三章 二つの呪い

第8話

 その日はやはり、雨だった。

 真智は雨が降る前は、匂いでわかる。昔から、記憶ない程小さい時から、そうだった。真智にしかわからない、雨を知らせる風の匂いがするのだと、彼は言う。

 雨音が屋根を叩く音で目が覚めるのは悪くはない。雨音とと混ざって厨房から聞こえてくるせわしない足音とか、包丁とまな板の音とか、小学生の頃は嫌いじゃなかった。中学生になるころにはそんな気持ちは綺麗さっぱりからの中からは消えてしまったが微睡みの中、この家には人がいるんだという安心感がとても温かく自分の中に入ってくるのが好きだった。

 でも今は何一つ思わない。何故、なにも知らない子供の頃はそんなことを思えたのか。今は自分のことなのに、なにもわからなかった。

「おじさん、今日はサイドを三つ編みにしてポニーテールにしてくれる?」

 朝食づくりの合間、卵焼きが焼き終わった直後。味見と称して盗み食いに来たついでに、姪っ子が髪型のセットを真智に依頼してくる。

「あいあい。いいけど、今日雨だからポニテは広がるぞ?」

 真智が越してきた当初は彼女の母親の美幸が彼女のヘアスタイリストをしていたが、最近では婦人会やらの業務が忙しいのかこんな些細な雑用は全て真智が賄っている。

「いいよ。今日さ、立花君と一緒に朝礼の時話すんだよね。今日雨だし、絶対に体育館でするでしょ? 運動場だとみんなまぶしかったりして顔上げないけど、体育館だと照明じゃん? そうなる、絶対隣のクラスの中山さんとか私の髪型とか服とかチェックしてくるんだよね」

 立花君とは彼女の口からよく聞く友達の名前で、彼女と一緒にクラス委員をしている男子だ。一度彼氏なのかと聞いたら、彼女からは汚物を見るような視線と一緒に「発想がキモい」と言われ、それを聞いていた自分の兄からデリカシーがないのかと殴られた。だが、彼に言うデリカシーは決して姪っ子に対してではない。愛しいわが子に本当に彼氏がいたらどうしてくれるんだと言う意味だ。

「そんなもん、チェックしてどうすんの?」

「評価シートの髪型と服装の項目に低い点数つけられる」

「なんだそのライトノベルの評価シートみたいなもんは」

 一体どんな遊びなのか。

「ライトノベル?」

「大人の小説。そこはいいんだけど、評価シートってなに?」

「男子はかっこいい、女子はかわいいを総合的に評価するシート」

「なんなくは想像つくけどさ……。それってイジメじゃないの? ブスなやつはどうするんだよ。人権ないシートじゃん」

 これを小学生のうちからやっているとは些か残酷やしないか?

「顔は低評価でも髪型とか服装とか持ち物とか他のもので高得点狙えばいいじゃん。言ってるでしょ? 総合評価なんだって。逆に、顔だけしか評価しないおじさんよりもいいじゃん」

「小生意気だな。顔は低評価って言ってるお前も大概だぞ。自分だって髪型と服装に低評価つくの嫌がってる癖に」

「顔とか身体的特徴はどうしようもないでしょ? だからみんな学校でも特別話題にしないよ。でも、お洒落はさぁ、努力じゃん」

 三つ編みが編まれていくさまを持参の手鏡で見ながら、彼女は言う。

「髪型だって服装だって、可愛くなろうと自分で考えれば色々出来るじゃん。その努力を評価するの。いつも髪ぼさぼさとか、高学年なのに服を親に選んでもらってるとかさ、そんな努力してない子たちと同じ評価になるのは嫌なの。私、これでもかなり努力してるしっ」

 確かに、彼女の言うように身なりは大切だ。清潔さは人間関係を構築するのにあたり一番最初にクリアすべき項目である。だがしかし、これは簡単な話ではない。特に相手が子供の場合は。

「確かにお前は努力してると思うけど、それでも髪ボサボサや服がダサい友達のことを下に見ていいわけじゃいからな」

 子供は自分ではどうしても出来ない領域が人によって違う。

 何故一律ではないのか。

 それは、親や家庭環境によって左右されるからだ。

「下に見るって?」

「努力してないって勝手に決めつけたり、そのせいで怠け者だと思ったりすること」

 子供は一人で暮らしていけない。突き詰めれば彼女たち六年生ぐらいの子には出来るだろうが、今の日本ではそれを許さないだろう。子供は大人と一緒にしか暮らしていけない。この状況で、親が子供に対してなにをやってやるのか。この領域は各家庭、各親によって随分と違う。

 姪っ子は随分と恵まれた環境にいる。一人っ子ということもあるのだが、親は彼女を限りなく尊重して育てていると思う。口を出してくるジジババたちを押し退ける力も、彼女の好奇心に答えられる金もある。

 でも、どれかが欠けている、または全てが揃っていない家庭だって少なくない。そうではなくても、親の育った家庭環境、金銭感覚、生活習慣など様々な面が影響しそれらが子供と対峙するのだ。子も十人なら親も十色。兄夫婦とは真逆な家があってもおかしくない。

 なにも何でもしてやる親が偉いとか、そうじゃない親が酷いとか、そんなくだらないどうでもいい話ではなく、ここで一番重要なのは各家庭環境から教育理念、価値観が何一つ統一されているわけじゃないということ。

 色々な家がある。櫛すら買えない家から、親が朝どうしても起きてこられない家。子供にファッションはまだ早いと思う家に、宗教などにより着る素材が限られている家。何度も言うが様々な家があるのだ。

 それを一枚のシートで全てを評価しようとするのは無理がある。

 ブスは身体的特徴でどうしようもないと言うのならば、オシャレが出来ない環境の子たちも身体的特徴と同じぐにいにどうしようもないだろうに。

「えっ。なんで? だって出来るのにやらないって怠けてるでしょ?」

「例えば、お前が俺の子供になったとしよう」

「おじさんの子供に? 彼女いないじゃん」

「例えばって言ってんだろ。例えば、俺の子供になったとするっ」

「えー。ちょっと嫌かも」

「なんでだよ。兄貴よりも若くておもしろくて、遊んでやってるだろ?」

「そういうの、ニートって言うの知ってるよ。じいじが教えてくれた。仕事せずにずっと遊んでるって。遊んでくれるのは嬉しいけど、パパがニートなのはちょっと嫌」

「なんで?」

「だって、遊んでばっかりだと怠けてるんでしょ? 怠けるのはダメってパパいつも言ってない?」

「ああ、あいつはなー。そう言う妖怪だと思っといてくれ。他にはなんで嫌なの?」

「んー。働いてないからお金ないんでしょ? ママがばあばから私みたいにおじさんがお小遣い貰ってるって聞いたよ」

「なんだその偏見。一円ももらえるわけないだろ」

 なんたってはずれの次男坊だ。

 ここで出てくるこの街のマダムの中には彼の母親だって少なからず入っているし、真智に小言や就職を促す発言をするのは母親が一番多いのだから。

「え、貰ってないの?」

「くれるんなら喜んでもらうけど、今んところ人生において一円も貰った事ないわ」

 そう言う家なのだ。良くも悪くも。だからこそ、色々な家があるのを良く知っているのだ。

「でも、お金ない俺の子供になるのは嫌なんだよな?」

「うん。それは嫌でしょ。誰でも」

「そうだな。でも、世の中には俺みたいな父親だっている。働いてないって、ただ遊んでいて働いてない奴だけじゃなくて、病気とか環境とか様々な理由で働けない人がいるんだ。みんながみんな一括りじゃない。努力なんて平面の上に荷物重ねる行為が出来る状態じゃないと、意味はない。で、そんな親の子供たちをお前は努力していないと思うわけ?」

「えっ。えっ!? ちょっと、止まって。頭がおいつかない。えっと、パパが病気で働けなくて、お金がない……」

「そう。オシャレ出来ないよな?」

「でも、工夫なら……」

「さっきも言っただろ。努力は平面の上に荷物を載せる作業なんだって。親が病気って言う不安な場所で荷物を載せれるか? 重ねれるか? パパが病気で働かなくて、明日食べるご飯もままならい環境でオシャレを工夫しないやつは、怠けてると思うか? そいつらがやることは、オシャレでも他人によく見られる工夫でもない。まずは平面な床を作ることに全力だろうよ」

「確かに……。そうなると、オシャレ出来ないのは別にその子が悪いわけじゃないんだ……」

「そうだよ。全員が全員、お前のパパとママみたいに出来た人間の子供じゃない。色々な問題を抱えながら生きてる。それを努力がなってないとか一蹴りするな」

「はーい……。おじさんの言う通りかも。評価シートがあるとさ、かわいいに対しての項目だけなのに他のことでもこの子って努力しない子なのかもとか、無意識のうちに私も思っちゃったりしてた」

「よくないぞ」

「本当そうだよね。ちょっと前にさ、うちのクラスで姉川が下級生イジメてたって噂が立ってさ、姉川は確かにちょっと調子に乗ってやり過ぎることもあるけど、イジメはしないでしょって私は思ってたの。けど、クラスのみんなはその日から姉川が下級生いじめるぐらい酷いやつだってまるで見てきたように言い始めてさ。立花君が姉川の無実を頑張って証明したからもう誰も言ってないけど、評価シートに近いものがあるよね。一回そう思っちゃったらさ、ずっと思い続けるしそれは周りにも伝染してくんだって」

「大人になっても、そういうのよく見るよ。今気づけてえらいじゃん」

「まぁね」

「ほら、出来たぞ。これだけ出来がいいのなら、髪型の評価満点じゃん」

「そうかもね。でも私、今日みんなに評価シートなんてやめよって言ってみるよ。ありがとね、おじさん」

「ん」

 真智にとって髪型のお礼よりは、この考えを改めてくれたの方が十分嬉しいものだった。

「ま、おじさんの言った事そのまま皆に言っていいよ。お前みたいにみんな考えを改めると思うから」

「は? だからおじさんってデリカシーないってパパとかに言われるんだよ。そんなこと言えば、今評価が低い子たちが特にオシャレに興味がなくても違う問題あるとかまた新しい偏見生まれちゃうでしょ? そういうの考えないでどうすんの? 今の例だって私とおじさんだから成立した例だし。私以外に突然そんなこと言ってたら誰もおじさんの話聞かないでしょ? それと一緒」

「あ、はい。すみませんでした」

 小学六年五とは思えぬ、しっかりとした物言いに真智はただただ謝ることしかできなかった。

 今時の小学生ってこんな子ばかりなのだろうか。思わず真智はあまり記憶のない自分の小学生の頃と比較してしまうが、絶対にこんな風に話せられなかったと思う。

 日々、兄や兄嫁が頻りにうちの娘は賢いと周りに言っているが、みんなただの自慢として聞くのは随分と危険すぎる。警告だと思って聞いた方がいい。中途半端に手を出せば嚙み千切られるって、警告だと。

 また大人と話た方がこちらに配慮してくれているぐらいだ。

「じゃ、お箸とお茶碗並べとくねー」

「あ、はい。お願いします」

「なんで敬語? キモっ」

 ほらね。配慮などないじゃないかと、手を洗いながら真智が一人ごちる。

 さて、先に居間におひつを置きに行ってから、大根を下ろして、豆腐と長ネギのみそ汁をよそって……。

 一人に戻った厨房で次の手順を確認していると、彼の携帯が鳴る。

 まさか、昨日の晩に調べてみると言っていた福太郎からの連絡だろうか。随分と早い情報だ。まだ、半日も過ぎていないというのに。

 流石オカルトマニアとここに居ない彼を褒めながら画面を開いてみれば、一通のメッセージ。

「箱壷?」

 なんとそのメッセージは、依頼者からのものだった。何か事態が急変したのか? それとも、犯人がもっと直接的な行動に出た?

 有り得ない話じゃない。

 彼自身があげている霊的な被害は、どれも物理的だった。昨日福太郎か言っていた、呪いを待ちきれなかったのかもしれないと言った言葉が脳裏に浮かぶ。

 ぞっとした。待てないほどの理性をぶち壊した人間は結果を求める。それも急速に待っただけ大きな結果を。その多くは本当に命の危機を感じるほどのものである。

「マジかよっ」

 ヤバいじゃんと真智は急いでメッセージを開け、文字に目を滑らせた。

 そこには……。

 

 

 マッチ坊さん

 

 早朝からご連絡をさしあげごめんなさい。

 大変なことが起きてしまいました。

 なんと、ボクは呪いによって殺されてしまったのです。

 昨日の夜、ボクの夢に刺されて亡くなった女性が出てきました。女性はさきりに胸が痛い痛いと言っており、ボクが心配して見て見ると、そこには深々とナイフが刺さっていました。

 女性は、ナイフを痛い痛いと泣きながら抜くとボク何度も突き立てました。

 ボクは怖さと痛さのあまり、大声で叫びました。

 でも、ボクがどれだけ痛がっても泣いても、女性はやめてくれません。

 女性は何度も、ボクのことを許さないと言いました。

 その声は段々と女性の声じゃなく、低い男の声に変っていったんです。

 ボクは怖くて怖くて、腕で顔を隠してしました。

 でも、その声は何処かで聞いたことがありそうな声だったんです。

 ボクは、おそるおそる女性の顔をみました。

 いると、どうでしょう!

 

 

「いや、どうでしょう! じゃ、ねーんだよっ!」

 まだ文章も途中だと言うのに、耐えきれずに真智が大声を出す。なんだこの文は。三流小説か。

 無駄に広い厨房に響いた声で思わず我に返るが、どうも続きを読む気にはならない。それもそのはず、下へのスクロールはまだまだ伸びしろしかないのだから。

 朝の忙しい時間、そんな力作の長編小説を優雅に楽しむ時間も気力も真智にはない。

 心苦しさは微塵もないが、スルーする案件だ。

 しかし、メッセージを開けてしまうと向こうに既読であることが表示されてしまう。返さなければ、所謂既読無視になってしまう。

 流石にそれはまずい。

 連絡の遅れを支払うのは、いつでも信用からだ。

 大体、呪った犯人に殺されそうになったのもいつの思い込みだったんだと思い出した真智は少し悩むと、すぐさま自分のメッセージを箱壷に送信した。

 

 

 箱壷様

 

 いつもお世話になっております、マッチ坊です。

 申し訳ございません、現在除霊の依頼が立て込んでおりまして、午後からしかお時間を作れない状態となっております。

 お手数ですが、午後からもう一度お話出来れば幸いです。

 

 

 とにかく、朝にあんな小説を見る時間はない。

 送って来るなら午後にしろ。というか、少しは頭を冷やして冷静になってくれ。自分がどれだけとち狂った行為をしているか自覚して恥じろっ。そう思いながら真智は携帯をポケットにしまった。

 それからすぐに携帯は新着のメッセージがあることを真智に知らせるが、どうせ箱壷が『すみません』やら『わかりました』の返事だろうと開くことなくおひつを持って厨房を出た。

 だから、彼は知らないのだ。

 

 

 マッチ坊さん

 

 ありがとうごさいます。

 午後にお会いできるのですね。出来ば直接会えると嬉しいです。

 京都のお土産はいりません。お気遣いなく。

 今日は一日、ボクはフリーなのでマッチ坊さんにお時間を合わせれます。

 新幹線のチケットもあると思いますので、夜遅くでも構わないです。

 では、お返事お待ちしております。

 

 

 と、新着メッセージに書かれていることを。

 なんたって、彼が送ってきた力作の小説の後ろには『早くお会いしたいです。無理を承知でお願いします。お暇な時間を教えてください』だったのだから。

 どんなメールだって最後まで読んで返信した方がいいようだ。

 高い勉強代である。

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