい!」


 と、けたたましい警笛と共に、無数の松明が近付いて来た。何事かと一同が見てみれば、トミー曹長の手勢である。

 トミーは部下達を先導し、真っ先に墓地へ躍り込むや否、


「通報を受けて参った、帝都監察隊長のトミー曹長である! 神妙に縛に付けい!」


 元より金で釣られた連中は、突然の出来事に度を失い、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 此処を密告した覚えは無い。作戦の相違に、ヴェイスは狼狽して泡を食い、思わず短銃を発砲した。夜気を揺さぶる銃声と、漂う硝薬の匂いを嗅ぎ、衛兵達は、いよいよ憤然と激昂し、各々武器を取り出した。

 暗黒沈静たる夜の墓地は、忽ち剣戟の響きが谺する戦場と化した。


 数分ほどの乱闘で、ヴェイスが雇った溢れ者共は、その場で斬られるか捕えられるかし、三人の悪玉は、風を食らって逃げ出していた。

 そして、混乱に乗じ、カーラは疾風のように姿を消し、ハンスも敵を押し退けて、彼女の後を追って逐電した。

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