第124話 夢中朦朧~竜神の秘奥世界~
世界大会本戦が終わって2か月とちょっと。
真夏。
しかし、ここでは強烈な夏の日差しもセミの声も聞こえはしない。
「ようこそ、レンゲ。この"竜神の秘奥世界"へ」
「……え?」
いつの間にか、私は山の高所のような、霧深く寒いくらいの場所に居た。
そして私の目の前にあった崩れかけの大きな遺跡に鎮座しているのは、白くモサっとした
「私、いつの間にこんなところへ……?」
「レンゲ、今のおまえは夢を見ている状態だ」
「私の、夢?」
「そうだ。現実世界は早朝。おまえはまだ部屋でひとり眠っている。ワシは、おまえの心象世界に我々の秘奥世界を投影しているに過ぎない」
説明は、よくわからない。
夢の中でも私の頭は良くなったりしないらしい。
……とにかく、私自身がどこか別の場所に連れてこられたってわけじゃない……ってことだよね? たぶん。
「さて、まずは名乗らねばな」
白髭ドラゴンは背筋をピンと張って私を見下ろしてくる。
「ワシの名は"ヤト"。この地に根を下ろす神の一柱である。レンゲ、おまえには愚息がいつも世話になっているな」
「ぐそく?」
「ワシの息子だ。おぉい、"アマアラシ"。おいで」
ヤトと名乗ったドラゴンがそう声をかけると、霧の中からヌルっと姿を現したのは細長い蛇のような姿かたちをしたドラゴン。
「あっ、竜太郎っ!?」
そう、それは私が幼いころに召喚し、そしてつい昨年も魔術練習の際に誤って呼び寄せてしまったドラゴンだ。
私はその子に、竜太郎という名前を付けていた。
「うむ。レンゲ、おまえは息子を"竜太郎"と呼んでいたのだったな」
竜太郎は身をクネらせたかと思うと、再び霧の中へと消えていった。
「……すまないな。息子は照れ屋なんだ」
「は、はぁ」
というか、よかったのかな?
アマアラシって名前があったのに、勝手に竜太郎にしちゃって……。
もしかして、そのことに怒ってヤトさんはやってきたのだろうか?
「あの、このたびは竜太郎さんを勝手に召喚してしまっていて、すみませんでした」
「構わん。我々の一族はもともと呼び寄せられる役目を持つ存在だ」
「そうなんですか?」
「そうなのだ。夜や死が必要ならばワシが、田畑に雷雨が必要ならば竜太郎がな。しかし、現世の地に我々が呼び寄せられたのはおよそ1800年ぶりのこと。なんとも嬉しいことよ」
「へー……そうだったんですね。それならよかったです」
どうやら私がいろいろと勝手をしたことに対して、気を悪くしている様子はないみたいだ。
ホッとする。
……あれ? でもじゃあ、お叱りを受けないなら、なんでヤトさんは私に会いにきたのだろう?
「当然、用事は他にある」
私の心を読んだように、ヤトさんは私を指す。
「レンゲ、おまえは偶然にも竜太郎を呼び寄せるに至った、いわば竜の巫女だ」
「お巫女さん、ですか」
「うむ。竜の巫女には竜の庇護を与えるものだ。我々は地上が悪霊に困っているなら鎮魂の力を、増水に困っているなら治水の力を与えてきた。そして今、地上は再び困難を抱えている」
「えっと……それってもしかして、ダンジョンのことですか?」
ゆっくり、そして深く、ヤトさんは頷いた。
「異世界より来たりし神の戯れにより、地上は再び混沌に満ちようとしている。レンゲ、今こそおまえに"
「とうじん……」
「その読み方の通り、神を討つ英雄の力だ」
そう言うと、ヤトさんは太い指を私の頭に載せた。
「ただただ受け入れよ。我が力を。目が覚めればおまえの内に、大いなる力が宿ることになる」
「は、はい」
しだいに、ヤトさんの指の腹から熱のようなものが伝わってくる。
温めたタオルを頭の上に載せている感覚だ。
その熱は私の胸の奥へと流れ込んできて、そして──
──何も起こらず頭の上へと還っていった。
「……アレ?」
ヤトさんが首を傾げた。
「ワシの力が定着しないんだが? アレ?」
ぐりぐりぐり。
ヤトさんが指の腹を私の頭にこすりつけるようにしてくるが、しかし何も起こらない。
ヤトさんから流れてくる熱は私の頭と胸の奥を循環するだけだった。
「いや、違う……ワシの力が、竜神の力が"押し負け"ているのか……!?」
「え、えっと?」
「すでに英雄以上の力を、いやそれどころか、竜神をも凌駕する力をその内に宿しているとでも言うのか……!?」
「あのー?」
「想定外だ。うぅむ、この場合はどうすべきだ……? ちょっと考える時間をくれ……」
「え?」
ヤトさんがそう言うやいなや、次第に辺りの霧が深くなっていく。
「えっ、えぇっ? ヤトさーんっ?」
ヤトさんが見えなくなった。
山奥にひとりぼっちで残されたような寂しさだ。
思わず辺りを見渡す。
すると、ひょこり。
深い霧の中から何かが突き出してくる。
「あ、竜太郎っ!」
それは竜太郎の首から少し先にかけての顔だった。
その綺麗な竜の瞳で、物言わずこちらをジッと見つめてきた。
まるで私を見守るように。
* * *
「──う、うぅん……」
ピピピピピ、という目覚まし時計の音で目が覚める。
ショボショボする目を開くと、部屋は薄明るい。
どうやら朝のようだった。
「まだ、眠いよぅ……」
ゴロン、寝返りを打つ。
再び目をつむる。
……なーんか、夢を見ていたような気がするなぁ。でもさっぱり覚えてないや……誰かとお話していた気はするんだけど……。
ピピピピピ。
目覚まし時計が鳴り続けている。
……今日はお仕事だったっけ? でも、清掃作業は昨日行ったし、だから今日はリウが行く日だった気がする。じゃあ、私は……?
……。
……。
…………あ。
「あっ!!!」
ガバリ、掛布団をはねのけて起きる。
そうだ、今日は……大事な日じゃないか!
「じっ、時間はっ!?」
時計の針が指している時刻は8時5分。
「あっ、あぁっ! 準備しないとマズいっ!」
私は急ぎ身支度を整えて部屋を出る。
ナズナの姿は見えない。
どうやら先にどこかに出かけているらしい。
私はリウを叩き起こして、食パンを焼き、顔を洗い、寝癖を直し、食パンを食べ、そして荷物の準備をする。
忘れ物がないかを入念に確認する。
「おっと、危ない。これは持って行かないと」
私は案内図の書かれたその"しおり"を手に取った。
【日本ダンジョン高等専門学校 前期入学試験 試験官のしおり】
それを私は折れないよう、丁寧に鞄へと入れた。
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