呪い、あるいは呪い
第17話
「申し訳ございませんでした」
親に買ってもらった良質なスーツの皴を横目で見ながら、真智は欠伸を噛み殺した。
しかしかながら、覚悟を決めた箱壷の土下座は中々綺麗な形をしており、先日泣き崩れて垣原にした土下座よりも誠意あられるものだった。
あの日から、三日目。木曜日。
箱壷から真智への最後の依頼は、貝津家への付き添いであった。
箱壷の誠意の先には、貝津善旭の娘がいる。彼女はただただ、黙って箱壷の話を聞いていた。何一つ口を挟むわけでもなく、何一つ表情を返るわけでもなく。
「本当に、申し訳ございませんでした……」
何度も謝る箱壷に、そろそろ顔をあげさせるべきか悩む真智。
本来なら被害者の遺族である彼女が許可をしてから顔をあげさせるべきだが、彼女の表情を見る限りではそんな言葉は飛び出すことはないだろうと真智は考えた。
父の死から前を向いて歩きだした彼女。
途中垣原に罰の行く末を委ねたが、まさか当の本人が目の前に来たら心中穏やかではいられないのが人間というものだ。
頭を下げさせて辛いのは箱壷だけじゃない。
父の死を五年経った今、目の前に突き付けているこの状態を続けさせている彼女が一番辛いに決まっている。
真智が箱壷に手を伸ばそうとする。
しかし、その手はやんわりと彼女の細い手によって止められた。
真智が顔を向ければ、彼女は軽く顔を横に振ると口を開く。
「私の父は、立派な教師でした」
少しだけ、彼女の声が震えている。
でも、落ち着いた、そして静かな声だった。何かを飲み込んだような、声音だった。
「その証拠に、自分の過ちに気付き向き合った生徒が今、うちに来てくれたんです。きっと父も満足していると思います」
そう彼女は、涙の膜を張った瞳で貝津善旭の仏壇を見上げた。
「だからそんなに泣かないで下さい。お茶入れなおしますね」
きっと大泣きで顔が崩れている箱壷を気遣って彼女は席を立ってくれたのだろう。
彼女の心配通り、箱壷の顔は大洪水だった。持ってきたうっすいハンカチでは到底拭ききれる量ではない。かと言って自分が原因で死なせしまった遺族のテッシュを借りるわけにはいかないと思う配慮……、いや違うな。ただ聞く勇気がないだけか。そのせいで、有名高級ブランドの袖が小学生の水遊びらいに濡れてしまっている。
もったいないと言う気持ちよりも、成人した大人が袖で拭うなと思う方の気持ちが真智にはデカかった。
呆れた真智はいつの日のように持っていたタオルを差し出し、自分の持っていた箱テッシュも箱壷に渡す。何故箱テッシュを持ち歩いていたかと言えば、カバンの形が本やら書類などが入っているかと思わせるベストな形になるのに軽くて丁度よかったからだ。詐欺は見せかけが九割なのだから。
その二つを渡して、真智も部屋を出る。
一人にさせてやろうという配慮よりも、こっちもこっちで用があるからだ。
「あ、三芝さん」
不躾に台所を訪ねると、案の定彼女は椅子に座って壁を眺めていた。
お湯を沸かしている様子もなければ、お茶を用意している様子もない。
やはり、彼女なりの配慮だったのだろう。
「急にお邪魔して申し訳ないです」
「……いいえ、そんなことないですよって、流石に今回は言えなくて申し訳ないです」
困った顔をしながら彼女は笑う。
「まさか三芝さんが彼を連れてくるだなんて思いませんでした……。一生、会うことはないと思っていたのに」
「ということは……」
「信じたくなかったですけどね。死んだことすら、私のせいでなかったなんて虚しい限りですよ」
この人だって、誰にも言えない闇はある。
彼女がいやに前向きだったのには理由があった。自分に向けてもらえなかった父親の愛情を、本人が死んだ後にかき集めようとしていたからだ。
「……でも、許す言葉をかけていたじゃないですか。今、許していいんですか? 貴女は今も悲しんでいるのに」
呪いをかけるほど憎んだ相手を、そう簡単に許せるものじゃない。
「悲しんでは、いますね。けど、この悲しみがなんの悲しみか、私にはわからないんです。最初の一年はただただ、泣いていました。父がいなくて一人のこの家が時折、寂しく感じて。父がいてもいなくても私には関係ないと思っていたのに、そんなことはなかった事実に悲しさと後悔と寂しさが混じって涙になっていたんだす。けど、弐年になると心も不思議と穏やかで、父がいない寂しが嵐の様ではなく隙間風のように当たり前に吹いていて、その風に髪を揺らせれるのが悪くないと思ったんです。三年になると、その隙間風が父のような気がして、父がいつでも見守ってくれていると思うようになってきたんです。会いたい、話したいって気持ちはもうどこにもなくて……。それに私は父と沢山話ましたから。遺体でしたけど、一晩中、ゆっくりと。思えば、初めてだったかもしれないです。だからね、今私の流しているは悲しさでも寂しさの涙でもないんですよ」
え。
声を出さずに真智は彼女を見た。
それは随分と話が違うのではないだろうか。
だってそれは……。
「呪いたいとは、思わなかったんですか?」
呪いの動機がないと言うことじゃないか。
「え? 呪い? ふふ、三芝さんっていつも突然面白いことをおっしゃるんですね。ごめんなさい、ちょっとおもしろくて」
しかし彼女はその単語を出して固まるどころか他人事のように笑いだした。
「あ、すみません。ボクなら呪いたいぐらい憎く思っちゃって、はは……」
「表現だ多様なんですね。同じ教育者として素敵だと思います。本当に笑ってしまって申し訳ないです。バカにしているわけでは本当にないんですよ。ただ、呪いなんて大人になると映画やドラマの中でしか聞かないじゃないですか。聞きなれない怖い言葉に思わず笑ってしまって……。きっと、子供時代だったらそんなこともないのに。小さい頃はお呪いとか好きだったんですけどね。よく弟を巻き込んでやっていました。大人になると、そんなことも忘れちゃうんですね……」
そう話す彼女の目は、大人の目であった。
あれ?
ますますおかしくないか?
「三芝さんはお呪いとかしなかったんですか?」
「え? ボクですか? ボクは……男ですし、兄弟も全員男だったのでそんな流行なかったですね」
寺の息子だということも関係してか、学校でもその手の話にはてんて呼ばれなかった。
「男の子だとか関係ないと思いますよ。弟なんて父と話せるお呪いとかやってましたしね。けど、一回も結局叶わなかった……。だから、呪いとかお呪いとか、私は信じてないんです。何事も自分の手で自分の力でつかみ取らないと、ね」
そう言って腕を突き出す動作をした彼女に涙はなかった。
そして、一層、真智の中では違和感だけが膨れ上がる。
おかしい。彼女のそれはとても力強く、全てにおいて正論だった。けど、それだとおかしい。
この家一度感じた焦りが、全てが終わったはずの今でも蘇ってくる。
この人は本当に、垣原に呪いを託した人なのだろうか。
「三芝さん?」
なにか、嫌な予感が湧き出てくる。けど、それに今さら気付いてはいけない気がした。
「あ、すみません。貝津さんがかっこいいなと思って」
「えっ!? 今のハンチ鋭すぎましたか?」
「ええ。プロの方かと思いました。 あ、そう言えばこんな時ですけどこの前約束したお菓子、持って来たんです」
「わぁ、本当にいつも申し訳ないです。私、急だからって何も用意してなくて……」
「いいんですよ。貝津さんはぜひまたの機会に」
だってこの違和感はきっと……、正しいからだ。
それから程なく、お茶を辞退し箱壷を引きずりながら真智は貝津家を後にすることとなる。
玄関先で最後に彼女は箱壷に向かって一つ。
「警察に出頭するかしないかは、私は強制しないし納得してますのでお好きにどうぞ。ただ、自暴自棄にだけはならないでね」
と優しく言って泣き過ぎて喉を傷めた彼にのど飴を包んであげていた。
それに感動したのか、今までの罪の重さがさらに重たくなったのかは知らないが、再度箱壷の涙腺の蛇口が壊れ、ここでも立往生をすることとなる。
早く家を出てタバコに火をつけたい真智には迷惑この上なかった。
だけど、どれだけ優しい言葉をかけても怒っても、なにしても子供ってものは中々泣き止めないものだ。
手持無沙汰な彼は無意識で玄関を見渡していると、またいつの日かの家族写真が目に入る。
ふと、一つの疑問が浮かんできた。
それは、垣原の言葉。彼は何故、先生の家族と言ったんだ? 彼女を見れば確かに垣原よりは見た目も年上のため、娘とは言いにくいのかもしれない。
「……あの、弟さんの名前ってなんておっしゃるんですか?」
「え? 弟ですか? 弟の名前は旭宏ですよ。そして、私が善恵。二人とも、父の名前から取ったんです、私たち姉弟は。父は善旭でしょ? 私が前で、弟が後ろの文字なんです」
そう嬉しそうに笑う彼女をみて、箱壷の涙腺が再度壊れたのは言うまでもないだろう。
このままでは埒が明かないと、真智はそのまま箱壷を再度引きずる形で貝津家を去った。
しかし、旭の文字はどこかで……。
「ボク、今から警察に行きますね」
そう考えていると、引きずられていた箱壷が口を開く。
声はまだまだ涙声だが、彼女の、貝津善恵の言葉に流されずに自分で決めた覚悟のためか言葉がいつにもなく強く聞こえた。
「……ん。流石に警察はオプションにないから俺もついていけないが、一人で行くんぞ? 説明もなんでも、一人だぞ? 出来るか?」
「はい。あの、証拠になるかなってあの時のキーホルダーも持ってきました。動画もあるので、ちゃんと説明出来ると思います。」
「え、お前まだそれ持ってたの? 捨てなかったの?」
「はい。なんか捨てたら悪い気がして……」
真智は箱壷を見ながら目を細める。
本当にこの男は最後までわからない男である。いい奴なのか糞野郎なのか、未だに真智の中では判断が付きかねるらしい。
しかし、それも今日で最後だ。
「ま、頑張れよ。そう言えば、そのキーホルダーで思い出したけど、お前元カノ結婚してそろそろ出産なの知ってる?」
「虹華ですか?」
「うん」
「いや、知らないですね。ボク、彼女とは先生の事件以降疎遠になっているので、今の連絡先も知らないですし、何処に住んでるかも知らないですよ」
それもそうか。
あの事件から全力で逃げいた箱壷にとっては、虹華は最たる呪物だろう。
なにをするにも、彼女を通して貝津善旭の死が見えてしまっても不思議じゃない。
「ふーん。旦那、お前の実家の事務員だってさ」
分かれ道、右にいけば警察署に、左に行けば真智の住む寺に続く。
ここで別れてもいいのに、会話を止めるわけでもなく彼は自然に箱壷と一緒に右へと傾いた。
「えっ。うちの病院のっ!? 彼女、大学遠くへ行ったと聞いてましたけど……」
恐らく、虹華も先生の死から逃げたかったのだ。箱壷がこの街から逃げたように、彼女も。
「なんか辞めて、結婚したんだってさ」
「へー……。でも、うちの事務員さん女性かおじさんばかりで……。あ、もしかして、渡部さん?」
「ああ。知ってんの?」
渡部側からは認識されていたが、さまか箱壷側がらも認識しているとは。
「一度病院の食事会で会って、若い男の人だから長く話たんですよね。お医者さんはいつも忙しそうですし、ボクと話すより、兄や父と話たがりますし。そう言えば、お母様が一年ちょっと前ぐらいに亡くなられて、僕の父と母が葬儀に出席してたのを覚えてます」
「へー」
そう言えば、両親は既に死別していると言っていたな。
「長い間お母さんと二人きりだったから心が折れてしまったらと心配されてました。けど、そんなことはないみたいでよかった」
なるほど、言い方は悪いがそこの穴に丁度虹華がすっぽりと収まってくれたのだろう。
人間、人に頼りたい時は何歳になっても突然訪れるものだ。
「マッチ坊さん、……いや、三芝さん。ここで大丈夫ですよ」
「ん? ああ」
箱壷が足を止めた先には警察署が見える。
「本当に、行くのか? 俺も貝津善旭の娘さんと同じ意見で行かなくてもいいと思うし、逆に今更来られても困ると思うぞ?」
福太郎が言ったように、たかがキーホルダー一つで何かが変わるとは思わない。
それをするには些か時間が立ちすぎてしまっている。
「はい。それでも、行きます。意味があるかないかはボクが決めることじゃないくて警察の人が決めることですから。それに、もし意味がなくてもボクの中で意味があるんだと思います。今までありがとうごさました」
箱壷は深々と、真智に向かって頭を下げた。
「俺に感謝しなくていい。俺の場合は料金と等価交換なわけだし」
「……それでも、ありがとうございました。三芝さんがいたからこそ、親友を失くさずに済んだんだと思います。……では、ボクはこれで。お金、振り込んであるで確認してくださいね。失礼します」
「おう、お疲れさん」
そう言って、真智は振り返りもせず手を振った。
「これで正真正銘のハッピーエンドでしょ……」
タバコの箱を取り出した真智がそう笑う。
けど、本当に?
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