78.『聖女の語る世界平和論』

 ヒメナは、円卓の上でわたしに手を差し伸べた。

 綺麗な手だった。爪が短く切りそろえられていて、彼女の几帳面さが分かるようだ。

 微笑んで、


「単刀直入に行きましょう。リリアス樣、わたくしの『エスメラルダ』派閥に入ってもらえませんか?」


「……? いやいやいや! わたしそういうの全然分からないし……そもそも派閥って何?」


 そこから知らないのだ。


「そうでした。あなたは公的にはまだ王城に入ったばかりの見習い聖女でしたね。失礼」


 公的にはって何だよ。もしかして准三大将軍のことを言ってるのか?

 あれは副業だぞ。わたしは准三大将軍として戦争にも行ってなければ、人を殺したこともないんだからな!

 ……聖女としてなら色々やらかしてるけど。


「ルナニア帝国は多くの聖女を擁しているため、それぞれが自発的にグループを作ってまとまっているのです。それが俗に言う──聖女派閥」


 クラスのトモダチグループみたいなもんだな。それをもっとデカくして影響力も強めたバージョンか。正直言ってこの時点で近寄りたくない。


「普段はあまり意識されたことのない方も多いでしょうが、『聖覧大祭』の時期が近づいてくると途端に派閥争いが起きるのですよ」


「派閥争い……?」


「まず第一として、わたくし──エスメラルダ家が代々引き継いでいる派閥『エスメラルダ』。自慢ではありませんが、所属しているメンバーは寄りすぐりのエリートです。わたくしが直接顔を合わせて誘った方たちですから。最大派閥と王城では通っているようです」


 いや、自慢にしか聞こえねぇぞ。

 それに顔を合わせて誘うだけでも結構大変そうなのに、それを最大派閥と呼ばれるまでこなしたんだろ……?

 陽キャじゃん……。


「第二として、最前線で日々を命がけで過ごしている聖女たちが寄り集まった『ナイチンゲール』。戦場で命を散らしているので数は変動しますが、わたくしたちに次いでの派閥であることは認めるべきでしょうね」


 口調に違和感を感じる。


「……仲悪いの?」


「ええ、それはそれは。確かに戦場で野戦病院を管理している方々には一帝国臣民として尊敬の念を覚えております……が」


 苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


「『ナイチンゲール』の中核メンバーどもは、どいつもこいつも脳筋の野蛮人でして……メイスとモーニングスターが恋人で、人を癒やすことではなく人を叩き潰すことに重きをおいている連中なのですよ。とても聖女とは言えませんね」


「…………あー」


 ラーンダルク王国に凶器を持って突っ込んできた聖女たちって、ヒメナが言う派閥の人たちだったのね……。


『ナイチンゲール』、だっけか。

 あの人たちからは廊下ですれ違うたび色々と声をかけてくれるんだよなぁ。同じ戦場に立ったゆえか、戦友的な扱いをされているような気がする。たまに焼き菓子をもらうぞ。


「最後に……これは派閥と言っていいものなのか分かりませんが、一応『エストグリッチ』があります。三つの学術棟の一角である千年塔──そこに勤務している聖女たちです。あそこは個人主義が強いため特に問題視することはありません」


 つまり、簡単にまとめると、


『エスメラルダ』──ヒメナが認めたエリート集団で、内地勤務のお嬢様たちだ。最大派閥とも呼ばれていて、今わたしが誘われてる最中のところ。


『ナイチンゲール』──バリバリ戦争の最前線で野戦病院を管理してる肝っ玉の逞しい聖女たち。なお、軍人思考。バーサーカーとも言う。


『エストグリッチ』──個人主義ってことは、人と馴れ合わないボッチ集団ってこと? 矛盾してない、それ。千年塔なんて凄いところで働いてるんだから、みんな勉強できるに違いない。全員メガネかけてそう。


 何だか最後だけ適当だけど、大体分かったような気がするぞ。


「で、何でわたしを誘うんだ? もっと成績の良い人を誘えばいいだろ。例えば……ココロとか」


 こちとらイザベラから黒いハンカチを押し付けられて殺戮者とか言われてんだ。わたしを誘ったら色々と面倒じゃないのか?


「ココロ様ですか。もちろん、『白』ですしお誘いしたいと思っていますよ」


 ちらりとヒメナは流し目をココロに向ける。その強い瞳に圧されたようにココロはぴくりと肩を跳ね上がらせた。しかし、すぐさまわたしに目線を戻す。


「ですが、貴女の史上初の『黒』がわたくしは欲しいのです。……どうやら噂は本当でしたね。貴女は自身の行いに無頓着であるようです。リリアス樣の功績は王城に入ってから凄まじい勢いで積み上がっている。わたくしは、その力をぜひわたくしたち『エスメラルダ』のために聖覧大祭にて振るってほしい」


「どういうことだ? わたしに力なんてないぞ」


 そういうのなら帝国軍に頼めばどうだろうか。第四師団長らへんに頼めば辺り一帯を焼き野原にしてくれる。


「『エスメラルダ』の調査網を甘く見ないことです。大聖女を殺し、ラーンダルク王国を滅亡させたのはリリアス・ブラックデッド樣です。違うとは言わせませんよ?」


「違うし! 全然違うし、誤解だ! それに、ラーンダルク王国を滅ぼしたとか嘘言うなよ!」


「彼の国は王国から議会制へと移行していると。情報によれば、貴女が王族を篭絡して堕落させたのだとか」


「捏造じゃねぇか! わたしはそんなことしてないよ!」


 それに、もしもそんなのが事実だったら騎士のラディストールに斬り殺されるんだが?


「公式な記録文書に残されている記述ですが……もしや、リリアス樣は公文書偽造をされたのですか? 記述が違うとなると、その線も──」


 公文書偽造は重罪である。

 やべえ、処刑される。


「あーあー、やっぱ嘘! ちゃんと滅ぼしてきたよ、うん! いやぁ、あのお姫様はちょろかったなあ!」


「ふふっ、流石でございます」


 ちくしょう。後で覚えとけよ。


 ヒメナは身を乗り出して、わたしの顔に近づいてきた。そうして、ぱちりと片目を瞑ってくる。

 自分の可愛さに自信がなくちゃこんなこと絶対にできないな。


「元大聖女のイザベラは『ナイチンゲール』に属していました。そもそも大聖女とは『エスメラルダ』と『ナイチンゲール』が歴代その地位を巡って争い合っていた役職……しかし、貴女がイザベラを大聖女の座から引きずり下ろしたことで、わたくしたちの間には対立の機運が高まっているのです」


「……?」


「貴女は火種なのです、リリアス・ブラックデッド樣。『ナイチンゲール』も大聖女の地位を取り戻そうと必死のはず。そして、今ここに貴女がいる。『エスメラルダ』のお茶会の場に。これがどういう意味を持つのか、賢い貴女はもうお分かりになっていることでしょう?」


「うん。もちろん分かってるよ。大変だよな」


「はい。大変なのですよ」


 全然分からないけど。


 つまるところ、またわたしのせいってこと?

 イザベラを大聖女の座から引きずり下ろした(わたしはそんなことした記憶ないんだけど)ことで、聖女たちの間の仲が悪くなったってことか。

 そんなのこっちに言われても……。


「……そもそも大聖女ってそんなになりたいものなのか? わたしが大聖女を目指してるのは皇帝に命令されたからで……もう一度考え直したほうが良いぞ。大聖女になったらあの皇帝のものになるんだからな?」


 三大将軍になって皇帝のものになったソフィーヤさんとか見てみなよ。魔王のところに連れて行かれちゃったんだからな。

 ……圧倒的常識人のソフィーヤさんが恋しいや。元気だろうか。魔族領とか貧しいらしいし、お腹空いてないかな。


「わたくしはエスメラルダ家として、大聖女を目指すべき正当な理由があるのですよ」


「理由ってなんだよ」


「わたくしは、大聖女となり──」


 ヒメナは髪をかき上げて、立ち上がった。そして、空に向かって手を伸ばし、勢いよく握り込む。


「──世界から無意味で無価値な戦争を根絶するのです!」


「なっ」


 まさかの平和主義者!? ここにもいたのか!?

 ルナニア帝国の上層部に平和主義者がいたなんて驚きだ。

 思わずパチパチと拍手してしまう。


「すごい! ルナニア帝国にこんな人が残ってたなんて!」


「ふふっ、そうでしょうそうでしょう。今の争いは何も生みません。ただ痛みを伴い、苦痛に流れる涙は地に染み込むばかり!」


「その通りだな! ヒメナが正しい!」


「ですので、わたくしはこの世から意味のない争いを全て根絶し、世界平和を希求すべきと考えるのです!!」


「フォオオオオオオ!! 最高! 最高!」


 くるりと回って、ヒメナはきらりと八重歯をきらめかせる。


「さあ、リリアス樣! どうかわたくしにお力をお貸しください!」


「うん、それならもちろ──」


「──ちょっと待って!!」


 いきなりココロが熱く語り合っていたわたしたちの間に割り込んできた。どうしたんだココロ! こんなところに素晴しい平和主義者がいるんだぞ?


「ヒメナさん」


「はい、なんでしょう?」


「あなたが大聖女になった後で、平和を希求する具体的な方法を教えてください」


 ココロはヒメナに負けない強い瞳で彼女のことを睨みつけている。……んん? 大聖女になるんだから、平和に……。

 あれ? そもそもヒメナは大聖女になって……それでどうやって平和にするんだ?


「ああ、それを忘れていたなんて……失敬」


 ヒメナはパチンと指を弾いた。


「わたくしは大聖女の利権でエスメラルダ家を世界規模の大企業とし、その力を持って裏から世界の金融と経済を支配します」


 ……え? 平和は? それただのおしょ──


「いつしか、戦争は全て管理され! お金を生み出すだけの『バラエティー』でしかなくなり! 徹底した管理社会で皆が深く思考せずとも最大幸福で生きていけるように保つのです! その世界では無意味で無価値な戦争は起こりえません! 有意義でお金を際限なく生み出す『バラエティー』が計画的に実行されるのです!」


「…………え?」


 それって……。

 ちらりと横を見ると、ココロとクロエがドン引きしている。

 そりゃそうだもん。


「そう。それは、エスメラルダ家の夢見た世界──『パクス・エスメラルダーナ』の完成!!」


「思いっきりディストピアじゃねぇか!!」


 ヤバすぎだろ。皇帝もエルタニアさんもアリスもドーラ姉さんも第四師団長もそうだけど、この国にはなんで頭のおかしい連中しかいないんだよ。

 やはり大きすぎる力は頭をアホに変えるのか。

 大聖女の利権とか言ってるし……ヒメナは大聖女の立場で汚職する気満々らしい。


「ディストピア? 何を言っているのか分からないですね。皆が幸せに暮らしているのなら、そこはユートピア──楽園ではないのですか?」


 本気か? 本気で言ってるのか?

 ヒメナは天を仰いで恍惚とし始めた。それはまるで恋する乙女の顔。全世界ディストピア化計画の後にこんな顔をされても困るって。


「……ねえリアちゃん。この人はここで始末しておかないと手に負えない化け物になる気がする」


「待ってココロ、その歯ブラシでなにをする気なの」


 ココロはココロで殺人の提案をしてきた。

 最近ココロが清楚系穏やか美少女の皮を脱ごうとしてるのを良く見る気がする。わたしが大聖女になったら、ココロは一体どうなってしまうんだろうか。


 クロエは完全にぽかんとしてしまっている。うんうん、普通そうだよな。訳わかんねぇことを自信満々に聞かされたらそうなるよ。


「そこで!」


 ばっ、こちらに向き直る。迫ってきやがる。

 わたしの顔が引き攣っていなかったことを誰か褒めて欲しい。


「聖覧大祭の期限中だけでもいいですから、貴女の類まれな力をわたくしにお貸しくださるととても嬉しい」


「えっと、それは……またのご縁があれば前向きに検討するとのことで……」


「わたくしが大聖女になった暁には、後任に貴女を指名することもできますが、いかがでしょう?」


 電流が走ったような気分だった。


 え、でもそれって……。

 やっぱりおしょ──


「だ、駄目だと思います……! 汚職です! 裏取引です! いけないことだと思います……っ!」


 クロエの悲痛な叫びが場の空気を切り裂いた。そ、そうだよな……裏取引なんていけないよな……!

 ありがとう、クロエ!

 危うく汚職聖女になってしまうところだったよ!


「何をおっしゃいますか、クロエ樣。わたくしはただ、リリアス様に『理想』の提案をしたまでですよ」


「それは、」


 にこにこしながらヒメナはクロエの方へ向かう。


 迫られてる姿は普段のわたしと皇帝のようだった。へー、三人称視点から見ると皇帝って完全にヤクザじゃんね。


「ほら、紅茶でも飲んでゆっくり落ち着いてお話いたしましょう?」


 ヒメナはクロエの手を包みこんで、カップを持たせる。


「えっと、その」


「ほーら、いっき、いっき!」


 ……その合図、なんだかゾクゾクしてしまう。


 ヒメナの圧力に負けて、紅茶を飲んでしまったクロエ。


「ウボェぁ」


 その場にガクン、と崩れ落ちてピクリとも動かなくなってしまった。口からは泡が吹き出して、目は白目を剥いている。

 そばに待機していた別の聖女が担架で担いてクロエを庭園から連れ出した。


「……」「……」


 後に残されたのは、顔が真っ青に染まったわたしとココロ。

 ヒメナは良い笑顔で席に座り直す。


「あら、いかがなされました?」


「……」


「クロエ様は、きっと疲れが溜まっていたのでしょうね。あの紅茶はリラックス効果のあるハーブを存分に入れましたから」


 いや、絶対なんかイケナイモノ入れただろ。

 聞いたこと無い声出してぶっ倒れたぞ。


「さあ、有意義なお話し合いを始めましょう?」


 ヒメナの輝くような笑顔を見て、わたしは逃げられないことを悟った。

 その日、わたしとココロは『エスメラルダ』派閥との協力関係を結んだのだった。

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