72.『人間と人間』
魔力を絞り切って、気絶したココロがゆっくりと倒れる。
「ごくろうさま」
ゆっくりと抱きしめた。
ごうっ!! と真っ白い魔力を塗り潰すようにして漆黒の魔力の奔流が全方位に広がった。
白い髪が墨につけたように、黒く染まっていく。
何よりも赤い目が世界に開く。
──竜の瞳が。
「おはよう、ココロ。おはよう、世界」
頭から角が生えてくる。
二本の竜角だ。
それと一緒に記憶が戻る。
皇帝に封じられていた、その全てが戻ってくる。
手を握り込んでみる。溢れるほど滾った力が私の中から飛び出そうとしている。
第五師団長モーメントが私の前に進み出てきた。
「リリアス閣下」
見ると、周りを取り囲んでいる帝国軍の兵士たちは皆ひざまずいて平伏している。
あれほど私を小娘呼ばわりしていた第四師団長ハンマーも、私に向かって片膝をついていた。
准三大将軍の私の元に。
「状況は?」
「現在『千年甲冑』を覆う魔力壁の復活を確認しました。照準補正は続けられて、目標はルナニア帝国の帝都でございます……」
「魔法を撃つのは私が合図をしたら。──私が直接相手をする。ココロを頼むよ」
モーメントは恭しく頭を下げて、ココロを腕に抱いた。
「はっ! ……どうか、ご武運を」
武運か。
「そんなの必要ないってば。だから黙って見てて、私が全て根絶やしにしてやるから」
さて、『千年甲冑』までどうやって行こうか。
流石の私でも、空を飛ぶことはできない。
超高速で大気を蹴ることによる一時的な空中歩行はできるかもしれないけれど……めちゃくちゃ疲れるだろうことは想像に難くない。
思い出されるのはレオネの言葉。
『プリティエンジェル様は翼を持っていないのでしょうか』
……なるほど。
そういうのも面白いだろう。
身体から無秩序に放出されていた魔力に、指向性を持たせてみる。
すると、
「中々かっこいいじゃない」
気づけば、私の背中には大きな黒い翼が生えていた。
鳥のような羽毛が生えたものではない。皮膜を骨に沿って伸ばした、爬虫類のような翼だ。
竜の翼。鳥のような翼を形作ろうにも、こうにしかならなかった。レオネには悪いけれど、やはり私は天使ではなかったらしい。
この翼は本質ではない。現象に過ぎない。
『空を飛ぶ』イメージが外界に出力された際に、『そこに見えるもの』としての役割を持つだけだ。
つまるところ。
耳をつんざくような空気の悲鳴があった。
突風が身を切るような音とともに過ぎ去る。
私は眼前に浮かぶ『千年甲冑』を捉えていた。
一回の羽ばたきで、上空七千メートルに浮かび上がることなんて造作もない。
「どうする? メルキアデス」
私の声。
『千年甲冑』の肩に乗って、目視で照準補正をしていたメルキアデスの顔が驚愕に歪んだ。
「竜を連れてくることは出来なかったけど、私が竜の代わりになってあげる」
「姿が変わったようだが……ふっ……はははははははッ!! やはりブラックデッドは『そう』なる運命なのだな!!」
訳のわからぬことをペラペラと。
「気づいているか? 普通の人間は翼など生えたりしない。お前はもはや人の範疇から外れているのだ」
何を言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。
「普通の人間の範疇で私を測ろうとしないでよ。私は特別優れた人間なんだから。世界一の美貌に、強さ──これのどこが普通だって?」
「……なるほど。あくまでお前は人間だというのか。面白い」
メルキアデスは喜色を顔いっぱいに浮かべて、獰猛に吠えた。
「『千年甲冑』は竜を撃ち落とした兵器だ。勝てると思うか、ブラックデッドッ!!」
「勝てる勝てないの問題じゃないんだよ。思考の次元が低すぎるね、メルキアデス」
笑う。
「遥か高みに挑戦するんだから。私はお前なんぞここに突っ立ってるだけでもブチ殺せるんだ」
「……その驕りを、潰してやるッ!!」
ギチギチギチ───ッッ!!!!
と『千年甲冑』から伸びた機械仕掛けの翼が耳障りな轟音を立てて、六方向へと伸びる。そのまま歯車が、
「──ごきげんよう、鉄屑」
私が腕を振るって放った『挨拶』は、音を置き去りにして光すらも超克し、空間を引き裂き──『千年甲冑』の左腕からその先をもぎ取って蒸発させた。
とうに貫いた魔力壁の残滓が、きらきらと舞い散る。
六枚の翼の半分余りが、その余波によって粉々に砕け散った。
「────────」
周囲の山々は限りない破壊の様相に沸き立ち、その身を沸騰させて、辺り一面に広がる爆炎と舞い上がる土砂で煙る空がそこにあった。
クレーターの中心には、ブラックデッドの名を冠する私がいる。
「もう一回自己紹介しようか。私はリリアス・ブラックデッド。ルナニア帝国の准三大将軍にして、今をときめく聖女様だ」
「……フフ、ハハハッ!! そうだ! それこそがブラックドラゴンの力! 邪悪な巨竜の力!! 私が──俺がずっと打ち倒さんと望んでいた力だッ!!」
「……ん?」
『千年甲冑』に刻まれた鮮やかな断面を見て、メルキアデスは恐怖に震えるどころか、笑っていた。
「俺は、ずっと待ち望んでいたッ! 英雄譚の白銀の騎士になり、邪悪な巨竜を討ち滅ぼすその時を──ッッ!!」
「枯れ葉の侵食が頭まで進んだの? 頭おかしくない?」
「それはお互い様だ、ブラックデッドッ!!」
左腕を失いながらも、『千年甲冑』は轟音を立てて、鋼鉄の拳を私目掛けて突きこんできた。
大質量の鋼鉄が、軌道上の全てを轢き潰さんと迫りくる。
衝突は無音だった。
続いて、空間が轟いて大地が衝突点から放射状に無数のひび割れが走った。空は揺れて、星々が慟哭する。
私の拳とその数千倍はあるであろう、『千年甲冑』の拳が対等にぶつかり合っている。
「期待外れ」
「何だと……?」
「──こんな小娘に受け止められるほど軽いって? もっと本気出せよ、メルキアデス!! こんな弱々三秒でぶち壊してあげようか?」
「……な──っ、言われなくても!」
『千年甲冑』に残された三枚の翼は、それぞれが勢いよく無数の歯車を回転し始める。
無数の熱線と誘導弾が放たれた。
「【私が命じる あれを防げ】」
大気に存在するまだ何にも染まっていない魔力が、私の言葉に従う。『千年甲冑』と私を隔てる膜となって、受け止めていく。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
魔力で出来た膜が呆気なく斬り裂かれる。斬り裂いたのは、『千年甲冑』の光で出来た剣だ。
メルキアデスの叫びとともに、渾身の横薙ぎを私に向かって放っていた。
超高温かつ超密度の炎は、もはや炎の形態は取らずに拡散するプラズマとしての存在に変容する。それをいかなる原理でか、強引に『剣』と形容できるような空間に纏めたもの。─それがこの光剣の正体だ。
それを成し遂げた設計士アスターリーテを、素直に称賛しよう。
竜を殺すために作られた『千年甲冑』──果たして、竜鱗と超密度プラズマのどちらが打ち克つのか。
馬鹿馬鹿しい。付き合ってられるか。
振り下ろされる光剣を紙一重で躱す──チリチリと熱で髪が焦げる臭いがするが、それを無視。『千年甲冑』の腹に──展開した光刃を叩きつけて、強引に斬り刻む。
突如として『千年甲冑』を襲った魔力の刃にメルキアデスは目を剝いて──
「グゥ──ッ!? それは──」
プラズマの刃とまではいかないし、出力も数段階落ちるが、魔力を刃の形にして展開するというのを試してみた。アイデアは『千年甲冑』の光剣を躱している最中に思いついたものだ。
「披露するなら盗まれる覚悟をってね。もしかして、私のこと舐めてんの?」
「このッ、!」
「遅せえよ、ウスノロォッ!」
拳を固めて、思いっきり鋼鉄の胴体を殴る。
攻撃の余波で蒸発した山々。岩が溶けて燃え広がる荒野に、『千年甲冑』は勢い良く叩きつけられる。
それだけでも一つの街を破壊できそうな大規模な土石流と地盤異変が起きるほどの振動。
「まだだ────ァ!」
『千年甲冑』が展開していた翼の一つが無数の銃声を響かせる。──回転式機関銃が無数の歯車が回るに合わせて火を吹いた。
肩口に鋭い痛みを感じた。銃弾の一発が当たったらしい。
見ると、その銃弾の一発一発に液体を注入するための機構が彫り込まれている。
「……ん?」
「竜殺しの根源毒だ……! 魔力を媒介にして、魂を蝕み、お前を朽ち殺す……! お前はもう終わりだ!!」
倦怠感は少しある。けれど、別にどうでもいい。
「鬱陶しい……」
「どうした? もっと来い!! そんなものか、邪悪な巨竜の力は!! 俺に──白銀の騎士に討たれる巨竜の力はそんなものなのか!?」
「……」
完全にトんでいる。目は充血し、『千年甲冑』に魔力を繋げて操作している影響で鼻血すら垂れ流していた。
メルキアデスにも相応の負担がかかっているはずだ──具体的には、『千年甲冑』とメルキアデスのダメージは連動している。
つまり、メルキアデスは左腕を吹き飛ばされてなお笑っていることになる。凄まじい精神力──真正のドMということか。
「いいよ。私がお前を削って、面白くしてあげる──!」
私が手刀を振ると、飛ばされた真空の刃が翼に当たってへしゃげた。再起不能にしてやった。
そのまま『千年甲冑』のもう片方の右腕を掴み、灼熱の魔力壁によって皮膚が焼けるが、それを気にしないで──可動域とは正反対に強引に曲げる。
飴細工のようにねじ曲がって、悲鳴をあげる鋼鉄。
「なっ──」
バチンッ!! と切れた。
「柔いねぇ、こいつぁ粘土で出来てんの?」
私の千倍はあるであろう鋼鉄の塊を放り捨てる。胴体を殴ったことによる衝撃──その作用反作用を逆算して、機体の組み上げ構造は把握した。後は壊すだけだ。
メルキアデスは今になってようやく慌て始めた。『千年甲冑』は両腕をもぎ取られて、出来損ないの人形のような情けない姿をしている。
「……ありえない、そんな簡単に」
翼を撃ってメルキアデスの眼前まで迫る。
「死んでよ」
光を纏った拳を振り下ろす。その軌跡を伸ばすように半円状に黒光が薙ぎ払った。
「ッ、【展開】──ッ!!」
「ペラ一枚にもならないって分からないかなぁ、そんな紙屑!!」
砕け散った魔力壁が再び寄り集まって展開される。メルキアデスを守るように集中的に展開されたそれは、黒い光に撫でられるだけで崩壊し──たが、メルキアデスの頬を掠める程度に逸れてしまった。
光によって切り裂かれた頬から流れる血は、黒く変色、炭化してぼろぼろと崩れ落ちていく。
「は……?」
メルキアデスは己の血が炭化した粉を手に取って、こちらを見上げる。
「……な、なんだこれは……! どうして俺が、ここまで追い詰められて」
「本気で勝てると思っていたの? もしそうだとしたら──お前は本当に哀れだよ」
「────ッッッ!!!!」
激昂に唸り声とも怒鳴り声とも区別のつかない叫び声を上げて、『千年甲冑』は突っ込んでくる。
「それはもう見たって、もっと私を楽しませてよ!!」
蹴り飛ばした。
上半身と下半身の接合部分を蹴ったことによって、分離。下半身は吹き飛ばされて、バラバラに打ち壊される。
まるでおもちゃを壊しているみたいだった。
「毒を受けているはずだろう……なぜ、そこまで動ける……! あれは、地竜すら即死させるほどの」
「何と勘違いしているか知らないけれど、お前の言う邪悪な巨竜とやらに覚えはないよ。トカゲは遠い昔の祖先だと記録に残っているだけで血の繋がりがあるかどうかすら分からないんだから」
髪をなびかせる。
「トカゲ用の毒が人間に効くわけ無いでしょ? 笑わせないでよ」
「……巨竜、では……ない……?」
「私は人間。で、お前はレオネを道具として利用しようとした、ただのクズ野郎」
「……認めぬ……認めぬ!! お前は巨竜だ!! 巨竜のはずだ! そうだろう!? 巨竜でなくてはならないッ!! そして、俺は巨竜を討つ白銀の騎士──!!」
瞬間、『千年甲冑』が唸りをあげた。
残された機械仕掛けの翼の全てが耳障りな不協和音を金切りたてる。──まるで最後の力を振り絞るように。
『千年甲冑』が封印されていた異界を引き裂いた、文字通りの世界を終末に導く極大魔法。大陸の一地域を丸ごと焼き尽くすであろう威力。
「チッ、──早漏かよ」
照準補正もろくに終わっていないそれが、ただ私個人を滅ぼすためだけに向けられて、
【世界を引き裂け】
──放たれた。
世界が蒼白い光に染まり、地上から天まで結ぶ光の柱が屹立した。雲が大きなあぎとを広げて──
山は消し飛び、地殻は砕かれて、灼熱を帯びた衝撃波が全てを吹き飛ばさんと周囲を席巻し、ラーンダルク王国の城下町など塵芥のように消し飛ばす威力が、──空を蹂躙した。
「────」
私が発射される直前、『千年甲冑』を蹴り上げたことで、放たれた魔法は大地にその威力を伝えることなく、夜をしばらく昼に変えただけで済んでいた。
「はた迷惑な花火だったね。次はお前の番だけど、どうやって殺してほしい? 私に掴まれたままバーベキュー? それともバラバラ解体ショー?」
翼を羽ばたかせて、メルキアデスの元に着地する。
「……あり、えない……そんな……馬鹿な……おれはこの国を、救おうとして、騎士……おれはきし……お前が、おまえが、おまえがァアアアアアアアアア────ッッツ!!」
「──は?」
すでにメルキアデスの身体は大半が枯れ葉に置き換えられて、風で吹き散らされている。錯乱しているのか、わからないことを口走りながら、こちらに飛びかかってくる。
「レオネを利用しようとして、──何が、騎士だッ!」
「ぶ、フォアっ──!」
私の拳は、メルキアデスの頬を正確に捉えていた。吹き飛ばされて、何度も転がった後、引っかかって止まる。
「おれは……おれは……ッ!」
哀れだった。あれほど強かった男が、圧倒的な力に挑んでボロクズにされた姿だけがそこにあった。
私の敵になるからそうなるんだ。
「……せっかく良い感じにエンジン温まってきたのにムードをぶち壊してくれちゃって……」
正真正銘、鉄屑と成り果てた『千年甲冑』は、飛行機能を維持できずに落ちていく。
私は魔石を取り出した。
翼を羽ばたいて、浮び上がる。
「第四、第五師団──魔法を一斉掃射して。それで終わる」
『了解しました、リリアス閣下』
「…………っ、まて……まてッ!! リリアス・ブラックデッドッ! なぜだ、なぜ直接手を下さない!? それでは『千年甲冑』がただの──」
メルキアデスの悲鳴のような声に、私は上から告げた。
「お前が乗っている鉄屑は、最初からただの兵器だったでしょうが。──何が英雄譚の白銀の騎士だ? 夢なら寝て見ろよ、ファンシー野郎」
追い打ちのように炎と氷の乱射が始まる。
「リリアス・ブラックデッドォオオオオオオオオオオオオ!!!!」
魔力壁を失った『千年甲冑』はその身を粉々に砕けさせて、最後に残されたその威容を散らせる。
「メルキアデス、お前はやり方を間違えたんだよ」
ガクンっ、と意識が後ろに引っ張られるような感覚がした。──タイムリミットだ。
後ろに倒れ込んだ姿勢のまま、私は落ち始める。
太古の大戦兵器は、現界してから半日も経たずに消滅したのだった。
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