224 鎧の下に隠された絆


 *    *    *    *


 ――カディン邸 ダイニング


 豪奢な食卓に豪華な昼餉が並んでいたが、ロランの心はそこにあらずだった。

 眼前の料理も、この後に待ち受けるダンジョンツアーのことを思うと、まるで砂を噛むように味気なく感じられる。


 強化服も銃器も持たずに、浅層とはいえ、未知のダンジョンに足を踏み入れねばならない。

 幸いにも、コスタンとラクモから盾術、剣術、槍術、体術の技を伝授され、魔物と対峙するための戦技は身に付けている。

 これならば、ボロを出さずに等級2に相応しい立ち回りができるはずだ。

 しかし、ファーニャをケアしつつ、満足のいく冒険を提供し、予測不能な事態にまで対処できるかどうか、不安は尽きない。


 エリクシルの支援があるとはいえ、簡単な依頼ではないことは確かだ。

 目の前に立ちはだかる試練を、彼女と共に乗り越えるためには、全力を尽くすしかない。


 ロランは己を奮い立たせるべく、エリクシルとの通信に没頭した。


「……ファーニャ、食事の時くらいは鎧を脱がないか」


 カディンの重々しい声が響き、ロランはハッと我に返った

 目の前では、カディンと娘のファーニャが軽い口論を始めていた。


「あら、お父様、冒険者は防具を着たまま食事を摂るものですよ」


 ファーニャは鎧を纏ったまま、器用に食事を進めている。

 その洗練された所作から、彼女がいかに高度な教育を受けてきたかがうかがえる。


「……それに、ロランさんだって、ね」

「ロランさんは客人だ。私はお前が客人をもてなす立場にいながら、無礼を働いていることを言っている」


 ロランはその場の空気が重くなるのを感じ、食事の手を止めた。


《喧嘩するだけ、仲が良いんだろうけどなぁ……》

{{…………}}


 正直なところ、一介の冒険者が豪商の家族問題に口を挟むなど、できるはずもない。

 ただ、静かに成り行きを見守るしかないのだ。


「ロランさん、あなたはどうお考えですか?」

「ぶふーーっ!」


 突然の問いかけに、ロランは食事を噴き出した。


{{汚い!}}

《だって……》


「ファーニャ! 滅多なことを聞くでない!」

《ほんとだよっ!》


 カディンの声が鋭く響き、給仕たちの動きもぴりっと引き締まる。

 ダイニングの空気は一瞬で凍りついた。


 ロランは思わず緊張し、ファーニャもまた、父の鋭い声にわずかに身を縮めた。

 しかし、その瞳には揺るがぬ意思が宿っていた。


 答えろ冒険者、という圧を感じる。


{{……ロラン、慎重に。双方の立場を理解したうえで調和を取るのです}}


 ロランはエリクシルの助言を受けつつも、二人の緊張したやり取りにどう介入すべきか迷った。

 だが、心の中に眠る痛みがふと蘇り、彼は思い切って口を開いた。


「……俺はふたりのことが羨ましく感じます」


 ロランの声は静かだったが、その一言は重く響いた。

 彼は一度言葉を切り、ファーニャの訝しむ視線と、カディンの期待するような眼差しを感じつつ、過去の悲しい記憶を呼び起こした。


「俺はもう、家族とこうして言い合うことができませんから……。両親や妹を失って以来、家族の存在がどれほど貴重なものかを痛感しています」


 ロランの瞳には、遠い記憶が蘇るような色が浮かんだ。

 彼が家族を語るたび、その声には深い悲しみと、同時に家族という絆の尊さがにじみ出る。


「だから、こうしてお二人が家族としての絆を持ち続けていることが、とても大切に思えます」


 カディンとファーニャは、しばらくの間、言葉を失い、ロランを見つめていた。

 彼の言葉は、些末な口論の表面的な事柄への言及を避け、家族の絆という話題へ転換していた。


{{お見事です!}}


 ファーニャは思うことがあるのか、一瞬、顔に影が差したように見える。

 カディンは深く息をつき、瞳を閉じてから再び開いた。

 先ほどまでの厳しい表情が和らぐと、重々しい声で答える。


「ロランさん、あなたの言葉は重い。家族というのは、時にぶつかり合うものだが、その絆は何よりも強くあらねばならない。私が今、こうして怒っているのも、ファーニャのことを思ってのこと」

「……えぇ、わかっていますよ」


 ファーニャは硬く口を結び、ロランが代わりに肯定する。


「ロランさんに免じて、私もこれ以上は言わないことにしよう。ただし、ファーニャ、覚えておけ。冒険者である前に、お前はこの家の、私の娘だということを」

「……わかっています。お父様」


 彼女の声は静かだったが、その瞳の奥には、何かを秘めた光が宿っていた。


 食事が終わり、ダイニングの空気も次第に和んできた。

 ロランはファーニャの横顔を見たが、彼女はすでに別の場所に視線を向けていた。


 彼女の心の中に何が残っているのか、それはわからない。


 ロランは視線を外し、これからの面倒な仕事に思いを巡らせる。


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