73.『表エピローグ・90°』

 私は、地上に仰向けのまま倒れ込んでいた。指先の一つも動かせない。

 黒い髪が色の抜けるように真っ白な髪に戻ってくる。表面が剥離するように、赤い瞳は、その奥の青い瞳へと交代していく。


「……ちくしょう……まだ、レオネとやることが──」


 私は一人。こうして倒れている。

 耐え難い喪失感と虚脱感。記憶の糸がほどけるように消えていく。意識が靄に覆われていく。黒い霧が、私の意識を包み隠して──


「……さむい……」


 目を閉じようと、


「リアちゃああああああんんんっっっ!!!!」


「うっ!?」


 大音量の叫びに頭を殴られた。

 薄目を開けて、ぼやける焦点を必死に合わせる。


 ココロがこちらに向かって走ってくるのが見えた。その顔は笑顔のように見えて、迷子の子供が泣き出す寸前のようにしかめられてもいた。

 そして、


「……リリアス、さん……!」


 ココロの手に引っ張られているのは、レオネだ。


「……ココロ、レオネを見つけてくれたんだ」


「うんっ!!」


 ぐいっ、とココロの顔が視界を埋め尽くす。そうして私の手を胸に抱えてもみもみしてくる。

 ちくしょう、手に感覚が残っていないせいで全然胸の感触が伝わってこない……。

 後から恐る恐るこちらの顔を覗き込んでくるレオネ。なんでそんなに泣きそうな顔なんだろうか。


 笑えよ、レオネ。

 君が笑えるために私はここまで頑張ったんだぞ?


「……ごめんなさい……ごめんなさい……私がもっと上手くやっていれば、メルキアデスにリリアスさんが決闘を挑む必要なんてなかったのに……」


「何のこと……?」


 レオネは私のもう片方の手を握り締めて、胸まで上げる。

 なんとも素晴らしい光景だ。両手に花というやつだろうか。しかし、あいにく両手とも感覚が消えている。


「私は、リリアスさんを……利用しようとして、色々と疑ってしまって……!」


「初対面でいきなり友だちとか……どこのアリスだよ……疑ってかかるのが普通でしょ……」


「でも、私は──!」


「うるさいなぁ……いいから私の話を黙って聞いて!!」


「っ」


 微かに漏れ出している黒い魔力が激しい電光を散らせた。


 レオネは咄嗟に手を離して後ろに後退る。

 私はゆっくりと手を伸ばして、レオネに突きつけた。


「終わり良ければ全て良しって言葉がある。それでいいじゃん。……私を利用した? 私を疑った? 大いに結構! 美少女に利用されるのも疑われるのも大好物! 後で丸く全部収まったならそれでいい!」


「……あなたは」


「それでも自分を許せないていうならさ、私が罰を与えてあげる。こっちに来て」


 ぴくりと身体を震わせる。


「いいから!」


 そろそろと歩み寄ってきたレオネ。その顔を私はぐいっと近づけさせる。

 相変わらず透明で綺麗な瞳だ。……でも、その瞳に流れる涙が気に入らない。


「いい? 私はこれから眠る。眠った後は何にも知らない無知で貧弱な『わたし』が出てくる。その面倒を友だちとして見てやってほしい」


「友だち……?」


「そうだよ。友だち。……断ろうったってそうはいかない。これは罰なんだから。──私を散々命の危機に巻き込んで、引きずり回して、挙げ句の果てに古代の大戦兵器とまで戦わせた、そんなお姫様への罰」


 レオネは薄っすらと微笑んで、私の目を見つめてくる。


「そんなので、いいのですか……?」


「友だちをそんなの呼ばわり? 随分とリア充な人生を送ってきたんだね……羨ましいや」


「……ふふっ、分かりました。必ず、あなたのご友人でいることをここに誓いましょう」


 私が笑うと、レオネも涙混じりでクスクスと笑ってくれる。


「……むぅ。リアちゃん……」


「ココロ、レオネと仲良くね」


「……分かった……」


 ココロはぷいっと顔を背けてしまう。


「じゃあ、前座はやっつけたんだ。レオネの戦いの本命は──ここからでしょ?」


「っ!! ……はい!」


 身を引き締めて、レオネは頷いた。

 その瞳には覚悟と決意が宿っている。前に見たような寂しさ混じりの感情は、もうない。


「私が前座は全部片付けた。もう心配ないし、邪魔する人もいない。行ってきてよ、王女──いや、『女王様』」


「──ええ。行ってまいります」


 レオネは懐から銀のペンダントを取り出すと、そこに手のひらをかざす。すると銀のペンダントはまばゆく光り輝くと──レオネの姿は、なくなっていた。


「……ラーンダルク王国って、すごいなぁ……」


 まさか銀のペンダントを使えば、神殿の行き来すら出来るなんて。


「じゃあココロ」


「うん」


 目を合わせて、微笑む。


「……おやすみ。またいつか」


「おやすみなさい、リアちゃん」


 意識は闇の中に飲み込まれた。


 ◇


「リリアス閣下は眠ってしまわれましたか?」


「はい、モーメントさん」


 ココロがリリアスを抱いて、モーメントとハンマーの元へ戻った。

 今回のラーンダルク王国への救援は初めからこうなる状況を見越していたに違いない。その証拠が、第四、第五師団の即座の派遣。

 そして、その転移門の形成だ。


「少し、リリアス閣下を様子を見てもよろしいでしょうか?」


「……はい?」


 モーメントが近寄ってくる。サングラスを外して、腕に抱いたリリアスを戦場のものとはまるで違う学者然とした冷静な眼差しで見聞すると──


「……おかしいですね。先ほどの戦闘で、リリアス閣下は『千年甲冑』に毒の弾丸を撃ち込まれたはずですが……その影響が一切見られないのです」


 モーメントは帝国軍に入ってから五十年の熟練の軍人だ。そして、その知識は戦場のものから生物、武器、毒まで網羅しているという。


 ハンマーは筋肉で盛り上がった腕をぐるぐると回して、ため息をついた。


「そりゃあ、あのリリアス閣下だぜ? 普通あんな鉄の巨人を素手でぶち壊せないだろ。あの人には常識が通用しないし、常識が通用しないなら毒も通用しないだろ」


「おだまりなさい、バーバリアン。……先ほど『千年甲冑』が放った弾丸を二十余り回収し、分析にかけました。結果、対大型生物用の根源毒だということが分かりました。成体の地竜にも通用する濃縮です」


「大型生物用なら、私たち人間には効かないんじゃないですか? リアちゃんはトカゲ用の毒だって……」


 ココロの問いにモーメントは首を振る。


「根源毒は体内に流れる魔力を媒介にし、魂を朽ち殺す。魂に直接影響を及ぼすので神殿復活も容易にできない──禁忌とされた毒なのです。……リリアス閣下は、普通ならばとっくに息絶えていなければおかしい。あの毒を食らって、この世の生物が即死しないほうが異常なのです」


 沈黙が辺りに満ちる。やがて、モーメントは何かを確かめるようにもう一度リリアスに近づいて、


「……リリアス閣下は、もしや魂をどこかに保管しているのではないですか? 魔力を媒介にしても朽ち殺す魂がないのなら、理論上、毒は無力化できる……」


「────」


 ココロはすやすやと腕に抱かれて気持ち良さそうに眠っているリリアスを見つめる。

 そして、師団長を見上げて一言呟いた。


「──今考えていること、思っていること、言ったことを全て忘れてください」


「はい?」


「私も聖女ですから。あなたたちにこんなことをするのは、とても心が痛むんです」


「……え?」「は」


































































































































 ココロの手は   モーメントの頭を潰  ハンマーの腹を裂いて  赤褐色のもろもろをぶち撒けて い 激痛 爆  銀の瞳が輝
























































































 ◇




「どうしたんですか?」


 目の前には、ココロの心配そうな顔がある。


「……はて?」


 モーメントは辺りを見渡した。リリアスが『千年甲冑』を薙ぎ払った過程で生まれた溶岩湖にクレーター、山々が蒸発した後に残された荒野。

 至って正常な光景である。


 リリアスを見つめる。

 眠っている。白色の髪に、今は閉じているけれど青い瞳。こんな少女が『千年甲冑』を落としたとは到底──


 今、自分はとても大切な何かを考えていたような──?


「こんなところでぼけっとしてねぇで、さっさと帝国に戻ろうぜ? 聖覧大祭の準備があるんだろ?」


 ハンマーが面倒くさそうにぼやいた。


「……あ、ええ、元大聖女のイザベラが自身の後任を告げずに牢獄入り。大聖女の位を剥奪されましたからね。また忙しくなりそうです」


「聖覧大祭……」


「聖女として参加するのは初めてですか? 聖女の祝福に感謝する競技祭──そして、今年は次代の大聖女を決める儀式の役割も兼ねています」


 少し考えてから、ぱっとココロは顔を輝かせる。


「それ、もしかしてリアちゃんも……!」


「ああ、それは駄目なのです。参加条件は十八歳以上ですから」


「……そうですか。リアちゃん残念がるだろうなぁ……あ、私用事があるので、お先に失礼します!」


 リリアスを帝国軍の救急担架にそっと載せて、ココロはどこかへと駆けていく。


「お気をつけて、ココロさん」


 モーメントはそんな言葉を口にした。


 先ほどから続いている、ぞくりと戦慄した感覚は一体何だろうか。

 頭を撫でてみる。七十年連れ添ったそれが確かにそこに存在していた。それに酷く安心した自分がいて。


「……? なぜ、わしはこのような……?」


 その答えを知るものは、もはやこの場にはいない。

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