ザーマ極地観測記録

n-1『干渉』

“複製しろ。もっと複製しろ。”

“大地を我らの主人に返すために。”

“星を覆い、星系を覆い、フラクタルの先へたどり着くために。”


 ◆


『ようこそ、いらっしゃいました。ソフィーヤ・アークラス様』


『私はザーマ極地観測隊の定点観測員兼監察官を勤める長弓族の一人、アルシュと申します。……ええ、長弓族は旧くから魔王様に仕えてきた一族──魔族です。我々は人間種と似た容姿を持ちますが、れっきとした魔族ですのでよろしくお願いします』


『早速で申し訳ありませんが、こちらの防護服と防護マスクの装着をお願いします』


『はい、そうです。これらの装備は『極北』の環境から貴方を守るために魔王様が与えたものです。生存の頼みの綱です。決して外さないようにお願いします』


『……『極北』は未だ人類──いえ、人間も魔族も植民できていない未踏の地ですので。その原因は極寒の環境でも、獰猛な原生生物のせいでもありません。──『邪神』。魔王様がそう呼ぶ未知の存在が支配する地なのです』


『ええ、防護服やそのマスクは貴方を守るためのものであると同時に、貴方の遺伝子情報が『邪神』に渡らないためなのです。髪の毛一本、皮膚の欠片一つでも奴らに渡してはなりません』


『これまでの常識は全て捨ててください、ソフィーヤ様。人間と魔族という隔たりも、争いも今は捨ててください』


『これより先は、生存のために全てをかけてください。我々が全力を持って貴方を助けます。貴方も我々のために命をかけてください』


『長弓族、死霊族、無形族。『八族』の三種族が揃っています。ここで、『邪神』を食い止めるのです』


『どうか、ご武運を。──心を強く保って』




 まるで、楽園。

 そう思った。


 極北のサルマートル氷山を抜けて、望んだ先には、ソフィーヤの予想だにしないものが広がっていた。


 一面に広がる、黒い花畑。

 黒色と銀色の結晶が花の形に凝結している。

 結晶の花からは燐光を放つシャボン玉が絶えず発生しており、その空間を埋め尽くしていた。


「……これは」


「急ぎますよ。まだ臨界点には達していません。今のうちに少しでも距離を稼がねば」


 矢じりのような耳を持つ少女が、ソフィーヤに向かって囁いた。



 ルナニア帝国から『邪神の封印するため』として、アンネリース皇帝から魔王軍へ派遣されたソフィーヤは魔族領について間もなく、大型の艦船に連れられて三日ほど海を航行した。


 ついたのは、一面の氷原を湛えた伝説の地──『極北』。魔族領のすぐそばにある、未踏の地だ。


 ザーマ極地観測隊と名乗る魔族の少女から、鉄と滑らかなプラスチックで出来た建物に案内され、酸素ボンベ付きの顔全体を覆うようなマスクを渡され、全身を包み込む服を着せれた。


 そうして、過酷な氷山を抜けた先に現在ソフィーヤはいる。

 三十人ほどの小隊だったが、途中の落盤事故や滑落によって半数は行方不明となっている。残された仲間たちはベースキャンプを設営中だ。

 ソフィーヤとアルシュは偵察をしにきていた。


「目標地点は半年前に連絡を断った第三号基地です。……汚染地域を抜けて、北西に三キロ。そこにあります」


「汚染地域、とは何ですか?」


 アルシュは、眼下に広がる結晶の花を指さした。


「『あれ』があるところが汚染地域です。決して触れないように気をつけてください。取り込まれますよ」


 ソフィーヤは結晶の花を見つめた。黒と銀がまるで海のようにざわめいている。

 アルシュの警告とは裏腹に、それらはとても美しいものに見えた。


「『邪神』は、この星に生きるもの全ての敵です。今はまだ極北にしか領地はありませんが、段々と広がっている現状です。もし極北の地を『邪神』が飛び出せば……その時は、この星に生きる全ての者が生存のために、その身を打って戦うことになるでしょう」


「……それが、魔族がルナニア帝国に助けを求めた理由ですか?」


 ソフィーヤの問いに、アルシュは心底呆れたように鼻息を鳴らした。


「今の世界で、魔王様の心を真に理解しているのがあのアンネリース皇帝だけだからです。皮肉ですよね」


「……」


「あの人たちは、元々同じ方向を向いていたはずなのに、いつから違う道を見ていたんでしょうね……」


 アルシュが寂しげな声を漏らした、その時だった。


 アルシュの背後から駆け寄ってくる足音がした。

 瞬時にアルシュは背中に担いでいた機械仕掛けの弓を引き絞って、相手に向ける。ソフィーヤも剣を半身抜いて、同じように警戒した。


「アルシュ様! 大変です!」


 背後から駆け寄ってきたのは伝令の魔族だった。彼は極北の極寒の地でありながらも、顔全体に汗をびっしょりとかいており、顔色は蒼白だった。


「どうした?」


「三号基地からの生存者が見つかりました……!」


「なんですって?」


「我々が二号基地に到着してから、食料の備蓄を確認していたのですが、計算が合わなくて……調べてみたら、ちょうど一週間前に三号基地から二人ほど避難していたようなんです。彼らは二号基地に匿われていて……」


「定期検査は!?」


「まだ行っていないようでして──」


「チッ! あんの、バカッ!! 私が魔族領に報告している時に、なんて面倒事を……!」


 アルシュは苛立ちに顔を歪ませて、伝令を怒鳴りつけた。


「今すぐ向かうから、二人の生存者とやらを縛りつけておきなさい! 基地の管理責任者を呼び出して! 今すぐ!!」


「は、はいっ!!」


 転びそうになりながらも慌てて戻っていく伝令。アルシュは鞄に荷物を突っ込み始めた。


「どうしたんですか?」


「先ほど言いました、今回の目標である第三号基地から逃げてきた生存者が見つかったそうです。私は戻りますので、ソフィーヤ様もついてきてください」


「生存者……? それは良い事なのでは?」


「考えてもみてください。三号基地が連絡を断ったのは半年前です。その間、汚染地域は三号基地周辺を覆い尽くして、補給も届かなかったんです。──いくら魔族といえども、半年も食料も水も、燃料も無しに生きていけません」


 アルシュの顔は、冷静だったが言葉の端に沸き立つような焦燥感があった。

 ソフィーヤは、アルシュの言葉の意味に気づいてゾッとする。


「では、生存者というのは……」


「それを確かめにいくのです」



 ソフィーヤはアルシュの後に続いて、第二号基地の広間に足を踏み入れた。

 そこでは二人の魔族が縄で縛られて、手を頭の後ろに回している。

 武装した四人の魔族が、それぞれの武器を『生存者』に突きつけていた。


 離れたところに、押さえつけられている『責任者』の魔族が喚いている。


「同胞だろうが! どうしてそんな残酷なことを……!」


 アルシュは無言で責任者の下へ歩いていき、床に押さえつけられている顔を蹴り上げた。


「グ、ハッ!?」


「正気か? 生存者とやらのために貴重な食料を浪費して、あまつさえデータを隠蔽するために定期検査さえ受けていない」


「お、お前は……カルツァー伯爵の、」


「アルシュだ。ザーマ極地観測隊の監察官をしている。今は家柄など関係ない。お前の責任問題について話をしているんだ」


 責任者は忌々しげに顔を歪めた。


「貴族の、娯楽のために……送られてきたお前なんぞ……!」


「答えろ、駄犬」


 もう一度、アルシュの蹴りが責任者の脇腹に入った。

 呻きながらも、ポツポツと答え始める。


「……お前たちは、知れば殺すだろう……! 何が汚染地域だ……あいつらは、やっとの思いでここまでたどり着いたんだ……! 仲間を失って、服の革を食って、やっとの思いでここまで来た! それを、被爆しているからという無機質な理由一つで、氷原に追い返すなど……!」


「今は感情の話をしているんじゃない」


 もう一度蹴りを叩き込んでから、舌打ち。そして、震えている生存者たちに向き直る。


「お前たち、どうやってここまでたどり着いたんだ。一分で答えろ」


「お、俺たちは殺されるのか……? 頼む! 助けてくれ!! 俺は何の異常もない! 被爆もしていない! だから、だから……!」


「お願いします……お願いします……! 娘が、魔族領で待っているんです。どうか、慈悲を……!」


 アルシュは床を踏み締め、音を高く鳴らした。

 二人はびくりと肩を跳ね上がらせて、黙り込む。


「今ので四十秒無駄にしたぞ」


 ポツポツと二人は話し始める。

 半年前から汚染地域の侵食が広がってきたということ。それに伴い、補給が上手く回らなくなったということ。食料もつき始め、水は外の雪を溶かして飲んでいた。

 三号基地内での争い。食料を独占する人が現れ始めて、争い、多くの血が流れた。

 

 争いが終わったとき、三号基地は火災で全焼し、食料も水も燃料もなくなっていた。

 生き残った二人は、汚染地域を突破して、二号基地を目指す。


 そのタイミングで記憶が途切れて、いつの間にか半年が過ぎていた。

 気がついたときには、二号基地の温かいベッドで眠っていたという。


「……」


「頼むよ……まだ、俺は正常だ……正常なんだ。だから、どうか許してくれ……生きさせてくれ」


「お願いします、お願いします、神さま……」


 ついに二人は泣き出してしまった。

 すすり泣きが基地の広間に響く。しかし、二人を見下ろすアルシュの眼差しは冷たいままだ。


 そのまま歩み寄って、懐からナイフを取り出す。

 そして、二人を縛り付けていた縄を切り裂いた。


 呆然とする二人に、アルシュはナイフを差し出す。


「このナイフをやる。──自害してみせろ」


「なっ」「そんなこと──」


 二人は驚きに固まり、遠くで押さえ付けられていた管理者も血相を変えた。


「いい加減にしろ! 貴族のガキめ! お前たちの遊びで俺たちの命を軽々しく──」


「うるさい」


 瞬間、アルシュは持っていた長弓で管理者の心臓を射抜いていた。


「……な、え」


 どさりと崩れ落ちる管理者。

 異様な様相を呈するアルシュに、生存者の二人は声を出せない。


「どうした? 早く自害してみせろ」


「ふ、ふざけるなァ!! どうしてやっとの思いでここまでたどり着いて、それで──」


「お前に殺されないといけな──」


 アルシュの腕が振るわれる。


 生存者の二人の肩口から先が綺麗に切断されて、斬り飛ばされていた。


「ぐギ、やぁ!」「俺の、俺の腕が──」


 見ていられないと、ソフィーヤは前に飛び出した。そして、アルシュを睨みつける。


「……アルシュさん、これは一体何ですか」


「定期検査です」

 

 アルシュは顔色一つ変えずに、呟く。


「あの生存者を名乗る二人はもうダメです。すでに『邪神』に被爆して、人格を複製されています」


 アルシュが管理者に向いて、指をさす。


「『邪神』は社会性を模倣します。管理者もすでに複製され、二号基地は奴らの手の中です」


 すると、死んでいた管理者がぴくりと痙攣するとノイズを撒き散らして、黒と銀の液体に溶けて、消えていった。


 生存者二人も、抉られた肩口からは血が一滴も流れ出ていない。


「なんで、いたくないんだ!? どうして、」


「おかしい、おかしい! おれのからだ、へん」


 呂律が回らなくなり、やがて全身が液体に変化するとばしゃりと崩れ落ちて、そのまま消えてしまった。


「……急いでここを離れますよ。二号基地は放棄しなければなりません」


「どういうことですか、なぜ彼らは……」


「彼らはとうに死んでおり、ここにたどり着いたのはその複製体だったということてす。 『邪神』は触れた生命の遺伝子情報を取り込んで、そっくりそのままな『コピー』を生み出します。記憶も、人格も生きていた頃を再現したコピーです」


 信じがたい話が続く。


「見分ける方法は二つ。身体を傷つけて、確かめるか──死を与えると脅してみるか」


「……」


「私たちは、生物として異常ということを自覚してください。魔族も、人間も含めて『神殿復活』が私たちの生活の根幹にあります。死は終わりではなく、生活のサイクルの一部なのです。──しかし、『邪神』は違います。彼らは私たちよりも純粋な生命です。死を恐れ、恐怖し、避けようとするのです」


 アルシュは、ソフィーヤに向き直った。


「これが、私たちの立ち向かう敵です。目的も不明、意思も不明、観念も不明。ただそこに存在し、生きるものを複製し、増殖する──純粋な生命体」


「奴らは、学習します。かつて、最初の記録に残されていた複製体は、人形を模した泥でした。それではダメだと、肉体を構成しました。さらに、精神を構成し、人格を複製し、記憶を複製し、ついには『魂』すらも複製するでしょう。その無限の進化の先には何が待っているのか分かりません」


「だから、かつての大戦にて魔王様とアンネリース皇帝は『邪神』と呼ばれるモノを極北に封印したのです」 


「今なお、極北の地の奥深くでは、取り込んだ遺伝子情報で再現した人や生物を『邪神』は無数に生み出しているでしょう」


「その物量に圧死させられるのは、時間の問題だと魔王様は考えておられます。──時間がないのです。彼らが人間に混じって生活を始めたとき。彼らが反旗を翻したとき。彼らが、完全に人類に成り代わったとき──」


 ソフィーヤは、唐突に皇帝が自分をここに送り込んだ意義を理解した。

 嫌がらせのためではない。

 ましてや、魔王軍への内部工作のためでもない。


「世界は終わりを迎えるでしょう」


 ──生存のための闘争。

 

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