53.『肩ぐるまデート』

 レオネが小屋のトイレに案内してくれる。


 完全に一人になったと判断した瞬間、わたしは急いで胸元から魔石を取り出した。

 魔石──そう、ルナニア帝国軍部直結の連絡網である。バタバタしていてすっかり存在を忘れていた。


 取り敢えずこんこんと突いてみる。

 魔石が真っ赤に光った。


「誰か返事をしてくれ、困ってる!!」


 これで繋がったのがココロだったらわたしの来世はミジンコでもいい。皇帝とかバーサーカーどもだったらチェンジと叫ぼう。そうしよう。


『我に呼びかけるとは、帝国の者共は千年のうちに随分と無知な者に成り果てたようだ。良いだろう。呪怨と破壊をこの世界に与え、全ての人を抹殺する最後の神ヤルダバオトが絶対なる闇の力を貸してやろ──』


「チェンジ」


 なんだコイツ、中二病なら後にしてくれ。

 魔石をもう一度コンコンと叩く。


 なんかぴちゃぴちゃ、魚が跳ねるような音が聞こえ──いきなりノイズとキーンという高い音にかき消されてしまった。なんだよ。


『警告。現在アクセスを試みているのは封印指定されているオブジェクトです。視覚、聴覚──いずれにその姿を映すだけで終末的精神汚染を引き起こすことになるため、当該オブジェクトは究明棟の最終廃棄層に封印されています。アクセスする場合はA5ランクの権限が必要となりますので、クリストフル聖女の許可を──』


「チェンジ」


 まともな人はいないのか?

 イライラしながら魔石を叩く。


『ん? リアお姉ちゃん?』


「チェンジっ!」


 危うく魔石をトイレに流すところだった。アリスの声が聞こえたような気がしたけど、きっと気のせいだ。


『なになに? チェンジ?』


 わたしは深く絶望した。


「……なんでもない」


『なんか困ってるらしいね』


「今、ラーンダルク王国で殺されそうになってるんだよ。たぶん衛兵に見つかったら斬り殺される」


『ふーん、大変そう』


 ぜってぇ思ってねぇだろ。


「助けてくれない?」


『んー、あたし今忙しい』


「あっ、そう……」


 魔石越しに聞こえてくる悲鳴と絶望の叫び。相変わらずアリスは人殺しが大好きだ。最近のトレンドは爆殺だという。

 ……トレンド?


『あたしじゃなくてドーラお姉ちゃんに頼んでみたら?』


「殺されそうだから嫌だ」


『にゃははっ、確かに!』


 なんでそんなに嬉しそうなんだよ。


『そろそろラーンダルク王国にルナニア帝国の連中が着く頃でしょ。あと少しの辛抱だよ』


「あと少し、ねぇ……てか、おまえのせいで今ラーンダルク王国は大変なんだぞ! 王様の首を取ったせいでクーデターが起きてるんだ!」


『んー? ラーンダルク王国に王様っていたっけ? 最近見てないから良く分かんない』


「はぁ? じゃあいつも持ってきてるの誰の首だよ」


『しーらなーい。そこらへんの貴族の首じゃない? あたし、命は平等にっていうのが主義なんだよね。だからみんな殺すの! その中に王の首とか混ざってても知らないしー』


 これである。倫理観の欠如したサイコパスだ。


「あのなぁ…………まぁいいや。もうすぐ助けが来るんだよな?」


「たぶんー?」


 それまでわたしの首は無事だろうか。

 便器に座り込みながら頭を抱えて深く考え込む。まるで彫像にある賢者のように固まりながら深く思案の海に潜り込んでいく。


 やはり皇帝が出るまで魔石通話をかけ続けるべきだろうか。前に読んだ恋愛小説のヒロインが彼氏に対してそんなことをしていた気がする。結局、そのヒロインはストーカー規制法で警察にしょっぴかれていった。それから十二巻にも及ぶ『脱獄編』は恋愛小説とは名ばかりの良質なプリズンブレイクが繰り広げられ──


 トイレの扉の向こう側から控えめなノックが聞こえた。


「あの、プリティエンジェル様……? 大きい方ですか?」


 そんなことうら若き乙女に聞くもんじゃない。



「あーあ、どうなっちまうのかねぇ、この国は」


「ん? 先輩どうしたんですか?」


 城下町を見回っている二人の衛兵のうち、一人が大きなため息を吐き出した。


「いやさ、さっき受け取った手配書見てみなって」


「あれですか、ルナニア帝国の三大将軍がレオネッサ女王殿下を誘拐したとかいう……」


「名前はリリアス・ブラックデッド。あの悪名高いブラックデッド家のやつさ! レオネッサ殿下、今頃どんな目に合わされてるんだろうな……考えるだけでブルっちまうぜ……」


 本当に身体を震わせる先輩衛兵に、もう一人は首を傾げた。


「リリアス・ブラックデッド……? 確か公式にはルナニア帝国の聖女だって話でしたけど」


「お前新聞取ってねぇのかよ! やつは『根絶やし聖女』だぞ……? この世界に召喚された勇者を、たった一晩でぶち殺した正真正銘のヤバイ奴だよ!!」


「……マジですか?」


「大マジ。性格は残忍かつ凶悪非道、帝国に仇なす者を全員挽き肉にしてやるって公言してるらしい」


「ひっ……! そんな頭のおかしいやつにレオネッサ殿下は……! っ、王女救出は僕にやらせてくださいっ! ラーンダルク王国に平穏をもたらす役割をどうか!!」


 正義感と恐怖に息を荒らげて興奮する後輩を先輩衛兵は諫める。


「落ち着けって。首席騎士であるメルキアデス卿は徹底抗戦することに決めたらしい。ラディストール卿の言葉はまだ出ていないが──」


 と、そのとき衛兵は市民より一つの通報を受けた。


 急いで二人は現場に向かうと、そこには──


「な、なんだ……あれは……!」


「……に、人間なのか……?」


 のっそのっそと、大通りの向こうから歩いてくる黒光りするコートに身を包んだ人がいた。


 まず目を引くのはその大きさだ。威容と言い換えてもいい。二メートル強はある身長に、筋骨隆々だということを容易に想像させるようなコートの下の膨らみ。


「……殺人鬼……?」


「……ば、バカを言えっ!?」


 そして、何より目立つのはその顔だ。赤黒い染みのついた包帯が一寸の隙もなく巻き付けられている。目の部位だけ僅かに切り取られたような隙間があり、そこからは透明な瞳が真っ直ぐとこちらを睥睨していた。


 彼(彼女?)は見ている。

 街を、人を、そして、衛兵である自分たちを。

 包帯に浮かび上がった血が、返り血であろうそれが伝えている。

 その透明な瞳で、どれほどの血を見ていたか!


 見られている。


 彼に、見つめられている!


「な、なぁ……お前さ……ちょっと声かけてこいよ。職質としてさ……」


「え……い、嫌ですよっ!!」


 ちょっと引くぐらい大きな声だった。

 殺人鬼の風貌を目の前にすると、新兵も正義感とか吹っ飛ぶんだなと、一つ勉強になった先輩衛兵だった。


「バカっ、声でけぇよ……」


「なんであんな見るからに、『ここに墓標を刻んでやる……』的な人を相手にお話しなくちゃならねぇんですか! 先輩行ってきて! 骨なら拾ってやりますからっ!」


「てか、敬語! お前さてはあんまり俺のこと尊敬してねぇな!? 街を守る衛兵が見るからな殺人鬼を詰問しないでどうすんだよ!?」


 衛兵が互いを押し合っていると頭上に影が差した。恐る恐る衛兵たちがその影を生み出しているものを見上げる。

 見るからに殺人鬼な人が、そこにいた。


「えっと……道をお尋ね──」


 甲高い声を更に裏声にしたような声だった。

 衛兵たちの精神は限界を迎え、一目散に走り去ってしまう。


 やがて、殺人鬼な人のお腹あたりからため息と少女の声が聞こえた。


「……いやいやいや、なんで衛兵に見つからないようにこんな格好してるのに、わざわざ衛兵に道を聞くんだよ」


「実を言うと、私、城下町をほとんど知らないのですよ。今まで王城にて引きこもっておりまして」


 太ももをぎゅと密着させるな、息苦しいからっ!

 レオネの太ももはココロの肉づきの良いタイプの太ももとは違って、ほっそりしている。それを白いタイツで覆っている。

 体温が高いのだろうか。顔に押しつけられた太ももからはほんのりどころか結構な熱気が伝わってくる。筋肉が多い人は体温が高いのだとか。


 王女様のドレスのスカートに直接顔を突っ込んでいると言うだけでも即死刑宣告モノなのに、この熱さ。熱中症になりそうだった。


「ほら、衛兵さんたちがご親切にも地図を用意してくれたようですよ。プリティエンジェル様の方から拾ってください」


「ただ落としただけじゃん……」


 コートのお腹あたりからにゅっと手を出して地図を引っ掴んだ。


 目撃した人は卒倒した。


「なぁレオネ。もしやこの状況、割と楽しんでないか?」


「さぁ? プリティエンジェル様とのデートなどとは思っておりませんが?」


 うーん?


 ……うん!


「こんなデートあってたまるかぁ!」

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