暴勇振るう侍達
侍の一人
「お前はいつ見ても艶やかだな。ほれ一杯どうだ」
ご冗談を、とクララは笑っているが、心中は全く穏やかでない。美しいと言われること自体、今の彼女に取って、病に錐を向けられるような苦痛であった。
しかし一角はしつこく彼女に杯を勧める。話を聞いてみると、彼らの主君である
この一角という男は、少しクララに惚れているらしく、酒も相まって今宵は殊の外しつこい。面倒な酔っ払いをクララがあしらいかねていると、そこへ茜が割り込んで、
「塚原様、お辞めください。少し戯れが過ぎますよ。それに、拙者達の本国には他領物は入れません」
「そんな事は解っているぞ茜。お前はいつもそう厳しいから、いつまで経っても嫁の貰い手が現れないのだぞ。ははは」
「せ、拙者はまだ十六ですよっ。それに、きっといつか拙者を迎えに来てくれる殿方のために、他の方には近付かないのですっ」
「オオ、赤くなったな。それは酔いか怒りか恥じらいか。天堂殿にでも言い寄ったらどうだ。ははは」
などと侍共が茜を揶揄っていると、クララが横合いからしおらしく謝りながら、どうしてジパング往来はそんなにも不便になったのかと尋ねるが、茜は素っ気なく、殿の心中ゆえ知りません、と答えツンと拗ねてしまった様子で、憮然として椅子に座り直した。
クララは一角に、
「そんなに厳しいのでしたら、真に恋しい方がジパングにいるときは蛇にでもなって、あの海を越えなくてはいけませんね」
「ははは。当世女にそんな、清姫のような心中立は聞かぬ所だ」
「いいえ! 私がもしも本当に愛しい人を見つけたらどんな嶮しい道でも、きっと踏破してみせますっ」
「これは恐ろしい。して、そのお相手は天堂殿か、この塚原か、それとも……まさか茜か」
「ははは。これは良い。茜、貰われてやれ」
「ちょっと塚原様っ。揶揄わないでくださいっ。天堂様も、いい加減怒りますよっ」
と、二人の男が一人を揶揄って笑い崩れている間に、クララは身を窓に凭せ掛け、自分の空想を真実にして考え込んでいる。
はしゃいでいた方も、やや落ち着いた様子で歓談混じりに、すっかり拗ねて、ぷいと顔を背けてしまった、茜のご機嫌を取っていると、すぐ近くから
茜はうっとりした様子で聞き惚れて、ふと、窓から顔を出して覗き込む。彼女の視界には一人の楽士、店先に立って、小さな鉄笛を吹いている。
「まだお若いようですね。あのように一心に吹いていらっしゃるのに、誰もお金を上げていませんね」
「どおれ、拙者が喜捨してつかわそう。ほれ、受け取れ乞食楽士っ」
と、だいぶ酩酊した
同時に戛々と、間近く大地を割る蹄の音が聞こえてきた。ドンと止まったのは、街道送りのボロ馬車一つ、着くが早いか二人の男が、転がるように降りて来た。
「姉ちゃん、姉ちゃんっ。今帰ったよっ。ユフさんを連れてきたよっ」
「ああっ。やっと来たんだねっ。今行くから待っていてっ」
クララは先の楽士も客も忘れ、トントントンと階段を降りていった。
――ここは魚料理屋の離れである。殆ど半身、包帯姿の怪我人は、夏の暑さの寝苦しさと、瘡の痛みに呻きを太く、時折板敷きの上で
先に走っていたクララが木戸を開けて中に入った。三畳ほどの別棟で、庭先には魚を飼っておく
案内されるがままに、ユフは佩剣を外して中に入った。薬草の匂いがプーンと鼻を衝く。此処まで来る間に、クララの弟から大体の事情は聞いていたが、いざ見てみれば、そこには変わり果てた弟の姿。思わずユフは息を呑んだ。
グレゴールは、ジンナイの居合いの前に背中を割られたが、九死に一生を拾って此処に寝かされているが、今なお気息奄々と苦患の枕に昏睡している。
「グレゴール君っ。グレゴール君、苦しいの? しっかりして、お兄さんが来たよ」
「えっ。兄さんがっ」
と、黄泉から帰って来た人のようにグレゴールは起き上がろうとしたが、兄のユフがそれを止め、無理に動くな、と彼を優しく牀に戻した。
グレゴールは涙ながらに、
「ごめんよ、兄さん……。俺はもう多分助からない。だから、兄さんが一人でジパングに行ってくれ……」
「何言ってんだ、気弱になるな。お前は俺のたった一人の家族なんだ。それに養生は気の持ちようだ。今回の仕事は、ミーナさんの手紙を持ってジパングに行くっていう危険な仕事なんだ。ティーレ家の運命だって掛かってるんだ。しっかりしろ」
「うう……そう言われると、助かりたいよ。せめてヨーデル様に手紙だけでも…」
グレゴールは唇を噛んで眼を閉じ、気丈な面持ちで言ったが、呪われた太刀瘡痛み出し、蒼白い皮膚には汗滲む。クララも思わず貰い泣き、手拭いで額を拭いてやる。
水で絞り直そうとして、彼女が立ち上がりかけると、開け放たれた木戸の向こうに怪しい影、バサッと俄に駆け出した。クララが駆け出してみると、表二階の客、一角が妙な気振で母屋に駆け戻っていくのが見えた。
一角は、母屋の個室に戻るや否、息巻いた様子で連れの二人へ鼻息荒く、ジパングの言葉で曰く、
『おい、二人とも大変だぞっ。離れの方に怪しい奴がいるっ』
『どうしたんですか塚原様』
『実はな……』
一角は離れで盗み聞きしたユフの言葉、また怪しむべき様子を間諜の如く、茜と佐助に報告した。
共に浅酌していた二人は、クララの後を尾けていった物好き一角を見、茜は呆れ返り、佐助は面白がって、二人してあれこれ推量していたところであったが、彼の語調や聞き捨てならない事実を聞いて、思わず杯を下に置く。
茜と佐助は顔見合わせて、
『ティーレ家と言えば、代々、帝国の隠密組頭。その名を口にして、ジパングに入る相談などしているというなら、間違い無く帝国からの
『知れた事。縛り上げて領事館に放り込み、とくと吟味するより他には無い。大事はあるまいが、茜も一緒に来てくれ』
『承知しました』
茜はそう言うや否、愛刀の
涼風ならぬ一陣の凄風、三人の侍が燃える瞳を並べて歩く。その出会い頭、曲がり角で、給仕の女と出くわした。彼女はただならぬ血相の三人に、やや驚いた様子ではあったが、おどおどしつつ、
「あ、あの……先程お金を頂いたという楽士の方が、是非お会いしたいと仰っていますが……」
「さっきの男が? ふん、どうせ何か言い掛かりを付けて、もっとせしめようとでもしてるんだろう。その生意気な奴を連れて来いっ。細首を斬り落としてくれるっ」
茜は横合いから、所詮は楽士ですよ、と怒髪天を突く、粗暴な佐助を諫めて、(今は大事がありますよ)と眼で示しながら先を急がせた。
すると、丁度彼女達の前にあった個室から給仕を呼ぶ声がする。それを良い
少女は、給仕に
「ごめんなさいね、忙しそうなところへ」
「いいえ。何か御用ですか?」
「ああ、さっきの楽士さんを呼んで貰いたくて。お隣の方々は無粋な方々は断ったみたいですけど、一曲奏でて貰いたいんですよ」
それを聞くや否、揶揄されたような気を覚え、佐助が俄に怒りだし、おのれ、と憤声を漏らして猛獣のように、少女に食ってかかりそうになったが、またしても茜に止められて、
『天堂様、こんな事をしている間に、離れの奴らに気付かれたらどうするんですか。日ノ本(※ジパング人は自分達の国をこう呼ぶ)の侍だと知られたら、風を食らって逃げられますよ』
『そうだぞ天堂殿、さあ早くっ』
バタバタと床板を踏み鳴らして外に躍り出し、料理屋の裏庭に夜露を被って忍び込むと、人の気配にさとい生洲の魚達、バシャッと水面に映る月を崩した。
後ろを制しながら、先に立った一角が、ジャリジャリと庭の砂を静かにふみながら、小屋の中を静かに覗き込むと、クララは居合わせないでユフ一人、グレゴールの苦しげな寝顔を見守りつつ、色町の享楽を余所に、深い思案に満ちている。
無言の内に頷いて、ばっと小屋に躍り込んだ侍達。すわこそ、と立ちかけるユフを蹴倒し、むんずと腕を
「我が国に入り込もうとする帝国のネズミめっ。大人しく拙者達に同行しろっ」
「な、何の事ですかっ。俺達は旅の途中で弟が辻斬りに斬られたんで、此処にお世話になってるんです」
のっけから一角は、ユフの図星を指して、相手の胆を潰しに掛かったが、流石にユフも手慣れたもの、色を隠してさあらぬ様子、取られた腕を取らせたままで、慌てぬ様子で言い返す。
しかし癪に障ったか一角が、ドンと彼を組み伏せて、彼の頭を床に押さえつけ、
「言い訳は結構だっ。仔細あらば領事館で充分に聞いてやろうっ。とにかく付いて来いっ」
唾を飛ばして怒鳴る一角、それでも堪えるユフを見て、むくりと起きたグレゴール、震える手で剣を取り、兄の危急を助けんと、ぎらと抜いて突き掛かる。
火光を流した刃の
彼が転がった弾みに灯火が消え、辺り一面闇となり、蒼白い月明かりが差し込んだ。
大事は破綻した、大事は露顕した! ユフは悲壮な覚悟を抱き、いきなり腕を振りほどき、やにわに一角を蹴飛ばした。
うわっ、と不意を喰らったうわずり声、一角が蹌踉けていく
さっと身を引き今度はユフが、無二無三の
三方から囲繞されたユフ一人、汗もしとどに焦るのみ、剣気に命を磨り減らされ、見る間に顔も死相となる。哀れ、ここに一人の男が使命を半ばに膾斬りとなって、無念の鬼となろうとしているのを囃すかの如く、世間は今宵も弦歌を奏で、
「小童、覚悟っ」
一角がぱっと躍り込み、ユフの鼻先目掛けて斬り込んだ。くっ、とユフは剣を捻ったが、それより早く飛ぶ切っ先――間一髪、ユフは咄嗟に身を投げ出した。
しかし頬をかすめた刀瘡、落とした剣は早遠く、なおも一角が刀を手に迫り来る。受け身に受け身を重ねてじりじりと、ユフは生洲に追い詰められる。
それ見た茜は柄手に力を入れ、澄んだ瞳に殺気を込め、ぱっと躍り込んでただ一太刀、ユフの後ろ袈裟から斬り込んだ――かと思われた時である。
カラッと妙な音がして、茜の刀は意外な方へ逸れていく。何っ、と驚いて見れば、
『な、何奴っ』
注ぐ月光に照らされて、玲瓏の
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