76.『エスメラルダへの招待状』

 『学び舎』。


 貴族枠で入ってきた聖女ならともかく、公募枠の聖女は教育が行き届いていない場合が多い。そのために用意された特別な学校のようなものだ。

 外国語や数学、魔法理論や魔法実践、護身術や礼儀作法、果てには皇帝の好む肩の揉み方なども独自で教えている。


 そんなのは、ちゃんとした『学園』にでも任せればいいと思うのだが、そこは皇帝の趣味が優先された。

 この王城では、あの皇帝が法律のようなものだ。噂では学び舎の中には無数の監視魔石が設置されており、皇帝は年若い聖女のあんなところやこんなところを楽しんでいるらしい……。

 そんな魔境で、わたし、ココロ、クロエは揃ってお勉強をするのだ。


 本日の授業は、『魔法基礎概論』である。

 魔法の仕組みから、どうやって物理的な作用を引き起こしているか。なぜ魔法がそのように進化してきたのか。魔法そのものの概念と理屈を頭に叩き込むのだ。

 実践はなし。


 ……うーん。つまんなそう。


 大きな講堂はその授業の評価を示すようにまばらな数しか埋まっていない。


「リアさんはどこに座りますか……?」


「寝てもバレなさそうなところってど──」


「一番前。教壇の前にあるあそこの席に座ろ?」


 にっこりとココロが笑う。


 ひえっ。

 分かったよ、分かったってば……。


「……ココロさんって、良く分かりません」


「わたしも良く分かんない。授業聞いても眠くならない自信があるのかな?」


「……根本的にリアさんの疑問ってズレてるときありますよね……」


 わざと意識しないようにズラしてんだよ。

 普段優しい人が怒ると怖いんだ。

 わたしの勘によると、ココロがマジギレしたら世界は滅ぶね。間違いない。

 皇帝なんぞ目じゃねぇぞ。


 周りを見渡す。

 やっぱり、貴族らしい人は少なかった。貴族出身の聖女は各家で基本的なことは全て学んでくるからな。魔法のあれこれなんぞ、もうとっくに学び終わってるだろ……って。


「あれ、さっき因縁つけてきたチンピラ聖女じゃん」


「本当だ……」


 取り巻きはいない。ただ一人で講堂の端っこでノートを取っていた。先ほどまでの高飛車な様子は鳴りを潜めて、もくもくと書き物をしているところを見ると、どこかしらの修行者に見えてくる。


「あの人、魔法が苦手なのかな」


「さぁ?」


 授業開始の鐘が響く。

 壇上に出てきたのは、法衣を被ったおっさんだった。

 生気の薄い目で講堂内をじろりと見渡すと、抑揚の少ない声で滔々と語り始める。


「ごきげんよう。聖堂委員会所属の上級審問官、ラリーホージンだ。皆さんには魔法の基礎理論を今一度実感し、ともに魔法がなんたるかを確かめ、定義し、理解してもらおうと思う。まず、ドラリゲルの魔力変換公式の基礎から始めていこうか。かの家は物質の外部的要因による『破壊』を軸に魔法を組み立て、魔力変換公式を生み出した。この際、破壊は分解、蒸発、圧壊──その他に置き換えても構わない。もっとも重要なのは物質の構成を変化させずに外部要因のみで破壊を試みたことだろう。それにより、魔力変換公式がもっとも純粋に確かめられたため、ドラリゲルの名を関しているのだ。六次元ベクトルを利用し、属性を束ねるとこのようなシンプルな式へ変わる。『F=(En)M³』。Fは魔法による純粋な作用力。Eはエレメンタル、つまり属性だ。Eについているnは属性を重ねたときの計算式をそこに代入するためのもの。そしてMは魔力量。魔法にいくら魔力を込めたかという目安だ。ここで注目してもらいたいのは、魔力量は込めた魔力がいかなる性質を帯びていても魔法の物理作用は三乗に合致する。これはなぜかという議題はぜひ研究棟に行って唱えるといい。高次元ダイナミクスと線形回帰の知識が必要なため、数学応用の講義を事前に受けておくこと。興味があれば有意義な時間となるはずだ。さて、一般的に魔法を使うとなると詠唱が必要となる。詠唱の始まりには『代行者たる〜』と続く。これは魔力に意識を通して命令しているためだと言われている。言葉は意識を強固に補強する単なる修飾に過ぎない。魔力の正体については未だに各研究棟にて議論が続いている。魔法は魔力を消費している。しかし、大気中の魔力は一時的に減ることが確認できても、空間から自然と湧き上がり、一定になるように保たれているのだ。私の支持する学説では、魔力は時間に縛られず、時空間上を粒子ではなく限りなく細い線として現在、過去、未来に跨がって存在しているのではないかというものだ。曰く、『魔力の内在エネルギーは十一次元の局所的時空層に偏在しており──』」


 ……。


 …………。


 ……………………。


 ……んっ?


 いつの間にか、終わりの鐘の音が響いていた。

 ココロは真剣にノートを取っていて、クロエはわたしと同じく顔をぽかんとさせたまま呆けている。


 ……時が飛んだ?

 わたしが瞬きした瞬間に、世界が二時間進んだとでも言うのだろうか。


 法衣を被ったおっさんの挨拶が相変わらずの感情の薄い声で発せられる。

 あの、一つも頭に入ってこなかったんだけど……。


「……クロエ。分かった?」


「全然分かりません……あのおじさん、何を言っていたのでしょう……?」


「そっか。そうだよな!」


 何だか安心する。

 あのおじさんの声は催眠毒電波なのだ。眠くなるならまだしも、時間感覚が吹っ飛ぶなんて正気の沙汰ではない。


 あんなのに耐えるなんてココロは本当にすごいな……!


「あらあら、仲良く二人でお昼寝していらっしゃいましたわね、ブラックデッドさん?」


 と、ここで一番耳に入れたくない声が聞こえた。

 目を上げると、そこには腕を組んでふんぞり返っているチンピラ聖女(先輩)がいる。

 ……その突き出した顎に下顎砕きを撃ち込んでやろうか。ちょうどこの間のメルキアデス戦では不発だったし……。


 そんな少し危ないことを考えながら、わたしは素直に今思ったことを口にした。


「げぇ……」


「人の顔見るなり失礼ではないですかっ!?」


 先輩はぷんぷんと怒り出す。


「まったく……『お嬢』はこのような愚鈍で知性の欠片もないぬぼーっとしたやつのどこが良いのか……理解不能ですわ……」


 もはや言い返す気力も湧かない。ぬぼーっとしたやつとか、散々なことを言いやがって。

 でも、


「悪いな……わたしはモテまくりなんだよ……その『お嬢』とやらは知らないけれど、サインならあげられるぞ」


 適当にそこら辺のメモ帳に、わたしの名前とデフォルメ猫を書き込んで渡しておく。


 どうだ!

 結構な出来だろ? サインの練習は引きこもってるときにやっていたからな! 八年間の努力を舐めんじゃねぇ。


 先輩聖女はわたしのサインを見た。

 デフォルメした猫が出迎えた。


「……チッ!」


「ちょ!?」


 真っ二つに破り捨てて、放り投げる。


「ゴミはゴミ箱に捨てろよな!? 後わたしのサインをゴミ扱いしたことは末代まで呪ってやるぞ!」


「ゴミ扱いしたのはあなたでしょう!? ──わたくしを『エスメラルダ』のシリルと知っての狼藉ですか!?」


「知らなかった。ごめんね」


「ふざけてますわっ!」


 有名な人?


「最大派閥『エスメラルダ』のリーダー、ヒメナの腹心シリル・クリスタライズ……! 氷雪魔法のエキスパートで高飛車傲慢、貴族の悪いところを濃縮還元したような性格、年齢は二十五歳!」


「アァ?」


「ふえっ……!?」


 クロエがシリルに睨まれて縮こまってしまった。


 派閥?

 なんだか大変そう。


「っ! あなたにお嬢から招待状が届いているはずです! 一緒に来てもらいましょうか!」


「な、なんでわたし!? 招待状? 何それそんなの貰ってないぞ!」


「あなたは昨日の晩にお嬢の招待状を受け取ったではありませんか! わたくし影から見ていましたの」


「ストーカーだ!」


「ストーカーではありませんっ!! 偵察です! お嬢がわざわざ招待状を出す相手がどんな方なのかを確かめるための偵察ですわ!」


 ……?


「……もしかして、さっき廊下で絡んできたのって」


「……べつに、ぐうぜんじゃないですか?」


 ココロ、助けて!

 わたしストーカーされてたよ!


「……ごめんなさい、リアちゃん」


 ココロは懐からへしゃげた封筒を取り出した。

 差出人はヒメナ・エスメラルダ。


 じっとりと汗が滲む。


「……それ、わたしの?」


 こくりと頷くココロ。


「昨日の晩に、リアちゃんが持ってきたの。言い出すタイミングが遅くてごめんね?」


「あれ招待状だったの!? 宗教勧誘かと思って放置してたんだけど」


「舐めたこと言ってんじゃねぇぞ、このクソガキッ!」


 ぶっとい氷柱が私目掛けて飛んできた。

 それをココロは【反射】の魔法で相殺する。


「リアちゃんを傷つけることは、この私が許しません!」


「……チッ」


「めちゃくちゃおっかないんだけど!?」


 本性見えたぞ! 完全にチンピラじゃねぇか!

 怒りに震えたシリルだが、一転して笑顔を浮かべてこうのたまったのだった。


「……ふふふっ、ですがこれでお嬢に会いに行くしかなくなりましたわねっ!! ざまぁですわ!」


 青筋が浮かんでいる。

 無理な笑顔はやめたほうが良いぞ。

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