64.5『世界の目』

 そして、世界が瞬く間に目を向けた。


 ◇


 熱帯雨林の奥深くに小さな都がある。

 灼熱の日差しを浴びながらも、優雅に外で休暇を取っている少女がいた。

 艷やかな緑色のつり目、顔には自信に満ち溢れていそうな不敵な笑みが浮かんでいる。


 褐色の肌に金色の装飾具がそこかしこに飾り付けられている。一番目立つのは、やけに露出の多い服。この国の伝統的な服装であり、決して彼女の趣味ではない。


 そんな彼女がペットのヘビの脱皮を手伝っていると、


「ほ、報告が届きました!」


 彼女のそばに素早く駆け寄ったのは、彼女と同じような格好をした女官だ。


「ほう? 妾の耳に入れるほどの用向きか?」


 その少女は女官に流し目を向ける。

 幼いながらも妖艶な響きの声。女官は暑い日差しが降り注ぐ中でも悪寒を感じて震えた。


「は、はい。ラーンダルク王国にて、大戦兵器の魔力が確認されたとのことでして──」


「ふむ。ラーンダルクというと……ああ、あの鉄屑か」


「て、鉄屑?」


 興味をなくしたかのように、少女は手を女官に向かって振った。そして再びペットにかまい始める。


「……いいのですか?」


「妾のエイワスオーズまで攻め込んで来たならば、スクラップにしてやるよ。それまでは捨て置け。隣のルナニア帝国に首を突っ込まれたら面倒だ」


「……御心のままに。我らが盟主殿」


 国土の七割が熱帯雨林に覆われているエイワスオーズ。彼の国の盟主は静観を決めた。


 ◇


「大統領閣下……大変なことになりました」


 全身黒服のボディガードが付き従う中、諜報局直属の秘密局員が大統領府まで伝令を届けに来た。

 受け取ったのは、白髪に人好きのする笑みを浮かべた少年だ。彼は黒色の瞳を瞬かせて「お疲れさまです」と局員に伝えた。


「ラーンダルク王国で大戦兵器『千年甲冑』が起動したそうです」


 若い声が部屋に届くと、テーブルを囲む大臣たちは慌てたように己の部下に情報の真偽を調べさせた。


「……大戦兵器は、各国のパワーバランスの均衡の為、今まで誰も現界できなかったはず」


「まさか、ラーンダルク王国は世界のバランスを崩し、各国に対して宣戦布告を行おうとしているのでは……!」


「なんだと!? そんなこと許されるものか! 即刻使者を派遣し、警告をしなければ──」


「落ち着いてください」


 大臣たちはもろもろの言葉を叫ぶが、白髪の少年が手を打ち鳴らした音で一斉に静かになった。


「我らが調停楽園は、戦時不介入です。例え、かつての大戦が再燃したとしても……特定の味方につくことはありえません」


 あくまで少年は冷静だ。


「しかしっ、大統領閣下! 我が国が侵略されるやもしれないのですよ!?」


「侵略されたならば、それを利用すれば良いのです。我々は多くの国と同盟を結んでおります。味方は多い」


 大統領府から空を見渡す。今日は良く晴れて、満月が見える。しかし、これから激動の嵐がやってくるだろう。


「皆さん」


 白髪の少年は、皆を一様に安心させるような笑みを浮かべて言った。


「まずはラーンダルク王国に説明請求の書簡を持たせた使者を派遣しましょう。それと同時に同盟国への連絡もお願いします」


「わ、分かりました、大統領閣下!」


「──いつものように、戦わずして勝ちましょう。我々にはそれを成せるだけの力があります」


 少年の目を見てしまった大臣たちは、一様に顔を青くして口を抑えた。

 大統領は顔を緩ませていつものように笑っている。──目は、全く笑っていなかった。陰謀と策謀が渦巻いている。


 歴史上、一度も戦争をしていないながらも繁栄し、情報を切り売りすることで欲しいものを手に入れてきた調停楽園。その大統領は、この混乱を利用し、活用するために各同盟国に使者を送ることに決めた。


 ◇


 この世が出来た頃から咲き誇っていると云われる大桜の根本に、一つの京があった。

 永遠の春とも謳われる枢緋境の秘奥。

 雅な寝殿造の建物が中央にあり、その周囲を取り囲む街は辺り一面の大池に水没していた。

 京の街は水中に向かって、蓮の根のように広がっている。


 国の政治を一手に担う朝廷。普段は優雅な貴人たちが歌を読んだり、手鞠をついているそこでは、宮仕えたちがせわしなく動いていた。


「『千年甲冑』……『千年甲冑』」


「ああ、神子様。どうか枢緋境をお守りください……」


 突如として起こった『千年甲冑』の現界。かつての大戦の残滓の魔力は瞬く間に世界に広がり、激震をもたらした。

 ここ、枢緋境でも同じ。

 朝廷の公式声明を今か今かと待ちわびる宮仕えたちで京はかつてないほどに騒がしい様相を呈していた。


 しかし、簾の奥は未だ沈黙を守ったまま。

 朝廷の声は、未だない。




 大池の最下層、瀑布として流れ込む水を避けるようにして一つの大社があった。太いしめ縄が縦横無尽にその空間を走っている。


 その中。


 本殿の外に広がる庭園を眺めるようにして、二人の幼女が手を繋ぎながら座っている。

 二人の歳の頃は十にも満たないように見えた。赤髪のおかっぱと黒髪のおかっぱが並んでいる。顔立ちは瓜二つ──双子だった。

 その衣装はひらひらとした枢緋境の伝統衣装だ。


「どうするどうする?」と赤い方が。

「あの大きな鉄の人?」と黒い方が。


「壊しちゃう?」


「めんどくさい」


「「だよね〜」」


 キャッキャと双子は笑い合う。


「どうするどうする?」と黒い方が。

「攻めてきたら?」と赤い方が。


「痛いよね?」


「たぶんね?」


「痛いのはやだ」


「そのとーり」


「「うーん……めんどくさいと痛い、どっちがいや?」」


 二人は顔を見合わせる。


「「うん」」


「「痛いことされる前に鉄の人を殺しちゃえ」」


 双子の意見は瞬く間に大池を駆け上がり、朝廷に伝わる。

 その日、宮仕えたちはパニックを起こして京に動乱がまき起こった。


 世界の秘境とも呼ばれる枢緋境。世界から干渉を受けることもなく、国土を閉ざしていた国は初めて世界に意思を伝えた。それは、『千年甲冑』の現界と同じく世界各国の注目を集める。


 ──開国直後、ラーンダルク王国に向けた宣戦布告だということも合わせて。


 双子の神子は、世界をまだ知らない。


 ◇


 満月が照らす夜闇。

 暗がりに沈んだ部屋で艶めかしい声が響く。


「んやぁ、んっ」


「ええそうよ。もっと甘くおねだりしてみなさい」


「や、めぇっ、は、う」


 夜闇の中でも金髪をきらめかせる少女は、鎖に巻かれた女に向かって嗜虐的に微笑んだ。


「……くっ、ふざけないで……誰があなたに……」


「あら、反抗的な言葉を囀る口はここかしら」


「むぐっ!?」


 少女は女の唇を塞ぐ。抵抗して振り回していた手足から徐々に力が抜けていく。


「……ふふっ、身体は正直ね。もう抵抗はおしまい?」


「……皇帝……何のつもり……?」


 ルナニア帝国、皇帝の寝室にて二人は睨み合っていた。


「ドーラ・ブラックデッド。あなた、自分の責務を放り出してラーンダルク王国に行こうとしたわよね?」


「……だから?」


 ドーラは鎖で縛られた手足を揺らして目の前で笑う皇帝に問う。先ほど口に突っ込まれたチョコスティックをポリポリポリと高速に齧った後でのこれである。


「本当に散々なことをしちゃってくれて。あなたを止めるために立ち塞がった第三師団長とその師団半数を消し炭にして戦線を崩壊させたことについて、どう責任を取るつもりかしら?」


「……トロンレーゼの国軍は殲滅した」


「はぁ。あなたのそういうところ、余は好きなのだけれどね……」


 ドーラ・ブラックデッドは、現在逃亡兵としてルナニア帝国全土で指名手配されている。

 理由は単純。隣国であるトロンレーゼとの戦争の最中に戦線を離脱し、ラーンダルク王国に向かおうとしたから。


 もちろん、一緒に戦っていた第三師団は泡を食ってドーラを止めようとしたが──

 結果は惨憺たるものだった。


 敵のトロンレーゼ国軍は、ドーラの一撃により一人残らず、文字通り『殲滅』の憂き目に合っていた。そして、その余波に巻き込まれるようにして第三師団の四分の一は『蒸発』。比喩ではない。


 激怒した第三師団長が決闘を仕掛けたものの、敵うはずもなく──決闘の結果、第三師団長は骨も残らず揮発させられ、第三師団の半数が生死不明の混沌と化した。

 ドーラは、自分が生み出した地獄に目もくれることなくラーンダルク王国に向かおうとして、事態の収拾に現れた皇帝に捕まえられたというわけだった。


「起きた事態は、置いときましょう。別に大したことでもないし」


 地獄の底から第三師団長が金切り声をあげているような気がするが、そういうのは神殿復活してから直接本人に言え、と皇帝は思う。


「戦線から離脱した理由は?」


「……『千年甲冑』が起動したって、部下の新聞で見た。リリアスは皇帝がラーンダルク王国に送ったでしょ……?」


「そうね」


 フォックスグレーター社は、光の速さで情報を伝える。どうでもいいこともどうでもよくないことも。

 ドーラの部下はフォックスグレーター・メディアのプレミアムプランに入っているらしい。新聞・テレビ・ラジオが『どこ』でも『すぐ』届く、正しくプライバシー皆無のプランである。

 かの情報メディア社もそろそろ掣肘しようかな、と皇帝は思う。


「だから」


「うん?」


「だから」


 そのままドーラは口をつぐんでしまう。つまり、文脈と行間を読んで要約すると──


「あなたはリアが『千年甲冑』の起動に関わっていると言いたいの?」


「……違う?」


 ドーラの冷たい目が皇帝を射貫く。

 もっとはっきり喋れ、と皇帝は思う。


「あなたはリアが心配なのね」


「……妹を心配しないお姉ちゃんがどこにいるの?」


 疑問形を連射するな、と皇帝は思う。

 しかし、ブラックデッド家は相変わらず家族仲が良い。皆深い絆で結ばれている。他の貴族の家では権力争いやら跡継ぎ問題でギスギスしているものだが……。

 殺人鬼同士は惹かれ合うという言葉がどこかにあった。それを家族間で適用したのがブラックデッド家である。


「ラーンダルク王国に行ってどうするのかしら?」


「リリアスを傷つける奴らをすり潰してやる」


「……」


 シスコンを煮詰めて抽出したような性格だった。

 皇帝はため息をつく。

 常識人であるソフィーヤが恋しくなってきた。


「リアは強い子よ。心配しなくてもいいわ」


「……リリアスの力を封印した本人が何を──」


 敵意マシマシの目で睨んでくる。

 そうだった。リアに封印魔法を施した翌日、今度はドーラが王城に殴り込んできたのだ。


 虐殺に次ぐ虐殺。

 ブチ切れたドーラによって、蛮行を止めようとした王城警備の帝国軍、メイド及び聖女の非戦闘員も合わせた王城にいた半数が虐殺された。皇帝が彼女を止めるまで、暴れ続けるつもりだったに違いない。

 神殿復活様々である。


「リアが事件を解決するまで、この部屋から出ないと誓ったら鎖を外してあげる」


「……チッ」


「世界中がこれを注視している。リリアス・ブラックデッドの力を存分に見せつけてあげましょう」


 ドーラは窓の外を見る。

 満天の星空だった。


「リリアス……無事でいて」


「紅茶にスコーンもあるわよ。共に見守りましょう」


 皇帝は豪奢な椅子に座って足を組む。近くで待機していたメイドが一礼して、皇帝のカップに紅茶を注いだ。


「……アリスはどうしたの?」


「魔王からソフィと交換で貰った魔族がいるでしょう? あの子と遊んでるわ」


「…………」


 その時、壁一面に飾られている魔石のうち、一つが光った。

 メイドがそれを取って恭しく皇帝に渡す。


 皇帝は確認して、にやりと笑った。


「ほら、愛しのリアをためにあなたは何が出来るのかしら?」


「……!」


 ドーラを縛っていた鎖が光の粒に分解されて消えた。

 解放されたドーラは歩み寄り、ゆっくりと魔石に手を伸びる。


『……す、すいません……! 誰か、誰かいませんかー? こちらラーンダルク復興支援団体所属、見習い聖女……クロエ・マッキンジャー、です……!』


 それを、皇帝は面白そうに見つめていた。

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