43.5.『純愛』
皇帝が首を傾けると、先ほどまで皇帝の首筋があった場所を鋭く投擲されたナイフが通り抜けた。
壁に吊り下げられた肖像画──貼り付けたような笑みを浮かべる皇帝の自画像の額にナイフが突き刺さってビリビリと震えている。
「……あなたに渡したのは護身用の短剣よ。敵意を向けるための物ではないの」
それを見やって、ゆっくりと振り返った。
「あ、ご……ごめんなさい……! つい、手が勝手に……」
「あなたの手はとても便利なのね」
いつの間にか部屋に入ってきていたココロが所作よく立っている。年の割には大人しく、まるで深窓の令嬢のような佇まい。そこはいつも通りだった。
……目がやばかった。人を何人もヤっているような目を皇帝に向けていた。完全にイっちゃっていた。
仕草と殺人鬼の眼光のアンバランスがギャップ萌えを通り越して薄ら寒い恐怖を生み出す。
「……それで、リアちゃんを、どこにやったんですか?」
「リアがどこへ行こうとあなたに関係あるのかし──」
「はい」
食い気味だった。
「……それは、どうしてかしら?」
ココロは恥ずかしげに、頬をほんのりと染めて──小さな声で皇帝に言った。
「リアちゃんは私と結婚するんです」
「……ん?」
第一声がこれだった。
おどおどとココロは静かに、だがはっきりとした口調で語り始める。
「つまりお嫁さんになるんです。いやリアちゃんくらい格好良かったらお婿さんかな……まあどっちでもいいです。性別なんて魔法でどうとでもなりますから。……つまるところ私とリアちゃんはパートナーなんです。カップルなんです。運命の赤い糸で結ばれた最高の相手なんです。なのにそれを引き離すだなんて許せません。いくら皇帝陛下相手だとしても許せないです。リアちゃんは私のものなんです。私しか触っちゃいけないんです。分かりますか? 分かりますよね、分かってください。こうしている間にもリアちゃんはどこか遠くで寂しくしているはずなんです。それを助けるのは運命のパートナーで将来を誓いあった私でないとだめなんです。リアちゃんは私が一番愛しています。私とリアちゃんは一つになるべきなんです。そうですよね? 魂が繋がっているんだから身体も一つに繋がるのが当然なんです。そうと言ってください。だから私はリアちゃんのところに行かなければいけないんです。理解できましたか? それよりも私皇帝陛下に対して言いたいことがたくさんあったんです。いつもいつもいつもリアちゃんを弄んでどういうつもりですか、ぶっ殺しますよ? 昔にもリアちゃんの記憶を封印して、そのせいで私はもう一度一人になったんです。リアちゃんは屋敷に引きこもってしまって、どれだけ辛く苦しいことか分かりますか? リアちゃんには私がそばにいてあげないとだめなんです。リアちゃんには私が必要なんです。あの格好いいリアちゃんも、今の可愛いリアちゃんもどっちもどっちも私は大好きですから。だから皇帝陛下、あなたを恨みます。殺してやりたい。いつか絶対に殺したいと思っています。だってそうでしょう? 私からリアちゃんを奪ったんですから。これはもうかつての神々でも許されないことです。リアちゃんと私。私とリアちゃん。二つで一つ、陰と陽が合わさってこその調和なんです。皇帝陛下はその調和を乱したんです。本当に死んで下さい。お願いします。でももういいです。今回ので吹っ切れました。皇帝陛下が今までリアちゃんをいじめていたのを我慢して見ていたんですがもう限界です。ありえないです。さっさと居場所を吐いてください。早く早く早く早く早く早く早く──」
「……」
パンドラの箱というものを皇帝は知っている。
この世界の災厄が全て詰まっているという神話の道具だ。開けてしまえば、未曾有の化け物が解き放たれるという。
……それを開けてしまったのかもしれない。
「もう良いわ。あなたのリリアス・ブラックデッドに対する偏愛はもう十分よ」
「偏愛ではありません、純愛です」
「…………」
控えめな仕草の中で、眼光だけはどこまでも冷徹に皇帝を射抜いていた。まばたきさえしていない。
「早く訂正してください」
「……ええ、純愛ね。限りなく」
皇帝は微笑んだ。微笑んでいる状態から顔の表情筋が動かなくなっていた。無理に動かすとぴくぴく痙攣してしまいそうだった。
魔王に負けず劣らずの怒気と狂気をまき散らす最高評価の聖女。
どうしてこうなってしまったのか。
リリアス・ブラックデッドはココロ・ローゼマリーに一体何をしでかしてしまったのだろうか?
謎は深まるばかりだった。
「リアはラーンダルク王国に飛ばしたわ。事前に行ってもらいたいことがあったから飛ばしたの。あなたも含めた復興支援団体は後日、国境付近に【転移門】で飛ばすから、それまで我慢しなさい」
「……っ、……仕方ありません。メイドリアちゃんの写真と洗濯場からくすねた靴下を使って我慢するしか……」
何に使うのだろう。ココロの呟いている言葉を脳が理解することを拒んでいる。
「そういえば、あなたにも用があったのよ。ココロ・ローゼマリー」
「早く話してください。私はこれからメイドリアちゃんを祀り上げなければならないんですっ!」
理解し難い言葉を連射するココロを無視し、皇帝は厳かに囁いた。
「ルシウス王国の『永世懲罰軍』というのを、聞いたことはあるかしら?」
「……はい?」
ココロは一瞬放心する。
「かつての『大戦兵器』の一角。久遠に燃える原初の炎を燃料とした鋼鉄の『千年甲冑』──その軍勢。ラーンダルクの前身であるルシウス王国は、それを有してかつての大戦を席巻していた」
「はぁ」
「ある情報が一つ。かつて失われたはずの大戦兵器がまだラーンダルク王国に残っているという」
皇帝は唇の端を釣り上げて、邪悪に歪ませた。
「──破壊、あるいは奪ってきなさい。成功させれば、あなたの望みを一つ可能な限り叶えてあげるわ」
ココロは再び放心し、そして。
「任務ってこと、ですよね。望みって……なんでも、ですか……?」
「もちろんよ。余はルナニア帝国の皇帝よ。世界の万物は余に従う道理を有するの」
「……そうですか……なら…………ふふっ、ふふふ……リアちゃん」
皇帝は覚えている。
あれは、絶対に聖女がしてはいけない顔だった。
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星を見なければならないので、来週まで休みます。次話は来週水曜日に投稿します。
積んでいた本を読むぞ読むぞ……!
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