71.『力無き意志はただの妄想』

『きみには、ブラックデッドの娘としての自覚がないようですね』


 幼い頃の記憶だ。

 車輪のついた大きな椅子に母さんが座っている。そして、わたしは少し離れたところに蹲っていた。

 わたしの身体は、擦り傷や切り傷でいっぱいだ。


『同級生に虐められて逃げたと、そう聞きましたが』


『……ごめんなさい』


 母さんに言いつけたのはどこのどいつだ。後で後悔させてやる……。


『妹のアリスを見なさい。今朝絡んできた子たちを病院送りにしたそうです。五人殺したと』


 このときのアリスはまだ四歳にも満たない。ヤバすぎる妹だった。


『邪魔者は殺しなさい。ブラックデッド家は、そうやって成長してきたのです』


 そんなの知らないよ。

 とは決して言えない。


 口に出せば、若い頃に父さんと一緒に戦場を駆け回った母さんの実力が容赦なく『躾け』として降り注ぐ。


 膝に矢を受けて引退したとの話だけど、未だルナニア帝国の軍事大臣としての地位を握りしめて、帝国軍に檄を飛ばす『旧第一師団長』姿は健康そのものであった。

 どこまでも頭のおかしい一家である。


 唇を噛みしめることしか、わたしにはできない。


『リア。きみに足りないものは何か分かりますか?』


『……力……。わたしが、弱いから……』


『そう。きみが弱いからこんな目に合うんです。解決する手段は一つだけ。強くなりなさい。誰よりも強くなればいい』


 またこれだ。

 よくうちの母さんは『強くなりなさい』という。

 母さんのこの言葉で、ドーラ姉さんも、アリスもめちゃくちゃ強くなった。

 わたしだけが、まだまだ弱いのだ。


『……』


 だけど、今日はどうしたことだろう。

 いつもなら従順に返事をして早めに収めるはずが、いつの間にかわたしの口から疑問が滑り出ていた。


『……そんなに強くなって、どうするの?』


『は?』



『ぐえっ!?』



 いきなり車椅子が目の前に迫ってきて、わたしを背後の壁から爆音がした。拳を打ちつけられた背後の壁がポップコーンのように弾けている。

 いわゆる壁ドンである。


『もう一度その寝ぼけた言葉を吐いてみなさい。二度とその口が開かないようにしてあげます。……力無き意志はただの妄想。覚えておきなさい』


『は、はひ……!』


『メモを取りなさいっ!』


 どこまでいっても、母さんは母さんだった。

 普通、ぼろぼろの娘が帰ってきたら慰めの一つでもかけるのが常識というものじゃないのか。脅迫めいた檄を飛ばして、屋敷の壁を破壊するなんて、やっぱりおかしいと思うのだ。


『私は帝国軍の訓練の監督に向かわねばなりません。もう向かうので後は自由に過ごすと良いでしょう』


 去り際に、母さんはわたしの頭を──角を撫でて、


『扉の外にアリスが待っています。その抱えているプレゼントをあげると良いでしょう』


『……え? なんでアリスが扉の外にいるって』


『気配で分かります』


 一生分かる気がしなかった。


『リア。きみは強くなれます。努々忘れず、努力を怠らぬよう。──それでは』


 そう言って車椅子を自力で動かして行ってしまった。


 扉を開けると確かにアリスの姿があった。

 こちらに気がつくと満面の笑みで飛びかかってくる。


『おねーちゃん!』


『……やっと行ったよ。はい、これ誕生日プレゼント』


 さっきから抱えていた小包を取り出した。


『なんかぐちゃぐちゃ?』


 確かに少しひしゃげている。直したつもりだったのに、アリスには分かってしまったか。


『……まぁ、ちょっと……な』


 同級生のイジメっ子たちに、アリスのプレゼントを買って帰るところを襲撃されたのだった。プレゼントの包みはめちゃくちゃにされて、わたしも殴られて、蹴られて大変だった。

 近くにいた金髪の女の子に取り返してもらったけれども、散々な結果に終わってしまった。


 包装紙を新しく変えて、自分で包み直しているところに、母さんのお説教だ。

 もう嫌になる。


 アリスが包装紙を開けて、わたしのプレゼントを広げる。


『リボン?』


 表れたのは子供っぽい柄とファンシーな色をした髪留め用のリボン。黒い服ばっかりのアリスに、わたしが考えてプレゼントした一品だった。


『……ど、どう?』


『なんかこどもっぽい』


『べ、別にいいだろ!?』


『それ、プレゼントをうけとるひとにいうことばじゃないよねー』


『ぐぅ……!』


 そんなに嫌なら交換してやるから、よこせ!


 そう言って、リボンを取ろうとしたけれど。

 なぜかアリスは放そうとはしなかった。にこにこしていた。意味わかんねぇ。


 なんでこんな記憶が浮かんだのかは分からない。

 ……そもそも、わたしに角なんてあったっけ?


 ただ、母さんの言っていた『力無き意志はただの妄想』という言葉の意味がやっと分かったような気がした。


 力がほしい。

 誰にも負けないような力がほしい。


 暗闇に包まれている。

 手を伸ばす。

 無意識だった。闇の中に向かって手が伸びる。


 どうすればいいの?


 誰か、教えて──


「私があなたの力になる──だから、もう一度立ち上がって。リアちゃんは強いんだから!」


 声が聞こえた。


 ◇


 落下の衝撃は、感じなかった。


 どういうことだろうか。

 あれだけの高さから落ちれば、身体はトマトが潰れたみたいになってるはずなのに……。


「リリアス閣下を、お守りいたしましたぞ……!」


「こんな小娘に、俺の炎を使うだなんて……」


「……もう一度バールのようなものを食らいたいですか?」


「チッ!」


 色々な人の声が聞こえる。

 目を開けると──


 めちゃくちゃ大勢の人たちに囲まれて、寝かされていた。

 取り囲むようにして、帝国軍のおっさんたちがずらりと並んでいる。その前には師団長の二人が。そして、ココロがわたしの頭の横にひざまずいている。


「ココロ……これ、どういう状況?」


「師団長の方たちが、リアちゃんを助けてくれたんだよ。モーメントさんがウォータースライダーを伸ばして、ハンマーさんの炎で氷を溶かして水を流してくれたの」


 見上げると崩れかけの塔のような氷でできたウォータースライダーがあった。

 ココロが言うんだったら本当に助けてくれたんだろう。帝国軍は話の通じないバーサーカーだと思ったから少し意外だった。

 そんなことよりも──


「……わたし、負けたよ」


「うん」


 涙がぽろぽろと落ちる。


「メルキアデスに、ぼこぼこにされて……負けた」


「うん」


 ココロにしがみついて、見上げる。ココロは何もかも、わたしの感じていることの全てを理解したようにわたしを見守っている。


「悔しい。……とっても、悔しいんだ」


「……そうだね」


「わたし一人で、勝てる気がしない」


 涙を拭って、わたしは真っ直ぐココロを見つめた。


「力を貸してくれないか、ココロ」


 ココロはしばらく黙った後、こくりと頷いた。


 そして。

 手が顔の前にかざされた。

 ココロの魔法だ。眠気が急激に襲ってきて、意識は闇の中に落とされる。


 不安はなかった。


「ごめんね、リアちゃん」


【代行者たる我が名はローゼマリー】


 唇に触れる羽毛のようなキス。

 絡み合うような、一つに溶け合うような時間。

 ココロの顔を見上げながら思う。


 どうして、人は身体を纏っているんだろう。

 魂は、こんなにも寂しいというのに。

 

 うぉおおおおおおおおお──!!

 ……さっきから帝国軍のおっさんどもの声がうるさい。見世物じゃねぇんだぞ。


 真っ白な光が辺り一帯を染め上げるように光り輝いたことが、わたしの最後の記憶になった。

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