旅のお供は相棒一人

 衛兵共と無法者が騒動を起こしている隙に、ハンスはカーラの後を追い、夜闇に紛れて駆けていた。カーラは時折後ろを振り返り、早く、早くと彼を促した。

 武田茜たけだあかねたち三人は、数人の衛兵を斬り伏せて、何とか重囲を抜け出した。ヴェイスは、舌打ちして地面を見て、


『ふウむ……。この足跡はまだ新しい……こっちです!』


 と先んじて走ってゆく。茜と高坂陣内こうさかじんないも、抜き身の刀を下げたまま、彼に続いて走り出す。

 肌寒い闇夜の中、それには不釣り合いな殺気漲る連中が、団子のようになってカーラ達を追い掛けていた。


 カーラは足を励まして、墓地から近い石橋を飛ぶように駆け、お火除地の空き地で足を止めた。此処まで一息に駆けたので、流石に息が切れたらしい。

 元より、今宵は気分が優れない。形見の剣を見た嬉しさに、一時は気を持ち直したが、また頭痛と気怠さが戻って来た。加えて、陣内に抱き竦められた時、腹を手強く押されたので、腹痛まで襲ってきた。

 ハンスは、少し離れた場所から、蹲ってしまったカーラを見て、足を更に速めた。その時、


『えい!』


 と、鋭く高い声音が横から響き、銀龍のような刃光ひかりが飛びだした! 

 ハンスは、反射的に両足を踏みきって、横に振るわれた大刀を、宙返りして回避した。追い付いて来た茜が、彼の横から愛刀を伸ばしたのだ。

 襲ってきた二の太刀を、ハンスは身を開いて素早く躱し、すかさず茜の腕を掴み、あべこべに捻じ上げた。亜麻色髪の侍は、今は利手が使えぬので、身体の力量が、常より半減しているようである――が、


『甘いです!』


 と、彼女は、ハンスに掴まれた腕に力を込め、彼の鼻へ肘打ちを喰らわせた。彼が怯んだ瞬間に、右手めての刀で斬り込んだ。

 ハンスはそれでも、皮一枚で、刀の柄を手強く握り、それを奪い取ろうとした。僅かな睨み合いがあった後、茜は突然、刀からと手を放す。同時に低く跳び上がり、空中で身体を横にして、ハンスの顳顬こめかみを蹴りつけた!

 予想だにしない攻撃を受けた少年は、瘡から血を出しながら吹っ飛んだ。地面に二度三度打ち付けられ、ハンスは仰向けになって気絶した。


 カーラは、唯一の頼みの綱が敗北し、慌てふためいた様子である。


「ハンス! ハンス! しっかりして、大丈夫⁉」

「相棒、とでも云うのでしたか?」


 と、氷よりも冷ややかな声が聞こえてきた。カーラが涙目で見上げてみると、茜が無情な顔で立っていた。皎々と冴える月に照らされて、彼女の珠のかんばせは、総毛立つほど怖ろしい。

 カーラは、震える手で剣を取り、何の工夫もなく斬り込んだ。茜は、その場から動くこともせず、右手めてに下げていた来国俊らいくにとしで、昇り龍の如く斬り上げた。

 発止と金属の触れ合う音がして、カーラの剣は軽々と弾かれた。彼女自身は、腕が抜けそうな衝撃を受け、思わず剣を落としてしまう。茜はそのまま、カーラの肩口へ峰打ちした。


「あ! うう……」

「確か、貴女は高坂様の許嫁候補でしたか。命は取りません」


 と、茜は冷徹に吐き捨てて、なおも剣に手を伸ばそうとするカーラの腹を蹴り、余りにも容易く失神させた。

 そして彼女は、引っ下げ刀のままハンスに近寄って、愛刀を逆手に持ち直す。気絶した彼の細い首、中心にある喉目掛けて、鋭い切っ先が落ちていく――その時であった。

 

「お待ち」


 と、暗闇からヌッと皺深い手が伸びてきて、茜の滑らかな白い手を押さえた。はッ、と彼女が凜々しい顔を振り向かせると、無害そうな好々爺が立っていた。

 何事かと茜が思っていると、老翁は、裏拳で素早く、彼女の美麗な顔を打った。後退りした茜が、状況を飲み込めず、眼を白黒させていると、彼は笑いながら、


「ははは。お嬢さんは強いのう。だが、幼気な少年を不法に殺そうとするとは頂けん。儂がこの子に助太刀仕る」

「ご老人! 貴殿には関係ありません!」

「若者らしくて結構。だが、如何なる理由であれ、お前が先に振るった暴力には、必ず償いが発生する」


 と、老翁は、口を結んで威厳に満ちあふれた顔となり、佩剣を抜いて身構えた。

 研ぎ澄まされた片手正眼は、茜ほどの剣客から見ても、隙どころか瑕疵すら無い。天から糸で吊られたように、背筋は真っ直ぐ伸びており、息も最小限、瞬きすら殆ど無い。

 刃と身体が、一つになるかと錯覚するほど、老翁の放つ凄味は怖ろしい。


 (まさか……この方が高坂様の云っていたエミリオ殿?)と、茜は思いもよらぬ強敵に、皎歯をギリギリと噛み締めた。

 しかし、彼女もまた、北辰一刀流の達人だ。勝算が皆無というわけではない。

 

『参ります!』


 茜は覚悟を決めて、中段の構えから斬り込んだ。エミリオは、真っ直ぐに彼女を睨み据え、戛然と刀を受け流し、眼にも止まらぬ速さで斬り返す。

 茜は反射的に刃を防ぎ、鍔迫り合おうとしたが、エミリオはすぐに刃を外し、柄で彼女を撲りつけた。自由が利かぬ左腕の方から撲られたので、彼女は跳び退きながら、悲鳴にも似た声で、


「ひ、卑怯です! 拙者は手負いゆえ、利手を使えないのにっ」

「喝! 此処は道場ではない! 命を取り合う実戦じゃ! 何処から打ち込まれて文句はあるまい!」


 夜闇を揺るがさんばかりの轟声に、眠っていた鳥達が騒ぎだし、木枯しでも吹いたかのように樹木が揺れた。

 茜は身の軽さを活かし、廻りの木や塀を利用して、野猫にも似た素早さで、エミリオを十方から襲ったが、老人は、何処吹く風かというふうに、片手で平然と彼女をあしらって、いと涼しい顔である。

 やがて、エミリオは面倒になったのか、自分の上で宙返りした茜の脚を掴み、手荒く地面に投げつけた。


「ほ、もう来たか」


 と、エミリオが呟くと、彼の見ている方から、漆黒の着流しを纏った浪人と、金髪の青年が走ってきた。

 同時に横道から、筋骨逞しい青年が一人、人力車を引いて飛び出して来た。これ、エミリオの孫である。彼は、ハンスとカーラを車に乗せ、祖父の先導で、風を切って逃げ出した。

 駆け付けて来た二人の悪玉は、茜を助け起こし、それッ、と後を追って走り出す。しかし、エミリオ達は俊足で、追われる者と追う者は、ぐんぐん距離が離れていく。


「お、おのれっ。もうあんな遠くに」

「は……はぁ、はぁ……。も、もう走れない、う、動けない……。うう……」


 と、茜は息を喘々させ、その場に倒れ込んでしまった。高坂陣内こうさかじんないが慌てて看てみると、どうやら彼女は、過呼吸を起こしたらしい。

 紅唇が不規則に戦慄いて、ひどく小刻みに息を漏らしている。陣内は彼女を介護しながら、ヴェイスを睨み、


「おい、何を突っ立ってる。手伝え」

「チッ。何処かの誰かさんの所為で、手に持ち掛けていた珠を逃がしてしまいました」

「それは残念だが、今は茜の方が先だ」


 ヴェイスは、如何にも不機嫌そうな表情で、陣内の指示に従い、紙袋を茜の口にあてがった。

 五分程して、茜は漸く落ち着いたが、もう目的の連中は、闇の中に消え去った。こうなっては致し方ない。網中の大鵬を逃した三人は、今宵も夜空に笑われつつ、憮然としながら帰っていった。

 

 ――カーラ達を乗せ、虎口を逃れたエミリオ達は、無二無三に夜の町を抜け、帝都から出て、東に流れる運河の脇で足を止めた。

 雲が晴れた夜空には、待宵月が煌めいて、河原が蒼白く照らされていた。エミリオは、月の鏡のような水面を見つめ、落ち着き払った様子で、煙管など吹かせている。

 程なくして、ハンスが鈍痛に頭を抱えて起き上がった。彼は先程までとは、似ても似つかぬ状況に、二の句を継げずにいる様子。

 

「あ……カーラさん⁉ カーラさんっ」

「ん……うーん……。此処は、あの世?」


 と、遅れて眼を醒ましたカーラも覚束ないようである。

 エミリオは二人の声を聞き、やおら立ち上がり、柔らかな笑顔で彼らに近付いた。

 カーラは驚嘆の表情で、


「お、お爺さん? どうして此処に?」

「ははは。残念ながら、此処は黄泉の国ではないよ。儂は百歳まで生きるつもりだからのう」


 愕然としたのはハンスも同様だ。いつぞや、カーラが身の素性を語り、少なくない金を恵んでくれた老剣客が、どうしてこの場にいるのだろう?

 エミリオは、茫然としている少年と少女を見、孫と一緒に哄笑した。彼に促され、息子は問わず語りに、


「カーラさんが役人に見つかったと聞いて、父上と二手に分かれ、お二人を捜していたところ、怪しい集団が墓地に集まっているのを見たのです。もしやと思い、曹長に報告して墓地を急襲させ、私は人力車を急いで借りてきたのです」

「場末の道場主なんぞをやる、剣技一本だけの男だが、こういう場面では役に立つ。馬鹿力も偶には良いものじゃ」

「お祖父様、馬鹿は余計です」


 互いに顔を見合わせて笑う二人を見て、カーラとハンスは合点がいった。緊張が解けたようで、二人も思わず吹きだした。

 エミリオは、カーラ達を交互に見、


「うむ。二人は良い相棒だ。カーラよ、お前なら止め立てしても、恐らくジパングへ渡るだろうと思っていた。儂からの細やかな餞別じゃ」


 と、彼は懐から道中手形を取り出した。この帝国では、街道沿いに関所を設けており、手形が無ければ、容易には通れない。

 何処で手に入れたのかとカーラが尋ねると、老人は小声で、


「伯爵のお屋敷から、未記入のものを拝借してきたのじゃ」


 と、茶目っ気のある笑顔で言った。


 小一時間ほど経ち、彼方の山間から、燃えるような朝陽が顔を出してきた。

 カーラは、すっかり旅装束に身装みなりを変え、ヨーデルの形見の剣を腰に差した。

 支度が済むと、カーラとハンスは、エミリオ父子の前に立ち、情け深い彼らの取り成しに、頭を下げて拝謝した。


 老人は、孫でも見るかのような微笑みで、


「うんうん。カーラ、無事にお父様と会えるよう、儂も影ながら祈っておるぞ」

「有難うございます。きっとお父さんをこの目で見てきます」

「オオ、聞いたか我が孫よ。お前も、もう少し儂を労って」

「お祖父様は労られるほど弱ってないですよ」


 次にエミリオは、ハンスの方を見て、


「ハンスよ。男ならしっかりとカーラを守るのだ。良いか、この通行に支障はないが、ジパングの者達は虎視眈々、ルカとお前達を狙っている」

「はい。肝に銘じます。僕が死んでも、カーラさんは、きっと助けてみせます」

「その言や良し。それと……旅の途中でカーラを襲ってはいかんぞ。先ずは優しく接吻から」

「お祖父様!」


 と、厳粛だったり軽薄だったり、二面性甚だしい老翁は、孫に横から言葉を遮られ、快活な笑いを上げた。

 茹で蛸のようになったハンスに代わり、カーラはふと、


「あ、あの……ミーナ様に会いたいんです。せめて、一言だけでも」

「ふむ。今の鬱屈極まる容態では、何を言っても無駄だろう。いずれ、ご病気が癒えれば、晴れて名乗りあう機会もあるじゃろう」


 と、エミリオは残念そうに言った。

 この会話が終わると、ハンスは、敢えて元気よく声を上げ、


「じゃあ、カーラさん行こうかっ。ルカさんに追い付かないとっ」


 と、相棒を促すように足を動かした。


 ――カーラ達が、帝都を密かに出立した頃である。背の高い一人の女が、一般人にしては速過ぎる足で走っていた。

 バタバタと脇目も振らず、一目散にヴェイス達の滞在先へと駆けていく。女は人目を避け、風呂屋の二階、彼らの部屋の窓から進入した。

 中では、腐りきった様子の三人が、各々座り込んでいる。女は、ヴェイスの前で拝跪して、


「フリード様」

「エマでしたか。奴らは見つけられましたか? それにしても、クライヴの奴め……」

「もう奴らは帝都にいません。エミリオから道中手形を貰い、グラス街道から東へ向かっております」

『え⁉ 帝都にいない?』


 跳び上がらんばかりに駭然としたのは、茜と陣内だ。二人の侍は狼狽し、いみじく躁狂とした。一刻も早くハンスとカーラを食い止めて、ルカとの合流を阻止するべきだ――と騒ぎ立った。

 しかしそれは、飽くまでハンスを嫌悪する武田茜と、飽くまでカーラに執着する高坂陣内の話である。一人、ヴェイス・フリードだけは冷淡だ。

 彼が野望を研ぎ澄ましていたティーレ家の家屋財産は、カーラ達に丸ごと燃やされて、ミーナ様そのものは、最早恋しようもない抑鬱の人となっている。

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