第113話 世界大会本戦当日 その2

気付けば寝落ちた瞬間に"はんばーがー"に顔面を突っ込んでしまっていて、顔全体がケチャップだらけになってしまっていた。



「もう、本当に世話が焼けるわね」



ゴシゴシゴシ。

ナズナに顔面を拭かれる。

パシャパシャとそんな様子を周囲のお客さんに"すまほ"で撮影されてしまう。


え、こんな赤ちゃん扱いされてるみっともないところを……?




「──はいはーい、撮影禁止ですよー。解散解散っ!」




そんなお客さんの集団を割るようにして現れたのはAKIHOさん。

身振り手振りで撮影禁止を訴えて集まっていた人たちを散らすと、



「もう、こんなとこに居たのね? 会場への入場が始まったわよ」


「え、じゃあ急がなきゃ」



モガモガ、"はんばーがー"を急いで食べ進めて"こーら"で流し込む。



「まあ観客席の入場だけどね。選手の集合はまだでしょうからそこまで急がなくてもいいと思うわよ。ただ施設長とフェイフェイ、シャンシャンちゃんたちは先に入ったわ。本戦開始前に会いたいなら今のうちよ」


「うん、ありがとうAKIHOさん」



AKIHOさんはそれだけ告げると先に店を出て行く。



「どうするの、お姉ちゃん?」


「うーん」



どうしよう?

会っておくべき……なんだろうか?



私は悩みつつ"はんばーがー"を完食すると、目隠しをして店を出る。



ナズナに手を引かれて町を歩く。

私の目に英語は毒だからだ。



「はい。右足から1、2、1、2……」


「あめりかは歩くのが難しいね」


「お姉ちゃんに限ってはね」


「そうだね……」


「……あのさ、お姉ちゃん」



歩きながら、ナズナは不意に振り向いた (気配でわかる)。



「もしかしてまた考えてる? 例の教員についてのこと」


「……うん、ちょっと」



施設長に会うと、最近はいつもそのことについて考えてしまう。


私はダンジョン管理施設で働くのが好きだ。

だからこのまま清掃業を続けたいと思っている。


施設長もまた、私が好きなようにすべきと言ってくれている。


なら、きっと今のままでいいはずなんだろうけど……。



「なんだろう。なんかモヤモヤするんだよね。どこか良くないような……自分でもその気持ちがどこから来ているのか分からないんだけど」


「……そっか」



ナズナはそれについて、特に何も言ったりはしない。

これまでもそうだった。

けれど、



「お姉ちゃん、ちょっと目隠しとイヤホン取ってみましょうか」


「えっ?」



唐突に、そんな提案をナズナがする。

でも、それじゃあ私、寝ちゃうのでは……

なんて考えているうちに、



「えいっ」


「あぁっ!?」



ナズナに目隠しも"いやほん"も取られてしまう。

マズいっ!

私、町の往来で倒れて救急車呼ばれちゃう──!?




「──おおっ、やっぱり本物のRENGEだ!」




聞こえたのは、日本語。




「──RENGE、がんばれよなっ!」


「──本戦楽しみにしてるよ!」


「──気負わなくていいから、今日も気持ちのいいRENGEの走りを見せてくれー!」




聞こえてくるのは日本語の声援ばかり。

私の周囲を、大勢の日本人が囲んでいた。



「えっ、なにこれ……どういう状況っ!?」


「みんなきっと、お姉ちゃんの応援のために現地まで駆けつけてくれた人たちね」



なぜかナズナが自慢げに胸を張っていた。



「お姉ちゃんが世間に知られてから半年以上。だいぶファンが増えたわよね」


「それにしたって、こんなに大勢あめりかにまで来てくれるなんて……」



リウなんてめんどくさがって留守番なのに。


人々に向かって恐る恐る手を振り返してみると、歓声がひときわ強くなる。

みんな喜んでくれているみたい。



「さ、会場まで歩いていきましょ。この人たちもこれから向かうんだろうし」


「う、うん」



私たちが再び歩き始めると、その周りを大きく囲うようにして日本人旅行者たちも動く。

まるで大勢の護衛を伴っているようだ。


歩いている間も、いろんな人たちが私の"ふぁん"だとか、日本予選前から応援してますとか、"ぐっず"買いましたとか、眠かったら今のうちに寝ておけよとか、ひっきりなしに話しかけてくる。


おかげさまで"あめりか"にいるのにも関わらず英語がまるで届いてこない。



「お姉ちゃん、どう?」


「え? どうって?」


「モヤモヤが少しは晴れた?」


「……うん!」



深く頷いたのは本心からのことだった。

ジワジワと心の底から湧いてくる嬉しさに、今は悩みよりもよっぽど嬉しさが勝っている。



「応援してもらえるって、本当に幸せなことだね」


「そうでしょうね。お姉ちゃんってそういう人だから」


「そういう人?」


「期待には応えたいって純粋な気持ちが持てる人ってこと。勝手に期待を"重荷"にはしないで、純粋に自分の"力"に変えることができる、それがお姉ちゃんだから」


「それって……普通のことじゃないの?」


「過度な期待が負担になって潰れてしまう人だっているもの。でもお姉ちゃんはそんなことにはならない。ただ前だけを見ることができる。どうしてだか分かる?」


「ど、どうして?」



突然の問いに、しかし答えなんか思いつかない。


なんで私が前だけ見ることができるか……

目が後ろにはついて無いから、とか?

いやいや、まさかそんなトンチじゃだろうし。



「答えはね、お姉ちゃんが"ちょっぴりだいぶおバカ"だからよ」


「おバ──っ!?」


「それが短所になることもあるけれど、でも成功した時のことしか考えていないからずっと前向きでマイペースでいられるの」


「……否定は、できないかも」


「別に否定しなくていいじゃない。それはお姉ちゃんの長所の1つよ」



ナズナはそう言って、ビシっと私を指さして、



「だからね、お姉ちゃんの中にモヤモヤが残っているっていうなら、それはきっと"らしくない"ことをしてるからよ」


「……えっ?」


「深く考えて悩んでないで、あの期待にもこの期待にも応えたい、自分がやりたいこともやりたい……理由なんてそれだけでいいんじゃない?」



とても軽いことのようにナズナは言う。

でも、そんな風にやってみて、そのどれもが中途半端になってしまったりしたら失礼じゃないだろうか……

なんて私は考えてしまうんだけど。


そうやって悩んでしまう私をナズナは目を細めて、ジトッと見る。



「やっぱりおバカ」


「えぇっ!?」


「これは鈍感って方面でね。これだけの声援に包まれて、まだそんなところで悩んでるなんて」



ナズナは大げさにやれやれとため息をこぼす。



「施設長やAKIHOさん、FeiShan姉妹、視聴者さん、ついでにリウ……お姉ちゃんのことを好きな人がどれだけいると思っているの。いくらでも助けになってくれるに決まってるじゃない」


「っ!」


「……さ、会場に着いたわよ」



ナズナは私の首に垂れ下がっているイヤホンを取り、



「関係者席はあっちよ。施設長もそこにいる」


「……ナズナは?」


「私はこのお姉ちゃんのファンを解散させておかないと。だから先に行ってて」



スポリ。

私の耳を再び塞いだ。



「ナズナ、ありがとね」



ナズナの頭をヨシヨシとする。

まんざらでもない顔で、それでもシッシとされるのでそれに従って私は走り出す。






* * *






「──施設長、私……やりたいこと、これからやってみたいことを全部やってみようと思うんですっ。清掃業も、配信業も、教育業も……ぜんぶぜんぶっ!」



関係者席に到着するなり、私はそう宣言した。

施設長は目をまん丸にさせたあと、



「──うん。そうかいそうかい」



喉のつっかえが取れたような、そんな明るく朗らかな声と笑みで、



「全部やってみたらいいと思うよ。レンゲちゃんにはまだまだたくさんの未来が待っているんだから」


「はいっ!」


「私も精一杯応援しよう。なんでも相談しなさいね」


「はいっ! ありがとうございます!」



私も、しばらくぶりに施設長の前で心の底から笑えたような気がする。


心はスッキリ。

もうなんの悩みも憂いもない。


さて、と。



「今日は一段と、がんばっちゃうぞ~!」

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