S-2.『エルタニア・アークラスⅡ』

「終わったぞ」


 その声が一瞬どこから聞こえているのか分からなくなった。


 意識が浮上し、目を開ける。

 呆れたようなクリストフルの顔が、エルタニアの目の前にあった。

 思わず目をパチクリさせる。


「……私は」


「随分とぐっすりだったな。良く眠れたか、エルタニア」


 日はもう随分と傾いている。

 エルタニアは墓石に背を預けたままいつの間にか眠っていたようだった。クリストフルはすでに剣のメンテナンスを終えて荷物をまとめている。


「ダリスダーテの巨人の剣は、封魔の布を巻いておいた。後で確かめておけよ」


 テーブルの上にはきらめく糸で縫われた布でぐるぐる巻きにされた長方形のものがある。


「……ありがとうございます」


「この後はどうするんだ? 近くまで魔力車を手配してやろうか?」


 首を振る。


「私にはまだやることがありますから」


「そうか」


 クリストフルは白衣のポケットからタブレットを投げてきた。手を伸ばしてのキャッチ。中には錠剤が数粒入っている。


「試作の栄養剤だ。究明棟の特別仕様。一粒飲めば不眠無補給で七十二時間は保証してくれる。昼食べてないだろう? それでなんとかしろ」


「……また身体に悪そうなものを」


「最高だろ?」


 顔を寄せてくる。悪い顔になっている。


「最高って言ってみろよ」


 この人は、こういう人だ。


「まあ、一応、ありがとうございます……」


「後で感想聞かせてくれよ。じゃあな、エルタニア・アークラス」


 不吉な笑い声を漏らしながら手を振って、クリストフルはさっさと丘を下って行ってしまった。


 問題児揃いの究明棟、その長。

 性格はお世辞にも良いものとは言えず、人をからかい、自分がからかわれるのは断固として嫌う。そんな子供じみた女。


 だけど、その実力は本物だ。

『究明棟』は割と最近になって新設された精鋭揃いの学術棟の一派。魔法の研究を、太古から続く『千年塔』とは別のアプローチによって解き明かそうとしている化け物たちだ。


「さて」


 テーブルと椅子をまとめて空間魔法にしまっておく。

 クリストフルが調節した剣を、布地を外して軽く握ってみる。


 ぴりぴり肌を刺すような感覚がだいぶ薄くなっていた。剣からの敵意も感じない。まっさらというか、不格好にはみ出たところを綺麗にはめ直してくれたかような、そんな感じだった。

 魔力を流してみてもすんなりと通った。力の核も反発していない。


 完璧だ。


「本当に」


 あの性格だけに、有能過ぎるというのも困りものだ。

 まずは両手で握り込んで、縦に振り下ろす。


 ぴゅう、と風が切り裂かれて甲高い音が鳴る。


「……?」


 微かな違和感。

 なるほど。少し回路を弄くったな、あの性悪女め。


 違和感を消すために、切り上げからの叩きつけ。くるりと回りながらの切り払いと順番に型を組み合わせて試していく。

 その度に剣にエルタニアの魔力が込められて、剣とエルタニアは一つになっていく。


 ──鋼を心に、剣と一つになれ。


 空気の塊を切り裂いて、さらにスピードを上げていく。

 大剣というものは、両手で握らねばならないので必然的に動きが遅くなる。しかし、エルタニアは片手で大剣を振り回して、周囲一帯を薙ぎ払う。


 両手用の武器を強引に片手で握っているのだ。


「──!」


 すでに残像しか見えない。


 汗が散る。息が荒い。

 エルタニアの前には誰もいない。

 しかし、エルタニアの視界にはいつだって、越えるべき人がいる。


 ソフィーヤ・アークラス。

 エルタニアの腹違いの兄。自分とは違って、三大将軍の地位を握りしめた人だ。


 幻視の向こうにいるソフィーヤに向かって、剣を振るう。

 しかし、決まっていつも弾かれ、逸らされ、叩き落される。相手は一歩も動いていない。


 握り方を幾度となく変えて。

 重心の位置を落として。

 獲物の間合いを小刻みに変える。


 それによって生み出される無数の斬撃は、全てソフィーヤに叩き落され、躱され、流される。


 遠くで無様なエルタニアを老人が嘲笑っている。


 クソジジイ。


「……ッ、はぁ、ハァッ!」


 現実ならば、すでに五回は首を落とされていた。エルタニアの中のソフィーヤは、それほどまでに強かった。


 やがて、心の中のソフィーヤはエルタニアに向かって無造作に剣を振るった。

 反射的に受け止めるが、その瞬間、万力のような力がかけられて──神経を麻痺させた。


「っ、あ」


 思わず剣を取り落としたエルタニアに向かって、ソフィーヤは剣を振り下ろして──


「……」


 ふと、周囲を見れば誰もいない。自分に向かって剣を振り下ろすソフィーヤもいなければ、老人の嘲笑うような声も聞こえなかった。

 剣を取り落としたのは、単に酷使し過ぎた腕の筋肉が悲鳴を上げただけだった。


 そこにいるのは、墓石の前で尻もちをついたエルタニアだけだ。荒い息を吐き出している。


「……ああ、もう」


 またやってしまった。

 エルタニアの意識が形作ったソフィーヤの幻影、それを相手にしての模擬戦──決まっていつも、エルタニアの負けだ。


 ソフィーヤ・アークラス。

 いくつもの強者の血と遺伝子を取り込んだアークラス家の傑作。当主ギルテア・アークラスの第三夫人が産んだ子。

 強者の血統に強者の血統を混ぜる。時には他国の将軍を、時には重犯罪を犯した人を、時には近親同士で──

 今考えても吐き気がする。


 狂気とも形容できるサラブレッドの末に生まれたのが、ソフィーヤだった。

 ソフィーヤは、そうあるべく作られ、育てられ、そうして期待に応えた。


 対してエルタニアは傍系だ。

 大した調整も血統も重視せずに、端から期待などされずに生まれてきた子だった。


 ただ、偶然年が近かったから──ただ『皇帝』の気まぐれで兄妹だと呼ばれただけで。


 そんなエルタニアは、いつも完璧で出来の良すぎる兄がどんな気持ちでアークラス家からの命令に従っているのか分からなかった。


「君は、どう思う?」


 手の中の黒い刀身に囁いてみる。答えが返ってくるわけもない。それでも聞かずにいられなかった。


 ◇


 少女は母親の顔を知らなかった。

 ただ、物心がつく頃には、薄暗くてカビ臭い部屋で同じような子供たちと寄り合うようにして眠っていた。


 部屋の外には黒い鉄と石で出来た廊下が続き、その先には白い石で固められた大広間がある。

 まるで牢獄だとほんの少しだけ与えられた本で得た知識からそう思った。


 大きな鉄の扉が大広間の先にあるが、びくともしない。無理やり引こうとすると、扉の両脇に立って死んだような目でこちらを監視していた兵が、暴力を振るってくる。


 結局、少女はそこで暮らすほか無かった。

 絶えず繰り返される訓練と教育。そして、礼拝。

 生活の全てだった。


『1540、1521。剣を取れ』


 大広間の天井に設置された魔石から声が聞こえた。


 少女と少年が、前に進み出る。

 床に置いてある黒い染みがついた木剣を握る。

 少年も同じように握って、そして二メートル弱の距離を取る。


『開始』


 まるで感情のこもっていないような声で、少女たちを戦わせ合う。


 集められた子供たちの髪は、みんな灰色。少女も同じだ。姿形、性別などはまちまちだが、四桁の番号で区別される。


 少女は1540。相手の少年が1521だった。

 少しばかり、少女の方が少年より目覚めるのが遅かったためだ。


「──っ!」


 ずらした頭のすれすれを、木剣が通り過ぎる。潜り込んで、腹を狙って打つ──が防がれる。まるで反動を感じない、水を打っているような感覚。


 少女は子供たちのなかではひときわ弱かった。そして、少年はそんな少女よりも何倍も強かった。


 少年の木剣がまるで蛇のように足元をすくった。そのまま倒れかけて、思わず手をついてしまう。その隙を見逃さずに少年は少女の腹に向かって鋭い蹴りを叩き込んだ。


「かっぽっ……」


 内臓が飛び出るかと思った。

 吹き飛ばされて、叩きつけられる。

 朦朧とした意識のなか、木剣を首に突きつけられた。


『終了』


 また、少女は少年に負けてしまった。


『1521は傑作だな。当主様の血を濃く受け継いでいるだけはある』


 天井の魔石から少年を褒めるような声が聞こえる。


『それに比べて、1540は駄作だ。汚らわしい平民の子め。罰として負荷実験を命ずる。夕食は抜きだ』


「……」


 いつもそうだった。少年は褒められて少女は散々に貶められる。平民の子? なんだそれは。


 そもそも興味がなかった。ただ、今日もまた夕食は抜かされるのかという諦念の気持ちだけが心の中を巡る。

 親のことなんて、考える余裕もない。


『返事をしろ』


「はい」


『出来損ないのおまえでも、育ててもらっているんだ。偉大なるアークラス家に、最大の感謝を捧げろ』


「ありがとうございます」


 全然ありがとうございますではないが、こう言わなければ兵士が一晩中殴って蹴ってを繰り返して来るので、少女は無感情に叫んでおいた。処世術である。


『アークラス家はルナニア帝国で最も貴き血族である。偉大なるマルタ候の血を継いだ現当主ギルテア様に敬意と尊敬を抱け』


「「「はい、感謝します!」」」


 子供たちの斉唱が大広間に響く。

 少女は朦朧とする意識のなか、先ほどの少年に助け起こされていた。少年は顔を拭おうとしてきたが、突き飛ばして自分で拭った。痛かったからだ。


『これはおまえたちのような軟弱な子を最高の戦士にするための偉大なる実験なのだ! 心に刻め! 我らはルナニア帝国の牙となり、愚かで惰弱な他国の劣等種を駆逐する尖兵となることを!!』


「「「はい、劣等種を一生懸命殺します」」」


 意味が分からない。他国の人間が劣等種ならば、魔石の向こうにいる人はもっと劣等種だ。

 少女はそう嘲ったが、考えがバレるとまた殴られるので、心に秘めておいた。


『……よろしい。引き続き、帝国のために励め。決してブラックデッド家に遅れを取るな』


 魔石の声はいつも不機嫌だった。そんな不機嫌に付き合わされるこちらの気分が沈むのも当然のことだ。




 少女が一番憂鬱なのは、罰として与えられる『負荷実験』だった。

 嫌だ嫌だ、と泣き叫ぶ少女を殴りつけて、強引にベッドに縛り付ける。そして、様々な色の錠剤の飲まされるのだ。


 意識を速やかに失うのはまだ良い方で、時には焼けるような苦しみが全身を回って血を吐いたり、目の前がぐるぐると回って虹色になったり、楽しくなって顎が外れるほど笑ったり──そんな実験のあとは決まって吐いた。


 吐きたくなくても、吐いた。身体が悲鳴を上げているような気がしたからだ。辛かった。喉が死ぬほど乾いている。


「はい、これ」


 少年はいつも負荷実験の後に水を持ってくるが、無視していた。腹が立った時には蹴り飛ばしてやった。


「大丈夫?」


 それでも、少年は少女の元に水を持ってきた。意味が分からなかった。


 そんな日々が続く。

 読み書きを教わった。退屈な歴史や一通りの数学、理学、外国語、言葉遣いに目上の人に対する礼儀などを徹底的に叩き込まれた。それすら覚えられない出来の悪い子供は散々に殴られて、次の日にはその子の姿は見なくなって、番号も呼ばれなくなった。


 掃除のとき、その子がいつも大切にしていた指輪に黒ずんだ血と皮膚の欠片がこびりついていたことで、末路がなんとなく分かった。


 別にどうでもよかった。どうせ神殿復活するのだ。

 むしろ早く死んでしまったほうが、この地獄から解放されるかもしれない。


「どうでもよくないさ。きちんと、人が死んだときには悲しまないといけないよ」


 少年は自分に与えられた飲み水を使ってまで指輪を洗うと、布団の下にしまい込んだ。


「いつか、僕たちがこの部屋から外の世界に出たとき、返してあげよう」


 少女は少年がどうしてそんなことをするのかが分からなかった。目尻が濡れている理由も分からなかった。


 死ねば解放される。

 だけど、少女は死にたくなかった。

 魔石の向こうにいるクソ野郎に、一発かますまで死ぬわけにはいかなかった。


 ……どこから漏れたのだろう。


 反抗的な言動が記録されたと魔石に言われて、兵士に囲まれて殴られた。

 皆の前に立たされて、一日中狂ったように「ごめんなさい、もう逆らいません。出来損ないの私が偉大な実験に参加できて、幸せです」と叫び続けた。サボったら鞭が飛んでくる。顔を水に沈められる。


 みんな死んでしまえと、思った。




『1540、1521。剣を取れ』


 少女は少年と戦うなかで、段々と少年の剣の振り方を真似て、足の使い方、息の吐き方なんかも覚えていった。


 少年と戦った日には決まって負けて、負荷実験送りになるが、少年以外の子供たちと戦うときはたまに勝てて、負荷実験をその子に押し付けられた。


 食事はドロドロとした泥みたいな栄養剤だけ。そこそこ美味しいが、そこそこしか美味しくない。夕食を抜かれても、あんまり応えなかったのはそれが原因なのかもしれない。


 部屋と廊下と大広間。それが世界だ。

 茹だるような暑い日も、凍りつくような寒い日もあった。

 それが何巡もしたとき、気づけば何十人もいた子供たちは、八人まで減っていた。


「だいぶ減ったね」


 少年は寂しそうに言った。少女はいつも通り無視した。

 当たり前だ。わざと人数を減らしているようにしか思えない。

 いつの間にか、木剣を使った訓練は鉄の棒を使って相手を叩きのめす訓練に変わっていたし、負荷実験を経験した子たちは身体が鉛のように固くなって、痙攣を起こしながら死んでいった。

 ろくな治療もさせてもらえずに、過ごしたのだから当然のことだ。


 少女は相変わらず何事にも興味を持てぬまま、日々をのほほんと過ごしていた。


 少年の戦い方を真似したことで、少年以外に訓練で負けることはなくなった。夕食の栄養剤も、チューブから出して乾かしてから食べればサクサクしていくらかマシになることに気づいたのだ。少女は素直に自分は天才だと思った。


「その食べ方、真似してもいいかな」


 少年が鬱陶しく話しかけてきたので、少女は少年のみぞおちに拳を叩き込んで、栄養剤を抱えて向こうに逃げた。

 それでも、にやにやしていた少年が無性に気に入らなかった。


 その頃になると、魔石からの声はだいぶ衰えて、ヨボヨボのおじいちゃんの声になっていた。


『……くそっ、まだ……まだ足りないのに』


『疫病神め……ブラックデッド……』


『ああ、あああああ……予算が……実験が』


『なぜですか、皇帝陛下……これほどまで陛下に尽くしてきたというのに……!』


 困ったような声が聞こえてきた。ざまあみろと思った。


 相変わらず鉄の扉は一度も開かれない。扉の両隣を守る兵士も、何回も交代して、良く殴ってきた兵士たちは全員いなくなっていた。


 魔石の声はしばらくの間、響かなかった。

 退屈なので、少女たちは怪我しない程度に自分たちで訓練を行った。相変わらず少女は少年に勝てなかった。




 ある日、魔石から少年の数字が久しぶりに呼ばれた。


『1521、出ろ』


 あれだけ開かなかった扉が、あっけなく開かれた。長い間意識しなかったせいで、そこに扉があることをすっかり忘れていた。

 少女は、このとき初めて明確に頭に血が回り始めるのを感じた。


 少年が兵士に連れられて、扉の向こうへ行ってしまう。

 次に扉が開かれるときがいつなのかわからない。

 少女は少年の後に続こうとした。


 しかし、兵士が少女の前を塞いだ。……首が振られる。

 初めて兵士の顔を、意識した。

 幼い頃、扉を開けようとして兵士二人がかりで一晩中殴り、蹴られの暴行を受けてから少女は一度として兵士の顔を見なくなったのだ。


 暴行していた兵士とは違う瞳だった。

 まだ随分と若い。罪悪感に押し殺されそうな顔だった。思わず後ろに下がる。

 少女より、兵士のほうが何倍も苦しそうに見えたからだ。


 やがて、扉が閉まった。

 少女は、閉じた世界から少年を失って、またいつもの日常が始まった。

 魔石からは、いつにもまして、しゃがれた声が聞こえてきた。咳もしている。病気なのかもしれない。


 くたばっちまえ。少女は、どこにいるのかもしれない神に、深く願いを捧げた。

 その日以来、1521の少年はぱったりと子供たちの話題から消えた。




 暑いのと寒いのを繰り返すのが五回。唐突にもう一度扉が開かれるときがやってきた。


 今では八人いた子供たちは、少女一人だけになっていた。

 一人の青年が、扉からここに入ってくる。

 灰色の髪──何度も見慣れた、憎たらしい顔。


「久しぶりだね。五年ぶりかな。元気だった?」


 1521。

 生きていたのか。


 薄布一枚だけの少女に対して、外で過ごしてきた1521は軍服を身にまとっている。輝かしい勲章もつけている。


 声をかけようとして、息をつまらせた。

 そういえば、この人とは、一度も話したことがない。


「僕、色々あって今は帝国軍の師団長をしているんだ」


 何だそれは。

 知識としてならある。

 帝国軍の師団長。軍人の中のトップで、三大将軍直属の精鋭。

 そんなのに、1521はなったというのか。


「今は1521じゃないよ。皇帝陛下から『ソフィーヤ・アークラス』って名前を頂いている」


 ソフィーヤ・アークラス。

 変な名前だった。

 少女は外の世界で人は数字で呼ばれないことを初めて知った。


 誇らしげに外の世界について語る『ソフィーヤ・アークラス』に、憤りにも似た感情が激しく渦巻き始める。


 先に外に出て?

 それで帰ってきたと思ったら、立派な名前までもらっちゃって?

 それで何だ?


 開口一番に、元気だった?


「──っ!!」


 少女は怒りに身を任せて、1521に向かって木剣を振り下ろした。

 何度も自分の命を救ってくれた剣。

 何度も仲間の命を奪ってきた剣。


 少女の全力の振り下ろしを、1521はとっさに受け止めた。──背負っていた布でぐるぐる巻きにされた細長い包み。中身は剣だろうか?


 数回打ち合っただけだった。

 パキリ、と木の悲鳴が聞こえる。

 手の中を見ると、あれだけ一緒に戦ってきた木剣にひびが入っていた。

 あと一回打ち込めば、折れるだろう。


「どうしたんだ? いきなりそんな……もう訓練はいいんだ! 分からないのか!?」


 そんな寝ぼけた戯言が聞こえる。

 あのぐるぐる巻きにされた包み──あれが少女の相棒である木剣を奪ったんだ。


 大きく振りかぶる。わざと隙を見せるように。

 そこを1521は反射的に突いてきた──


「っ」


 木剣が折れるのに任せて、勢い良く飛びかかる。そのすました顔面を殴りつけて、ソフィーヤ握る包みを強奪する。


 その時になって初めてソフィーヤの顔色が変わった。あの地獄のなか、すました顔で賛辞を受け取っていた1521が、こちらに手を伸ばしている。

 顔は真っ青で何かを叫んでいた。


「それは、呪いの──」


 そんなのは関係ないとばかりに、包みを解く。

 1521の顔が最後にやけに大きく映った。


「あ」


 赤と黒が爆発して、視界を覆い尽くした。


 気がついた時は、身体が倒れていた。


 解いた包みから、赤黒い奔流が迸っている。

 まるで津波のように部屋を赤と黒のモザイクとノイズが埋め尽くして、全てを塗り潰していく。


 まるでブラックホール。

 赤と黒の渦は部屋の空間を歪めて、圧壊させて、剣の内に取り込もうとする。


 少女もいずれそうなるのだ。クソみたいな人生で、最後は剣に喰われるのかと、諦めていた。


 だが、


「っ、掴まるんだッ!!」


 その中心に立っていた少女は、必死にこちらに向かって手を伸ばす1521の姿を認めた。

 呆れるほど愚直に、善意で瞳を輝かせながらこちらに向かって、手を伸ばす。


「……なん、で……?」


「ずっと、一緒だっただろうが!!」


 呆れるほど単純な理由。それゆえに、少女は納得した。


 そっか。

 目の前で死なれたら目覚めが悪いか。


 亀の歩く速度よりもゆっくりと、少女の手が伸ばされる。

 それを1521はぐっと掴むと万力の力で引き上げた。


 少女がブラックホールから引き上げられた瞬間、赤と黒の渦は消滅し、散々に破壊し尽くされた大広間とへしゃげた扉だけが残った。


 あれだけの呪いを放った剣は、少女の手のなかで大人しくしている。


「……?」


 まるで、少女のために存在していたように自然に。

 剣を奪われた1521は、驚いたように少女を見つめて、少し眉を下げた。


「……本当は、この実験場は数年前に廃棄される予定だったんだ。アークラス家に関わる子供を利用したギルテアの狂気の人体実験──帝国軍が乗り込んだことで、それは終わった」


 意味が分からない。


「テオラルド・ブラックデッド三大将軍閣下が、アークラス家の内情を暴いたんだ。僕は帝国軍かアークラス家かのどちらかを選ぶように迫られた。……僕が選んだのは帝国軍だ。アークラス家を裏切って、実験場を強襲したんだ」


「……そんなの」


「……すまなかった。アークラス家を処理するために第一と第二師団を動かしたんだ。それほどまでアークラス家は強大で……この地下実験場の上では、大規模な戦闘が起こってる。実験場で被験者になった子供たちは全員解放されたよ……心の病、薬物の影響で魂まで汚されて、神殿復活を経てもほとんどはベッドに寝たきりだ。本当に、もっと早く来られれば……!」


 少女は、ふらふらと膝から崩れ落ちた。

 ふわりと1521の腕の中に抱きとめられる。突き飛ばすような元気さえ、今はなかった。


「アークラス家は、再編される。ギルテアの思想に共鳴した者たちは全員国外追放された。もう、安心して外に出られるんだ」


 1521は少女を抱えたまま、外に出る。

 初めて目にした太陽は、本に乗っていたものとだいぶ違っていた。


「君のために皇帝陛下から新しい名前をもらってきたんだ。僕は兄で、君が妹だよ」


 兄……自分に兄ができるのか。

 こんなのが、兄になるんだったら……まあ、いいかな。本人には言わないが。


 1521──ソフィーヤの顔は、罪悪感で押し潰されそうになりながらも、無理やり微笑んでいるように見えた。


「エルタニア・アークラス。君は、エルタニアだ」


 こうして、少女1540はエルタニアになった。

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