二章 呪いではない呪い
第5話
姪っ子の迎えから夕食、その片づけ、夜の雑用雑務に家族全員の風呂の用意を終わらせた真智は、ようやく客人の待つ自分の部屋へ向かう。
客人とは勿論。
「待たせたな、福太郎」
昼間の電話の相手で彼の唯一の友人である三津井福太郎だ。
「こんばんは、真智」
部屋を開けると、真智よりも背の高い細目銀髪ややロン毛の男が一人、真智の部屋のパソコンを触っていた。その首からチラリと見える色は、首から肩甲骨にかけて天使と悪魔の翼をモチーフにしたタトゥーだ。それがデカデカと掘られている。勿論服を着ている今は全体像はわからないが。
その他装飾品も中々街中でも見ないほど、福太郎の真智にはよくわからない感性のファッションセンスを持っているのだ。なんだが、一昔前のバンドマンのような出で立ちだが……。
「おう、福太郎は仕事よかったのか?」
「真智はバカだね。八時迄シャッター開けてる自転車屋なんてないよ」
なんと、この街唯一の自営自転車屋の店長なのである。因みに真智が普段乗っている電動自転車も福太郎が営む創業六十年の老舗自転車屋、三津井サイクリングで購入したものだ。
なので福太郎はバンドなどの活動は一切していない。姿はただの彼の好みに過ぎないのだ。
「真智こそ、お勤め終わったの?」
「一通りな」
「そ、お疲れ。で、話ってなに? 真智が部屋に呼ぶのなんて珍しいね」
「お前の家でも良かったんだけど、行くとしたら明日になっちまうからな。ちょっと今、俺困っててさ、力に……」
「金なら貸さないよ」
言葉が終わる間もなくぴしゃりと福太郎が真智の日頃の行いからでた錆を両断する。
「いや、なにも金じゃ……」
「君はね、学生自体からやや私生活がだらしない方だっただろ? 都会に出て、それが急速に加速したんじゃないか? 蓮華さんやご両親の監視の目がないのをいいことに、ギャンブルまで覚えて帰ってきて……」
「最後まで話を聞けよ。お前はなんなの? 俺の母ちゃんなの?」
「やめてくれ、気持ち悪い。君のような子を産んだ覚えはないよ」
「男だから万物産めねぇだろうが。違うって。最後まで話を聞けって。金とかそんな不純な話じゃない」
勿論、行きつく先は金なのだが、わざわざ福太郎に親友とはいえそれを教える義理はない。
「じゃあなんの話?」
「副業でちょっと困った案件が降ってきたんだ。一人でやるには少々重労働でさ、賃金はきっちり払うから福太郎も協力してくれないかって話。依頼人も困ってて、人としてほおっては置けないんだよ。まだ若いし、力になってやりたいんだ」
「副業?」
福太郎は首をかしげると、ああとわかりやすジェスチャーのあとに口を開いた。
「あの詐欺まがいの行為ねっ。まだやってたの? 世間ってチョロ過ぎないかい?」
「この野郎。詐欺じゃ……」
「まがいだろ?」
福太郎の言葉に、真智は否定しきれずに舌打ちで返事を返す。
「もうその話は兄嫁だけで十分だ。お前とするつもりはない。で、協力してくれるのかよ」
「んー。詐欺の片棒を担ぐのは少々気が引けるね。断ってもいいなら断ろうかな」
耳を疑う言葉だ。友達のまっとうな人助けと報酬を切に願いった事だと言うのに。
「親友の頼みなのに?」
「バカなことを言いなさる。最後に残った友達が一番親しいとは限らないよ。それに、尊敬する蓮華さんにお前と同じ穴の狢だと思われたくはないからね」
もう一つ福太郎の情報を付け加えるとするなら、真智の兄である蓮華のファンという本人曰く一番重要な情報がある。
学生時代、地元の不良を統括していたぐらいヤンチャだった福太郎を今の時代では考えられないぐらいの方法で更生させ、真智に同じ学年だから仲良くしてやれと押し付けたのが蓮華だ。小学校、果ては幼稚園の時代から一緒だったらしいが、真智と福太郎は生活も活動範囲も交友関係も全てが真逆で同じクラスになることもなく中学二年生迄過ごしていた。ずっと長い間、お互い名前と顔はずっと知ってるという名前のないスカスカな関係だった。しかし、真智にとってはそれで良かったのだ。自分よりもガタイも態度もでかい不良と仲良くなってなんになる。それはただの舎弟だろ。なるべく関係ないよう関係ないよう遠回しな関係を気づいてきたと言うのに。それだけの関係をぶち壊した蓮華を真智は憎み、福太郎は彼を崇めるほど感謝をしている。
それからスムーズに仲良くなったかと言われると、疑問は残る。押し付けられた当初、真智は福太郎に不良ならボコボコにされてそのままでは決して済まさない。仕返しを必ずするはずだと大いに期待を抱いていたのだったが、どうも蓮華に殴られた場所が悪かったのか後遺症のせいで兄のパシリのようになってしまった元不良に真智は二度と希望を抱くことをすっかりあきらめてしまった。それが良かったのか、兄から始まった二人の相性は悪くなく今日まで悪友のような、いや腐れ縁のような関係が続いているのだが、どうやらお互いがお互いに親友だとは思っていないようだ。
「ノリの悪いやつだな。人助け断る奴は地獄に落ちろ」
「死んだ後もお前と顔を合わせるってこと? なに。ボクのストーカーなの? 迷惑な話だね」
「俺は今から人を救済するんだよ。お前と一緒にするな。オレは天国で毎日天ぷら刺身定食食って幸せに暮らすんだ。お前は一生地獄で泥水啜ってろや」
「地獄に泥水あるの? 雨降らないんじゃないの? そもそも、人を救済するねぇ……。お前が? どうやって? お前にあるのは時間だけじゃないか」
「それを今から考えるために福太郎を呼んだんだよ。今回は半分詐欺じゃない。文字通り、まっとうな人助けだ。ただし普通の奴じゃない。お前に頼みたいのは、心霊絡みの事件だらだよ」
だが、福太郎は乗る気ではないようだ。ここでごねても意味はない。
違うアプローチを考えようとした真智の手を、不意に福太郎が掴んだ。
「え」
「……真智、茶化して悪かったね」
突然の謝罪。
「お?」
これはまさか?
「話を詳しく聞かせてくれ」
福太郎の目がより細くなってキツネのように意地悪く曲がっていく。
「心霊? 人が不幸になってくの? それとも、人を不幸にしたくて堪らなくなっちゃった人間が、お化けになっちゃった話かな? どれでもいいよ。ついでに人助けもできるなんて、気前がいいね。これは面白い話が聞けそうだ」
どうやら心霊ネタがなによりも大好きなキツネが釣れたらしい。
「顔のない女の写真が五枚、依頼者のベッドの裏に貼られていた」
福太郎は真智の携帯でその画像を見ながら、うーんと呟く。
「こんな呪いの方法、聞いたことはないね」
福太郎は大のオカルトマニアである。趣味は都市伝説、呪術、果ては純粋な怖い話が書き込まれてるサイト巡りとサイクリングがてらの心霊スポット巡りという筋金入りだ。
だからこそ、今回の事件にうってつけの助っ人だと思って真智は福太郎に声をかけたのだが……。
「知らないってことか?」
まさか、そんな福太郎でも知らないとは。
「顔のない写真って、聞く分や見る分には確かに怖いけど呪いとしては余り効果もなく価値もないに近いアイテムなんだよ。こうやって自分で顔を切り取るだなんて、呪いとしての価値を何故か呪う側が自分で低くしている行為と言ってもいい」
どうやら、一般人が聞いことがない理屈を福太郎は知っているらしい。
「どういうことだ?」
勿論、いくら寺の子だとは言え真智にも福太郎の言いたいことがさっぱりわからなかった。
「まず、今回の呪いって誰を呪っていると真智は考えている?」
「依頼者だろ? その写真をアイテムだと仮定するなら、呪ってやりたい人間側に呪いのアイテムを置くべきだろ」
「そうだね。同意見だ。では、この呪いの写真の役割はなに?」
「呪いのアイテム?」
「呪いのアイテムってのは、それ自体が呪われたなにかということが多い。しかし、今回はただのコピー用紙だ。この紙が呪われているとは思えない。だとすると、呪いのアイテムと言ってもこれは呪いの儀式に必要なアイテムってことになる」
ふと、一つの答えが真智の脳裏によぎった。
「生贄ってこと?」
「そうだね。それが一番正解に近い正解だと思う。おそらくこの写真たちは依頼者を呪うために呪いの儀式を行う生贄ってこと。と、なると、顔がくり抜かれているのはおかしいんだよ」
「何で?」
何度でも思うが、ただの写真よりも顔がない方が気味の悪さが上がり呪いの効果が爆上がりそうなのに。一体何がおかしいのか。
「生贄を細切れにして供える儀式なんて早々ないだろ。神様にでもその姿のまま供えてる。それは、生贄はそのままの姿だからこそ価値があるからなだ。そのままの姿ってことは、人間である証でもある。逆にそれを隠したがるものだとバレないように生贄の首を切り取ったり、仮面をつけたり今回みたいにするんだけど、今回は人間じゃないか。生贄の中でも人間ってのは一番高い価値をもつ。下手に体をくり抜かれていたら人間として疑われてしまう。そうなると、生贄の価値はぐっと下がるんだ」
「なるほど……」
「まあ、これは一般論だけどね。どっかの小さな集落の小さな伝統とかだったらわからない。けど、現代人がいざやろうとお手本するネットの情報や本の情報でも代役はあれど顔を切り取りましょうなんて記載はまずないと思うよ。顔がないなんて特にね。さっきも言ったけど、力を貸してくれる悪魔や霊が人間だと判断がつかないから」
「だとすると、これは呪いじゃない可能性があるってことか?」
もしかして、犯人は違う目的を持っている?
「いや、それはないんじゃない? これ、どう見ても呪いでしょ。普通に他の目的でこんなことしてたら普通に怖いだけじゃないか」
まるで異常者を見るような目で、福太郎は真智を見る。真智がやったわけではないと言うのに。
「この西木野さんって女性が今日トップニュースになっていた被害者の人なんだね。中々珍しい名前だし、多分本人かな」
「ああ。年齢は二十八歳だって」
「ということは、この写真は十年ぐらい前の写真なんだ。益々謎が深まるな。普通生贄だったら今に近い写真を用意すると思うんだけどね」
「手に入らなかったとか?」
「それならなら違う人を使う選択肢をなぜ取らなかったか、どこかに理由があるんだろうね。……あれ? これ、五枚の写真にのに八枚画像があるって表示されてるけどなんで?」
「依頼者が間違えて同じ写真をあげたんだよ。ほら」
画面の中で写真を捲ると同じ写真がまた出てきた。
昼のオンラインの様子を見ている真智の中では、あの依頼者なら不思議ではないミスであると思っている。
「なんか依頼者はポヤポヤした奴でさ、俺、最初はこの呪いをさ、女関係の憎愛末の呪いだと思てたんだけど、これ違うなって思ってさ」
「ポヤポヤ?」
わかるような、わからないうな真智の擬音に思わず福太郎は苦笑する。
「なんだよ」
「いや、あまり人を表すのに聞かない擬音だなって思って」
どんな状態なんだと福太郎が呆れた顔をする。
しかし、真智にとってはそれ以外の表現が思いつかないし、しっくりこない。
「あー。そうだな。なんか金持ちのボンボンを絵に描いたような感じ」
「えっ。依頼は金持ちなの?」
「あの聖協病院の次男坊だってさ。今、隣の市で一人暮らししなが法学部で大学生してる」
「はー。温室で花咲いてそうな感じってこと? なんなとなくわかるよ。成程ね。随分と違場な依頼者だけど……、話を聞いてる分には恨みなんてかわなさそうだよね。穏やかでそれほど物力とかもなさそうだし」
「今日オンラインで話したけど、欲自体なさそうなタイプだな」
「確かにそんな人相なら恋人以外にトラブルがなさそうだ。あっても周りが仲介しくれるだろうから本人まで届かない。けど、君の言い分だと恋人トラブルでもなさそうだとボクは思うけど?」
「ああ。本人言葉を信じるだけなら、恋人がいた期間と写真が貼られていた期間が一致しない」
真智は箱壷と話した内容を全て福太郎に伝えた。
「なるほどね……。今の時点では、情報が少なすぎる。僕の知識だって万物に及んでいるわけじゃないし、ネットの世界は有限だけどちっぽけな一人の人間にとっては無限だ。僕が知らないの呪いの情報があるかもしれない。他にヒントになりそうなものはないのかい?」
「あとは、西木野蛍以外に名前がわかりそうなやつを探してみるとか? 依頼者が知らないだけで、本当は西木野蛍となんらかの関係性があったかもしれないだろ? 例えば、この一木って名前のやつを介してネット上でつながっていたとか」
「なるほど。本名を知らないパターンってことね。あり得るね。真智にしては冴えてるじゃないか。彼女の下の前は?」
「一々余分な一言がうるせぇんだよ、お前は。えっと名前は、秘密の密に蜜柑の柑? なんて読むんだ?」
下半分が切られた状態では、縦に密着している漢字をあてるのはやや難しい。
「ちょっと貸してごらんよ」
「あ、おい今俺が見てるだろうが……っ」
「アホがどれだけ見てても意味ないんだよ……っ」
「何だと……っ?」
そう真智の携帯を二人で取り合いしていると偶然にも画像を長押しした真智の指が、添付画像ファイル一覧と書かれメニューを押してしまう。
一覧に表示されたのは全八枚の添付された画像たち。
「え」
「なんだこれ」
そこには、五枚の顔のない写真と、二枚同じ西木野蛍の写真と、最後に一枚。
おそらく紙の大きさから写真をコピーした紙の裏なのだろう。その裏にびっしりと書かれた
ウゴベサチゲ
ソチコジカワ
ヒイハフイム
の文字たち。
どうやら間違えて送られてきたのには間の二枚だけで、最後の一枚は違ったらしい。てっきり最後も同じようにミスなのだろうと決めつけて表示しなかった真智のミスなのだが、これは少しばかり仕方がないのではないだろうか。
「ウゴベサチゲ、ソチコジカワ、ヒイハフイム? なんだこれ。呪いの呪文か? 仏教でも聞いたことがない類の文字配列だな。」
「呪いの呪文かはわからないけど、恐らくここに載ってるということは、呪いに必要な文字なんだろうね。しかし、ボクもどれも聞いたことはないな。似た言葉だって浮かばないよ。どこの国の言葉なんたろ。ちょっと調べてみるか」
そう言って、福太郎は真智のパソコンで呪文の一部を検索するが……。
「なにもヒットしないね」
パソコンの画面には、関連する情報が何も表示されなかった。
「そんなことあるのかよ」
こんなデータの海で、一度も出てこない言葉たち。
「考えられるとするなら、これが自作の呪いかもしれないってことかな。まれに自分で作ったオリジナル呪いなる呪い方法を編み出す人もいるけど……。それにしては手順が少ないように見えるしな……」
「なんで? 自分で作るなら楽な方がいいじゃん」
単純明快な真智が口を挟む。
その能天気にも似た楽天主義に思わず福太郎はこの世の最たる掃き溜めを見るような目を向けた。
「逆だよ。その行為の価値を高めるために、人は多くの手順をいれてコストを高くするんだ。例えば同じ効果のある風邪薬だって、百円と五百円と千円のものだったら高い方を買う。そっちの方が効果があるはずだ、高いものに高い効果だと思う心理が働くからだ。呪いだってそれと同じでコストが高ければ効果も高いと思われている節がある」
「はっ。馬鹿だな、人間って」
何と愚かしい発想なのかと、真智は鼻で笑った。
まるで自分だけは違うと言うように。
「お前もその一人だけどね。しかし、呪いがヒットしないとなると今手間をかけても探す方法はないね。この画像送ってくれれば、一応僕の仲間たちにも聞いておくよ」
「わかった」
福太郎の言う友達とは、おそらく他のオカルトマニアたちなのだろう。
「とりあえず、写真の女の子の名前を調べてみよう。一木なのは、間違いないか。名前が……」
「秘密の密に、蜜柑の柑」
「……いや、だから画像見せて見ろよ。それ普通に考えたら蜜柑だから」
「猫や犬の名前じゃいなんだぞ? そんな食べ物や花の名前なんて付けるかよ」
「お前のお兄さん、蓮華って名前じゃん」
「……じゃ、蜜柑で」
「思い込みよくないよ。うちの客にも林檎ちゃんやひまわりちゃんって名前の子がいるよ? 可愛い名前じゃないか。お前は辺なところで頭が古いよね」
「うるせぇ」
「とりあえず、名前で検索して……、お。出てきたよ」
ディスプレイには、一木蜜柑のSNSのリンクが出てきた。
珍しい名前なのか、検索でヒットする件数も少なめである。
「これが蜜柑ちゃんね」
リンク先を押すと、彼女の自己紹介ページが出てくる。そこには、食べるのとショッピングと映画と見るのが大好きと絵文字を交えてカラフルに、そしてかわいらしく書かれていた。
アイコンに映っているのは恐らく本人の写真なのだろう。なんとも素朴な可愛らしい顔をしているではないか。歳はまだ高校生ぐらいだろうか。
「自撮りも映ってるし、本人で間違いなさそうかな」
「だな。ほら、首のほくろの位置も一緒だ。本名載せるってすごいな、最近の子は」
昔はネットに名前が載るなんて命とりだと騒がれていたというのに。いつの間にそんな時代が通り過ぎてしまったのか。
「この子、何処に住んでるんだ?」
「さすがに住所とかは載ってないね。こう言う場合は、アップされた画像とかで地道に割り出す他なさそうだ」
「探偵じゃないんだぞ? 素人にそんなこと出来るか」
「なら些か怪しいけど、DМを送って聞いてみるしか……」
ふと、福太郎の手が止まる。
「どうした?」
動かない福太郎を不思議に思いのぞき込むと、福太郎は画面を指さしている。
一体、そこになにが?
「あ」
福太郎が示す彼女の投稿を見て、真智は声をあげた。
それは彼女の最新の投稿で、日付は今日から三か月程前。
蜜柑と仲良くしていただいた皆様へ。蜜柑に変り、母がこのメッセージを打っています。蜜柑は〇月〇日の夜に家族に見守られ旅立ちました。娘と仲良くしてくれてありがとうございました。蜜柑も幸せだったと思います。
と書かれた最後のメッセージ。
「死んで、る?」
西木野蛍に続き、一木蜜柑までもが?
「本当に呪いが……」
あるのではないか?
こんなことが立て続けに……。
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