闇の中で一悶着
先日は唐突な邂逅だったので、思わぬ遅れを取ってしまったが、今宵は憤然と凄まじい気合いを燃やし、思わず息を呑むほど獰猛だ。
誰彼構わず、噛み付いていきそうな攻撃的な茜を前にしても、ルカは眉を嶮にして、明眸を力強く光らせている。悽愴な鬼気のみが周りを包み、瞬間、殺気が空気を凍らせた。
まず茜に斬り合いを演じさせ、自分は横から隙を見計らい、ルカを居合で両断するつもり。それを悟られないように、彼は刀を抜かず、密かにルカを睨むのみ。
しかし、陣内を注意深く観察してみれば、眉間に稲妻のような皺が寄り、眼は忿怒で血走っている。炯々と光る眼光は、同田貫の
ルカと茜が、互いを睨み合っている間は、時間にしてみれば僅かである。しかし、二人を囲繞している隠密共からしてみれば、かなり長い時間に感じただろう。腕の良い剣客同士の戦いは、刃を交わす前から始まっている。
『参ります!』
茜の叫びが
彼は踵を蹴って横に飛び、茜の肩へ刃を振るう。茜は咄嗟に刀を右へ払い、相手の剣を弾いた後、小手を返して、水面の如く斬り返す。しかしルカは、瞬時に
それと時を同じくして、彼の剣が虚空に唸り、茜の細い首筋へ、横一文字に振るわれた。茜は身を沈めて刃を躱し、相手の足元から斬り上げた。ルカは後ろへ宙返りして、また構えを取り直す。
茜も正眼の構えを取り、今度はルカの出方を待つ気組み。ジリジリと爪先を擦らせて、相手に近付いていく。彼女の瞳に漲る眼光は、名刀よりも鋭く見える。
ルカとて、ここで斬られるわけにはいかぬ。武田茜の眉間に向かって、鍔も届けよと斬りつけた。茜は横に刀を翳し、迫る刃を受け止めたが、柄手に奇怪な痺れが走る。
ルカは矢庭に刃を外し、今度は下段から斬り上げた。はッ、と茜は即座に反応し、身を投げ出さんばかりに跳足したが、鋭い切っ先にかすられて、さっと小手から血が噴き出した。当然、彼女は苦痛に片眼を閉じて、ブルブルと
須臾にして、隼のように素早い二撃が振るわれたので、陣内も思わず眼を瞠った。彼は内心、ルカの腕を侮っていた節がある。しかし実際に真剣の立ち会いを見て、考えを改めざるを得なかった。
茜は皎歯を噛み締めて、
えい! と裂帛の声を上げ、ルカの手元に躍り込み、腰車目掛けて刀を振るう。
「あッ」
ルカはさっと身を引いて、茜の足を躱したが、立ち直った彼女はすぐに斬り込んできた。茜は、猫のように身軽な体躯を活かし、変幻自在に身体を跳ばし、四方八方から斬りつけた。
肩口、額、腰――様々な箇所への攻撃も、八面鉄壁のルカには通用しない。むしろ、丁々発止と打ち合う度に、彼の剣は冴えを増している。
対する茜は、そもそも体力に乏しい人である。徐々に顔が蒼くなり、動きも鈍くなってきた。(駄目だ……身体が重い……)と、彼女は関節に淀みを感じつつ、何の工夫もなく斬り下げた。
ルカはそれを見るが早いか、身体を開いて刀を躱し、その峰に向かって雷霆の一撃! 発止と眼を灼く火華が散った。自分の勢いとルカの攻撃で、茜は、あッという叫びと共に、来国俊から手を離し、胸から地面に落ち込んだ。
『うう……』
茜は、すぐに起き上がろうとした。しかしルカは、振りかぶった長剣に、恐るべき殺気を孕ませて、ブーンと彼女に向かって振り下ろす――その時、トンと地面を蹴る音がして、彼に横合いから斬り掛かった者がいた。
ルカははっとして身をよじったが、眼にも止まらぬ光流が、彼の肩から頬を斜めに斬った。不意に付けられた切創から、ツーと血を流しつつ、彼が顔を上げてみると、同田貫を抜いた高坂陣内が、凄まじい眼念を漲らせて立っていた。
一応ルカは、陣内を警戒していたので、両断されるのは免れた。しかしルカほどの剣客が、回避に全てを注いだのに、猿臂を伸ばした陣内は、得意の居合で彼を捉えていた。
『下がっておれ』
と、陣内は短く言って、茜を守るように前に出た。左足を前に出し、柄頭を耳まで上げる。示現流・蜻蛉の型である。袂から覗く太い両腕には、蚯蚓のような血管が浮いている。
ルカは、その構えと先の居合を見て、即座に相手の実力を察知した。(この男……アカネよりも剣が出来るな)と、緊褌一番、眉を上げて武器を構えた。
陣内の凄まじい猿叫が、他の者の耳を劈いた。彼は力強く地面を蹴って、ルカの袈裟を狙って跳び込んだ。その時である。
ドン! と谺返しの轟音が、竹藪に包まれた丘の上、澄み切った闇を揺すぶった。程なくして、強烈な火薬と煙の臭いが辺りに充満した。ルカが立っていた場所は、真白な煙に包まれている
ふと彼方を見ると、ヴェイスが不気味な笑みを浮かべて立っていた。
「ふふふ。これで流石にルカも黒焦げでしょう」
彼は、秘蔵の爆弾に火を付けて、頃合いを計って投げつけたのだ。鉄で出来た入れ物に、火薬を詰めたものである。
陣内はまだ完全には近付いていなかったので、目前で爆発を見たのみだが、危うく彼も巻き込まれていた。陣内はヴェイスを睨んだが、彼は相変わらずニヤニヤしているのみである。
目的のためなら、仲間をも顧みない青年は、狐のような狡知に胸を張り、とても誇らしげである。
『おい、ヴェイス。もう少しで拙者も巻き込まれるところだったぞ。どういうつもりだ』
『おや、それは申し訳ありませんでした。真っ黒でしたので、解りませんでしたよ。……しかし、大口を叩いていた割りには、だいぶ手を焼かれていましたね。ふふふ、いや他意はありませんよ』
優男然としながらも、妙に凄味のある眼の色に、陣内は舌打ちして身を引いた。茜は立ち上がって裾を払い、すっかり安心した様子で地面を見た。
しかし、ルカの身体はそこに無かった。茜は三白眼を丸くして、素っ頓狂に声を上擦らせ、
『あ、あれ⁉ る、ルカ殿がいません。ここら辺りにいる筈なのに?』
『え、何ですって? もっとよく捜してみてくださいよ』
『おい、二人とも! 油断するなっ』
と、慢心していた悪玉三人は、再び油断の無い構えを取り直し、いざとなれば、三本の白刃を、一斉に浴びせる気組み、ジリジリと寄り詰めていく。
すると、すぐ傍らの木の枝へ、陣内の刃を躱すべく、跳び上がっていた一つの影が、
「ルカ・ウェールズは此処にあり!」
と、相手の心胆を潰すべく、大声でそう叫ぶと同時に、声と五体と剣筋を、一つにして真っ向飛び斬り! 木の下にいた哀れな影を、そやつが見上げる暇も無く、袈裟を斬って倒した。
測らぬ場所から虚を突かれ、真っ先に斬られたのは誰であろう? あッ、と言ったのはクライヴだが、彼に斬られた様子は無い。しかし、度肝を抜かれてしまったのか、人垣の方へと飛んでいく。
隠密共は驚愕し、途端に周章狼狽し、各々松明を落としてしまい、辺りはまた闇に包まれた。さしづめそこで、血煙に包まれたのは、陣内か茜、或いはヴェイスであろう。
運の悪い一人は解らぬが、後の二人は跳び退いて、眼を凝らして辺りを見廻した。その刹那、戛然と金属の音がして、暗黒の中に火華が散った。
一合打ち合う音がして、鍔と鍔が競り合う暇も無く、一方が狼のように跳躍し、虚しい刃を払ったのは、宗十郎頭巾を被った陣内だ。
おのれっ、と叫んでルカの姿を追い掛けたが、足の速い彼はもう既に、遙か彼方へ逃げていた。恐るべき早技で、一人を斬り、一人を退けたルカは、疾風迅雷に駆け去って、早くも奔走してしまった。
陣内は舌打ちをして振り返ったが、途端に色を失って、鋭い眼差しで闇をまさぐった。
その時、陣内の足元で、苦しそうに呻く声がした。彼が見てみると、茜がうつ伏せに倒れていた。
『お、おい。茜、茜っ。しっかりしろ』
『うう……。いたい、いたいよ……。あねうえ……いたいよ……』
『弱気になるな、こらっ。おい、ヴェイス、茜が
陣内は色を失ったような声を出し、怪我人を抱き起こした。漸く辺りにいた雑魚共が、藪畳から顔を出してきた。嵐のようにざわめいて、松明に火を入れ直したが、全員、張り合いの無い顔で、怪我人を取り巻くのみである。
陣内は彼女の小袖を解いて、斬られた上半身を露出させた。真っ白だった肉体が血で染まり、爪で引っ掻いたような瘡がある。胸が小さかったのと、立っていた位置の問題で、大出血は免れたが、身を焼くような激痛に、彼女は声も出さずに涙を流し、短い息を吐いている。
ヴェイスは、時機を外して出て来た連中に、唾を吐き付けるように腹を立て、
「ふん、間抜けな人達ですね。何故、さっさと押し包んでしまったのですか。見なさい、ルカは逃げ出してしまいましたよ。クライヴは何処にいますか?」
「は、はい」
「何故、皆さんに合図をしなかったのですか。ただでさえ莫迦のくせに、そんなことも出来ないのですか? お陰で、ルカは素早く身を隠してしまいましたよ」
横で聞いていた陣内は、万が一の備えだった、薬籠を急いで開き、茜の消毒と止血を済ませて、包帯をひとまず巻いてやった。
そして、彼女の身体を背負って、
『おい、ヴェイス。今更そんなことを言って当たり散らしても仕方がないだろう。早く茜を連れて帰ろう』
『ふむ、確かにこの闇の中では何も出来ませんね。では、私はお二人の刀をお持ち致します』
そう言って彼は、雁首揃えている隠密共に視線を向けて、やや軽蔑するような言い方で、
「クライヴ、貴方は何処か町医者を訪ね、茜殿の治療をお願いしてください。後の役に立たない莫迦共は、帰してしまいなさい。能無し共がいても、目立つだけです」
「は、はい。しかしヴェイス様……あいつらが、小遣いをくれと言っているのです」
「は?」
「きっかけが悪くて、役には立ちませんでしたが、最近御役ご無沙汰で、年々、帝国からの俸給は減っていくばかりですから――と云っているんですよ」
さなきだに、ルカを討ち損じて腹立たしいのに、逆撫でするようなことを言われたので、ヴェイスは、聞いているだけでぞっとするような冷たい声で、
「……そうですか。手ぶらで帰るのが嫌なら
と、彼は手裏剣を素早く抜いて、人垣の間に投げつけた。肝を冷やした連中は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
やがて、クライヴが駆けていき、陣内とヴェイスは、苦り切ってその後へ付いて行く。貧乏くじを引いてしまった茜は、虫の息を漏らしていたが、いつしか痛みで昏睡した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます