73.5-3.『裏エピローグ・359°』

 燃える鉄の残骸がある。

 地下深くまで落下して、そのままラーンダルクの王城を潰して、出来た大穴の底。

 そこで、燃え盛る鉄を押しのけて転がる男がいた。


「……助かった、のか……?」


 メルキアデスは、大穴の底から明るくなっていく空を見上げた。

 紺から紫、そして水色と変化していく空。隠れる星たち。


 リリアス・ブラックデッドに殴られた頬は酷く痛んだ。だが、何を思ったのかリリアスは拳に必殺の黒光を帯びず、そのまま殴ったのだ。

 殺そうと思えばいつでも殺せた。だが、メルキアデスは生き残った。


「……なぜ」


 リリアスは、メルキアデスに生きろというのか。


 炎が静まっていく。

 メルキアデスは、震える左手を天に向けて伸ばした。

 意識が刈り取られる間際、メルキアデスはリリアスの言葉を聞いていた。


『メルキアデス、お前はやり方を間違えたんだよ』


「やり方、か」


 あの時、自分にはこの方法しか思いつかなかった。滅びゆくラーンダルク王国を救うためには、非情に撤しなければならなかった。

 それが、間違っていたのか。


 ……分からない。

 メルキアデスには、分からない。


 だが、レオネッサ殿下の気持ちを無視していたことは、確かだった。

 殿下は、あの王たちに全ての責任を負わされた可哀想な子供だった。少なくとも、それは事実だった。

 いつも機械のように心を閉ざして、機械人形であるアスターリーテの助言を貰う……その姿に何度憐れに思ったことだろうか。


 しかし、殿下はいつの間にか変わっていた。

 自分の考えを持つようになり、それを信念に変えられるほどにまで成長していた。

 それは、殿下がもう守られるだけではない、大人になった証なのだろう。


 そして、それを気づかせてくれたのは──


「……リリアス・ブラックデッド……」


 空の上での決闘では、弱いながらも食らいついたあの少女。真の力で完膚なきまでにメルキアデスを叩きのめしたあの少女だ。

 彼女は、ただ友のために戦っていた。


「……俺は」


 聞かなければならない。

 そして、確かめるのだ。

 リリアス・ブラックデッドが選ぶ未来を。


 その先に、きっと答えはある。


 この夜、全てを失った。

 この夜、もう一度歩き出す決心をした。


 ならば、再び歩き出そう。

 レオネッサ殿下のそばに、誇りを持って立てるように。


 簡易復活の影響で、すでに身体の大部分は枯れ葉に変換されて、崩れてきていた。

 まずは神殿復活。次にこの国を出ていくのだ。世界を回ろう。まだ知らない景色がきっとあるはずだ。

 全身の重荷が取れたような気分だった。


 メルキアデスは、ゆっくりと自分の足で立ち上がる。

 目の前に、ラディストールの姿が見えた。

 死にゆく前に見えた妹の姿。なぜか安堵の息が漏れた。


「……処断しにきたのか」


 これもまた、騎士の務めだ。

 裏切り者の処刑。

 双子の妹であるラディストールに、殺されるというのは、存外に悪くなかった。


「……待て」


 しかし。


 あの地下通路でメルキアデスはラディストールを殺した。簡易復活を経てから長時間たったはずだ。

 なぜ、ラディストールの身体はまだ維持できている? 枯れ葉に変わっているところが、見当たらない。


 疑問が鎌首をもたげる。



 次の瞬間、メルキアデスの両肩口からゴッソリ、肉が抉り取られて消失した。



「グアっ゙、ぁああああああアアああ!?!?」



 おびただしい量の血が流れて、メルキアデスは倒れ伏す。ただ、絶叫した。


 見えなかった。

 何が起きたのか、ラディストールが何をしたのか、全く見えなかった。両腕を消し飛ばしたという事実だけを叩きつけられたかのような、そんな理不尽。

 足音を立てずに歩み寄ってきたラディストールは、メルキアデスの目の前にしゃがみ込む。


 目が合った。

 底の知れぬ、深淵が見えた。


「おまえは……ラディストールでは、ない……?」


 明らかに雰囲気が違った。ラディストールは、こんな顔をしない。こんな目をしない。兄であるメルキアデスはそれを良く知っている。


「思慮が足りぬな」


 ラディストールそのものの声。だが、そこに一滴の蜂蜜のような甘さと毒が含まれている。


「リリアス・ブラックデッドは己の力を忌避している。烈日帝の封印が機能している影響だろう。ゆえに、かの力が解き放たれる前に、君は彼女を殺すべきだった」


「……おまえは、何者だ……」


「おや、言っていなかったか」


 ラディストールの外面が、脱げた。

 そうとしか形容できなかった。


 肉を裂いて、内臓を飛び散らせながら、血にまみれて登場したのは、日傘をさした少女の姿。

 身長も、服も、日傘さえ……何もかも物理的にありえないところに収まっていた少女は、こちらをゆっくりと振り返った。


「ルナニア帝国軍の第一師団長、リリーシャーロット」


「……ルナニア帝国……」


「ラディストールは、簡易復活などしていない。ラディストールの魂が肉体を離れたときより、すでに私の支配下にあった」


 そうだ。

 思い出した。なぜ、忘れていたんだ。

 彼女こそ、メルキアデスに『千年甲冑』を与えた人物。

 疑問が無数に噴出する。


「リリアス・ブラックデッドの……力は……あの力はなんだ……!」


 ぼたぼたと血を垂れ流しながら、メルキアデスは彼女に向かって吠えた。

 答えはすぐに返ってきた。


「君が求めてやまない邪悪な巨竜の力だ。ブラックデッド家は祖にブラックドラゴンを持つ。ならば、その力が受け継がれていても不思議ではあるまい」


「……ブラックドラゴンの、力……」


「まだその一端の力を振るっているに過ぎない。しかし、解放を重ねていくことで成熟していくとアンネリースは考えているようだが」


 くるくると傘を回すその手はほっそりとしていて、まるで何かの冗談のようだった。


「『千年甲冑』は竜を撃ち落とした実績を持っている。しかして、それは使い手が優れているからに他ならないとようやく証明できた。白銀の騎士は、所詮道具だったのだと。──ならば、伝説は伝説のまま埋もれさせよう。量産体制はすでに整っている。これからは、道具の時代だ」


「……ッ」


 量産? この女は何を言っている?

 ルナニア帝国は、一体何をしているというのだ?


「オリジナルの『千年甲冑』に備わっているとされる特異な力を発現させようとしたのだが……私が選んだ君は、どうやら不適格だったようだ」


 ようやく分かった。分かってきた。

 メルキアデスは最初から間違っていたのだ。


 震える膝をついて、立ち上がる。

 勝ち目などないことは、承知の上だ。

 だが、立ち上がらねばならない。


 あの少女リリアスのように。


「……今までずっと勘違いをしていた。邪悪な巨竜の力。つまり、邪悪なのは巨竜であって、力ではない。『千年甲冑』も、それを駆る者の心が相応しくなければ、真の意味で白銀の騎士になることなんて、できなかったんだ……!」


 叫ぶメルキアデスに、リリーシャーロットは退屈そうに呟いた。


「今さらそれに気づいたところで、もう遅い。君はリリアス・ブラックデッドに負けたのだ。そして、もうその影響を受けてしまった。今考えているそれが、リリアスの影響を受けている証左だ」


 この化け物は、リリアスやレオネッサの決意や決心に何の敬意も払っていない。こんな誰とも知れぬ横槍で、全てを台無しにされては敵わない。


「アンネリースは全ての駒を管理している。しかし、イレギュラーな駒は排除せねばならない。それが私に与えられた責務なのでね」


 魔力を練る。

 この場全ての魔力を集めて、この化け物に叩きつける。

 こいつを、リリアスの前に出すわけにはいかない。


 あの少女を、穢させるようなそんな真似はさせない。


「アンネリースも面倒なことをしてくれる。『千年甲冑』の起動実験ならば、もう少し別の手段もあっただろうに。……調整役も大変だ」


「……俺は、リリアス・ブラックデッドから新しい人生を学び得た……。──皇帝の犬。お前たちに人生の価値を決められてたまるか。俺は、駒ではない! そして、彼女は──リリアス・ブラックデッドは自由であるべきだ!」


 リリーシャーロットは足音を立てずに近づいてくる。ゆっくりと、静かに……まるで雨上がりの街道を散策する令嬢のように。


「吠えるだけの畜生に何ができる」


「……何もできずとも、抵抗したという意志が重要なんだ。それが次に、また次に受け継がれていくんだ──」


 人間を舐めるなよ、皇帝!


 膨大な魔力が渦巻き始める。それは蒼白い光を放ち始め、熱を──


「【代行者たる我が名はゴストウィン! 光の精」


「君はリリアスの憎むべき敵のまま、




 ──沈んでいけ」




 無造作に歩み寄ってきたリリーシャーロットに、額を人差し指で弾かれた。




「────────……」




 瞬間、全てが白く染まる。

 記憶が砕け散り、バラバラの欠片になって、つながりが断絶されて、意味を失い──そして、全て彼方へと消え失せた。


 後に残されたのは、


「……?」


 抜け殻だ。

 今やなんの情報も記憶も意識も持たなくなった肉塊は、光を失った目で何にも焦点を合わせることもなく、口をだらしなく開けてよだれを垂らしている。


 かつてメルキアデスであった魂は、漂白された。

 もう戻ることのない永遠の旅を意識の狭間の中で漂い続けることだろう。


「やはり、君は不適格だ」


 リリーシャーロットは空間に溶けるようにして消えていく。


 抜け殻は、ただ空を仰いで首を傾げる。

 空が青かった。

 抜け殻は、それだけで涙が流れていた。


 入れ替わるようにして、ココロがやってくる。


「……まだ生きてたんですか?」


 ゴミを見るような目。だが、抜け殻はその目の意味するところが分からない。


「……?」


「皇帝に依頼された『千年甲冑』は壊れちゃいましたし……『久遠に燃える炎』とかのサンプルを回収する予定だったんですけれど……。最後の言葉ぐらいは、聞いてあげます」


 メルキアデスの頭の上にココロの足が乗っていた。


「何かどうぞ」


「……? ……」


「……そうですか」


 ココロの足が踏みつけられた。

 頭蓋を陥没されられて、メルキアデスは理由もわからぬまま絶命した。


「本当に無責任です」


 吐き捨てるような聖女の言葉だけが、この場に響いていた。

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