帝都の巻

隠密屋敷が秘める謎

 季節は初冬十一月。みぞれ模様の冬空は、重たげな雲に覆われて、十方全て鈍色である。此処は帝都――帝国の権勢の象徴たる都である。

 この都は海に面しており、諸国廻船が運んでくる、帝国各地の産物や異国からの舶来品、その他珍しい品々が、連日あちこちで取引され、漁業もまた盛んである。寥廓りょうかくたる都の地下には、無数の水道が廻らされ、山から流れる湧き水が、生活用水や銭湯に使われている。

 また、都に続く街道は、全て大河で中断されている。帝都を防衛するために、敢えて橋を渡さないので、帝都の最も外側にあり、数百万が雑多に住まう、下町を囲う壁は無い。


 下町から帝城に近付き、第一の壁の内側には、評定所 (貴族や騎士の裁判所)や吟味所 (一般の裁判所)などの司法方、街奉行所や勘定奉行所などの行政方、帝国軍の本営や近衛軍司令所などの軍事方、これら様々な官庁や、帝国の配下にある諸国の領事館が、所狭しと門を並べている。

 そして第二の壁が囲うのは、皇帝一家の居城であり、政務の一切が決定される帝城である。純白の大理石を以て建てられた、本丸の大厦たいかを囲うように、同じく真っ白な塔が五本並んでいる。

 それぞれの塔は、鏡のように美しい七宝の橋で繋がれ、窓一つ、甍一枚、それら全てに、帝国文化の精髄と意匠の極致が凝らされており、その荘厳さに思わず佇んでしまうばかりである。


 さて、豪奢な帝城から南添いに起伏している丘の上、そこは貴族や騎士達の住まう住宅地である。日ごとに葉を捥がれてゆく裸木は、女が抜毛を悲しむように、蕭々と風に泣いている。

 時刻は間も無く午後四時、学問所から家路を急ぐ、少年少女が道に溢れている。六歳から十五歳の通う学問所で、身分の別は無いのだが、住まう場所は別なので、庶民の子供、貴族の子供は途中で相別れ、また明日、と互いに手を振った。

 その時、到底貴族の子には見えないが、学問所帰りとも見えぬ少年が、小汚い外套を目深に被り、継ぎ接ぎだらけの佩き物うがち、雑踏の中に入り混じり、貴族街を歩いていく。


 何とも似つかわしくない恰好だが、石畳の道を歩きつつ、油断の無い眼で周囲を見、彷徨うように歩いている。

 ふと強風が吹き付けて、胴震いした少年へ、落葉の雨が舞い散った。彼はくしゃみを一つして、


「寒いなぁ……。最近めっきり冷え込んできた。怪しまれないように、学問所に子供達が行き来する時間や休日を狙っているけど、手掛かりがないな……」

 

 愚痴をこぼしつつ少年が、蹌踉と俯き加減で歩いていると、横の門の内側から、彼を呼ぶ声がする。

 振り向いてみれば、若くて気の良さそうなお内儀が、気の毒そうに彼を見て、


「あなた、最近ずっとこの辺をうろついているけど、もしかしてお父さんもお母さんもいらっしゃらないの? 可哀想に……。勝手口からお上がり。少しだけお金と何か食べる物をあげるから」

「あ、有難うございますっ」


 内儀は中から鍵を開け、勝手口から少年を招き入れた。見てみると、勝手続きの庭が広がり、そう悪くない身分の家であろう。

 内儀は少年を離れに招き、そこで食事を用意した。少年は笑顔で礼を述べ、無邪気な顔色見せながらも、眸には鋭い光が宿っている。

 少年は何気ない風を装って、雑談などしていたが、ふと糸口を見出して、


「おばさん……。此処の近くにある真っ黒な屋敷って誰が住んでいるんですか?」

「ああ、あれは隠密組頭のティーレ家のお屋敷だよ」

「え、隠密? この天下泰平なのに、隠密なんて雇っていても仕方無いだろうに」

「そう。でも乱世の頃から召し抱えていたから、お上の方でもどうにか理由を付けて、取り潰そうと必死なのさ。現につい先頃も、そのティーレ家が断絶になったとか。代わりに今は、弟子だった人が住んでるよ」


 ふーん、と言って少年は温い汁物を啜り、また根掘り葉掘り、そのティーレ家について聞き始めた。内儀の方は訝しみ、少年の正体を測りかねている。

 少年は相手が怪しんでいるのを察したか、懐から一枚の紙を取り出した。そこには密偵の証が描かれている。そして今顔を上げたのは、緑髪の少年、密偵のハンスであった。

 当然内儀は、とんだ少年を招き入れてしまったと、気味悪そうな顔で後退り、


「え……。み、密偵が此処に何の御用? 毎日この辺りを歩いているから、てっきり孤児か何かだと思って、可哀想だから呼んだのに」

「決して怪しい用向きじゃありません。深い事情は話せませんが、お取り潰しになったティーレ家について教えて下さい」


 港街のお堂でルカと別れて、一足先に帝都へ至ったハンスは、とある事情の所為で、未だティーレ家の令嬢であるミーナ様に会えていないのである。

 その事情とは以下である。


 ――ハンスは帝都に入ると真っ先に、この貴族街の黒屋敷、ティーレ家の門を訪ねたのだ。無論ミーナ様を捜しての事なのだが、門前に立って見てみれば、門札の名前が変わっている。その門札には、ヨーデル・ティーレの代わりに、「ヴェイス・フリード」と書かれてあった。

 もう遅かった、間に合わなかったのである。ユフとグレゴールの兄弟がジパングへ発ったが、途中で殺され、何の便りも無く半年が過ぎたため、御定法に定めてある通り、満十年帰らぬヨーデルは、客死したものとお上にみなされ、ティーレ家はお取り潰しとなったのである。

 

「しまった……。何もかもいすかはしの食い違いだ……。どうしよう」


 ハンスはそう呟いて、落胆せざるを得なかったが、暗澹としているよりは新しい家主に会って、ミーナ様が何処に身を落ち着けているのか、尋ねてみようと試みた。

 しかし肝心の門を見ると、ピッタリ閉じられており、頑丈な鎖と大きな南京錠で、すっかり封印されている。呼べど出てくる人はなく、昼間だというのに、雨戸も全て閉じてある。

 (母さんに見られたら怒られるけど……。仕方無いっ)とハンスは、少し門から離れて助走を付け、タッと踏み切り、門の柱に手を掛けて、ぐっと身体を登らせて、そのまま虚空で一回転、難なく中に着地した。


 ハンスは真っ黒な塀の中、庭を一廻りしてみたが、暫く手入れがされていないようで、構えこそ宏壮だが、広いだけに荒れ方も甚だしく、雑草が離々と茂って、いと荒寥としている。

 ふとハンスは、隅の座敷に眼をやった。そこの窓だけが細目に一カ所開いている。彼が近付いて覗いてみると、やはり人の気配はない。まるで古い社か狐狸の住処である。


 しかし、此処に人が住んでいるらしい事を、ハンスに教えてくれたものがある。何処から舞ってきたのか、真新しい紙屑がある。雨に打たれた様子もなく、ふわりと草に浮いている。

 (何だ?)と、彼が拾い上げて広げてみると、捨てたばかりの手拭紙に相違ない。母親にもリカードにも、下手な詮索はするなと言われた彼なのだが、思わずまじまじと見てしまった。

 紙からは薫風が漂っている。ハンスが紙を広げてみると、皺に混じって縺れた髪の毛が二、三本。その一本を伸ばして見ると、銀色の女の髪である。


「この屋敷、誰も住んでいないっていうわけじゃなさそうだな……。ミーナ様が立ち退いた後、ヴェイス・フリードっていう人と女の人もいるみたい。でも、なんでこんなに草茫々のままなんだ?」


 独りごちつつ、耳をつねって考えてみても、はっきりとした見当はつかないのである。

 それで近所の家々の戸を叩いて尋ね廻ってみたが、返ってくる答えは一致して、


「ああ、ミーナ様だね。お気の毒だけど、私達は何処に行ったのか知らないよ」


 と、殊に話を避けるのみか、姿を見たことも無いという家ばかり。毎日聞いて廻るのも怪しいので、学問所や勤めへの行き帰りの混雑や、休日の雑踏に紛れて、黒屋敷を探ってもう五ヶ月。

 そうして、ようよう今日呼びこまれた家のお内儀が、どうやらティーレ家や黒屋敷の事情に詳しい口ぶりなので、ハンスは、わざと正体を明かしてみせ、この手がかりを遁すまいとしたのである。


 ――ハンスが上手に口裏を探っていると、その家の内儀は、ティーレ家の乳母と近所付き合いがあったらしく、初めは気を竦ませていた彼女も、段々隙を見せ始めた。


「そうなんだ……まだ十一歳なのに、偉いね。私の子供達とは大違い。ミーナ様の居所さえ解れば良いの?」

「はい。それさえ解れば、毎日尋ね廻ることもありません」

「他言無用だよ。あの屋敷を御替地として、お上から下賜されたヴェイスは、ティーレ家が何処かに隠しているっていう財宝とミーナ様の縹緻を狙っているんだよ」

「僕も聞いた事があります。何年も前からずっと付き纏っているそうで」

「そのヴェイスが、ミーナ様は何処かに出て行ったと言いふらしているけど、実際は玄関も窓も釘付けにしたまま、お屋敷の奥に閉じ込めているんだよ。近所の皆も薄々感づいているけど、何をされるか解らないから、こうして知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるんだ」


 そこまで聞いて、ハンスはと顔を明るくした。この五ヶ月の艱難辛苦は骨折り損では無かったのである。殊勝なハンスに、すっかり感心しているらしい内儀は、彼に金貨を十枚ほど掴ませ、お古ではあるが、小綺麗な外套と衣服を渡した。

 彼は内儀の人情にいたく感激し、彼女に礼を述べて、衣服を着替え、蒼惶と往来にでた。やがてその姿は、出た場所からそう遠くない、黒屋敷の塀に沿い、カツカツと石畳を踏みながら、気儘に散歩をする下級貴族の少年を装い始めた。

 ハンスは俄に立ち止まって、辺りを見回した。間も無く日没なので、人通りはそう多くない。彼はまた、黒屋敷の門を乗り越えて、いつか初めて訪れた時、細目に開いていた雨戸へ向かった。


 板塀の中は相変わらず陰森としているが、今日もあの雨戸が少しいている。

 (やっぱり此処だな。此処以外に人気が全くない。きっと座敷牢みたいになってるんだ)とハンスは推量し、一歩一歩慎重に、雨戸へ向かって歩いていく。

 そのまま彼はその下で、耳を澄ましていたのだが、時折黄色い落葉らくようが、庇を打って落ちてくる他は、物音らしい音は無い。


 誰もいないのか、とハンスが訝しんでいると、屋敷の中の方からごく密やかに、箪笥でも開けたような音がする。そして柔らかい衣ずれと、小さな足音が部屋に入ってきた。

 窓を開けてミーナ様が顔でも出してくれれば、真に有難い好都合だが、中々そう上手くは運ばない。願えば必ず叶うほど、この世はそう甘くない。

 ハンスは流石に痺れを切らしたか、試みに羽目板をコツコツと指先で叩いてみた。だがやはり、向こうから出てくる気配はない。


「まずいな……。此処にいつまでもいたら、ヴェイスに見つかるかもしれないぞ……」


 ハンスは焦り始めたが、もし人違いなヴェイス・フリードと鉢合わせれば、それこそだいぶ面倒である。あべこべにハンスの方が、奉行所送りとなるであろう。

 彼はいよいよ苛立って、半分逃げ支度の構えを取りながら、ミーナ様、と雨戸に向かって声を掛けた。窓は屋敷の二階なので、背が届かぬほど高目にある。


「ミーナ様」


 と、今度は少し大きく呼ぶ。すると、極めて優しい女の声で、


「誰……?」


 小さな答えが漏れてきた。ハンスは胸を躍らせて、心の中で小躍りした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る