121 深い森の中で★
「…………ランくん! ………………!! ロ………………ん!」
(叫んでいるのか……? 良く聞こ、えな、い……)
* * * *
「毒…………の丸……は!?」
「……ぶ……船!」
「こ…………急…………戻……ね……!」
* * * *
{何…………った…………す……!?}
「毒…………!」
{バ……ク…………い……運ん………………さい! コ……タン……ん……転でき…………か!?}
「私……っ!? ……い……、や……ま……!」
* * * *
{医…………ッドに乗…………くだ…………! 処置……開………………す!}
* * * *
――――惑星イスルギン、ロデロン国、某国立公園のとある猟期
深緑の森の中、さわさわとモミの木が音を奏でている。
ハンティングハットを被った精悍な顔の男が、朽ちた木に座る少年の眼を診ていた。
「どうだ、治まったか」
歳は40代半ばだろうか、低く落ち着いた声で尋ねた。
「はい、だいぶ……」
まだ幼い顔つきの少年が、真っ赤に充血した目を瞬かせている。
顔だけを見れば10歳前後だろうか。体格からは青年といった印象を受ける。
「薬が効いたな。……
そう言いながら男は薬品ポーチに目薬をしまった。
「はい」
「もう少し休んでから続けよう。それと、
「あんな気持ち悪いものの巣だとは思わなくて……」
少年は心底気持ち悪そうに身震いした。
「綺麗で人目を引くからな」
* * * *
「この銃で鹿を撃つのにどこを狙う」
男が少年に問う。
「心臓を狙います」
「理由は」
「ソフトポイント弾では頭蓋骨を貫通できない可能性が高いからです」
少年はライフルにソフトポイント弾を装填しながら答える。
「肉を手に入れたいときはどうする」
「……頸部を狙います」
「そうだな」
男は表情を変えずに答える。
「……
「……はい」
少年は数歩進んだ先でしゃがみ込み、小枝で地面をつつく。
落ち葉や小枝に隠れてわずかに土が窪みがあり、よく見れば1対の蹄だとわかる。
「獲物の大きさは」
「蹄が10センチちょっとなのでもう大人です。2歳頃だと思います」
「どう見た」
「土はやや湿り気が出ていますが、踏み抜かれてからまだあまり時間は経っていません」
「どれくらいの時間だ」
「……恐らく1時間くらい前だと思います」
「否、30分だ。その先の足跡を見てみなさい」
男が2メートルほど離れた場所を指し示す。
少年は移動し地面の状態を確認する。
「はい、こっちは乾燥しています……。それに踏み潰された草もまだ新しい。さっきの場所では、なにかに気を取られてじっとしていたのでしょうか……」
「そうだ。ロラン、追跡では視野を広く持ちなさい。ひとつのことに囚われてはならない。折れ木や幹、地面に水辺、周囲の地形全てから情報を集めて判断を下すのだ」
「……わかりました。父さん」
* * * *
――――忍び猟の最中。
父親がロランに向かって口元に一本指を立てている。
次いで言葉の代わりに、複数のジェスチャーで内容を伝えた。
2時の方向、150メートル先に牡鹿が1体、ロラン、お前が仕留めろ、できるな?
ロランはジェスチャーで「できます」と応えた。
彼は地面に座り込み、大きなライフルのストックを肩に当て、スコープを覗き込む。
目の前には木々の間で草を食む鹿が立っている。
まだ彼らの存在に気付いていないようだ。
ロランは葉や小枝の軽い揺れを読み取る。
揺れ幅は大きくなく、比較的穏やかな風だ。
(目標約150メートル、右に向かって風速およそ2メートル。そんなに影響はない)
鹿は真横を向いている。撃つには絶好のチャンスだ。
心臓を狙うなら身体から肋骨の位置を想像し、前肘から少し後ろに狙いをつける。
ただし心臓を破壊すると血抜きの効率が悪くなるから、肉の質も落ちる。
今回は肉も獲るから、狙うのは頸部の脊髄だ。
頭部のやや後ろから首元にかけての間を狙う。
深く息を吸い込んで、全身を3秒間止める。
そしてトリガーをゆっくりと引く。
銃は大きな反動を伴い、ロランの上腕が跳ね上げられる。
銃声が鳴り響き、それに驚いた鳥が飛び立つ音が聞こえる。
その余響はしばらくの間、空気を振動させ続けた。
「……よくやった」
父親がスポッタースコープを覗きながら深く頷いている。
ロランは喜びを噛み締めながら、ゆっくりと林の中を進んだ。
朝露に濡れた草が靴に触れる度、小さな音を立てる。
森は静寂に包まれ、先ほどまでの銃声が嘘のようだ。
空は薄灰色で、朝の光が木々の間から斑点のように地面を照らしている。
ロランの心臓の鼓動だけが、この静けさの中で異様に大きく響く。
目の前には、見事に仕留められた鹿が横たわっている。
立派な牡鹿だ。体長150センチはあるだろう。
その毛皮は朝日に輝き、まるで生きているかのように見えるが、静寂がその死を告げていた。
父親は膝をつくと手を伸ばし、鹿の瞳を閉じる。
その瞳は空っぽで、かつての野生の輝きはもうない。
一瞬の敬意を表し、父親は立ち上がる。
「脊髄を破壊している。ショックで気絶し苦しむこともなかっただろう」
父親は手を合わせると、ロランも真似た。
「大地の恵みに感謝を、この魂が安らかに旅立てるように」
ロランが繰り返す。
静かな森の一角で、父親は慣れた手つきで鹿を大きな木に吊るした。
朝の光がわずかに差し込む中、ロープは軋むような音を立て、重い体をしっかりと支える。
父親は一息つき、青白い刀身のナイフを取り出した。
その刃は、まるで周囲の静寂を切り裂くかのように一瞬光った。
血が滴り落ち始める。
初めは細い一筋であった血の流れが、やがて定まったリズムを見つけるかのように、地面に小さな音を立てながら落ち続ける。
滴る血は、生命がこの体から徐々に離れていく様子を静かに物語っていた。
地面には血の滴が小さな赤い花を咲かせるように広がり、鹿とこの地との間の深い結びつきを示しているかのようだった。
ロランはその光景に言葉を失う。
こうして得られた命は、決して軽んじてはならないものだという教訓を、自然が再び彼に教えているのだ。
「血を抜いたらどうする」
「川に運んで泥や土を洗い流します。それから内臓を取ってから冷やします。そして皮を剥いで解体します」
「よろしい」
* * * *
小川のそばでキャンプを設営する。
当然ながら、ロランだけで解体するのは難しい。
父親の補助を受けながら、解体の工程を進める。
一通り解体したところで、離れた場所に掘った穴に臓物や骨を埋め、肉の調理に取り掛かる。
日がだいぶ落ちてきた森の中の天幕のそばで、焚火がパチパチと音を立てている。
焚火は良い。ずっと眺めていられる。柔らかな火の光が身体も心も温めてゆく。
父親は焚火の上にグリルスタンドとフライパンを置く。
そして油を引いて、煙が立ちのぼる中で鹿肉を焼き始める。
ジュッと甘美な音色が立ち上がる。
その隣にはコーヒーの入ったヤカンが置かれる。
鹿肉は、焼き目がつくまでじっくりと焼き上げられる。
「鹿は背中の肉が最も美味い」
父親は鹿肉のステーキに塩といくつかの香辛料を振りかけ、皿に盛ってロランに手渡す。
「いただきます」
「常に感謝を忘れぬことだ」
ロランは受け取ると膝の上に皿を置いて器用にナイフとフォークで食べ始める。
言葉を忘れて鹿肉のロースを堪能していると父親が尋ねる。
「美味しいか」
「はい、とても美味しい。アニエスにも食べさせてあげたい」
ロランの言葉が僅かに砕ける。
鹿肉は熟成に時間をかけた方がもちろん美味い。
しかし新鮮な物を弱火でじっくりと火を通したものも味わい深いのだ。
「あぁ、肉はたっぷりある。アニエスと母さんの分もな」
父親はヤカンからコップにドロドロとしたコーヒーを並々と注ぐ。
そしてコーヒーに角砂糖がひとつ放り込まれる。
ロランはそのタールのようなコーヒーの香りは好きだったが、その見た目から決して飲もうとはしなかった。
父親はコーヒーを飲みながら鹿肉を味わう。
その精悍な顔つきの頬から笑みがわずかに零れる。
(父さんは、よくこんな時に笑うな……)
父はあまり感情を表には出さない。
故にロランはそんな父の笑顔を忘れたことはない。
父親の視線がロランに移される。
何かを話しているようだが……。
聞き取れない。
あぁ、それにしても鹿肉が美味い。
噛めば噛むほどにその旨味が広がる。
……まだ目に違和感がある。
毒には気を付けねぇと……。
* * * *
――――――――――――――――
父親。
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