75.『チンピラ聖女』

 ルナニア帝国のクソみたいにでかい王城の一角には、『学び舎』と呼ばれる区画がある。

 つまるところ、小さな学校だ。

 わたしは別に行きたくなかったけれど、ココロに『賢いリアちゃん、私見てみたいなぁ』と諭されて、ちょっとだけ覗いてみることにした。


 そんなこんなで、今まで足を踏み入れてこなかった学び舎に行ってみると──


「あら、ごきげんよう、ブラックデッドさん。雑巾がけは終わりました?」


「まあまあ、聖女にまでなってどういうつもりかしら?」


「将軍の家系のブラックデッドがなぜ神聖なる聖女を育てる学び舎にいるか意味不明ですわね! あなたは雑巾がけ係でしょう?」


「「「おーっほっほっほっ!」」」


 ……見事に絡まれてしまった。


 というか、聖女任命の時は『ブラックデッド』ってだけで怖がってまともに話しかけてこなかったのに。一月も経たない内に態度をくるくるしてやがる。

 まあ、出会い頭化け物を見たような悲鳴をあげて逃げ出してしまう(一敗)よりは良いと思うんだけどさ……。


 ココロがひそひそと耳元で教えてくれる。


「……リアちゃんが雑巾がけをしてるのを嘲笑ってた人たちだよ。『雑用』とか『雑巾がけ係』とか……」


「え」


 たったそれだけで、態度を百八十度変えられたの?


「ねえココロ。もしかして、わたし舐められてる?」


「……たぶん?」


 ブラックデッド家。家訓『舐められたら殺せ』の適用範囲内になってしまうぞ。


「おい、君たち」


 わたしは肩を怒らせて、ずんずんと歩み寄っていく。聖女たちはびっくりしてこちらをまじまじ見てきた。


 ぴくりと肩が震える。

 やばい。もうちょっと丁寧に言えば良かった。

 先に聖女になって働いている先輩たちに向かっていきなり『おい』とか、ブチギレられてもおかしくない。


「わたしが雑巾がけをしていて何が悪いって言うんだ」


「だって、あなたは聖女なのでしょう?」


 その先輩聖女はわたしに向かって小馬鹿にしたように笑った。

 いかにもな貴族らしい豪奢な飾りつけをした服。皇帝よりも少し濃い色の金髪はふんだんに飾り立てられていて、青色の瞳は自信を示すようにつり目気味だ。


「聖女が雑巾がけなんて、普通しないでしょう。そういうのはメイドのお仕事ですわ」


「最近は色々な働き方っていうものが……」


「詭弁ですわね」


 うぐっ。


「それにあなた、普段学び舎に来ていないじゃありませんか。日々学び続けることこそ帝国臣民としての勤めでしょうに、それをおろそかにするなど何事ですか!」


 ……ん?

 これは、学校来いよぉ的なことを言われているのか?


「それで何をしているかと思えば、廊下の雑巾がけです。わたしたちはあなたの聖女然とした姿を一度たりとも目にしたことはないんですのよ!」


「心外だ! この前ラーンダルク王国に行って国家存亡の戦いに巻き込まれてきたぞ! 鋼鉄の機械巨人と戦ってきたんだ!! 死ぬかと思った!!」


「そんなの聖女じゃありませんわ!!」


 確かに! すごい正論を言ってくるぞ、この聖女!


「それでいて、あなたは大聖女を狙うというわけの分からぬことをほざいたのですね? ふざけていますわ! こんなちんちくりんが大聖女に相応しい訳がない!」


「なんだと!? 誰がちんちくりんだって!? これでもわたしは毎日苦手な牛乳を三杯は飲んでるんだぞ! 今に見てろよ、いずれこの世界を圧死させるほどのぐらまらすでせくしーなばくにゅ──」


「あ、あの……っ!!」


 先輩とわたしの間には煉瓦色の巻き毛がふわりと飛び込んだ。


 クロエ・マッキンジャー。

 先日のラーンダルク王国の復興支援団体で魔石越しに話したことがある。

 そんな彼女が顔を真っ赤に染めて、叫んでいた。


「こんな廊下の真ん中で言い争わないでください……っ!」


「……」「……」


 ふと、辺りを見渡せば野次馬が輪を作ってわたしたちの口喧嘩及びいつ手を出すのかをわくわくしながら見守っていた。アリスが最前列にいた。手を振ってきた。……ちょー恥ずかしいんだが。何だコレ。


 先輩聖女が髪をかきあげて、ふんっと鼻息を鳴らす。


「……興が冷めましたわ。いいでしょう。そこまで言うのでしたら、今度の聖覧大祭では凄い結果を残してくれるんですのよね?」


「聖覧大祭? なにそれ?」


「ハッ! 憎たらしいほど白々しいですわね。馬鹿に何を教えたところで馬の耳に神話、豚にエメラルドですわ!! 失礼しますっ!!」


 たぶんめちゃくちゃ高いブランドものの革靴を乱暴に鳴らして、取り巻きたちを連れて向こうに行ってしまった。

 野次馬がココロによって散らされていく。

 今更だけれど、身体が震えている。


「ねえ、ココロ……! 質問しただけなのに悪口言われた! わたし豚じゃないもん……!」


「よーしよーし、リアちゃんはなーんにも悪くないからね」


 ココロがわたしの背中をぽんぽんしてくれた。ココロの服の裾をきゅっと握ると、やっと安心できた。

 ほっと一息つく。


「あの、大丈夫でしたか……?」


「えっと、クロエ・マッキンジャーさんだったっけ?」


「あ、はいっ……その節は大変お世話になりました……その、クロエでいいですよ。リリアス准三大将軍閣下」


「じゃあわたしもリアでいいよ。……助かった。あのまま行ってたら、大騒ぎになるところだったよ」


 クロエは巻き毛を揺らして、小首を傾げる。


「……? ……『わたしが怒ったら全員挽き肉にしてしまう』、的な……?」


「違ぁーう! どこのサイコパスだよ!?」


 そんなの聖女じゃないだろ。

 勇者アズサを殺してしまった一件からわたしは学んだのだ。

 勇者、聖女やら文官……そういうか弱い存在をぶち殺すとそれ相応の罰がついてくる。だから相手が暴力に訴えでない限りはこちらからはノータッチだ。

 ……帝国軍の軍人? 知らん。勝手に殴り合っててくれ。わたしも気が向いたら殴るから。


「それにしても学び舎って治安悪すぎだろ。あんな聖女の皮を被ったチンピラが因縁をつけてくるなんて」


 もう二度とこんなところ来ないからな!

 大嫌いな場所ランキングが最近は目まぐるしく更新されていくぞ。


 クロエは慌てたように弁明する。


「……たぶん、あの人たちは聖女に『貴族枠』でなった人たちですから……私たちのような『公募枠』で入った人に対して、当たりがキツイんだと思いますよ……」


 聖女を良く輩出している貴族には『貴族枠』という特別な枠が取られる。質の高い教育と回復魔法を覚えさせて『貴族枠』に送り出すというのは、国から見ても貴族から見ても良い事ずくめだ。

 対して、平民が聖女になるには『公募枠』から取られる。様々な学力試験や魔法試験などを乗り越えた先に、聖女がある。

 ここでようやく『貴族枠』と『公募枠』が出会うのだ。


「そういえば、ココロのお家って貴族だよね?」


「……うちは、『貴族枠』なんて貰ってないよ。ただの小さな貴族っぽい一族だからね」


 ココロは何だかもごもごしている。


「貴族枠かぁ。わたしのブラックデッド家……一応帝国勃興の頃からある大貴族なんだけど……しょうがないよな」


 なお、大貴族であるブラックデッド家だが、今までろくに聖女を輩出せずに三大将軍ばかり輩出してきた家に『貴族枠』なんてものが与えられるはずもなく、わたしは『公募枠』での聖女となった。


 ……父さんと皇帝の間にも色々怪しいところはあるけれどな。裏口聖女なんて冗談じゃない。


「……! い、いえ、決してブラックデッド家がちゃんとした貴族じゃないなんて、私は考えてませんよ!」


「気にすんなよ。うちなんて所詮、聖女を輩出してる頭の良い貴族連中に比べたら猿山の大将みたいな存在だからさ」


 ブラックデッド家を『脳筋一族』だと公に侮る人たちも確かにいた。

 なお、その人たちは一族の襲撃にあって屋敷に火をつけられた。

 その後に全員があらぬ罪を着せられて国外追放。裏でどんなやり取りがあったのかは誰も知らない。

 真っ黒で怖すぎるブラックデッド家なのだ。


 それ以来、公にブラックデッド家を侮る人たちはいなくなったけれど……どうやらわたしは例外みたいだ。なんでだろ?

『失敗作』だから父さん母さんが見放しているとでも思っているんだろうか?


 うーん、謎だ。


「……そうだ。もしよろしければこれから一緒に『魔法基礎概論』の授業を受けに行きませんか……?」


「ん? まあ、いいけど……」


 わたしの言葉に、クロエが胸を撫で下ろしている。最初に逃げ出された時に比べれば、まだビクビクしているが随分と変わった。

 その理由を訊ねてみると──


「……私、ブラックデッド家って家で聞かされたお伽噺だととにかく怖くて、まるで枢緋境に出る『鬼』みたいな話しかなくて……」


「オニ……」


 鬼。魔族の一種で残虐非道で力の強い化け物である。……あれ? そのものじゃないか、ブラックデッド。


「でも、あの時の魔石越しで聞いたリアさんは、とっても凛々しくて、頼もしかったんです……私、悔い改めました! 今は憧れています……っ!」


「う、うん。それは、なにより……だな?」


「サインください……っ」


 眩しいっ! キラキラした目がめっちゃ眩しいよ!

 色紙とサインペンが出てきた。思わず受け取ってしまう。どこから出したんだ?


「……私でもまだ貰ったことないのに……」


 隣でココロが地獄の底から響くような声をクロエに向かって囁いている。

 なんでだよ。


「サインならいくらでも書いてあげるよ?」


「……そうじゃないんだよ、リアちゃん……」


 最近ココロが良く分からない。

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