70.『──邪魔をするな』

 石を握って、『千年甲冑』の急所(と思われる場所)に叩きつけたわたし、そのままの勢いで転がって、肩の上に着地した。


「いったぁ……!」


 叩きつけた側の腕がものすごく痛い。それもそのはず、超高速で突っ込んでその衝撃をまともに受けたんだから。

 だが──


「っ、やっぱり硬い……!」


『千年甲冑』の頭についている大魔石は無傷だった。

 この殺戮兵器は昔、戦争に使われた兵器としてめちゃくちゃなことをやっていたらしい。その名残りが、アスターリーテの言っていた防御力と攻撃力の両立。


 石を握り直して、大魔石によじ登る。そのまま叩き続ける。


「壊れろ、壊れろッ! 壊れちまえッ!!」


 物理攻撃が通用しない?

 だったら通用するまで叩き込めばいい。

 ブラックデッド家の家訓には、『どんなものでも必ず殺せる』という勇気あふれる言葉があるぐらいなのだ!


 何度も大魔石を叩いたせいか、石がひび割れ始めた。しかし、大魔石も表面がでこぼこになり、擦り切れ始めている。


「壊れろぉおおおおおお!!!!」


 思いっきり振りかぶった手が振り下ろす瞬間、何者かに止められた。


「──」


『千年甲冑』の搭乗口を開けて、外まで出てきたのはメルキアデスだ。怖い顔でこちらを睨んでいる。


「止めろ」

「いやだ」


 掴まれた手首に力が入る。

 フラッシュバックするのは、イザベラに握り潰された手首と、その痛み。

 背筋が冷えて、身体が震えるが、それを強引に抑え込んで──


「やぁあっ!!」


 石を手放し、メルキアデスの下顎に掌底を食らわせる。──恋愛小説で主人公がチンピラ相手に打ち込んだ下顎砕き!


「……ふ」


 当然、格闘も何も経験のない見様見真似で再現した技が本物の騎士であるメルキアデスに届くはずもなく。

 ひらりと余裕を持って躱される。──だけど、手首は自由になった。


 未だ宙を舞う石。

 くるりと回って、足裏と石の位置を合わせると思いっきり脚を大魔石に突き込んだ。


「なっ──!?」


「これで、壊れろっ!!」


 蹴りの力が石に伝わって、石が猛烈な勢いで発射される。路傍で拾った石は大魔石を砕いて、そのままめり込んでいた。


「……はぁ、はぁ……!」


「……やってくれたな」


 振り返ったメルキアデスの顔は憤怒に燃えている。


「『千年甲冑』の視覚器を壊したからといってなんだ。……そんなのは関係ない。目視で照準を合わせればいい。お前は無駄なことを懸命に──」


「そんなことどうでもいい」


「……なに?」


 熱線でも爆弾でも、誘導弾でも好きなだけルナニア帝国に向かって撃ち込めばいいんだ。


「メルキアデス、お前を引きずり出せればそれで十分だ。元から石ころなんかでこんなデカブツをどうにかしようなんて思ってない」


 そんなことより──


「レオネを返せ! レオネにはこの後でやらなくちゃいけないことがあるんだ!」


「……レオネッサ殿下だと?」


「ああ、そうだよ! お前がわたしの顔を殴って誘拐したレオネだ! 返してもらうまで、絶対にここを動かない!」


「殿下のためだけに、ここまで登ってきたというのか。何の力も持たないお前が」



「友だちを助けようとして何が悪いんだ!」


「──」



 メルキアデスは一瞬黙り込むと、手を振り上げた。

 魔法が飛んでくるかと思ったわたしは必死にダンゴムシのように身を縮めるが、衝撃はいつまで経っても訪れなかった。


 メルキアデスが手を振り下ろすと、『千年甲冑』が勝手に動く。そのまま鋼鉄の両手をパーに広げて、広場大の空間を作った。


「『千年甲冑』は私の魔力を通している。命じれば、リリアス・ブラックデッド、お前をはたき落とすことなど容易い」


「っ、」


「だが、それではつまらんな。お前はレオネッサ殿下に認められた騎士だと以前嘯いていた。──ならば、正式な騎士の決闘といこう」


 メルキアデスは手袋を内ポケットから出して、わたしの方へ投げつけた。

 ここは上空。

 風が吹き荒れて、手袋はすぐに吹き飛ばされて空の彼方へ見えなくなる。


 しかし、わたしは分かっている。

 手袋を投げつけられたということが重要なのだ。これは、万国共通で決闘を挑まれたということ。


 ブラックデッド家に生まれた子であれば、決闘を受けない選択肢はない。

 舐められたら殺せ。

 家訓に刻まれたルールだ。


「……っ」


 相手はメルキアデスだ。

 今まで散々こちらをつけ狙ってきた男。その実力は三大将軍を撃退するほどだという。実際、わたしも剣を振るった衝撃で分厚い金属扉を爆砕した瞬間を目撃している。

 まともにぶつかれば、一瞬で捻り潰される。

 だけど、レオネのためだったら──


「……受けてたつ」


 わたしは低く唸るような声で、メルキアデスの挑戦を引き受けた。


『千年甲冑』の手のひらの上に降り立つ。

 メルキアデスも少し離れた場所に降り立った。その手には今まで襲撃時に持っていた剣やナイフはない。


「……剣は使わないのか? いつもの刃物はどうした?」


「使わずとも勝てる」


「っ、舐めやがって……! 後悔させてやる!」


 わたしはそう吐き捨てて、メルキアデスに挑みかかった。


 低い位置から下半身への掴みかかる。メルキアデスとわたしの身長差は酷いものだ。それを考えての戦法。……イザベラに殴られていた頃のわたしとは違うっ!


 しかし、懐に飛び込んでみぞおちを突き上げようと拳を握るが、メルキアデスの腕に絡め取られる。


「や、ば──」


 そのまま視界は上下反転し鋼鉄へ。──転がることで衝撃を分散させて何とかまともに叩きつけられるのを避けた。


「──」


 メルキアデスが動く。電光石火の蹴りが、首の頚椎に向けて回される。

 その瞬間、突風が吹いて、思わず手で視界を覆ったのが幸いした。蹴りはちょうどわたしの肘鉄に当たって、怯ませることに成功する。


 即座にわたしは拳を振るう。軽く一度、二度。本命は三度目。肘鉄を組み合わせて、回転しながら腕を薙ぎ払う。

 それはメルキアデスの胸を痛烈に殴打した。


「っ、ふ──」


 いける。


 初めてメルキアデスが苦悶の呻きを漏らした。

 そのまま体勢を崩したメルキアデスを攻めるべきか否か。


「やぁあああああ!!」


 わたしは勇猛果敢に責め立てることを選択した。飛びかかるようにして、先ほどのメルキアデスの頚椎を狙う回し蹴りを模倣する。


「──っ」


「な」


 しかし、軸を上手く定めておらず、きりきり舞いのような蹴りで相手を捉えられるはずもなく。呆気なくメルキアデスに片腕を立てられることで防がれる。手甲を着込んでいるため、脚の痛みが痺れるように走った。

 脇腹を掴まれて、空が見える。


「ぬんっ!」


 寝返りの要領で不格好に大きく躱す。

 数瞬前までわたしのお腹があった場所に猛然と鉄拳が落ちてきて、鋼鉄を凹ませた。


 ぞっとした。

 一瞬でも気を抜けば、命はないことを再認識させられる。


「どうした? ブラックデッドがそんなものか?」


「っ、くそ!」


 メルキアデスが脇を大きく広げて掴みかかってきた。その脇に、わたしの拳は蜂のように鋭く一発。そして、二発目にはメルキアデスの片耳を狙った張り手。


「っ、あっ!?」


 脇は締められることで拳を引き戻せなくなり、耳を狙った張り手は空を切る。

 そのまま背負い投げされた。

 視界は一瞬で世界を回り、そして痛烈な衝撃が背中に襲いかかってくる。


「ぐ、ふっ……はっ……!!」


 火花が散る。全身の骨が砕かれるような痛み。


 だが、イザベラの暴力の痛みには及ばない。

 だから、まだ耐えられる。


「どうやら痛みには慣れているようだな」


「あいにく……もっとやばいおばあちゃんを相手にしてきたもんで、ね……!」


 跳び上がるように起き上がって、マウントポジションを狙おうとしていたメルキアデスの両腕を蹴り落とす。


「まだだ……まだ、終わってない……!」


「技は素人同然、肉体は鍛えていないか弱い少女、力はブラックデッドにしては弱すぎる」


「だから、何だって言うんだ!!」


 突貫する。

 メルキアデスの腕を捻り上げての、脱臼を狙う。しかし、反対の腕が背後からわたしに肘鉄を食らわせ、痛みに浮き上がった身体に一発、お腹に打ち込まれた。


「がぁあ……っ、かぽっ、か……!?」


 内臓が悲鳴を上げている。いくつか潰れていてもおかしくない。


「お前には力に対する忌避感が見える。まるで力は自分に必要ないとでも言いたげな。だが、力無くしてこの世界をどう生きる? 現に、こうしてお前は這いつくばっているではないか」


「っはぁ! レオネには、やることがあるんだ……それを、お前のような前座に、奪われてたまるかぁ!!」


 それを無視してわたしはメルキアデスに抱えられていることを利用した。

 瞬時に身体を翻し、メルキアデスのお腹に向けて膝蹴りを入れた。胸も同時に両手を組み合わせて殴りつける。


「るあぁあ!!」


 ガツンッ、と人力ハンマーで殴られた衝撃を受けたメルキアデスは、胸を抑えてふらふらと後退る。


 わたしは前に一歩踏み出した。

 瞬間、待ち構えていたのは数センチ先を薙ぎ払う横薙ぎの拳。わたしの脚が後数センチ長く、歩幅がもっと広ければ確実に頭部に直撃していたであろう軌跡。


 ──あと少しで頭を潰されていた。


 その恐怖が、足をすくませる。


「前座だと? この、私が──巨竜を落とす大戦兵器を携えた私が、前座だとでも言うのかブラックデッド!!」


「ああそうだよ! レオネが今、本当に戦わなくちゃいけないのはレオネの両親なんだ! レオネは、今までずっと自分を押し殺してきたんだ! 自分を騙してきたんだ! 寂しい気持ちを、無理矢理に作った笑顔で誤魔化してきたんだ!!」


「──!」


「レオネは両親を殴る、殴らせる! 今までの六年間が詰まった重い一撃を、食らわせてやる!! だから、レオネを返せ! 邪魔をするなメルキアデスっ!!」


 メルキアデスは今までの仏頂面を崩した。

 その下から現れるのは獰猛な顔。──まるで、肉食獣が捕食動物に向けるような瞳でこちらを睨む。


「そうか」


 ブロンドの長髪を額を見せるようにオールバックに両手で流す。そして、どこから取り出したのか髪紐で結った。


 その身体が、一瞬だけ、風に揺らめいた。

 次々と身体が枯れ葉に変わっていく。

 ラーンダルク王国の神殿には、一つの祝福が与えられている。──簡易復活。そして、その祝福が途切れた際に、『こうなる』ことがわたしの頭の片隅に残っていた。


「……それは」


「──だが、面白いのはここからだ。そうだろう、ブラックデッド!!」


 直感した。

 ここからが、本気のメルキアデスだ──


「レオネッサ殿下は、まだ子供だ。子供ゆえに親の言うことには従うしかなかった! それが王族であるなら尚更だ!」


 いきなりメルキアデスが突っ込んでくる。投げ飛ばす、固める──そんな隙が見えないほどに、身体は小さく丸められて、鋭い。


「お前に殿下の苦しみが分かるか、ブラックデッドの小娘! 十の齢で、国を背負う立場になった殿下の気持ちが!」


 空気を切り裂く拳が次々と飛んでくる。右、左、右、左──それぞれの拳に万力の力が込められて、わたしを圧倒していく。ついに破られたわたしの懐に潜り込んで、お腹を何度も殴りつけてきた。

 その度に身体全体に広がるような──鮮烈な痛み。脇腹に骨盤を同時に殴られて、思わず背後に下がる。


 しこたまお腹を殴ったラッシュの最後には得意の長足を利用した蹴り払い。


 その全てを食らって吹き飛ばされたわたしは、もはや意識が朦朧としたボロ雑巾のようになっている。

 全身の骨が砕けている。口の中が血の味でいっぱいだ。


「わたしは、レオネじゃない……分かるわけないだろ……」


 立ち上がる。


「……まだ立つのか、ブラックデッド。この行為に何の意味がある。力無き小娘が、殿下の何になれるッ!!」


 後一歩下がれば、『千年甲冑』の手のひらから落下する。そうすれば、もはやレオネを助け出すことは永遠に叶わない。


「──友だちになることが、できる」


 気合を入れる。

 


「レオネが、笑いながら、プリンを食べるのを見守ることは、できるッ!! わたしは、レオネの騎士なんだから!!」


 燃やせ、何度でも。

 火が尽きぬ限り、まだ立ち上がれる。


「私はレオネッサ殿下を導かねばならない! この腐ったラーンダルクを、世界を変えるために! そのための結婚だ! 殿下は私に全ての責任を預けて、花を愛でていればいいのだ! 苦痛に満ちた世界を舐めるなよ、ブラックデッド!!」


「レオネを舐めているのは……子供扱いしてるのは、お前だろ!!」


 近づいてくるメルキアデスの服を引っ掴んでの、体当たり。ふらついた身体に活を入れるために、メルキアデスに突貫したわたしは、跳び上がって顔面に膝蹴りを食らわせていた。


「ぐぉッ……!」


 これにはメルキアデスも苦悶の呻きを漏らす。

 そのまま襟首を掴んでの、頭突き、頭突き──背後に思いっきり振りかぶっての頭突き。


「これでも、まだ、分からないか! レオネは、もう子供じゃない! レオネの騎士を名乗るなら……それくらい分かれよ、この分からずやあっ!!」


「この、知性も、品性もない石頭め……っ!」


 メルキアデスの額が割れて、血が溢れている。──わたしの頭には傷一つない。


「それが取り柄なもんで、な!」


 血を拭って、メルキアデスは唸った。

 再び突貫してきたわたしの拳を身体を横にずらすだけで避けきり、拳を捕まえての関節技。

 あまりの過負荷に傷が開いて、血管が破裂する。


「まだ……だッ」


 メルキアデスの拳に感覚で指を這わせて、そして。


「イッ………!?」


 人差し指と中指を逆方向に折り曲げてやる。緩んだ手のひらに、わたしは──思いっきり噛みついていた。


「ふぅううう……ふうううううう!!!!」


「この、獣め!!」


 メルキアデスの片手はもはや再起不能なまでに血まみれだ。──だが、噛みつかれている間にもメルキアデスは腕を掴んでいた。痛みを感じないのか、この男は……!


 そのままわたしの腕をぶん投げて、ふらりと慣性で近づいたタイミングで──メルキアデスの拳はわたしの頬を打ち抜く。


 世界が白飛びする。

 白熱した痛みが、頬にできた。


「ぐ、お……」


「まだ、足りないぞ──」


 脳が揺れる。意識が否応なく落ちそうになる。

 ゆらゆらと半分意識を飛ばしたわたしを見逃すはずもなく、メルキアデスは両手をわたしの耳に叩きつけた。


 咽せる。血がだらだらと口から吐き出される。


「っ、ぁ」


「ブラックデッドォ!!!!」


 崩れ落ちたわたしの胸ぐらをメルキアデスが掴んで、強制的に立ち上がらせた。


「後一歩、届かなかったようだな……! 私は殿下とともに、この世界を作り替えてみせよう! まずは、ルナニア帝国だ!」


「れおね、を……かえせ……!」


「お前は何を勘違いしている? 私が殿下を戦場に連れているはずがない。殿下は、魔石でここで起こったことを全て見ている、聞いている。──殿下は、国のための偶像になってもらわなければならないのだからな!! お前は殿下の前で、敗北したんだ! それが、全てだ!!」


「…………っ」


 前提が崩壊する。

 レオネは、『千年甲冑』に乗っていない?


「終いだッ!」


 そして。

 拳が唸る音がし、わたしの身体は宙を舞っていた。


「……れお、ね……」


 わたしの身体は、『千年甲冑』の手のひらからこぼれ落ちていく。


「私を落としたいのならば、次は巨竜を連れてくるのだな」


 遥か下には固く強張った岩地があるだけ。

 意識を手放しつつ、ただ落下に身を任せた。



 わたしは、メルキアデスに負けた。



 剣を使わない手加減をされて、半身が枯れ葉に朽ち果てるという代償を抱えた相手に、完膚なきまで負けた。

 わたしは聖女だ。本職の騎士に敵うはずもない。三大将軍を撃退したという騎士は、確かにめちゃくちゃ強かった。


 だから、負けた。

 わたしは聖女だ。だから、負けた。

 当然の摂理。当然の結果。当然の帰結。


 それでも、わたしは──


「───っ」


 いつまでそんな言い訳をしているのか?

 レオネが結婚するまで?

 わたしが殺されるまで?

 それとも、悪いやつが友達の気持ちを踏みにじって笑うまで、そんな言い訳を自分に繰り返しているつもりか?


 イザベラの言葉が思い出される。

 あの痛みと、決意が思い出される。

 聖女だから、勝てない?

 誰がそんなことを決めたんだ。


 立て、リリアス・ブラックデッド。

 立ち上がって、殴りつけろ!!

 ブラックデッド家の家訓を思い出せ!!


「──っ、ゆるさない……ぜったいに、ゆるさない……!」

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