第16話
箱壷の喉の奥から悲鳴のような声が出てくる。そんなもの、一度たりとも考えたことがないに決まっていた。
箱壷は貝津善旭のことから、この五年間ずっと逃げてきた。目をそらし続けてきた。彼女だった虹華からも逃げたし、彼の住んでいた街からも逃げた。それは罪悪感からの行動だと自分だって理解している。
罪悪感というもがそれまでの人生で存在しこなかった箱壷の中に生まれてしまったソレは、徐々に彼をむしばんでいく。
「ボクは悪くないっ! 知らなかったっ! 聞いてなかったっ! 本当だっ! 信じてっ!」
「うるさいっ! 黙れっ! そのデカい声で騙った嘘はなんだよっ! 俺になに信じろって言うんだよっ!」
本来であれば嘘すら嫌うほどの正義感を持っていたはずだ。垣原を救ったのは、間違いなくその箱壷の正義なのだから。
けど、それはあの高校一年の最後で簡単に弾けて消えてしまった。
クラスの子たちが次々に担任である貝津先生とトラブルになり困っていることを、箱壷は同じクラス委員で当時付き合っていた夏目虹華から相談を受けた。箱壷は特に貝津に怒られるという経験もなく一年を終えようとしていたが、化粧ポーチを取り上げられたと怒っていた女子生徒をよく見かけていた。本来なら化粧は禁止なのだが、女子たちが言うには厚い色がきつめの化粧がだめとうだけで、リップが可能から薄いメイクは問題ないらしい。化粧のことはよく知らないしわからない。使ってい子がそう言うのならばそうなのだろう。純真無垢は彼はそう思った。
彼女たちはその恨みからか、今日はスカートが短いとセクハラされたとか、リボンが指定と違うと胸を触ろうとしていたとか、女性を軽視するような貝津の発言を繰り返し箱壷にや夏目虹華に相談と言う名前の愚痴を零していたのだ。
それは日に日に過激になっていく。
そしてついにある日、ついに箱壷の愛する彼女ねその毒牙にかかってしまった。
彼女とお揃いで買ったキーホルダーが校則違反だと貝津に引きちぎられてしまったらしい。箱壷は泣いて悲しむ彼女を沢山慰めたし、二人で初めて言った動物園デートで買った思い出のキーホルダーを壊す貝津にも腹が立った。
確かに、このキーホルダーは大きすぎると前から言われていた。特に自転車通学だった夏目虹華は絡まったら危ないからカバンの中に入れろとよく注意されていたのを箱壷も見ていた。その時は確かにその通りで理に適っていると思っていたが、なにも引きちぎることなんてないだろう。 怒りのあまり貝津に抗議しにいくと言った箱壷を必死に夏目虹華は宥め、抗議だけでは意味がない。私たちは何回もやっているが意味がなかった。もう我慢できない。この実態を暴いて学校側に貝津を処分させようと言った。
策があると。
それがあの屋上の事件なのである。
本来なら、貝津はあのキーホルダーを取るはずではなく、遊んで落とした夏目虹華をきつく叱るはずだった。貝津はいつもそう。見なんが言ってる人の話なんて聞かないよ。計画に乗った子たちがそう囃し立てた。
柵の外に彼女との思いでのキーホルダーを置くのは心が痛んだ。白い可愛い姿が黒く汚れていくのがいやだった。
それに加え、その日の強風だ。
置いただけでは遠くに飛ばされそうで、仕方がなく接着剤をつけた。
彼女は可愛く、また新しいの買いに行こうよと言ってくれて、どうせ彼女の分は壊されてないのだし、自分一人で持っていもなと箱壷は考えを改め頷いた。
それがそもそもの間違いだったのだ。
そこからは垣原は知る結末だ。
だけど、それでクラスメイト達が救えたなら……。
しかし、それが違ったのだ。
担任の死を知った途端、あれだけ不平不満を語っていた口が、皆そろえるように「いい先生たったのに」と言い出した。厳しかったけど、それは私たちが悪かったから。セクハラ? そんなものはなかったよ。校則違反のリボンは没収されたけどね。化粧ポーチ? 勿論だめだよ。けど、泣きつけばその日のちの貸してもらえるからバイト行けるし困らなかったよ。手をあげられた? あったけ? あ、でもやりそうな顔はしてる。確かに。
その時、クラスメイト達が何を話しているか、箱壷には何一つ理解が出来なかった。
だって全員が全員、彼に話していたことと違っているじゃないか。
振り返ると、彼女が笑う。「ごめんね。本当は壊れちゃって和樹に言いにくくて貝津のせいにしちゃったんだよね。みんながそうすればいいよって教えてくれたからさ」と、笑う。可愛い彼女、賢い彼女、自慢の彼女。だけどその彼女が今はただの理解出来ない言葉を発する化け物にしか見えなくなってしまった。
クラスはまた、何事もなかったかのように通常に戻っていく。
ここで自分だけ叫んだらと箱壷は口を閉じた。もし、自分だけが近まったら? みんな知らないとまた口々に言われたら? 僕は捕まるのか? 捕まったら病院はどうなる? 母の仕事はどうなる? 姉と兄たちは? 家族は? そう思うと、怖くて動けなかった。
自分だけのせいにされるのがこわかった。
はずみで作った嘘だって、周りに漏らし続けていると不思議なものでこれが本当じゃいなかいと思えてくる。そう、だったボクはなにも知らなかったのだから。
ここまでくると箱壷一人では、どうしようもなかったのだと思う。
ボクはなにも悪くない。そう、騙されたんだ。嘘じゃないっ。嘘じゃないんだっ! そう叫んだ箱壷の言葉も決して嘘ではないのかもしれない。けど、それを隠すために自分でも嘘を重ねたのは誰のせいでもなく彼自身の罪だった。
「お前はいい奴だよ。けど、お前は自分の過ちすら認められない奴だった」
「違うっ。ボクはっ!」
「違わないっ! お前は先生の家族がどれだけ泣いてたかわかるかっ!? 俺は知ってる! もう一度父親に会いたい、話したいって、声をあげて泣いた気持ちを俺は知っている! なんでも手に入るお前に何がわかるっ!」
垣原は立ててあったカラーコーンを蹴飛ばし、箱壷の体を外に向かって引きずろうとした。
その瞬間だ。
一気に箱壷の体が重くなり、垣原は後ろを振り返った。
そこには、箱壷を止める二つの影があった。
「アホかっ! 人の苦しみなんて、その人にしかわからんに決まってるだろっ」
「ちょっとちょっとっ! マジで危ないって! ここ五階だからねっ! 落ちたら死ぬからっ!」
真智と福太郎の影だった。
「あんた、どうして……っ。話してくれっ。こいつが先生を……っ」
「知ってる。全部知ってるしわかった。あの顔のない写真の呪いもお前がやったって。殺したいほどにくくなった?けど、お前だって迷ってたから呪いなんて効果もでるかでないかわからんやつにしたんだろうが。呪いなんてしなくても人生どこだって不幸も落とし穴もあるのをお前が一番知ってるだろ」
「それは……」
よく知っている。
呪いなんてものはなくても、人は簡単に不幸になるのだ、
呪われていないのに、父は死に、再婚相手に殺されかけ、漸く落ち着いたころには病気に蝕まれて母までも亡くなってしまった。
誰にも呪われていないはずなのに、垣原は一人ぼっちだ。
今日、親友だった男とここから飛び降りるのになにひとつ迷いがないぐらい、彼は一人だった。
「お前の気持ちはわからんでもない。何かしたかったんだろ? 先生のために。でも、友達も大事だった。だから、かけたんじゃないか? あの呪いを。そしてそれを見て、自分のふり直してくれる親友を信じたかったんじゃないのか?」
「……そうだよ。あれを見て、先生のことを少しだって思い出して欲しかったし、後悔して欲しかった。忘れてたなら思いだして、家族に謝りに行って欲しかった。けど、こいつはそれを先生の呪いのせいだって……。先生がなにが悪かったのかもわかってないのに……。そんなの許せないっ! オレは先生に人生を貰ってんだっ! 母さんが死んだあとなんとか生きていけたのは、先生が俺に色々と残してくれたからだ。最初は自殺したことは信じられなかった。けど先生の家族が、こんなにも愛してくれて先生も幸せだったと思うって、きっと先生がずっと見てくれてるから前を見てねって……。だから、先生みたいに俺もって……」
生きて行かなきゃいけないと思ってた。先生はよく、垣原に未来の話をしてくれた。それは些細な話から、大きな話まで。それを見るまでは何があっても死ねないなと、いつも明るく先生は笑てくれた。
だから垣原も、そうだ。
先生が言った事か本当か、先生の代わりに見てやらなきゃと思った。
でも、今はもう未来なんてみたくない。
「でも、もういい。もう、見守るものなんて俺にはなもないっ」
変わらいなものを変わる希望を持ったまま見続けるなんて、もうごめんだ。
「バカ野郎。お前はなくても先生にはまだあるんだよっ! 先生がお前に言ってるぞっ! 大人になって、飯奢ってくれるんじゃなかったのかってっ!」
「……え?」
真智の言葉に垣原が顔をあげた。
そしてその瞬間、手の力も緩む。それを目ざとくみつけた福太郎が、力いっぱい箱壷を引き抜き自分のデカい胴体の後ろに隠す。
「なんでそれを……」
「お前の後ろにいる先生から聞いた」
「嘘だっ! 霊なんているわけないだろっ! 適当なことを言うよっ!」
「嘘なもんか。いるよ、先生は。お前が見えないだけで、ずっととお前を心配して見守っている。寺で修行してきた霊能力者なめんな。皆見えてるよ。んで、お前を止めて欲しいって俺に頼んでる。だから俺たちはここに来れた」
「そんなわけ……っ!」
「隣にいるお前の母親も、二人が喧嘩してるのかと思ってさっきからずっと心配してるよ。仲のいい友達だったって、お前だって箱壷を大切にしていこうと母親に誓ってたんだろは? そう言ってるよ」
「……本当に、母さんと先生がいるのか?」
「いる。と、しか俺に言えない。どうせお前には見えないし、信じるのはお前次第だ。けど、二人とも心配してるのは信じてくれ。お前の怒りにも悲しみにも、深く深く心を痛めてる。お前、その二人に愛されてたんだな」
「……先生、母さんっ! 俺……っ、俺、どうしていいかわからなくてっ! あいつを許せない気持ちだけが残って行って……っ」
苦しかった。
誰よりもいい奴だと知っているのに、自分がやられたわけでもない裏切られた気持ちだけが募っていく。
その気持ちがよくない気持なのは知っているし、わかっている。けど、止められない。
割り切れない気持ちにどんなラベルをつけていいか、一人でいた垣原にはわからなかったのだ。
「先生……、俺はどうしたらいいんですか……」
垣原が泣きながら、身をかがめる。
思いに持ちに圧し潰されそうになりながら。
「救ってやれって」
「……え?」
「先生は、救ってやれって言ってるぞ。俺がそうしたように、お前も親友にしてやれって」
垣原はなにもない後ろを振り向き、見えない影を必死に探した。
「先生の背中を見てきたお前なら、出来んじゃないの? なあ」
「……先生、先生っ」
どこにもいない影は、矢張りどこにもなかった。けど、言葉だけが届いてくる。
貴方が救えと言うのならば。
垣原は祈りにも似た姿で身を丸めるのだ。見えない誰かへの、彼だけの神様のために。
「……ごめん」
まだ動いてくれない垣原の背中に、温かい手が降りてくる。
「ごめん、晃、ごめん……っ。嘘ついて、ごめんっ。友達なのに、ごめん……」
彼は何度何でも謝るった。きっと許されないと知りながら
「本当は少しだけ、先生をこらしめてやるつもだったんだ。生徒が学校に不要なものを持ってきて取り上げる人だったから、屋上におけば怒って彼女につかみ掛かると思ってたんだ。そんな被害が多いってクラスの皆が言ってたから。けど、そんにことはなくて、先生は彼女に危ないからと大切なものなんだろって取りにいってくれて、クラスの話を取り上げられたものは皆が怒られるようなものばかりを持ってた方が悪くて、先生のことオーバーに言ってて、逆に死ぬのは悲しいとか言い出して、悪者がボクたちに変わろうとしてて、みんなのためなのに、みんなが違うこと言い出して……。ボク……」
要領の得ない説明は、どんどんと小さくなって、涙声に変っていく。
けどそれらが終わると彼は泣きながら、鼻を啜りながら決意にも似た、声を出した。
「ボク、先生の家族謝ります。警察にも行きます。ごめんなさい」
彼は自分の罪を認めたのだ。
今までずっと逃げていた罪を。垣原がゆっくり体をあげると、そこには土下座して泣く親友の姿があった。
「俺に謝ってどうするんだよ……っ。馬鹿っ」
そう垣原は泣きながら、笑った。恐らく、それが彼の初めての貝津善旭の真似なのだろう。
誰にも割り切れない気持ちはある。竹を割った性格のような奴だって、全てが全てバカバカと切れるわけではないのだ。誰でもそんな気持ちが自分にもあるのかと驚いき、戸惑う。
その戸惑いが、形となるのが呪いなのではないだろうか。
「これで一件落着、かな?」
そう笑う福太郎に、真智が呆れた声をあげた。
「それ以外なにがあんだよ。どうみてもウルトラスーパーハッピーエンドじゃねぇか」
そう言って、泣きあう二人を福太郎と真智は眺めていた。
ああ、よかった。ぎりぎりまで隠れて二人の会話を盗み聞きしてて。インチキ霊能力者と今日もバレずに済んで。
めでたし、めでたし。
「まったく。俺のお陰でウルトラスーパーデラックスハッピーエンドなこと忘れんなよ。クソガキどもめ」
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