Side Story 2 エルタニア・アークラス
S-1.『エルタニア・アークラスⅠ』
ルナニア帝国の帝都郊外。
もうすぐ夏であることを告げるような、そんな日差しが燦々と草原に降り注ぐ。
一人の女がそこを歩いている。
エルタニア・アークラスだった。ルナニア帝国帝国軍、中将──第二師団長を勤めている。
王城での勤務中にいつも一つにまとめていた灰色の髪は、結われておらずさらりと背中に流れている。
アンネリース皇帝に着せられていたメイド服ではなく、初夏に相応しく、薄いエプロンドレスをまとって歩いていた。
背にはぐるぐると布で巻かれた棒状のものを背負っている。長さはエルタニアの背丈に届くほどで、重さはご想像の通り、とても重い。
中身は大剣である。
「……そろそろですか」
ぽつりと独り言。
そして、丘が見えてきた。
丘の下には無数の墓石が立っている。
墓地だった。
蘇りの奇跡を毎日発動させているルナニア帝国にも、死ぬ人はいる。
役所にて死亡届が受理された老人。細かい制約をくぐり抜けての自殺希望者。死刑執行された罪人。
そして、それらに当てはまらずに『事故』によって死んでしまった人たちも、数少ないながらも存在した。
「……こんにちは。また来ましたよ」
エルタニアは一つの墓石の前で佇む。しゃがみこんでゆっくりとざらざらとした表面を撫でた。
夏の日差しにさらされながらも、ひんやりと冷たい。死者の証はどこまでも固く、そこにあることを示す。
エルタニアが撫でたところには、何も刻まれていなかった。名前の欄が空欄だ。ただ、白色が無機質に広がっているのみ。
だけれども、エルタニアは知っている。
墓石が示す人が、どこまでもエルタニアを支えてくれた人であることを。
「さて、いつもの剣磨きから……いきましょうか」
墓石に背を向けて寄りかかる。ドレスのスカートに土がついたが、エルタニアは気にしていない。
背負った大剣をぐるぐる巻きにしていた布を外す。
良く見てみると、巻いていた布は、シルクのような光沢を放って、端っこに金糸で魔法陣が刻まれていた。
布を外した剣から邪悪なオーラが溢れ出す。
エルタニアの小さなため息。
「……相変わらず、君はやんちゃだ」
真っ黒な刀身の剣だ。古くから剣の形を守っていたのか、ところどころが欠けていたり、ヒビが入っていたりもする。
それでも、エルタニアはその欠けを優しく指でなぞって、表情筋を少しばかり緩める。
布巾で、近くの水道から水を染み込ませて、絞り──丁寧に磨いてから良く拭う。
埃や乾いた血の跡が、洗い流されていく。
エルタニアの表情は真剣だ。一生懸命と言い換えてもいい。無言で剣を磨いている。王城での飄々とした態度とは、どこか違った表情だった。
初夏の風が吹き抜ける。木立の葉が揺れる音が剣を磨く音に交じる。
やがて、日が回って真上に来た頃。
「エルタニア。来てやったぞ」
顔を上げる。
草原に場違いな白衣をなびかせた女がこちらに歩いてくるところだった。
背丈はエルタニアと同じほど。首筋にかかるほどの色素の抜けた金髪を前で分けて、緩くウェーブをかけている。その顔には皺が目立つ。歳は五十を越えているだろう。
厳格な雰囲気を醸し出す風貌をしているが、彼女はその見た目に違わない性格と才覚の両方を持ち合わせている。
「遅かったですね」
「君のルーティンに巻き込まれるこちらのことも考えろ。実験を中断してまで来てやったんだ」
「お疲れ様です、クリストフル聖女。そして、いつもありがとうございます」
彼女は鼻を鳴らした。──白衣のポケットには黄色いハンカチが差し込まれている。
クリストフル・シェリーマン。
ルナニア帝国の聖女にして、学術棟の一派である『究明棟』の所長だ。魔導工学と高エネルギー研究の第一人者でもある。
エルタニアは空間魔法からテーブルと椅子を取り出して、二人してそこに腰掛ける。
「最近は何をしているのですか?」
「ん? 魔力の人工生成が今は熱い。聞いていくか?」
「……魔力の人工生成? なぜ大気中に存在するものを……」
首を傾げると、クリストフルはにやりと笑う。
「そもそもの話、魔力とは一体何だ? なぜ意識の流れに反応して、外界の物理法則を歪めるなどという不可思議な現象を引き起こせる?」
「……それを知って、何か意味があると?」
「無論、知ることこそ喜びだろ? でなければ人間は人間足りえなかった。祖先を誑かした蛇に感謝せねば」
「異世界の神話ですか。また酔狂なものを」
「私は本を読むのが好きなんだよ」
エルタニアは呆れたように首をすくめた。テーブルの端には蟻がよじ登ってきている。
「我々はまだ、あまりに多くを知らないからなぁ。『魔法』──という言葉の起源にも問題がある。昔は『神』のことを『魔なるもの』といったそうだけど。──神が法を定めれば、それは魔法になる。だけど、それではあまりにも道具として脆弱だよね」
クリストフルはテーブルを爪で弾く。
テーブルの上を歩いていた蟻は容赦なく潰された。
「魔法は、人が分析して科学に変えていく必要があると私は考えているんだ。その一環として、魔力を人工的に生成してみようというわけさ。……中々面倒だけどね」
クリストフルの様子に疑問を覚える。
「もしや、ルシウスの賢人アスターリーテが久々に公の場に姿を表したので、焦ってますか?」
「……焦ってないよ」
「その間は何ですか」
睨まれて舌打ちされた。
「焦ってないのは本当だ。ただ、気に入らないだけだよ。ああ気に入らない。本当にね」
「勝手にライバル視しているだけでしょう。相手は千年甲冑を組み上げた化け物ですよ」
「黙れ。口を開くな」
爪の先に引っかかった蟻の死骸を眺めていたクリストフルだが、やがて興味を失ったのか、息を吹きかけて吹き飛ばしてしまう。
「もういいだろう。本題に入ろうか。剣のメンテナンスだ」
「……よろしくお願いします」
目線で促されると、エルタニアは頷いて──ゴトリ、と大きな音を立てて剣をテーブルの上に置いた。
「武器を変える気はないかね。これではあまりにも趣味が悪いぞ?」
「あいにくですが、その予定はありませんね」
「忌々しいな……」
邪悪なオーラを放つ刀身を見分し、細いため息を吐く。
「『ダリスダーテの巨人の剣』の内側には、人を千人単位で呪殺できるほどの呪詛が溜まっている。元々呪詛を取り込みやすい性質の剣だね……こういうのは、生物を魔術的に転換した場合が多いけれど」
「確かにこの剣、人を斬るときだけやたらめったら斬れるんですよね」
ダリスダーテの巨人の剣。
神が祝福やらなんやらを与えた『聖剣』とは違って、神の干渉無しに聖剣に並ぶ力を備えた剣を人は『魔剣』と呼んでいる。
なお、そこまでの力を神の干渉無しに注ぎ込むのは容易ではない。殆どの場合、ろくでもない手法で剣を鍛え上げている。
子供の生き血に十年浸らせたとか。人の骨と血を鋼に混ぜたとか。千年も魔物を斬り続けてきたとか……そういう類のものだ。
ダリスダーテの巨人の剣も神の祝福などという高尚なものは受けていない。存在するだけで周囲に呪いを振り撒くそれは、明確な魔剣の一種だ。
出自などどうせろくでもないのだから、調べていない。
「浄化しておくか? 期間は半月。その間は別の武器を使うと良い」
「……遠慮しておきます。剣は人を斬るための武器ですから、切れ味が上がったと思うことにします」
「人の生き血を啜る呪いの剣……それを好んで振り回す輩が、我らが俊英たる帝国軍の隊長をしているなんてさ」
「別に、初めてじゃないでしょう?」
「全くだよ。時折帝国軍を再編したほうがいいと思うときがある」
「新しい刑務所を建てないといけませんね。その刑務所は、帝国全土を占めるような大きさになるでしょう」
鼻を鳴らされた。
「ルナニア帝国バンザイ、だな」
クリストフルが指を上げると、周囲が僅かに暗くなった。太陽は隠れておらず、魔力で帳を作っただけのようだ。
指を回すと、黒い大剣は浮かび上がってキラキラとした紋様を浮かび上がらせた。
クリストフルはそれを一つ一つ確かめて、時に指で弾いて調節している。
魔剣は不安定な代物だ。故にこうして、技術者の手を借りて魔力の流れと力の核を制御しなければ、暴走することもある。
魔剣に喰われるのは、エルタニアとてごめんだった。
「時にエルタニア。この剣にまつわるささやかな噂話だけどさ」
「噂話、ですか。貴女は科学者を自称する割に本当にそういう話好きですよね」
「興味の対象は多ければ多いほどいいのさ。マヨネーズと一緒だよ。あれはいいね。たっぷりかけると、とても美味しい」
そういう意味じゃない。
「ダリスダーテの巨人の剣は、他国の将軍からソフィーヤが奪ってきたものらしいな。そこでこの剣の辿った道を調べてみたんだ」
クリストフルの唇が歪む。
「結果はなんとまあ、ご想像の通り──殺伐としていたよ。誰一人として剣の持ち主は戦場から生きて帰れなかった。ダリスダーテの巨人の剣は、戦場のなかで奪い、奪われを繰り返してそこに存在したんだ」
「……まあ、この剣もソフィーヤ様から奪ってきたものですから。仕方ないんじゃないでしょうか。戦場に出る剣とは、概してそういうものでしょう? 宝物庫で安置されている宝剣じゃあるまいし」
空間に光の回路を走らせている剣を見守る。
戦場で振るわれる方が、剣の本分だろうと。
「であれば、だ。この剣の性質は『持ち主は必ず戦場で命を落とす』ということになるな」
「なんですか、それ。迷信でしょう」
「長年の経験は、ある種の概念として宿るからな。この剣は生まれてから、そういった運命を数多く見てきたんだ。積み重なったそれは、死の運命の呼び水として機能してもおかしくはないさ。……神が信仰によって力を増すのと同じだよ」
死の運命を引き寄せる。
そういった信仰が、ダリスダーテの巨人の剣には蓄えられているのかもしれない。
でも、
「私はこの剣を使い続けますよ。戦場で死ぬのは本望です」
「バーサーカーめ。勝手にしろ」
「それに……」
邪悪なオーラを放つ刀身をエルタニアは見つめる。
「この子は、そういう類の不幸を一番嫌っているような気がするのですよ」
「……………………はぁ」
盛大なため息。
キョトンとして見上げるとそこには、心底呆れたような目が一対。
「お前ほどのバーサーカーになると、ついに剣に人格を宿らせてお人形遊びをすることになるのか」
失礼なことを言われた。
「まあいいさ。帝国軍が他国から金を巻き上げているお陰で、我々は研究費を確保できるんだ。存分にバーサクしてくれよ」
「クリストフル聖女……」
ひらひらと手を振るクリストフルに、エルタニアはなんとも言えない不満を持つ。
だが、クリストフルの薄っすらと笑みの浮かんだ顔を見ているうちにどうでも良くなり、再び深く腰を下ろした。
「あと少しで終わるさ。ゆっくりしてくれ」
「……分かりましたよ。さっさと作業を終わらせてください」
「もう少し年上に対する敬意というものをだな……」
「貴女がそれを言いますか。イザベラ樣に散々喧嘩を吹っ掛けた貴女がそれを言いますか」
クリストフルが思いっきり顔をしかめた。
「止めろ。思い出させるな」
「お尻を蹴り上げられて一日中悶絶していましたもんね」
「止めろと言っているんだ……」
黒い大剣は、太陽の光が遮られた帳の中で光を走らせている。微かに脈動したそれは、まるで二人の会話に苦笑をこぼしているようだった。
◇
それは遠い遠い昔のお話。
まだ竜が我が物顔で宇宙を飛び、白鯨が雲を泳いで、大地に銀の双眸が注がれていた時代。
一切の記録にも、記憶にも残らないほど掠れてしまった物語。
一人の騎士と、一人の少女の物語。
◇
──巨人が倒れた。
その報に、人々は歓喜の声を上げた。
巨人。
言われずとも知れた最強種である。竜と並び立つほどに、存在そのものが災害として伝えられる存在だ。
大まかには人に似た姿をしている。しかし、その背丈は山脈に届くほどであり、肌はどのような金属であっても断つことは叶わない。
火を吹いたり、雷を吐き出したりと、生物の常識を放棄したと思えるようなデタラメがまかり通る。
長い歳月を経た巨人は、不死の性質を浴びると言われている。魂というか生命というか、そんなものが肉体の枷から外れるのだ。致命傷になるであろう傷でも即座に再生し、生き続ける。
圧倒的な再生力と不死性。
それが巨人だ。
数日前、一つの凶報が人類最後の国であるユピテルに届いた。
いわく、世界の果てを閉ざす霊峰大山脈にて、調査隊の一つが眠れる巨人を刺激して、目を覚まさせてしまったのだとか。
巨人ガリウスオディロン。
太古の伝承にのみその名が伝えられている巨人の長。
彼は永く穏やかな眠りを妨げた人間に大層ご立腹らしく、果ての山脈から人間の生活圏へと侵攻して、皆殺しにしようとしているらしい。
さあ大変だ、人類の危機だ!
神に祈りを捧げて、巨人の侵攻から逃げ出そう──とは、ならなかった。
なにせ、この時代の人間は祈るべき神たちに一柱残らず喧嘩をうっている最中だった。ぶっちゃけ祈りの言葉とか、そういうものはとっくに失伝していた。
逃げ出すよりも、怪物を倒して、生存圏を広げてきたたくましい人類たちであった。
太古の巨人? 不死の存在?
なんのその。
こちとら神に喧嘩をうってんだ。
太古の化石なんぞ、捻り潰してやる。
そうして、人類の楽園ユピテルから騎士団が派遣された。
人類最高戦力と名高い『楽園の騎士団』。
そのなかに一人の騎士見習いの青年の姿があった。
半月が過ぎた。
ガリウスオディロンとの戦闘は苛烈を極めた。
山脈に大穴を空けて、海に亀裂を入れて、大地を沸騰させた。空間を砕き、時間を飛ばす。時空を発狂させて、世界は何度も捻じ曲げられた。
呪詛が飛び交い、魔法が光を迸らせ、神から奪った聖剣が──不死身の仕組みを吹き飛ばして、突き立てられた。
そうして、太古の巨人はついにその膝を地に打ち付けたのだ。
しかし、騎士団も被害は甚大だった。半月も続いた戦闘で、十人いた精鋭騎士は一人残らず巨人に踏み潰され、騎士の生活を支える従者団は逃げ出した。
そして、ただ一人──最後の最後まで最前線で巨人になまくらな剣を突き立てていた騎士見習いの青年だけが生き残った。
「まじかぁ……みんな死んじゃったのか」
緊張感のない言葉は、現実味がないからなのか。
巨人か死ぬと肉体は溶けて燃え、骨が残る。暫く経つと骨も剥離し、真っ白な嵐が起きるという。
骨の嵐。まるでそれは、真っ白な花弁が舞い散るような幻想的な光景。
騎士見習いの青年は、そんなこの世のものとは思えない景色を目の当たりにしつつ、巨人の骨の中に人影が見えることに気がついた。
「んあ? なんだ……これ」
それは、真っ白な少女だった。
年若く、まだ十の齢も迎えていないような少女。
巨人の骨の中から少女が生まれ落ちた。
「……?」
たらりと汗が頬を伝った。
そんなものは聞いたことがない。巨人から人間が生まれ落ちるなど。
いや、巨人を殺したのは人類史上これが初めてだから聞いたことがないのは当然のことだ。
……いやいや、何を言っているのか。
絶対まともなものじゃない。
巨人やら竜やら白鯨やら大海蛇やら……神の生み出したものがまともであった試しがあるか。
みな揃って人類に敵対的で、そうであるのが当たり前のように牙を剥き、討たれていったのだ。
巨人の骨の中から出てきた少女は、ゆっくりと目を開ける。──その銀色の瞳は、神の被造物である証。
青年の背筋に緊張がはしる。
やがて、
「わたしは……なに……?」
紛れもない人間の言葉で、青年に問いかけてきた。
「しゃべれる、のか?」
「……わたしのなかに、ある……色々な、記憶」
「……何?」
緊張で、青年は思わず下唇を舐める。
「母体に吸収された、魂が、記憶を提供してくれる」
警戒を一気につり上げる。
なまくらの剣を鞘から少しばかり、抜く。いざとなれば迷うことなく少女の首を断ち切れるように。
「……最後の楽園、ユピテル……楽園の、騎士団……『ダリス』……弱虫で、誰にも勝てない、最弱の騎士……それが、あなた?」
「っ、」
視線が交わる。
なぜ、俺のことを。
そう問いかける余裕はなかった。
「……母体を、殺したのは……『騎士団』」
「なにを」
「ならば、どうする……? わたしは、なにをするべきだ……?」
少女は自らの両手を見下ろして、独り言のように呟いた。
青年は思わず掠れた笑い声を漏らした。
なんてことだ。
「つまり、だ」
口の中が乾いている。
「おまえは、巨人ガリウスオディロンの娘なのか」
「むすめ……娘? わたしは、娘なのか……? わたしは、なんだ……なぜ、ここにいる?」
青年は騎士団にいた頃に聞いた話を思い出した。
いわく、巨人討伐は何度も行われてきた痕跡が残っているという。しかし、一切の伝承も伝わっていないのだ。
つまり、かつて巨人討伐に向かった人たちは、一人として帰らなかった。
その答えが、分かったような気がした。
「……わたしは」
目の前にいる少女が、その答えだ。
巨人は、死ぬ間際に自らの子を生み出す。そして、巨人を倒したと油断している者を一人残らず殺し尽くすのだ。
何度も行われてきた巨人の討伐。しかし、一切の記録にも残らない不可解さ。
巨人の子が、復讐を果たしたからだった。
「……おまえが、何をすべきか……俺は知ってるぜ」
「なんだ」
「俺を、殺すことだ。巨人を殺したのは、楽園の騎士団だ。そこに俺も入っている」
青年は、すでに疲れ果てていた。
剣の鞘を持つ手も震えている。巨人の子がどれほどの強さなのかは知らない。だが、騎士団のなかで最弱である青年が勝てるとは思えなかった。
だから、青年は一歩前に進み出る。
巨人の討伐は果たされた。仕事が終わった。
そして、新たな巨人が生まれた。自らの親を殺されたという明確な復讐を携えて。
無限に続く闘争の果て。
人間は、永遠に神の被造物と闘争を続けるのだ。
それが神に戦いを挑んだ種族の末路。
「さあ、俺を殺してみせろよ。復讐を、果たせ」
……。
…………。
……………………。
「やだ」
……は?
「なぜ、わたしがあなたを殺さねばならない?」
「え、だって」
待て。
「母体を殺したのは、騎士団だ。あなたではない」
「いや、俺だって前線で剣を振るって」
……待ってくれ。
「精鋭騎士でも全力を尽くさねば通らない巨人の皮膚を、あなたごときの刃が断てたと?」
つまり、なんだ。
あれほど一生懸命、死ぬ気で戦ったのに?
「あなたは、騎士団に混ざっただけだ」
「……」
「巨人を殺したのは騎士団だ。あなたは一切の損傷を母体に与えるわけでもなく、踊っていただけ」
「…………」
「つまり、あなたをここで殺す必要はない。すでに復讐の対象はいなくなったのだから」
「……なんだよ、それ」
青年は弱すぎたのだ。
巨人に傷一つ負わせられず……それゆえに、少女に見逃されている。
「いやいやいや、ありえねぇだろ!!」
「あなたは弱いだろう?」
「うっ」
「なぜ母体との戦闘で生き残ったのか、本気で理解できない。イレギュラー。くそざこなのに」
「悪かったな! ああん!?」
んだと、この野郎!
もう良い、地獄の再戦だ。クソ野郎。
疲れなんて知るか。
このクソガキを黙らせて──
「ゆえに、わたしは何をすれば良いのか分からない。母体からの命令は、すでに効力を失っている」
──無限に続く憎悪の連鎖から、唐突に放り出された少女は、青年に問う。
「わたしは……なんだ?」
その声は、心細い少女の声だった。
ここで一つ、青年について話そう。
青年は、騎士見習いになってから騎士団内でいじめ──虐待にも似たありとあらゆる暴行を受け続けてきた。
それでもなお、彼の人間性は理不尽な運命に屈することなく、まともに伸び続けていた。つまるところ倫理観は常人のものだった。
孤独を知っていた。孤独を埋めようとしていた。
目の間の少女は、人間の姿をしている。形をしている。言葉も人間のものだ。
つまり、青年の目には普通の少女と変わらないように映った。
「……なあ、おまえ、一人で生きていけるか?」
「不可能だ。わたしの身体は、母体のものよりひどく脆弱であるがゆえに」
首を振られる。
当然だ。生まれが巨人の骨とかいう訳のわからないものだとしても、身体は人間だ。ちっちゃいのだ。
子供に、こんな荒野は生きられない。
「ならさ、一緒に来るか?」
「…………」
「あー、と。別に取って食いやしねぇよ。おまえが何であれ、ガキは温かいものを食って、しっかりと休むべきだ」
「……ガキ……」
「ガキは幸せになるべきだ。……人間に危害を加えないと約束してくれれば、連れて帰ってやる」
少女がこくりと頷いた。
「わたしは、人間を知りたい」
青年の心が決まった瞬間であった。
青年は少女とともに巨人を討伐したという名誉を持って国に戻った。
正体が分からない少女であっても、手を繋いだ温もりは、暖かく、心を癒やしてくれるものだった。
◇
遠い遠い昔の話。
ダリスダーテの巨人の剣と呼ばれている一振りの剣。そのうちに秘めた、過去から響く残響のひとひらである。
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