70.5.『誰よりも優しく、勇気のある人』

 レオネッサは、月を背にして浮かんでいる『千年甲冑』を見ていた。


 ここは戦場の片隅にある遠い昔の戦争で破壊された歩哨塔だ。廃墟であるそこは、メルキアデスの手によってある程度──生活ができる程度には整えられていた。

 レオネッサは歩哨塔の頂上へ登るために、階段に脚をかける。


 手の中には魔石。

 そこには、メルキアデスとプリティエンジェル──いいや、リリアス・ブラックデッドのぶつかり合う音が聞こえていた。


『殿下のためだけに、ここまで登ってきたというのか。何の力も持たないお前が』


「……」


 この後に続くであろう言葉を、レオネッサは知っている。リリアスの性格から逆算して、導き出される言葉は──



『友だちを助けようとして何が悪いんだ!』



「……やっぱり、そうなんだ」


 無感動な静かな声で呟いた。


 レオネッサは全てを知っていた。

 リリアスが自分に友情を覚えていることを。そうして、助けに来てくれることを。──自分のために、身を粉にして助け出しに来てくれることを。


 レオネッサの心中は、常に冷静だった。全てを計算していた。

 あの時──尖塔の寝室に幽閉されているとき、自分はリリアスが助けに来てくれることを知っていた。


 アスターリーテとの綿密な情報交換の末、メルキアデスがクーデターを企んでいることは分かっていた。

 そして、自分は無知な王女でいる方が、今後の情勢に都合がいい──そんな理由で、レオネッサはメルキアデスに監禁された。


 しかしながら、メルキアデスは『千年甲冑』を用いて、かのルナニア帝国に戦争を挑もうとしている。

 度重なるルナニア帝国への使者と、その裏に隠された暗号文。そして、復興支援団体の呼びかけ──国境戦沿いでルナニア帝国の聖女たちを捕えて人質にする計画。

 レオネッサは、王城の衛兵の動きで推測し、ラディストールの手も借りて全ての情報の裏を取った。


 となれば、動かなくては。


 世界に混乱をもたらすわけにはいかない。今世界に混乱をもたらせば、その大本はラーンダルク王国に非難が集中してしまうだろう。

 国力の衰退した我が国は、非難の中で国が割れて滅亡してしまうかもしれない。


『私が動かなくてはなりませんね』


 そんなことを、冷徹に導き出したレオネッサは計画を立てた。


 まず、かの烈日帝の心中を何百通りも読んで、出回っている情報を取捨選択し、シュミレートして、復興支援団体に『保険』をかけることを確かめる。

 無論、大図書館の事前調査にて、遠い昔に自分の寝室にルナニア帝国が【転移門】を設置していたことを知っていた。

 王城に現れたルナニア帝国の間者と連携し、メルキアデスの計画を打ち崩す。そして、その間者すらも利用してルナニア帝国との交渉が有利な盤面になるように整える。

 それが計画だった。


 問題は王城に唯一開けられた【転移門】から、誰が出てくるか。


『わあああああああっ!? ぶべっ、むご、きゅ』


 そんな間抜けな声とともに空間に引き裂かれた【転移門】から白い髪の女の子が降ってきた。


『…………』


 観察する。

 随分と幼かった。身長は自分よりも頭一つや二つ小さくて、手足も細い。指はまるで幼子のように細く白かった。


 身体な特徴からして、間違いなかった。

 この少女が、かの有名な『根絶やし聖女』。伝説の勇者に違わぬ実力を持つ今代の勇者をいとも簡単に殺してのけた化け物。

 ルナニア帝国が【転移門】から送り込んでくるのは、三大将軍のいずれかと思っていたが──


 まさか、新進気鋭の准三大将軍を送り込んでくるだなんて。

 真っ白な髪に青い瞳を持つ、どこまでも美しい少女は自分に気づいたようだった。


 まずは、どこまでも世間知らずなお姫様を演出して、この化け物の反応を確かめることにしよう。


『……日頃から神を信じているだけありますね。まさか本当に天使様が現れてくれるだなんて……』


『て、天使? わたしのこと……?』


 それが、レオネッサとリリアスの出会いだ。

 それからは、リリアスの実力を確かめるために全神経を費やした。


『さあさあ、どうぞ特上のワインとパンです。ぐいっといっちゃってください』


 まずはお酒を飲ませてみよう。これである程度リリアスの人となりが分かる。


 ……拒否された。


 なるほど。任務中にお酒は飲めないとの真面目さの表れか。あるいは混ぜものや毒物を警戒してのことか。


『まずはお互いに自己紹介だろ!?』


 次は……自己紹介をするのか。

 なるほど。自分から相手に偽名を示すことで偽名と相手の顔を一致させてこちらの心象を操作しようとするわけか。リリアス・ブラックデッドは心理学の心得もあるらしい。


 先ほどからただの馬鹿に見えるのは、きっとそういうふりをしているだけだ。馬鹿に見えたほうが世間は単純に乗りこなせる。──私のように、振る舞っているに違いない。


 なのにどうしてだろう。

 ずきり、と胸が痛んだ。


『プリティエンジェル様は翼を持っていないんですか? 経典に描かれている天使様は大きな白い翼で空を舞っていたのですけれど』


 歴代三大将軍の中には自由に空を飛び回って世界中の都市を空爆していたおぞましい奴もいたという。そのための確認だ。


 ……空を飛べない? それならそれで十分だ。


『でも、扉に鍵が掛けられていますよ? 壊すにしても扉は内部にジルコニウム合金のハニカム構造を採用してますし……ピッキングは習っていましたけど、鍵はダイヤル式でした』


 どこまでのセキュリティならリリアス・ブラックデッドを防ぐことができるのか。常人ならばこれほど頑丈な扉を破壊などしないはず。つまり、リリアスにピッキングの技術があるかどうかを──


『なんだ、普通に開くじゃん』


『……? …………? ………………?』


 ……考えが甘かった。この化け物には、常人の枠組みに当てはめて考えるべきではなかった。……というか、どういう思考をすれば、こんな扉を暴力で破壊しようという考えができるのか。


 力……。

 もっと、私に力があれば……両親を神殿から目覚めさせることだって……。


『……っ』


 また訪れる胸の痛み。

 どうしてだろう。この少女と一緒に過ごすだけで、こんなにも余計なことを考えてしまう。心の鍵がこじ開けられそうになってしまう。


 はちゃめちゃで、おバカで、どうしようもないようなことばかりして……。


 ……いいや、そんなわけない。

 私は六年間も、心に鍵を閉めて、頑張ってきたのだ。こんな少女一人に簡単にこじ開けられるような簡単な女では、私は断じてない!


 その考えを浮かべてしまったときに、なんで気づかなかったのだろうか。私の心はこれまでにないほど、軽やかで、顔には自然とした笑顔が浮かんでいた。


『そうです。今の彼女は私の騎士と同義。そう約束しましたから!』


『ですのでメルキアデス。貴方の求婚……いいえ、そのクソ気持ち悪いストーカー行為をお断りいたします!』


『望むところです! 私の天使様はとてもとても強いのです! さあ、やっちゃってくださいプリティエンジェル様っ! 逆賊に血を見せてやるのです!』


 ……ああ。なんでだろう。

 今まで命の危機には、心を凍らせて冷静になることが常だったのに。

 リリアスと出会って、一緒に逃げているときは──心がこんなにも弾んでいる。

 そして。


『……でも、私、実は両親のことあまり良く知らないんです』


 なんてことない会話から、その言葉は滑り落ちていた。


 簡単な言葉だ。これだけでは、私の境遇なんて理解できるはずがない。だから、例えリリアスがどんな言葉をかけてきても、私の心は揺るがない。

 そういった打算まみれの心情だったのかもしれない。


『両親のことを良く知らなくったってレオネはレオネのお父さんお母さんの子供だし、──気に病む必要はないよ』


 ……え?

 そんな簡単に考えても、いいのだろうか?

 父から機械みたいに扱われていたことだって──


『わたしも両親のことなんてそんな知らないし……どこで出会って、プロポーズの言葉は何だったのかーとか。お母さんの年齢とか……』


『…………ふふっ』


 思わず笑ってしまった。

 そうだった。こんな少女を、自分基準で考えるべきではなかった。


 私は私。リリアスはリリアスの世界がある。

 そこから逃げることはできない。なぜなら、その世界全部が私なんだから。


 ……向き合うことができるのだろうか。

 あの両親に。

 幼い私を眺める、あの鉄のように冷たい目線を持つあの人たちに。


 それを、私は──


「……っ」


 


『だが、それではつまらんな。お前はレオネッサ殿下に認められた騎士だと以前嘯いていた。──ならば、正式な騎士の決闘といこう』


『……受けてたつ』


 いつの間にか、魔石で届く映像の二人──メルキアデスとリリアスは決闘の流れに入っていた。


 信じられない。

 受けてたつ?

 そんな言葉が、あのリリアスから飛び出るなんて思わなかった。


「……っ、そんな……リリアスさんがメルキアデスに勝てるわけ──」


 リリアスは確かにめちゃくちゃだ。力は強いし、何でも出来そうな気がする。


 でも、弱い。


『どうした? ブラックデッドがそんなものか?』


『っ、くそ!』


 あのとき、メルキアデスに殴り飛ばされたように。正式な騎士として訓練を積んでいるメルキアデスに敵うはずがない。


 相手は、あのメルキアデスなのだ。

 武力を持たないラディストールとは違って、何度もこの国を他国の戦乱から守り抜き──ついにはルナニア帝国の三大将軍までもを打ち倒した、本物の英雄なのだ。


 そんな相手に──リリアスは、挑もうとしている。


 ──ただ、友だちを助けるためだけに。


 レオネッサは、リリアスを利用していたというのに。

 そんなの──


「……やっと見つけましたよ、おとぼけ姫様」


 歩哨塔の頂上に、誰かが空から落ちてきた。……それは、リリアスがココロ・ローゼマリーと呼んでいた少女。

 空色の髪に銀色の瞳を持つ、大人びた少女だ。確かルナニア帝国の聖女と名乗っていたような記憶がある。

 そんな少女が、呆然と立ち尽くすレオネッサに詰め寄って、胸に人差し指を突きつけた。


「責任、取ってください」


「……え?」


「あなたが『千年甲冑』にいると思って、リアちゃんはあそこまで乗り込んでいったんです! それなのに本人は、地上でのんびりと映画鑑賞気分ですか?」


「そんなこと──」


「私は『千年甲冑』の下にいる師団長さんたちに合流します。あなたはせいぜい、リアちゃんにごめんなさいする準備をしておいてくださいね」


 そう言って、塔から飛び降りようとするココロを、レオネッサは慌てて止める。


「っ、だったら……! あの決闘を止めてくださいっ! あんなの、ただ傷つけ合うだけで何の意味も──」


「……本気で言ってるんですか?」


 ココロが乱暴にレオネッサの手を振り払う。


「だったらせいぜい魔石越しで見ていてください」


「……っ」


「私は、あなたが嫌いです。初対面から分かりました。あなたはリアちゃんを利用する気だって。……でも、リアちゃんがあなたを友だちだと言ってたので、許してあげます」


「意味が分からないです……」


 ココロは、レオネッサの顔を見る。その銀色の瞳は自信に満ち溢れていた。


「悔しいですけど、これだけは分かります。──リアちゃんは、絶対にあなたを見捨てません」


 ココロは飛び降りて、向こうへ走り去っていく。


『がぁあ……っ、かぽっ、か……!!』


「っ、リリアスさん……!」


 魔石で映し出された映像で、リリアスがメルキアデスに一方的に殴られている。

 こんなの、レオネッサの知る決闘ではない。

 ただの暴力だ。


「……そんな、私が……リリアスさんをこんなところに……送り込んだなんて……!」


 思わず映像から目を逸らしてしまう。苦しげな喘鳴がそれでも聞こえてくる。

 だが、


『っはぁ! レオネには、やることがあるんだ……それを、お前のような前座に、奪われてたまるかぁ!!』


 リリアスは、立ち上がる。

 拳、蹴りが何度身体を打ち据えても、リリアスは立ち上がり続ける。


 血反吐を吐いても。

 身体を潰され、叩きつけられて、それでも。


 リリアスは、立ち上がる。


「……どうして?」


 理解不能だった。

 会ったばかりの人のために、ここまで出来るなんて。

 どうして──


『──レオネが今、本当に戦わなくちゃいけないのはレオネの両親なんだ! レオネは、今までずっと自分を押し殺してきたんだ! 自分を騙してきたんだ! 寂しい気持ちを、無理矢理に作った笑顔で誤魔化してきたんだ!!』


「っ!!」


 信じられない。

 リリアスは、私をどれだけ知っているのか。

 私が、一人で戦わないといけないと思っていたことを言い当てて──


『レオネは両親を殴る、殴らせる! 今までの六年間が詰まった重い一撃を、食らわせてやる!! だから、レオネを返せ! 邪魔をするなメルキアデスっ!!』


「……リリアス、さんっ……!」


 ぽたり、ぽたり。

 涙が落ちる。


「ぅ、うううう!」


 六年間。あれほど気張っていたときでさえ、流れなかった涙が、決壊する。

 レオネッサは崩れ落ちて、泣きじゃくった。


 映像の中では、ぼろぼろになりながらも立ち上がるリリアスがいる。


 誰のためでもない。

 私のために。


『……まだ立つのか、ブラックデッド。この行為に何の意味がある。力無き小娘が、殿下の何になれるッ!!』


『──友だちになることが、できる』


 どうして、と百回繰り返しても足りない。


『レオネが、笑いながら、プリンを食べるのを見守ることは、できるッ!! わたしは、レオネの騎士なんだから!!』


 これがリリアス。リリアス・ブラックデッド。

 誰よりも優しく、勇気のある人。


 こんなの、ずるい。


 ずるいよ。

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