迫り渦巻く刃の嵐

 ルカが出て行った後、お堂の方ではヒルデとハンスの母子が、ユフを相手に段々と話を進め、ジパングの秘密を破ろうと、つぶさに苦心を舐めてきたと明かしたので、ユフもようやく安心した様子。疑い晴らして次には、彼ら兄弟の素性やミーナ様とヨーデルの境遇もつぶさに語り尽くした。

 改めて胸襟を開いて打ち明けあってみれば、ヨーデルがジパングに潜入したの目的も、リカードとヒルデとハンスが心を砕いていた目的も、偶然一致していると判明した。

 最初から全てが解っていれば、ハンスも無論、二人を助けたであろうし、ユフとグレゴールもまた、苦労をせずに済んだであろう。上手くいけば、首尾良くジパングに潜入出来ていたかもしれないのである。しかし運命とは悪戯なものであるようで、女掏摸のカーラが、グレゴールから財布を掏り取ったのが一糸のもつれ、今では全て蹉跌した。


「でも、今更いくら言っても仕方が無いんですから、何か別の手立てを考えないと」

「そうですよ。悔やんでもしょうがないんだから、ジパングに行くために僕達が力を合わせないとっ」


 ハンスの言葉は一座を励まし意気軒昂、怪我人のグレゴールも、頭だけ上げて頷いた。兄のユフもまた、思わぬ同士と巡り会い、心強く思うと同時にもう一つ、安からぬ思いを抱かずにはいられない。

 (見ず知らずの母子でも頼りになるのに、ルカ様と来たら・・・。ミーナ様の事を何とも思ってないのか)と、長嘆すると共に、彼の冷酷な仕打ちにすげない態度、それらを怨まずにはいられない。


 ヒルデとハンスが、お堂の中にある一間を借りて眠りに着くと、バラバラと外から窓打つ雨の音。夏らしい驟雨が降り始め、忽ち地面を打つ雨粒の音が絶え間なく聞こえ始めた。

 それは止む気配も無く、辺りはむっとした湿気に包まれて蒸し暑くなり、夜は更けていく。しかしルカはまだ帰って来ず、彼方の山林の闇から、不気味な夜鳥の声がしていた。


 ――ルカ達が滞在しているお堂がある山の麓に、侘しい教会が一つある。鬱蒼たる森の中に、ぽつんと杣小屋のように建っているので、宿に困った旅人くらいしか訪れない。老杉は空を隠し、木陰を通って月光が割れ硝子のように草叢を照らしている。

 苔を踏む人も、小枝の折れる音も無い幽寂の中、教会の隣の小屋で卓を前に、一人の老牧師が食事を摂っていると、トントンと表口を叩く音がする。若い女の声で、


「ごめんください、ごめんください。此処の牧師様はいらっしゃいますか」

「はいはい。只今」


 牧師が扉を開けると、声に似合わぬ武芸者が入って来た。面は眉深まぶかく被り笠、野袴草鞋の二本差し。此処ではあまり見ない、ジパングの侍である。

 牧師は珍しい来客に戸惑ったが、どういう用向きか尋ねた。亜麻色髪の侍は、笠の顎を上げて、


「夜分遅くに申し訳ありません。実は一つ、お願いしたい事があるんです。どうか礼拝堂を今夜だけ貸して頂きたいのです。暁光が差す頃には帰りますから、差し支えはありませんよね?」

「別に差し支えはありませんが、こんな雨漏りもする礼拝堂など何に使うのですか」

「特段深い理由ではありません。拙者はハーフンにあるジパング領事館勤めの者なのですが、同僚達と語らって、何処か静かな場所で連歌会でもやろう、という話になったのでです。この礼拝堂なら静寂さもありますし、不意の来客もありませんので」


 成る程、と牧師は納得し礼拝堂の鍵を持ってきて侍に渡し、去りかけていく後ろ姿を見送ると、また卓に座り直して麺麭を食べ始めた。亜麻色髪の侍は安心したように、闇の中へ歩いていく。

 すると間も無く、真っ黒な影が幾人も歩いてきた。漆黒の集団は苔清水に濡れた石段を登って礼拝堂へ向かっていく。半ば朽ちかけ、屋根に所々空いた穴から銀色の月明かりが差し込む礼拝堂の中には、国教の紋章を象った黄金の飾りや聖本の場面を描いた油絵、彩色豊かな飾り窓などが、雨露の気を漂わせ、月光の下、淡く輝いていた。

 しかしそれは風流や神への信仰を感じる者が見る物であって、今大股に入って来た侍共は暗幕に隠れるように、礼拝堂の濃い闇の中で怪異な集合を為している。邪魔のない礼拝堂の席で、連歌の競詠を試みている者はおらず、一人として、筆を噛み、句を案じているような、風流気のある者は無い。


 筆の代わりに刀を月に煌めかせ、刃毀れを改める者がいるかと思えば、顔の黒覆面の準備をしている者もいる。するとまた、山から降りて来た六人ばかりの侍がいる。

 先頭を行く侍が礼拝堂に入ると、闇に向かって、茜、と呼び掛けた。はい、と答えて出て来たのは、亜麻色髪の女武士――即ち武田茜たけだあかねであった。

 塚原様でしたか、と茜は頷き、彼に近付いて会釈した。今し方やってきたのは、御船手組頭おふてくみがしら塚原一角つかはらいっかくと、副頭の天堂佐助てんどうさすけに率いられた者達である。いずれも、同じように黒布で覆面しているので、夜闇にあっては知己の間柄にも、誰が誰なのかさえ解らない程である。


『お堂の方はいかがでしたか? あの者達、何か変わった事は』

『別段変わった事はない。ユフとその他の者達も気付いていないようで、静まりかえっているぞ。宵の口から先程まで見張っていたが、動きはない』

『それなら袋の鼠ですね。もう少し夜が更けてから行きましょう。……はぁ、お風呂に入ってくれば良かった』

『そなたはいつもそればかりだな。それにしても、そなたも十六だ。そろそろ女らしい言葉遣いや仕草を覚えたら良かろうぞ。葵を見習って』

『......拙者だって、女なんかに産まれたくなかったですよ』


 などと二人が話している横から、佐助が話題を変えるように、戻る途中で見た妙な母子の事を二人に伝えた。茜は怪訝な面持ちで、母子の風態や歳頃を尋ねたが、生憎暗がりで見えなかったらしい。

 しかし佐助が思い出したかのように、


『そう言えばその二人、何か小さな紙のような物を懸命に読んでいたな。我々に気が付くや否、それを破って捨ててしまったが、今は一角殿が大切に持っているぞ』


 こう話し終わるのと同時に、息を弾ませながら、茜の中間ちゅうげんが山から駆け下りてきた。ハンスとヒルデが山で見た男というのは、丁度時刻から考え合わせて、けだしこの仲間に違いない。

 クララが、ルカに対する一念の恋心に動かされてお堂に向かった日、彼女を尾けていって、ユフ達の隠れ家を突き止めたのもこの仲間であった。それで今、茜、一角、佐助の三人は、およそ二十名の従士かちを連れて、水も漏らさぬ手配りをし、今度こそ怪しい楽士もジパングの内部を伺おうとするユフ達をも、余さず捕縛するつもりなのである。


 十年前から領境を厳しく固めて、かりそめにも領内を伺おうとする素振りを見せる者には、恐ろしく神経を尖らせているジパングである。今日までの間、幾人もの人間を仮借無く縛り上げて、その目的を糺して後、闇から闇へ葬っている。

 それをするにも白昼公然ではなく、いずれも夜影に紛れて、或いは人目に付かぬ場所で行うので、帝国は感知出来ないのである。また、旅の途上で行方不明になる事自体、さして珍しくはないので、世間の目も上手く誤魔化している。

 

 そして今も茜の中間が、ユフ達の隠れ家であるお堂の様子を詳らかに探ってきたので、時分は良し、と黒装束共は一斉に立ち上がり、武田茜を先頭に、深沈と更けた夜の森を進んでいく。

 やがて山の中腹辺りまで登った茜は、朧気なお堂の灯りを見て、


『しっ……各々方、近いからお静かに』

『茜、お前は裏手から斬り込むんだ。お前を合図に、拙者達も表から行く』

『御意……五人くらい、付いて来てください』


 そんな声が、草木の戦ぎよりも微かに囁き合って、黒い影が地を這うようにして素早く動いていった。

 月が天頂を僅かに過ぎた夜半である。天も地も、嵐の前の恐ろしい静寂しじまに包まれている。空には団々たる入道雲が漂い、地ではジパングの侍共が姿も息も潜め合って、お堂を四方から囲繞している。

 その中から佐助が、ソロリと音も立てずに庭へ入り込み、真っ黒な姿を蟇のように地面へ這わせた。屋根からはバラバラと夜光の露が落ちてくる。佐助はそのまま裾から床下に入り込み、じっと聞き耳立てていた。

 

 上から漏れる話し声……それはユフとグレゴール、折り悪くそこへ居合わせたヒルデとハンスの話し声である。至極小さな声ではあるが、床下にいる佐助には手に取るようによく聞こえていた。

 佐助は上の話し声を聞いている内に、自分達の懸念が的を射ていたことを誇ると共に、想像以上の驚きに双眸を瞠っていた。


『うーむ。これは由々しい大事だ。もし拙者達が気が付いていなかったら、御家の破滅を招いていたかもしれないぞ』


 と、佐助は顔に集る蜘蛛の巣を払い除けつつ、なおも根良く息を殺していた。ハンス達とユフ達の打ち明け話を聞いてしまった佐助は、此処で一網打尽に、と密かに目釘を湿している。

 更に彼が好都合だと喜んだのは、以前茜に苦杯を呑ませた、あの楽士がいないことであった。ジパングでも有数の剣客である彼女をして、あの人は何となく恐ろしいです、と二の足を踏んでいたので、助太刀代わりに衆を恃んできたのであるが、誰より怖れていた雄敵が欠けているとすれば、これに越したことはない。佐助は床下から這い出して、蒼惶と仲間達の下へ戻った。

 刻一刻と時は流れていく。一瞬の気は、いやが上にも静かである。お堂の方は、丁度台風の中心にあるようなもの、黒装束の魔物共が放つ、凄絶な殺気が尺前に迫り、寸前に蝟集しつつあるのだ。


 しかし、勘の鋭いハンスもヒルデも、つい話に身が入り、それとは夢にも知らなかった。次第にハンスが微睡み始めたので、打ち合わせは明日の朝にしようと約して、ヒルデは欠伸をする息子の手を引いて、別の一間に入った。

 ユフは一人でそこらを片付けたり、剣の手入れをしたりなどして、何気なく窓から空を仰いでいると、バラバラと大粒の驟雨が降り始めた。静まりかえっていた闇の中から、気味の悪い冷風が吹き始める。

 蒼白い稲光を見、続けざまに轟然とした雷鳴を聞いた彼は心配そうに、


「ルカ様は何処へ行かれたんだろう……? 傘も持たずにこの雨じゃずぶ濡れだよ。どうかしてるよ、あの人。ミーナ様の話をしただけで、あれだけ参っちゃったみたいだし……」


 車軸を流すような雨に向かって、ユフが独りごちていると、密かに近付いていた茜は、ジリジリと雨に足音を掻き消しながら、彼に近付いている。

 彼女がそっと壁に隠れて覗いてみると、ユフは濡れるのも構わず、ルカの帰りを案じている。


「ひょっとしたら、この間、俺がしつこく言い過ぎたから、煩く思ったのかも? それだったら随分薄情な人だよな。でも、ハンス君とヒルデさんが力を貸してくれるっていうんだ。ルカ様は頼らずに、俺達できっと、ジパングの秘密を暴いてやるっ」


 誰も聞く者がいないと思い込んでいるので、自分を叱咤するつもりで闇に向かって叫んだユフは、ぐっと男らしい唇を結んだ。

 その時、茜は油断のない気配りで、来国俊らいくにとしの鯉口を切りながら、壁の影から作り声で、


「もし……もし……。そこのお人……」


 と、呼び掛けた。

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